2018年1月22日 (月)

JB74 ユダヤのジョーク2

 ユダヤ・ジョークとして前に紹介した本は次のとおり。 

8 ユダヤ・ジョーク集(JB04 実日国別ジョーク集1/3)
9 続ユダヤ・ジョーク集( 同 上 )
123 ユダヤ笑話集JB30 ユダヤのジョーク
124 ユダヤの笑話と格言( 同 上 )
125 ユダヤ最高のジョーク( 同 上 )
125 ユダヤ・ジョーク集( 同 上 )
127 ユダヤ・ジョークの叡智( 同 上 )
128 頭がよくなるユダヤ人ジョーク集( 同 上 )
129 人生最強の武器 笑い(ジョーク)の力( 同 上 )

223 とっておきのユダヤジョーク

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・ハルペン・ジャック(日本語:春遍雀來、英語:Jack Halpern)は、イスラエル国籍の言語学者、辞典編纂者ということだ。

・ユダヤジョークはユダヤ人自身をを笑ってみせるが、これは自分たちへの自信があるからこそのゆとりだろう。

ユダヤ人に豚を食わす法
 ある日、ヘブライ語を教えているユダヤ人の先生が、キリスト教の友人の家に招待された。ちょうど夕食前で、友人はすごいごちそうを運ばせていた。
「さあさあ、こっちに座って。遠慮せずにどんどん食べてくれ」
 ところが、その料理はユダヤ教で禁じられてているものだった。
「すまないが、ユダヤ教で認められたコーシャ(適正な)料理でないとだめなんだ。気持ちだけいただいとくよ」
「なんだ。それは残念だな」
 しばらくして、ジュウジュウ脂がしたたり落ちる焼き豚のかたまりが運ばれてきた。うまそうな匂いで、ヘブライ語の先生は頭がクラクラした。
「さあ、先生、食べてくれ。この豚はうまいよー。それに、海老のむき身もたくさんあるから、遠慮せずに、ささ、どうぞどうぞ」
 先生はよだれが出そうだったが、こらえにこらえて、
「うーん。で、でも、豚もエビもやっぱりだめなんだ」
 友人はがっかりした。
「へえ、厳しい宗教だなあ。でもそんなこと言ってもし無人島にでも不時着したら、あれはコーシャだこれはコーシャじゃないなんて言ってられないぜ。そんな時、禁じられてる食べ物しかなかったからどうするつもりだ」
「その時は平気だよ。生きるか死ぬかって時は何でも食べていいことになってる」
 このとき友人の頭に、ある残酷な考えがひらめいた。ヒヒヒと笑うと、鉄砲を持ち出してきて先生の鼻の頭に銃口を突きつけ、ものすごい形相で怒鳴った。
「やい! 豚を食え! 食わないとドタマ吹き飛ばすぞ!!」
 先生は顔面蒼白。ぶるぶる震えが止まらない。
「た、た、た、食べ、食べるよ」
 先生が焼き豚を食べ始めると友人はニヤリと笑い、
「ハッハッハッ! 冗談だよ冗談! 生きるか死ぬかって時なら豚を食べるかと思ってね! 先生、怒らない、怒らない」
 先生はフーッとためいきをついた。
「いや、怒らんよ。でも今度そんな悪い冗談をやるなら、焼き豚がまだ温かいうちにしてくれよ」(p78)

・この本は1992年の刊行。現在の感覚では人種差別と言うしかないジョークも収められている。次第にこういうジョークは表に出なくなるだろうが、この頃にはまだこういうジョークがそれほどとがめられることはなかったのだ。

子だくさん
 イスラエルのイエメン人移民者には子供が多い。なにしろ一家族に一二、三人の子供がいるというから、実に子だくさんである。
 ある時イエメン人夫婦が街を散歩していたが、後ろをゾロゾロついてくる子供たちの一群の一人が道ばたの溝に落ちてしまった。
 夫が言った。
「おい拾おうか、でもまた一人作ればいいかな」(p100)

 

ジプシー料理
 昔のジプシー料理を記した古書物は、オムレツの作り方についてこう書き出している。
「まず卵を二つ盗み……」(p102)

・「ユダヤジョーク集」の看板を掲げながら、大半は「アメリカンジョーク集」と変わらない本も多いけれど、この本はユダヤ色にこだわっているように見受けられる。

宗教戦争
 ラビと神父が、ユダヤ教とキリスト教が科学にどれだけ貢献したかで議論していた。
「ラビのぉ、あんたにはすまないが、科学は明らかにキリスト教から始まったんだ」
 と神父が言うと、
「なぜだ?」
 とラビ。
「最近、ローマ帝国時代のカタコームがまた一つ発見されたんだ。そう、信者たちが知己に隠れて神に祈ったところさ。ところが考古学者が調べたら、なんとそこで電線が見つかったんだよ。二千年前だよ! キリスト教の信者は二千年も前に電信を発明していたんだ!」
 ラビは平気な顔をしている。
「なんだ、たいしたことないや。死海の近くの穴ぐらからユダヤ教典がザクザク出てきた時なんか、底まで一五メートル掘っても電線も何も出てこなかったんだぞ」
 神父はムッとして、
「それがどうした」
 と聞いた。ラビは、
「ローマ時代のはるか昔に、ユダヤ教徒は無線を発明してたんだ!」(p160)

陛下の命令
 一八九一年、ロシア皇帝は勅令を布告、ユダヤ人はモスクワより追放すべしとした。
 この布告のため、一人のユダヤ人が汽車に乗ってモスクワを追い出される所だったが、彼はなんと一番豪華な客室に乗っていた。車掌がやってきていちゃもんをつけた。
「この客室は、ある将軍様がすでに御予約済みでございます。皇帝陛下の御命令でモスクワを離れるそうです」
 ユダヤ人は、
「その将軍に言うたれ! わしだって皇帝陛下の命令でモスクワを離れるんだとな」(p181)

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2018年1月18日 (木)

JB73 アメリカンジョーク2

 前にアメリカのジョークという分類で取り上げたのは、
019 アメリカ・ジョーク集(JB05 実日国別ジョーク集2/3)
044 アメリカほら話JB10 世界ユーモア文学全集別巻
152 アメリカ小話集JB37 アメリカン・ジョーク
153 アメリカン・ジョークの世界( 同上 )
154 WHERE'S THE JOKE?( 同上 )
155 世界がわかるアメリカ・ジョーク集( 同上 )
156 アメリカの大統領はなぜジョークを言うのか( 同上 )
の7冊だが、「英語のジョーク」の分類のものの大半はアメリカンジョークで、その他の分類のものも翻訳物はほとんどがアメリカ経由のアメリカンジョークと言っていい。だからこの「アメリカ」の分類は便宜的なもので、それほど意味がないとご承知いただきたい。

222 アメリカンジョーク

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    (書名) アメリカンジョーク
                    2ちゃんねる選抜

      (著者)  2ちゃんねる新書編集部 編
      (出版者) 東洋書店
      (形状)     ぶんか社
           (2tちゃんねる新書)
      (頁数)    191
      (出版年)  2008/03/20

・2ちゃんねると言えば、インターネットの巨大匿名掲示板で、あれこれ物議をかもしたりもしている。その中の小分類「アメリカンジョーク」という掲示板から選んで本にしたもののようだ。

・冒頭に「「アメリカンジョーク」のお約束」が、次のように掲載されている。エスニックジョーク本の解説などにも同じようなことが書かれているが、これはわかりやすい。

【国籍についてのお約束】
日本人=卑屈・馬鹿丁寧・先端機器を持っている。
アメリカ人=独善的・戦争好き。
イギリス人=お堅い・うわべは紳士・味オンチ。
アイルランド人=粗野・お馬鹿。
スコットランド人=ケチ。
ドイツ人=田舎者・変態・無骨・酔っ払い。
ロシア人~田舎者・酔っ払い。
ユダヤ人=ケチ・金に汚い。

【女性についてのお約束】
ブロンド(金髪)=お馬鹿
ブルネット(黒髪)=知的。
レッドヘッド(赤毛)=おてんば。ブロンドほどでないがお馬鹿。

【職業についてのお約束】
牧師・法王など聖職者=ムッツリスケベ。
弁護士=人でなし・かねの亡者。
政治家=嘘つき。(冒頭、p5)

・ブロンドがどのくらいお馬鹿かというと、

「あのブロンド、AMラジオを買ったんだってな」
「ああ、午後も使えるって気づくまで一ケ月かかったらしい」(p31)

・しかし上記のようなお約束は、どうしたって差別だ偏見だと言われかねない。最近ではLGBTの権利を大切にするという動きが活発になっており、ジョークも見直さないといけなくなるだろう。

男はパブで学者と出会った。
学者は大学で論理学を教えていた。

「論理学っていうのはどんな感じの学問ですかな」
「簡単ですよ。実践してみましょう。まず、あなたは芝刈り機を持っていますか?」
「持ってもますよ」
「ということは、庭付きの一戸建てに済んでいますね?」
「はい」
「ならばあなたは既婚者だ」
「そうです。子供が2人」
「すなわち、あなたはホモではない」
「そうですね」
「こんな感じです」
「なるほど」

翌日、男は会社へ出勤し、同僚に同じような質問をしてみた。
「君は芝刈り機を持っているかい?」
「いいや」

男は言う。
「わかったぞ、お前はホモだな」(p123)

・ブッシュやクリントンなど大統領をからかっているジョークもいくつかある。下記のジョークは、名前をトランプ大統領に変えてそのまま使われていそうだ。

イラク問題などで政権が危なくなってきたブッシュ大統領が天国のリンカーンとケネディに相談しました。

ブッシュ「この難局を乗り切るにはどうすればよいでしょうか?」
リンカーン「劇場に行ってみてはどうかね?」
ケネディ「ダラスをパレードするのもいい」(p102)

・これは初代の大統領。

桜の樹の逸話で有名なワシントン。
ある日ワシントン少年は、誤ってお父さんの大切にしていた桜の木を斧で切り倒してしまいました。しかし言い訳はせず、素直にお父さんに謝りました。
「ごめんなさい、ダッド。」
お父さんにはワシントン少年を叱ることは出来ませんでした。なぜでしょうか?

なぜなら、
ワシントン少年の手には
まだ斧が握りしめられていたからです。(p106)

 

 

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2018年1月15日 (月)

JB72 ロシア・ソ連のジョーク集4

 ロシア・ソ連ののジョーク集リスト(JB70 ロシア・ソ連のジョーク集3参照)に1冊追加。

221 ロシアのジョーク集

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    (書名)ロシアのジョーク集
                   アネクドートの世界
      (著者)  さとう好明
      (出版者) 東洋書店
      (形状)     四六判ソフトカバー
           (ユーラシア選書)
      (頁数)    182
      (出版年)  2007/07/25

・著者はもと商社員としてロシア、カザフスタンで勤務していたとのことで、ロシア人の生活状況やカザフスタンの紹介、ロシアの奇人変人紹介などにそれなりのページをとっている。
 だからロシアの内情のようなことに興味のある人にはいいかもしれないが、純粋にジョーク本として楽しもうという人には、とりつきにくい。
 ロシア・マフィアの歴史を滔々と書かれても、カタカナ書きのロシアの固有名詞やロシア語が多くてなかなか頭に入らないし、ロシア語のダジャレ=語呂合わせとなると、解説されても笑えない。

・ジョークも、背景になっているロシアの歴史などをある程度知っていないとわからない。これはソ連時代のものだろう。

 地獄で党組織の改選中。長髪の髭面が推されました。理論に強いというのが推薦の理由です。その人は辞退しました。
「現時点では不適格です」
「どうして?」
「一つは、ほとんど一生海外におりましたし、二つ目は、妻は貴族の出です。第三に、私、ユダヤ人なんです」
 後ろの列から、「名前は? 名前を言え」
 髭面は、「マルクスです。カール・マルクス」(p128)

・ソ連時代もユダヤ人ジョークはあった。

 年老いたユダヤ人が臨終を迎えています。この悲しい臨終の床に友人、親戚、知人全員が集まっています。みんなに向かってこの年寄りが言うには、
「この代を去るにあたって、死ぬ前に懺悔をしたい。アブラームや、覚えているかい? 一九三六年に一〇年食らってシベリアで伐採したろう」
「もちろん、覚えているよ。忘れられるものか」
「ちくったのは俺なんだ。アブラーム、許してくれ」
「いいさ、お前から取るものなんかありはしない。許すよ」
「イサアク、覚えているかい? 一九三八年に一五年食らってウラルからマガダンまで飛ばされたろう」
「もちろんだとも、忘れようったって忘れられない」
「あれも俺がお前を売ったんだ。許してくれ」
「許すも許さないも、お前は死んでゆくが、俺らは後に残る。恨みをいつまでも覚えておく必要はない」
「みんな、最後のときは近い。どんなにおかしく思えようが、俺の最後の願いを叶えると誓ってくれ」
「もちろんだとも、叶えるよ。言ってみろ」
「窓際に俺の好きなサボテンがある。俺と同じくらい生きてきた。奴と別れることはできない。死んだら奴を俺のケツに突っ込んでくれ」
「そんなことできるものか。なんてへんてこな願いなんだ」
「誓ったはずだぜ」
 この後老人は息を引き取りました。友人たちや親戚はかれをうつぶせにして、巨大なサボテンを取って、このへんてこな願いを叶えてやりました。この瞬間、ドアのベルが鳴り、捜査令状を見せながら刑事たちが入ってきました。
「警察に、ここで年寄りのユダヤ人を死ぬまでいじめているっていう情報が入りましてね」(p126)

・上記はユダヤ人蔑視のジョーク。この手のけっこうブラックなジョークがいくつかある中で、わたしが思わずドッキリしてしまったジョークがあった。

 本邦優良映画館でご鑑賞ください。最新のホラー映画「老人ホームのロジオン・ラスコーリニコフ」です。(p91)

 ラスコーリニコフは言わずと知れたドストエフスキー『罪と罰』の主人公。選ばれた人間は生きる価値のない老婆など殺してもかまわないと殺人を犯す。それが老人ホームへ行ったら…というブラック・ジョーク。
 相模原のあの事件の後で、このジョークは笑えない。
 ジョークを笑っていられる時代がいい時代なのだ。

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2018年1月11日 (木)

一回休み

 正月につき、一回休み。

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2018年1月 8日 (月)

星野元監督の死

 もと中日ドラゴンズの投手にして監督だった星野仙一氏が亡くなった。中日ファンとしてご冥福をお祈りします。
 わたしの星野(同時代でずっと「ホシノ、ホシノ」で見てきたので以下敬称略)に対する評価には、裏切られたファンとしての感情が含まれているので、あまり公正なものにはならない。とりあえず2008年に書いたものを再掲する。

 

『勝利投手』

 北京五輪での成績が芳しくなかったため、野球の星野監督がテレビや週刊誌でバッシングを受けています。
  わたしは昔からの中日ファンなので、阪神に寝返った星野(以下敬称略)には愛憎半ばするところがあり、あんな負け方では叩かれても仕方がないと思う反面、ここまでやらなくてもという気もしています。
  ということで今回は、星野が実名で出てくる野球小説『勝利投手』(梅田香子(ようこ)1989、河出文庫)を紹介します。

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  夏の甲子園に突然あらわれて優勝をさらった謎の投手は、実は野球部のマネージャーの少女だった。
  以前から中日ドラゴンズの星野の大ファンだった彼女は、その星野の援護で、大騒ぎのドラフトの後、中日に入団。そして同僚の捕手との恋や怪我などの曲折を経て、闘将星野監督のもと遂に中日を日本一に導く。

 と、あらすじを書くだけで恥ずかしくなるくらいの「熱血ロマン中日ドラゴンズ小説」です。星野ファンだった作者が、短大時代にミニコミ誌「星野新聞」を作って、そこに連載していたのがこの小説だそうで、なるほどそれならと納得できます。
http://www.odekake.us/index/brilliant_people7.htm
 実はこの本のことは去年まで知りませんでした。読んでみると、投手は鈴木孝政、小松、牛島、郭に半ば忘れかけていた都裕次郎、打者は平野、谷沢、大島、宇野…。二十年前の選手たちです。なつかしく、うれしく読みました。
 小説としてはそれなりのレベルに達しています。1986年に河出書房の文藝賞の佳作に選ばれて単行本として十二万部売れ、アニメーションにもなっています。横浜のわたしが全然知らなかったというのは、もっぱら売れたのは名古屋中心だったということでしょうか。
 
 しかし文藝賞で思い出すのは、あの高橋和巳です-巨人の左のエースだった高橋一三ではありません。第一回文藝賞を受賞したのが出世作『悲の器』でした。重厚で苦悩に満ちた高橋の作品を、わたしも学生時代、眉間に皺を寄せながら読んだものでした。
  このひたすら明るくてアッケラカンとした熱血野球小説が、佳作とはいえ文藝賞とは…わたしの知らないうちに、二十年前、すでに世の中は変わっていたようです。
  当時の選考委員だった江藤淳がこの作品をほめたそうですが、江藤淳は中日ファンだったという話ですから、多少割り引いて聞かないといけないかもしれません。
  ともかく、わたしは楽しく読みましたが、中日ファン以外の人も楽しく読めるかどうか、保証はできません。
 
 星野は、こんな小説が作られるくらい、昔から人気がありました。
  1982年10月、中日がリーグ優勝を決めた横浜スタジアムでの大洋戦、わたしは三塁側内野席で応援していました。小松が投げていて、ほぼ中日の勝ちが決まった終盤、引退が予測されていた星野を出して優勝投手にしてやれと、三塁側から「星野コール」の大合唱が起こったのを今でも覚えています。結局星野は出てこず、最後まで小松が投げたと思いますが。(

『神様、仏様、稲尾様』

 星野の話をもう少し。
 わたしの記憶にある星野は、今ひとつ頼りきれない投手、というものです。巨人戦、ウォーッと吼えながら途中までは好投するけれど、終盤力つきて結局打たれてしまう。格好はいかにも闘志にあふれていて人気はあったけれど、投手としての実力は一流とはいきませんでした。あのころの他球団のエースといえば、堀内、江夏、平松という超一流どころでしたから、星野に同程度の活躍を期待するほうが無理だったのでしょうが。

 あのころ中日のピッチングコーチをした、かつての西鉄ライオンズの大投手、「鉄腕」稲尾和久が、自伝『神様、仏様、稲尾様』の中に、星野のことを書いています。

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 昭和53(1978)年、稲尾は、中日のピッチングコーチになりました。

 特に面白かったのは星野だ。気持で投げる投手がいるというのを、彼と接して初めて知った。ウオーミングアップを見ていると、とても怖くて投げさせられないという気持ちになる。球がおじぎしている。ところが試合になると別人だ。特に巨人戦はすごい。自分で自分の頬にビシっとびんたを食らわせ、「イテッ」といってマウンドに向かう。そしてブルペンでは考えられなかったような球をびしびし投げる。ほかのカードでもこの気合が出せれば本当にすごい投手なのにと、もったいなく思えるほどだった。
 こんなことがあった。星野先発の試合、3点リードで七回まできた。球威が落ち始めていた。ピンチを招いてわたしがマウンドに向かうと、右のこぶしでグラブをバンバンたたき、いかにも元気いっぱいの様子。ところが「どうだ」と話すと「見てわかるでしょう。駄目ですよ。リリーフを用意してください」。
  一体この態度と会話のズレは何なのか。引っ掛かりを覚えながらも、行けるところまでということにしてベンチに帰った。
  八回またピンチになる。さすがにもう限界だ。再びマウンドに行くと、そこでも彼はピンピンしている様子で、疲れなどおくびにも出さない。しかし話はもう次の投手のことだ。「だから駄目だって言ったでしょう。ところで次は誰ですか」などと平気で交代を前提とした話をしてくる。「孝政(鈴木)だよ」というと「あいつ調子悪いですよ、大丈夫ですか」などと実に冷静だ。
  とにかくマウンドを降りるのは本人も納得だと思い、監督に交代の合図を送った。(中略) 
  交代となって、鈴木が出てくる。マウンドを降りていく星野。ここで彼の態度が一変するのである。憤然とベンチに向かったかと思うとグラブを地面にたたきつけた。納得の交代ではなかったのか。おまけに鈴木が打たれて追いつかれたのがまずかった。無念を示した星野のパフォーマンスに興奮していたファンから、「なぜ星野を代えた」と野次の集中砲火を浴びて、こちらもほとんど火だるま状態になってしまった。
  翌日星野を問い詰めた。「おい、昨日の態度は何だ。あれじゃまるで無理やり代えたみたいじゃないか」。その答えがふるっていた。
「稲尾さんはまだ名古屋にきたばかりで知らんでしょうが、私は燃える男といわれとるんです。どんな状況でも弱気なところは見せられんのです」
(稲尾和久『神様、仏様、稲尾様』2004、日経ビジネス人文庫、P232~234)

 星野は、燃える男を自分で演出しながら、一方で自分の力はちゃんとわかっていたんですね。(まるで自分を客観的に見られる福田首相のようだ?)監督として実績を残したのもうなずけます。(

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2018年1月 4日 (木)

JB71 ベッカム・ジョーク

 こんな本があるとは知らなかった。デイヴィッド・ベッカム、あのサッカーのスター選手をテーマにしたジョーク・ブックである。
 
220 デイヴィッド・ベッカム ジョークブック
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    (書名)デイヴィッド・ベッカム ジョークブック
      (著者)  アダム・パーフィット
    (訳者)  白畑憲之
      (出版者) 小学館
      (形状)     文庫
      (頁数)     213
      (出版年)   2004/09/01
 
・読んでみると、これはベッカムを「おバカさん」にして楽しむジョークブックだった。ベッカムは、徹底的にものを知らない、頭のまわらない、勘違いばかりするキャラクターになっている。
 初めて飛行機でマドリードへ向かうデイヴィッドは、気圧の関係で耳がツーンとするのを防ぐにはチューインガムがいいと聞いた。無事に着陸後、かれはスチュワーデスを呼んだ。「このガム、すごくよく効いたんだけど、どうやって耳から出せばいいの?」(p44)
・しかし、どれも聞いたことのあるおバカさんジョークで、名前をベッカムに名を変えたものばかりだ。実物のベッカムには、きっと「天然」のところがあって、イギリスではそこを広く愛されているのだろう。
 JB33 イタリアのジョークで紹介した、139『トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話』ではフランチェスコ・トッティという人気サッカー選手が同じ扱いを受けていた。
  この本も聞いたことのあるネタの、名前を入れ替えただけの本だった。ヨーロッパではこの程度の本が売れるのかとも思うが、それだけ人気があるということでもあるのだろう。
 デイヴィッド・ベッカムがピザを1枚注文した。「6きれにお切りしましょうか、それとも8切れに?」
 「6切れのほうがいいな――8切れだと食べきれそうにないから」(p79)
 デイヴィッド・ベッカムが、古いひもを引きずりながら、街を歩いていた。ファンの一人がそれを見て、言った。「ねえ、デイヴィッド、なぜそんなひもを引きずっているんだい?」
 「だって」デイヴィッドが答えた。「押してゆくより、ずっと簡単だろ」(p121)
・日本では昔、「がんばれ!! タブチくん!!」といういしいひさいちのマンガがヒットした。おもしろかったけれど、あんまり馬鹿にされていて、ちょっと田淵がかわいそうなくらいだった。あれで田淵は一銭ももらっていないそうだ。 
 長嶋さんのジョークも有名だが、あれはジョークじゃなくて、どうも実話らしいというのが凄い。ストッキングを片足に2つ履いて、「片方が無いっ!」とか。
 
・ジョーク・ネタにされるのを怒るベッカムというジョークもあった。
 イギリスの腹話術師がマドリードにやって来て、イングリッシュ・パブで公演した。かれに気づかれないようにデイヴィッド・ベッカムも観客のなかにいたのだが、やっかいなことに、腹話術師は人形をつかって、ベッカム・ネタのジョークを次々と披露しはじめた。
 しばらくすると、デイヴィッドはがまんならなくなった。かれは立ち上がり、腹話術師をやじり始めた。「もううんざりだ。おまえみたいなやつのせいで、おれが笑いものにされているのがわからないのか? おまえがひっきりなしにしゃべっているジョークを、おれがどんなふうに感じているか、じっくり考えてみたことがあるのかよ?」
 「すみませんねえ」腹話術師が言った。「まあ、ちょっとしたお楽しみということで」
 「あんたは黙ってろ」デイヴィッドが言い返した。「おれはいま、あんたの膝のところにいるチビ野郎に話してるんだ」(p190)

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2018年1月 1日 (月)

謹賀新年

        謹賀新年

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 今年もよろしくお願いします。

 は人類の長い友で、「馬之情」があって、「馬之労」をとったりします。
 しかし「吠日(しょくけんはいじつ)」「吠雪(えつけんはいせつ)」という熟語では、いつも天気が悪い蜀の国のは太陽を見て吠える、暖かい越の国の犬は雪に吠える、と見識が狭い人のたとえになっています。
 わたしは古稀を迎えてもさっぱり見識は広がりませんが、歩当棒(けんぽとうぼう、これも四字熟語に認定しましょう!、今年はいいことがあるかもしれません。もう少し頑張ることにしましょう。

    2018.1.1 なむや文庫 店主敬白

 

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2017年12月28日 (木)

江南16 蘇州

第5日(10月29日)

パンパシフィック蘇州
 第三日と第四日はパンパシフィック蘇州へ連泊した。中国古典風の外観で、なかなかいいホテルだったが、いくつもの建物がつながって迷路になっていた。自分の部屋にたどり着くのに二度迷子になった。

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盤門(ばんもん)
  盤門は蘇州に唯一残る城門で、元代に再建されたものだが、その始まりは、紀元前508年と古い。呉王の命を受けた大臣伍子胥(ごししょ)が、蘇州城を築城した際の 門のひとつだという。紀元前で年までわかっているところが中国である。呉越の戦いの中の重要人物で史記に列伝がある。
 盤門一帯は盤門景区という景勝地になっていて、ここも世界遺産なのだという。ホテルの敷地は盤門景区とつながっていて、ホテル側からも入れるようになっていた。
 この日はホテルの出発が8時半と遅かったので、その前に盤門を見に行った。
 奧にホテルの建物が見える。

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 公園のようになっていて広い。驚いたのはまだ朝七時台なのにけっこう人が出ていること。太極拳の団体や、個人的にラジカセをかけて踊っている人がいて、はては団体の観光客までいた。中国人は朝早いのだ。

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 ここでは失敗した。広いので全部をまわったらどれくらいの時間がかかるのかよくわからない。出発の時間もあるので、ここが盤門だと思って、ここからホテルへ戻ったら、これは麗景楼という建物で、盤門はもっと先だった。

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 これが本物の盤門。当然わたしが撮った写真ではない。手前の石造りの部分が門らしい。なかなかいいところである。これは見ておきたかった。

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蘇州博物館
 いよいよ旅もおしまいだが、午前中はまず蘇州博物館へ行った。ずらっと行列ができていて入場するまでに45分もかかった。今回の旅行でどこも急いで見て回ったという気がするのは、こうやって行列したり、目的地まで遠くから歩いて余計に時間をつかったせいである。

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 モダンできれいな建物だった。陶器などいろいろ見るものはあったが、結局並んでいたのと同じくらいの時間しかとれなかった。

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 ここは太平天国のとき、忠王府という江南地区の拠点があった。その関係の建物もあったが、そこまでは見られなかった。

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蘭莉園刺繍研究所
 次は蘭莉園という刺繍研究所へ行った。

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 精緻な作業が行われていた。ちょっとした土産を買った。

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 昼食はここの隣のレストランでとった。ここまで来ると、ああもう旅行も終わりだと脱力しかかっていたのか、何を食べたかよく覚えていない。
 ともかく食後、高速道路を上海浦東空港へ行き、それで日本へ帰る予定だった。それが台風22号のおかげで飛行機が欠航となり、もう一泊する羽目になったことは最初に書いた。(→江南1 飛行機欠航
 だらだら書いてきた旅行記もようやく全部つながった。これで終わることができる。なんとか年内に終わってよかった。
 最後までおつきあいいただいた方々、どうもありがとうございました。

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2017年12月25日 (月)

江南15 烏鎮・寒山寺

烏鎮
 水郷の烏鎮は完全に観光地化されており、この日は土曜日で観光客がいっぱいだった。

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 たしかに風情はあるが、川沿いの古い町を、ガイドさんからはぐれないようについて歩いて行くだけででは、情緒を楽しむところまではいかない。
 これは昔の診療所のようなところ。左手が診察室で、右手には薬の棚が並んでいた。

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 家の奧が民俗館のようになっているところがあって、昔の豪華な寝台とか衣裳などが展示してあった。

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 ここの街で入ったレストランは、これまでになく大衆的だったが、やはりコースのように魚など何品も料理が出た。江南は川魚の料理に特徴があるようだ。マコモの炒め物かなにかもあった。おいしかったけれど、一度くらいは麺の昼食を入れるべきだったと思ったのは歳のせいか。

 完全な観光地で、生活感はなかった。

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寒山寺(かんざんじ)
 いよいよ次は寒山寺へ向かう。有名な漢詩の舞台で、漢詩ツアーには欠かせない。

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 漢詩愛好者にとって、ここは中唐の張継が詠んだ「楓橋夜泊」の寺である。

 楓橋夜泊  張継
月落烏啼霜滿天
江楓漁火対愁眠
姑蘇城外寒山寺
夜半鐘声到客船

月落ち烏啼いて 霜天に満つ
江楓漁火 愁眠に対す
姑蘇城外 寒山寺
夜半の鐘声 客船に到る

 異郷で、夜しみじみと鐘の声を聞いたという旅人の詩だ。

 しかし寒山寺は塀を黄色に塗ったうえ、漢詩をいっぱい書きつけた賑やかな寺で、観光客もいっぱいだった。しみじみ旅情を味わうというわけにはいかない。

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 旅情はともあれ、日本人の詩吟の愛好者は、ここへ来ると「楓橋夜泊」をやらないではいられないものらしい。
 われわれも詩吟をやるN岡さんとM本さんに指揮されて、「楓橋夜泊」の詩碑の前で、一席吟じた。通りがかりの中国人観光客に注目されてしまった。

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 「楓橋」というのは寒山寺の前の京杭運河にかかる橋のことで、以前は誰でも入れたそうだが、現在は25元の入場料が必要で、しかも行列ができていた。寒山寺は漢詩とはイメージが違って賑やかな観光寺だし、楓橋の入口にわざわざ関門を作って金を取るのが気に入らず、入るのをやめてしまった。25元が惜しくて入らなかったわけではない。
 帰ってから、もう行くこともないだろうから見ておけば良かったとちょっと後悔した。これも判断の誤りだ。

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 これは近くの江村橋。楓橋も同じような橋だと思われる。

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 寒山寺前の運河に停まっていた船。遊覧船のようだ。千三百年前、鐘の音を聞いた船はもっと小さかっただろうか。

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蘇州シルク博物館(蘇州絲綢博物館)
 ここは絹織物の博物館。養蚕や製糸の工程などを展示している。

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 そもそもここは「呉」の国で日本とは古くからつながりがあった。百済を経由して、日本に最初に漢字が渡来したときの漢字の読み方は「呉音」と呼ばれる。六朝時代の江南音である。
 「呉服」ということばもある。今では和服全般をよぶくらいのことばになっているが、もとをたどると、呉の国の絹織物ということらしい。つまりこの博物館に展示されているもののことなのだ、とウンチクを垂れながら、わたしは展示されている織物などはざっと流して見ただけで、売店でも特に買いたいものはなかった。

Photo東呉飯店
 夕食は東呉飯店というところへ行った。ここは蘇州大学が経営しているホテルらしい。やっぱり蘇州大学は相当大きな大学のようだ。

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 このレストランで魚の唐揚げなどを食べたが、詳しい記録はない。もう明日は帰国で、団長の勤めも終わりということで、ビールと紹興酒に忙しかった。

網師園(もうしえん)
 網師園も世界遺産の蘇州古典園林のひとつである。ここでは「夜の花園(夜花園)」という、いろんな民俗芸能を少しずつ見せる催しをやっていた。
 メインのステージがあるのではなく、建物の一室あるいは庭園の中で、劇や音楽の一部が上演される。客の方が順番に巡っていく。

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 いろんな楽器の演奏があった。昆劇は悲劇と喜劇の二本立て。

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 京劇もあった。これは上演後の写真撮影サービス。

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 いずれも短時間のサワリだけで、物足りないと言えば物足りないが、いろんなものが見られたのはよかった。
 庭には上弦の月が出ていた。

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2017年12月21日 (木)

江南14 烏鎮雅園

第4日(10月28日)

烏鎮雅園(うちんがえん)
 第4日もホテル出発は7:30と早い。このスケジュールは少し反省しないといけないと思いつつ蘇州から烏鎮(うちん)へ。烏鎮はこのあたりに数ある水郷古鎮の一つで観光地として有名なところである。その水郷へ行く前に、「烏鎮雅園」という老人施設を見学に行った。

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 漢詩ツアーがどうして老人施設へ行くのか?
  交流相手の団体をさがしてもらったとき、最初に出てきたのが老人クラブや老人大学の漢詩愛好会という話だった。それはいい。われわれのサークルも高齢者集団だし、漢詩のレベルも、そういう趣味の会であればトップクラスということはないだろう。われわれのサークルでもなんとか話ができるのではないか。
 杭州の老人大学と茶社でお茶を飲みながらという話も出て、期待していたのだが話はまとまらず、最後まで残ったのがこの烏鎮雅園の老人大学との話だった。
 結局日程があわず、交流はお流れとなったが、施設だけ見学させてもらうことにしたものだ。

 ではこの烏鎮雅園というのはどういう施設か。インターネットを見ても、中国語だからよくわからない。https://read01.com/zDxMgj.html#.WjWOKOQUnIU
 上記頁のタイトルは「烏鎮雅園――中国最成功的養老度暇施設となっている。中国で最も成功している「養老」と「度暇」の施設ということで、度暇というのは休暇を過ごすというよな意味である。
 ただの老人施設ではなく、病院からレジャー施設まで併設された、大きな老人の街のようになっているらしい。わたしはちょうどこの頃話題になっていた、倉本聰のテレビドラマ「やすらぎの郷」を連想した。
 帰国してから見つけたのだが、経済産業省関係の「上海介護拠点促進プロジェクト」の 調査報告に少し記載があった。これは中国に、介護施設の建物などのハードと介護サービスのソフトを売り込もうという計画で、中国ですでに展開されている事例として烏鎮雅園(烏鎮グレースランド)が報告されていた。(下記報告の19~25p)

http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/iryou/downloadfiles/pdf/28fy_China_HealthcaredesignNT.pdf#search=%27%E7%83%8F%E9%8E%AE%E9%9B%85%E5%9C%92%27 


 烏鎮グレースランドは、元気で健康的な生活を送りたい退職高齢者層のため、景観に優れた環境と豊富なレジャー建康施設を提供している。総合ヘルスケア養老パークは高齢者利用を中心に考えた計画で、機能的なデザインと懐かしさを有機的に統合したサービス施設であり、「養生養老、健康と医療、レジャー・リゾート」を三つのテーマとしている。敷地は、「養生住宅、老人大学、養老模範区、医療公園、特色商業区、リゾートホテル」の6つのゾーンからなっている。(p19)

 壮大な計画で、稼働しているのはまだその一部。建設工事が進行中だった。

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 完成模型を見ながらわれわれも説明を受けた。

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 日本的感覚の老人福祉施設ではなく、中国の民間資本による、退職高齢者が安穏に余生を過ごすための街づくりというところだ。けっこう恵まれた層を対象としているように見受けられた。居住区は別荘タイプ、高層集合住宅、低層集合住宅など様々なタイプがあり、当然価格は異なる。
 集合住宅のモデルルームも見て来た。マンションタイプで75㎡が125万元(1元17円換算2,125万円)、95㎡が170万元(2.890万円)ぐらいといいうことだ。

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 いくつも棟があって、いろんな部屋がある。

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 老人大学というのはカルチャースクールのようなもので、活動カレンダーを見ると、茶芸社、唱歌、太極拳、瑜伽、花鳥画などなど多彩な部活動がある。京劇倶楽部もある。撮影倶楽部は写真部だろう。交誼舞活動というのは社交ダンスだろうか。
 ここの漢詩愛好会と交流会という話をしてもらっていたのだが、そういう部はなく、詩朗誦活動というのが対象になっていたのだろうか。
 ともかくこことは日程が折り合わず、交流はダメになったけど、施設の見学だけさせてくださいということで訪問したものだ。

 ちょうどこの日、10月28日は旧暦の9月9日で重陽節にあたり、その催し物行われていた。現代の中国では重陽節は「敬老の日」(老人節)としているそうだ。
 「節日的歓笑 雅園的味道/第三届・重陽百寿宴/活動現場」という看板が出ている。

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 窓の外からのぞかせてもらうと、体育館のような広いところがバーティ会場になっている。会費は一人10元で、みんな自作の料理などを持ち込んでやるらしい。鍋を抱えてやってくる人たちとすれ違った。

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 以上が烏鎮雅園訪問記である。
 この訪問は一行から評判が悪かった。なんで観光地でもなければ漢詩とも関係がない、こんなところへ来たのか、というわけだ。
 これは団長たるわたしの責任である。最終的にここを日程に組み込んだのはわたしの判断で、こんなことを考えていた。
 第一に、最初に交流を考えた老人大学がどういうものなのか見ておきたかった。ひょっとして二度目のツアーがあるとすれば、老人大学が交流相手になるものかどうかこの機会に確認しておきたい。
 第二に「重陽節」の行事を見たかった。このツアーの日程は、10月28日が重陽節であることで決まった。漢詩には「登高」という、山に登る行事のことがよく出てくる。重陽節に行けばなら何か見るべき行事があるのではないか。お祭りのようなことをやっているのではないか。そう考えた。
 ところが探してもらったが、わたしの考えるような行事はなさそうで、この施設で何かやるということだった。だからきっと菊の花でも一杯飾ったお祝いか何かあるのではと期待した。せっかくこの時期を選んだのだから、何か重陽節にちなんだ行事を見たい。
 第三に、「やすらぎの郷」の影響もあって、老人施設に興味があった。それに観光地でないところへ行くことは、ツアーの特色にもなるのではないか。
 理由としては以上のようなところだったが、事前に参加者に十分な説明はしていなかった。結果としても、残念ながら期待ははずれた。
 訪問日が土曜日で老人大学は休業なので活動状況は見られなかったし、要するにカルチャー教室なので、団体同士の交流とはならなそうなのがはっきりした。
 重陽節の行事は上記のとおりで、伝統行事とは遠かった。菊の花もなかった。
 一行の中で老人施設に興味のある人はごくわずかだった。
 これでは時間の無駄と感じた人が多かったのも無理はない。

 団長として深く反省しております

 

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