(第11日続きの2 11/06/18)
エッフェル塔界隈
シャンゼリゼから歩いてバカラ美術館 Galerie-musee Baccarat へ 。
大通りを離れて、左の写真のような街の中の通りを歩く。どこをどう歩いているのかよくわからなかったが、スイスの都市とは桁違いに大きな都市であることはわかる。そして建物が固そうで、何か威圧的に感じられるのはおのぼりさんのせいもあるだろうが。
バカラ美術館は、I長老が奥さんから、これこれこういう物がいくら以下だったら買ってくるように、という指示を受けていたために寄ったもの。
残念ながらご指定の物はここにはなく、他の店から取り寄せなければならないこと、ご指定の価格よりいくぶん高めであったことから、長老は買わなかった。奥さんのご指示に従わないといけないのはいずこも同じである。
出るときに気がついたのだが、われわれが見てきたのは、バカラのショップであって、美術館はさらにその上の階にあったのである。見てくればよかったような、まあどうせ縁のないもののような気もするのであった。
これはシャイヨー宮 Palais de Chaillot。いくつか博物館があるらしいが、通り過ぎただけ。
さていよいよエッフェル塔 La Tour Eiffel である。
わたしはパリへ来てからずっと、町のどこからもエッフェル塔が見えることに感心していた。324メートルだから東京タワーとほとんど変わらないのに、まわりを圧して威風堂々とそびえたっている。
最近の東京ではときどきビルのすきまから見えても東京タワーだと気がつかないくらいである。都市計画によって、これほど街の景観は変わるものなのだ。

この日は土曜日で観光客がいっぱいいて上へ登るための行列をつくっていた。フランスの田舎からやって来たのではと思われるような親子連れが多かった。父親に手を引かれた男の子を見て、わたしは子供の頃名古屋のテレビ塔へ連れて行ってもらったことを思い出した。。
われわれも上まで行きたかったけれど、おのぼりさんとしては短時間にできるだけ名所 の数をこなさなければならない。ここであまり時間をとられては、と上まで行くのは断念して、セーヌ川に係留してある船上レストランで暫時休憩をとってから、また次の名所へと足をのばしたのであった。
次はバルザックの家 Maison de Balzac へ向かったが、ちょっとわかりにくくて、こんな狭い路地へ入り込んだ。そうしたらこの右手の崖を登った上にバルザックの家はあった。

バルザックの小説は『ゴリオ爺さん』を読んだくらいだが、借金まみれの中で傑作を量産し続けたという生活の方には興味がある。
鹿島茂の『パリの王様たち ユゴー・デュマ・バルザック 三大文豪大物くらべ』(1995、文藝春秋)は、この三人の文豪がそれぞれ「名声、金、女」についてどう考え、いかに破天荒な生活をおくっていたかを比較したおもしろい本である。
この本によれば、ユゴーは極端な吝嗇で、デュマは大浪費家で、バルザックは借金王であった。
だが、バルザックという男はまことに端倪(たんげい)すべからざる性格の持主なので、一般人の常識は通用しない。というのも、自己の創造(というよりも生産)能力を確信した彼は、それが生み出すべき金額を頭の中ではじきだし、その分はあらかじめ使ってしまってもかまわないという驚くべき結論を導き出してしまったからである。(P168)
だが、未来がバラ色に輝きだしたときこそ、バルザックのあらたな危機の始まりである。債鬼に追い回されていたときには部屋に閉じこもって傑作を書き上げるが、ひとたび余裕ができたり、収入の道が開けたりすると、とたんに、なにか楽をして金儲けをしたいという欲望がわいてくるという性格の持主だからである。(P187)
だから印刷屋をやったり、新聞社を始めたり、銀山に手を出したりして、その都度借金の山をつくっては小説を量産した。
このバルザックの家は、1840~1847年、借金取りから逃れるため家政婦の名を借りて住んでいた。この家政婦は兼愛人で、後に訴えられてもいるようだ。
鹿島によれば、42年にはポーランドの裕福な貴族が死に、その未亡人と結婚できる可能性ができると、バルザックはそちらに集中して執筆に身が入らなくなった。そして結婚に備えて新居を購入したり、骨董品を買いあさったり、株で大損したりして借金がまた増えたら、『従妹ベット』と『従兄ポンス』という晩年の最高傑作を書き上げたのだという。
この後ウクライナへ行って未亡人と結婚したバルザックは、借金も増えないかわりに傑作も生まず、50年に息を引き取った。借金は夫人が清算したそうである。

この家は傾斜地にあって、正式の出入り口のある上段は平屋に見えるが、下段から見ると二階家か三階家になっている。借金取りが来ると、バルザックがこの下段の路地へ逃げ出すようなこともあったらしい。
右はバルザックの家のチケットの半券なので、結婚したハンスカ夫人かと思ったら、裏を見るとフランソワ・ジェラール作「ジュリエット・レカミエ」とある。「レカミエ夫人の肖像」という有名な絵らしい。同時代人であるが、バルザックと直接つながりはなかったようだ。なぜこれがチケットにのっているのか、よくわからぬ。
おのぼりさんは忙しい。次のロダン美術館へ行くまでに見たもの。
セーヌ川の橋につけられた錠(→sp02 What is this? 2に書いた)。アメリカのトーマス・ジェファーソンの像。サント・クロチルド聖堂 La Basilique Sainte-Clotilde et Sainte-Valère 。
そしてロダン美術館 Rodin Museum へ行ったのだが、帰国後写真を整理しているうちに、操作を誤って一部データを削除してしまった。だからこのロダン美術館の途中から明くる日の午前中まで、八十数枚の写真がなくなってしまった。残念である。
右はバルザック像。
わたしの場合、カメラがメモ代わりになっているので、この後の行動がよくわからなくなってしまった。
ユースに帰って、夕食はレピュブリック広場の韓国焼肉屋へ行ったことくらいしか覚えていない。これがその店のカードの裏表。パリでなぜ韓国焼肉だったのかもよくわからない。

写真もないし、しょうがない。第11日はこのへんで終りにしておこう。