2017年11月20日 (月)

江南5 田子坊・錦江飯店

田子坊
 田子坊(でんしぼう)を「たごぼう」と読んでいるガイドブックもある。どちらにせよ日本語読みで拼音(ピンイン)では  tián zǐ fāng だ。「ティエン・ズ・ファン」か。
 ここはいかにも中国風の豫園とは違って、今風の雑貨やブティック、カフェが並んでいる街のようだが、狭くてゴチャゴチャしていて人出が多いのはおんなじだ。

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 中国の若者たちの「こじゃれた街」なんだろうが、雑然感が高すぎる。
 それに日本でも「こじゃれた街」には縁が遠いから意気が上がらない。だいたい「こじゃれた」という感覚が気に入らない。洒落るんなら思い切り「大じゃれ」てみろ。ちょっときれいで、ちょっと高級そうで、値段もちょっとだけお高いけれど…なんてセコイ! これはこの街には関係ない、年寄りの日頃の鬱屈。上海で力んでみても仕方がないかど。

 ここもゴチャゴチャ全体の面積は相当広い。

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 無計画に街が拡張を続けた結果だろうか、電線が凄いことになっている。

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 表通りはプラタナス並木がきれいだ。バスで通りながら案内してもらったところによると、大きな並木の通りはほとんど外国の租界だったところらしい。バスに枝が触るくらい繁っていた。

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 ここでもひととおり観光が終わって次へ移動というときに、バスがなかなか迎えに来ない。バスを停められる所が限られているから遠くに停めているのに渋滞が加わってさらに遅くなる。
 この後に新天地というさらに現代的な繁華街へ行く予定だったが遅くなってしまったし、朝が早くてみんな疲れてきたので、省略して宿泊予定の錦江飯店へ向かう。

 

錦江飯店
 錦江飯店(ジンジャン・ホテル)は租界時代からのクラシック・ホテルで、アメリカのニクソン大統領も泊まったという。わたしのガイドブックでは5つ星がついている。
 改築・増築さてていて、われわれが泊まった建物はそんなに古そうではなかった。写真は翌朝撮ったもの。

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 夕食はまたバスで、黄埔区九江路の华盛大厦(華盛大廈)というビルの4階にあった「悦来大酒店」という上海料理の店に行った。

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 予約の時間より遅れたせいか、テーブルには料理がすでに全品並んでいた。おいしかったが、スープがぬるくなっていたのは残念だった。上海料理は全体に薄味というか、味がきつくないようだ。

 夜の外灘(ワイタン)の観光は、これも観光バスを停める所がなく、降りると2キロは歩かないといけないというので中止。バスの中から夜景を眺めるだけになった。高層ビルの展望台へ行くオプションも中止になった。
 しょうもない写真しか撮れなかったので小さく載せておこう。

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 ホテルへ戻って、S田先生の部屋でU山さんともどもウイスキーをご馳走になり、ともかく無事ツアーが始まったことを祝う。朝早かったので、けっこう長い一日だった。

 

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2017年11月16日 (木)

江南4 魯迅紀念館

 昼食の後は魯迅紀念館へ行った。魯迅公園の中にある。近くには魯迅故居と魯迅の墓もあるそうだが、そちらは行かなかった。

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 記念館だから型どおり、経歴や作品紹介、当時の写真、作品掲載誌などが並んでいる。わたしはざっと見るだけでよかったが、意外なことに同行の皆さんは熱心にあれこれ見ている。

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 魯迅は高校生のころ、『阿Q正伝』『狂人日記』などを読んだが、どこがいいのかよくわからなかった。若者がどかんと感動するような作品ではない。
 しかし中国ではきわめて評価が高い。革命運動の指導者的存在であったことが大きいのだろう。
 それに、わたしにはよくわからないことだけれども、「中国に近代文学を成立させた」と評価されるのは、文体の問題があるのだろうと思っている。新しい口語の中国語の文体を作った。言ってみれば、革命運動に参加した夏目漱石のような存在であったのではないか、と夢想する。

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 一室には壁の両面に魯迅の研究書ばかり数百冊展示してあった。多すぎる。これだけあると半分ぐらいは中身の薄いヨイショ本に違いない。
 しかし日本の漱石だって研究書や論文はこれに負けないくらいあるだろう。双方とも、文学研究者にとっては欠くことのできないメシのタネというわけだ。
 魯迅も漱石も尊敬している。研究と称する同工異曲で内容のない本が多いのにちょっとうんざりしているだけだ。

 第3日の蘇州の漢詩愛好団体との交流会で、魯迅の漢詩を書いた書をいただいた。

Dscf7137t 魯迅が1931年3月、日本人の劇評家升屋治三郎に贈った詩で、無題であったが、全集などでは「贈日本歌人」と呼ばれているようだ。

 無題 (贈升屋治三郎) 

            魯迅

 春江好景依然在

 遠国征人此際行

 莫向遙天憶歌舞

 西遊演了是封神

  
 春江の好景 依然として在り

 遠国の征人 此の際行く

 遙か天に向かい歌舞を憶うこと莫れ

 西遊 演じ了する是れ封神

       〇春江=黄浦江

 この詩の意味がいまいちつかめない。西遊は京劇の西遊記のことだろうか。
 それはともかく、日本から漢詩好きが来るんだから、日本人にちなんだ詩を、とわざわざ書いてくださったものだ。ありがたい。

 この魯迅公園の近くが昔の日本人居留地で、内山完造の内山書店もあって日中文化人のサロンとなり、魯迅や郭沫若なども出入りしていた。升屋治三郎もその一因だったというわけだ。
 内山書店は今も神田にあって、中国・台湾系の書籍の専門店として有名である。
 

 

 

 

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2017年11月13日 (月)

江南3 上海へ

 さて最初に戻って出発の日から順に書いていくことにする。

第1日(10月25日)

空港バス

 朝が早かった。4時に起きて、港南台駅前5時発の京急リムジンバスに乗った。
 8時40分羽田発の便だから2時間前集合というと6時40分だが、平日でそんなに混んでいないだろうから遅くとも7時までに集合ということになっていた。
 このバスは空港のターミナルまで行くので一番楽だ。JRから京急またはバスへと、荷物を引き摺ってあれこれ乗り換えるのは面倒だ。だからターミナル到着が6時15分と少々早いがこれにした。
 5時前のまだ暗いバス停には数人の客が待っていた。細かい雨が降って風が冷たい。この時間、どのくらいの客があるのか興味があったので数えてみた。始発の港南台が9人、次の上永谷駅で5人、東戸塚駅で8人が乗って、合計22人だった。意外に客がいるものだ。ビジネスマン風が大半。女性も数人。

上海へ

 羽田では一行13人が順調に集合。今回の旅行の手配をお願いしたM社のM山青年も、早くから来てくれて、記入済みの入出国カードを配ってくれ、中国東方航空のカウンターでチェックインを手伝ってくれた。MU576便は無事定刻どおり出発した。
 上海浦東空港到着後、入国審査を終え荷物を引き摺りながら外へ出たときは、ちょっと心配だった。現地の旅行社のガイドさんがちゃんと迎えに来ているかどうか。一応わたしが今回の一行の代表ということになっているが、中国語ができるわけではないし、中国経験は前に一度、万里の長城を見にきたことがあるだけ。もし何かの手違いで行き違って会えなかったら、相当の苦労を背負い込まねばならない。どうかちゃんといてくれますように。
 通路の外には迎えの人たちが大勢待ち受けていて、「〇〇会社様」とか「××一行」とか書いた紙を持ってかざしている人もたくさんいる。
 どれだどれだ。こういうときに「目を皿のようにして」というのだろう。わたしが真っ先に見つけた。左手の方に「K県漢詩連盟13名様」と書いた紙を持った人。駆け寄って「K県漢詩連盟です」と名乗る。日本語が通じる。すぐ見つかってよかった。ガイドはSさんと言った。これであとはおまかせだ。

 バスは高速道路を上海市内へ向かう。Higer(中国語:海格 / ハイグァー)という中国製のバスだ。39人乗りなので、一行13人にガイドのSさんだからゆったり乗れる。

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  道路は広い。車線もたくさんある。中心に近づくにつれて車が多くなる。写真でよく見る風景が見えてくる。

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 上海というと下の写真の左端に見える丸い玉のついた468mのテレビ塔・東方明珠塔がランドマークになっているが、現在一番高いのは右端の上海中心大廈(上海センター)で632mだそうだ。Sさんは、上海には地震がないので高層建築ができるけれど、最近では地盤沈下の問題が出てきていると言っていた。

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 写真には写っていないが、492mで2番目の高さの上海環球金融中心(SWFC)には474mの高さに展望回廊(スカイウォーク)がある。夜のオプションツアーで行こうと思っていたが、このあとだいぶ歩いて皆疲れたのか、参加者が少なく中止になってしまったので、行けなくて残念だった。

豫園(よえん)
 豫園というのは明代の庭園である。今回は中は見ないで、隣接するマーケットである豫園商城へ向かった。
 中国では今、観光地でのバスの乗り降りが厳しく規制されており、離れたところの駐車場から歩かないといけないのだという。
 普通の住宅兼商店街のようなところを歩いて行く。
 公園のフェンスに布団が干してある。

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 高層ビル街の風景とはずいぶん差がある。
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 大都会の中の庶民の街である。よく使い込まれたバイクや自転車がたくさん並んでいる。

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 庭園の豫園の門の一つ。中には入らなかった。
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 ここが豫園商城。凄い人である。これでも水曜日だからすいている方だという。

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 濃いベンガラ色のような木造三階建ての建物が豫園商城で、中に食べ物や工芸品、日用品などの小さな店がいっぱい並んでいる。

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 規模が大きく、とにかく人が多い。建て増しに建て増しを重ねたという感じで、ほとんど迷路になっている。はぐれたら大変だ。最初は横浜の中華街を連想したけれど、歩いてみると規模的にここにはとてもかなわない。厚みがちがう。
 ほとんど中国の店だけど、一角にさりげなくスターバックスが入っていたりもする。

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 われわれの目指すは小籠包で有名な南翔饅頭店での昼食。日本のガイドブックにも「豫園に来たらハズせない小籠包」と書いてある。

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  入店するのも行列、テイクアウトも行列だが、われわれは予約してあったので、待たずに二階の一室に入ることができた。

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 飲茶セットコースの予約になっていたらしく、いろんなものが出てきて、どれもうまい。小籠包は、けっこう待たせてから最後に出てきた。
 日本で食べるものより中のツユが少なかったが、大きくてうまい。満腹になった。

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2017年11月 9日 (木)

江南2 無事帰国

 翌朝は5時発のホテルの巡回バスが来るのを待って乗り込んだ。ところがやっぱり先客ありで、最後に乗ったわたしとH原さんが乗れない。すぐ後のバスが来るからというので、皆と別れて別行動になった。
 まもなく次のバスが来たのでよかったけれど、今度は空港で降りるときに、停留場を間違えてしまった。国内線ターミナルを過ぎて、次が国際線ターミナルというわけで降りたのだけれど、どうもターミナル内の様子がおかしい。昨日搭乗しようとしてやってきたときと似ているけれどなんとなく雰囲気が違うのである。H原さんが受付で聞くと、なんとここは第二ターミナルだから第一ターミナルへ行ってくださいと言う。
 泡を食って外へ出てタクシーに乗ろうとしたが乗り場が見つからない。警官らしい人が、下の通路を通って歩いて行けと教えてくれた。戻ろうと向かうと見知らぬお兄さんが先導してくれた。このお兄さんはなんだ、怪しい人じゃないかと不安でいるうち、エスカレーターを教えてくれて、歩く方向を指し示してさりげなく去って行った。親切な人はどこにでもいるのだ。
 東京の地下鉄によくある長い乗換通路をもっと広くしたような感じだった。なんとか第一ターミナルにたどり着き、受付カウンター前で順番を待っているツアー一行と無事落ち合うことができた。

 あとは出国手続きをして飛行機に乗ってしまえば、というところでまた、ちょっとした波乱があった。
 わたしは先に手荷物検査をすませ出国審査を待つ列にいた。後から来たN野さんたちが、M本さんが手荷物検査で引っかかって別室へ連れて行かれた、何が原因かはわからないという。M本さんが変なものを持ち込むようなことはない。夫婦そろって物静かで上品なM本夫妻は、一行の中では一番怪しまれないタイプだ。
 ところがなかなか来ない。長い行列はじりじりと出国審査の受付へ近づいて行く。もし順番までにM本さんが来なかったらどうしよう。わたしにできることといってないけれど、ともかくこちら側で待っていないといけないだろうか。飛行機の時間はどうだろうか。
 そんなことを考えているうち、行列の彼方に小さくM本夫妻の姿が見えた。来た、来た! みんなで手を振って招き、われわれの列の中入ってもらった。
 なんと原因はカメラの予備のリチウム電池だという。もう使わないからとスーツケースに入れておいたら、それがひっかかって、別室で検査されて大変だったそうだ。
 カメラ用のリチウム電池ならわたしも持っていた。4センチ角くらいの小さなやつである。

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わたしは手荷物のバッグに入れてあった。これはセーフだった。ところが同じものをスーツケースに入れていたら、けしからん、これは何だ! と別室へ連れて行かれてスーツケース内全品洗いざらい検査になったらしい。わけがわからない。
 帰ってから調べてみると、リチウム電池は発熱、爆発の危険性がある。(それは聞いたことがある。)だけど手荷物内なら発熱してもすぐ気がつくからOKで、スーツケースに入れて荷物庫の奧で発熱・爆発を起こすと大惨事につながる恐れがあるからダメだという理屈らしい。
 わかったようで、いまいちストンと落ちないが、そうなっているなら今後は十分気をつけないといけない。酒などの液体は逆に、手荷物はダメでスーツケースならOKだからこんがらがってくる。
 ともかくその場はみんなで、無事済んでよかったねと出国審査を終え、一時間遅れの飛行機に全員搭乗したのであった。めでたし、めでたし。

 朝食を食べてウトウトしていたら、飛行機は少しずつ下がりはじめ、こんな景色が見えてきた。時間からすると伊豆七島のあたりのようだ。

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 これも帰ってから、グーグルマップで調べてみた。
 グーグルマップは素晴らしい。3Dで角度を変えて見る機能まである。地図をまわして、俯角を変えて見ると、左から新島、式根島、神津島だと確認できた。

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 一日遅れたが全員無事帰国。最低限の「団長」の役目は果たせたようで、まずはよかった。
 延泊分の宿泊代と食事代は現在旅行保険に請求中。保険がきくならもっと良いホテルにすればよかったと思うのは、喉元過ぎて熱さを忘れたから。あのときはどこでもよかった。
 世話になった方々へのお礼状など、まだ残務整理が少しあるが、旅行は終わった。

 

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2017年11月 6日 (月)

江南1 飛行機欠航

 まずは記憶に新しい、帰りの飛行機が欠航したところから書いておこう。
 10月29日午後3時頃、バスで上海浦東空港に着くと、帰国予定の中国東方航空MU575便は台風22号のため、欠航となっていた。一行のうちにはスマホで台風情報を見ていた人もいたので、危ないかもしれないとは思っていたが、空港まで来たからもう帰れると少し脱力しかかっていたので、ちょっと衝撃だった。
 ガイドのS兵さんが飛行機を確認してくれた。明朝7:30発のMU575A便に、受付カウンターへパスポートを提示すれば乗れるという。他の航空会社も日本行きは飛ばないし、飛行機はそれしかしょうがない。
 しかし今夜の泊まりはどうする? S兵さんがさっきからなにやらやりあっていた黒いスーツの青年は、なんとホテルの営業マンだという。欠航のニュースと共に空港へやって来て、あぶれた団体客を見つけてはホテルを斡旋しているらしい。「生き馬の目を抜くような」という言葉を思い出した。人の不幸はビジネスチャンス、というわけか。
 S兵さんが言うには、泊まりは一室268元。一室二人でも同じ。空港から車で十分くらい、ホテルのバスで送る。明日の朝も五時発で空港まで送る、という。
 浦東空港内にもホテルはあるが、平常時でも満員で、今からではなかなかとれないだろう、ともいう。
 ここは決断しなければならない。このツアーを始めたいきさつから、わたしが代表ということになっていて、S兵さんからは「団長」と呼ばれていた。
 268元は1元=17円とすれば4,556円。二人で泊まれば一人2,300円足らず。ここまで泊まってきたホテルの半額以下。安ホテルである。しかし、他のホテルを探してうろろしてもどうなるかはわからない。一行の皆さんには、どうせ明日朝早いから泊まれさえすればいいから行ってみましょうと承諾を得て、ホテルの車を待った。

 ところがホテルの車がなかなか来ない。黒スーツの青年もいなくなった。S兵さんは、ここまで乗ってきた大型バスの運転手と所在なげにしている。あとは二人で蘇州へ帰るだけなのに、なかなか帰れないのでちょっと不満というところ。
 やがてマイクロバスがやってきたところ、先客が二人乗っていた。われわれ専用で特別に迎えに来てくれるのだと思い込んでいたら、そうではなかった。飛行機の欠航で悲惨な被害者ムードでいたけれど、そんなことまわりには関係なく、ホテルもバスも通常営業中なのだった。
 S兵さんともバスともここでお別れ。25日に上海に着いて以来ずっとお世話になった。明日までガイドなしになる。ちょっと不安である。

 15分以上かかってホテルへ到着。まあ道路が混んでいたからしょうがないか。日本の不動産屋だって、駅まで10分で15分ならいいほうだ。
 誰かが「アメリカのモーテルのようなところだ」と言った。なるほど映画でこんな建物がいくつも並んでる風景を見たことがあるような気がする。
 ホテル名は「藍舎快捷酒店」。英語で「BLUE HOUSE」とも書いてある。

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 日が暮れるとこんなライトがついて、なるほどブルー・ハウス」である。

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 小さなホテルで玄関を入るとすぐ左がフロントになっている。田舎の小旅館という感じだ。若い男の職員とは英語の片言でなんとか話が通じるが、女の職員は中国語しか通じない。おまけに国際電話が通じないという。自宅への連絡は、空港で一行のH賀さんのスマホを借りて一報だけ入れておいたが、あとはホテルからしようと思っていたのに、それができない。
 部屋は一間に小さな洗面所とトイレ・シャワー室というつくり。わたしの部屋の外はすぐ駐車場である。前日までは一流ホテルだから、いかにも安普請で、通路の音もよく聞こえる。まあ明日の朝までしのげればいいし、中国の庶民の泊まるホテルを見学できたと思えばいい。

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 ホテルの前の通りは、車通りは多いがさびしくて店や家の灯りもまばらだったので、隣にあった、ホテルが経営しているレストランへ入った。
 水槽や生け簀がいくつもあって、良さそうな魚を選んで料理してもらう海鮮料理店である。店名は「藍舎鮮活工場」だった。「鮮活」は「活魚」だろうけれど「工場」はわからない。

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 ここで最後の晩餐のやり直しとなった。

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 面白かったのは、料理を食べ終えて勘定をしたときのこと。
 メニューを見ると、一人98元のコースがあって、料理は一覧表から四品を選択するようになっているようだった。そこで中国語のできるF田先生とH原さんにがんばってもらって四品を決めて注文した。しばい団欒ののち、飲み物や追加料理も含めて無事料理は食べ終えた。だから一人百数十元の支払いになるはずだ。
 ところが勘定をカードで払うと、全部まとめて449元。すこぶる安い。一人37元ぐらいだ。ビールも紹興酒も込みである。17元/円換算で7,633円。12人だから一人636円。
 こちらは一人百元以上のつもりだったから、キツネにつままれたよう。安いのはうれしいけれど、本当にいいのか?
 レシートを見ると、これは四品コースを12人前ではなく、単品を四つ注文したという計算になっている。ああそうか。
 横浜の中華街でも単品を一つ頼むと3、4人分はある。だから単品四つを12人で食べて、それほど不思議にも思わなかったのだろう。もっとも追加で他の料理を何品か頼んだのは、やはりちょっと少なかったということか。
 ともかくこれでいいらしい。みんなで大笑いして納得した。
 中国の庶民はこれくらいの料金で食べているのかもしれない。ビールもここまで一番高いところでは一本20元したのに、ここはなんと一本5元だった。銘柄は哈爾浜(ハルピン)ビールだった。 

 飛行機は欠航したが、ここで無事一夜を過ごすことができたのだった。

 

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2017年11月 2日 (木)

車窓風景

 なかなかブログに手がつかないので、とりあえず中国旅行中、バスの中から撮った写真をいくつか紹介する。

 上海近郊の高速道路。道路は広い。この写真は朝早いのですいているが、その他はいつも混んでいた。

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 上海で見たタイマーつき信号。数字が10、9、8…と減っていって、0になると青に変わる。青の場合も同じように数字が減って0になると赤に変わる。信号待ちのイライラを少しでも抑えるためなのか。

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 新幹線が見えた。

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 これは豚運搬車。日本でもたまに見る風景だけれど、ここのはトラックが大きい。

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 驚いたのはこれ。大きなコンクリートの塊を積んでいるのだが、まわりに囲いもワイヤーロープもない。ただ載せてあるだけだ。

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 重いから安定しているといっても、これでいいんだろうか。

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 これは新婚さんの車のようだった。
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2017年11月 1日 (水)

台風22号で欠航

 10月29日に上海から帰る予定だったのが、台風22号のおかげで予定の飛行機が欠航となり、さらに一泊を余儀なくされ、30日に帰国しました。
 ちょっとブログの予定が狂ってしまいました。落ち着いたらぼちぼち江南漢詩ツアーの報告をします。

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2017年10月26日 (木)

只今旅行中

 10月25日から29日まで旅行中です。

 無事帰ったらまた報告します。

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2017年10月23日 (月)

稀に見る

 今月わたしは満七十歳になった。
 七十歳は古稀と呼ばれる。杜甫の「曲江」という詩の「人生七十古来稀なり」という句からきている語だという。
 きっと、七十まで生きるのは古来稀で貴重なことだ、ありがたいとか書いてあるんだろうと思っていたが、読んでみたら違っていた。
 曲江というのは池で、長安にあった景勝地だそうだ。

 曲江  杜甫 

朝囘日日典春衣
毎日江頭盡醉歸
酒債尋常行處有

人生七十古來稀
穿花蛺蝶深深見
點水蜻蜓款款飛
傳語風光共流轉
暫時相賞莫相違

朝(ちょう)より回(かえ)りて日日(にちにち)春衣を典(てん)し
毎日江頭に酔を尽くして帰る
酒債 尋常 行処(こうしょ)に有り
人生 七十 古来稀なり
花を穿つ蛺蝶(きょうちょう)は深深として見え
水に点ずる蜻蜓(せいてい)は款款(かんかん)として飛ぶ
伝語す 風光共に流転して
暫時相(あい)賞して相違(あいたが)うこと莫らんと

 くだいて言うと、

 朝廷の勤めから戻るつど、毎日春着を質に入れて、曲江池のほとりで酔っぱらってから家に帰る。
 酒代の借金はあちこちにあるが、どうせ人生七十まで生きることは滅多にない。
 チョウチョは花の蜜を吸い、トンボはのんびり飛んでいる。
 わたしも自然に調子を合わせてお互いに楽しくやろう

というような意味なのである。
 わたし流に解釈すると、どうせ人生70年、飲み屋のツケなんか気にせず、好きなように酒を飲んで気楽にやろう
という詩なのだ。
 なるほど。もう古稀になってしまったんだから、後はもう酒だけ飲んでいればいいんだと杜甫は言っている――わけはないか。杜甫は五十九歳で死んでいるから、七十歳になってどう考えたかはわからない。

 「古来稀なり」で思い出したのは、ちばてつやのマンガ「のたり松太郎」。
 怪力で粗暴かつ無教養の坂口松太郎が相撲部屋に入門、素質はあるが稽古は嫌い、気ままな
行動で相撲界に波乱を巻きおこす、というストーリー。
 ビッグコミックで1973年に連載だそうだから40年以上前になる。ちゃんとは覚えていないが、おおよそこんな話だった。
 松太郎が幕内に上がった頃、スポーツ新聞にその素質を「まれに見る」と書かれた。それを読んだ松太郎は「まれに見るだと!」と怒り出した。俺ほどの才能はめったにいない。それを「まれに見る」とはなんだ!。つまり松太郎は、「まれに見る」を「よくある」という意味だと勘違いしていたというわけだ。
 なぜこんな場面を覚えているかというと、わたしは最初なんで松太郎が怒っているかわからず、その後の兄弟子の「あいつ勘違いしてる」というセリフでようやくわかって、なるほどと大いに納得したからだ。
 こういう表現はたしかにわかりにくい。「稀に見る」というのは見るのか見ないのか。「未だかつてない」は、あるのかないのか。子供のころ、考えているうちによくわからなくなったことがあった。
 「未曽有(みぞう)」を「みぞうゆう」と読んだ大臣もいた。これは「未だ曽て有る」ではなくて「未だ曽て有らず」だから「いまだかつてない」と同じなのに、「有」の文字で迷わされる人もいるだろう。

 きっと作者のまわりでこんな勘違いがあったに違いないと想像し、印象深かった。

 その「稀に見る」はずの古稀がちっとも稀ではなくなった。最近の平均寿命は男で81歳くらい、女は87歳くらいである。百歳だって古来稀とは言いにくい。百十歳くらいでようやく「古稀」と言っていいように思う。
 昔、「年齢ゴムひも換算」というのがあった。平均寿命が伸びたのを、ゴムひもを引っ張って延ばしたように考える。昔の平均寿命が40歳、今は80歳とすれば、今の40歳はちょうど半分だから昔の20歳くらいだという話である。
 わたしが物心ついたころの昭和30年の男の平均寿命は64歳弱で、現在は81歳くらいである。だから今の40歳の男は、ゴムひも換算すると、64×40/81=31歳 ということになる。これは気持ちがいい。50歳になっても 64×50/81=39.5 歳である。まだ若い、人生これからだという気になる。
 しかし70歳になると、64×70/81=55.3歳。 55歳ならまだ若そうだが、昔でももう定年だ。それに平均寿命まで残り9年だから、現在の残り11年とそんなに変わらない。やっぱり年寄りだ。平均寿命に近づいてくるとゴムひも理論も気休めにならない。 

 70歳になったら身辺整理をしようと、何年か前には思っていたが、いざなってみると、なかなか手をつける気になれない。きちんと片づけて死ぬ人はきっと「稀に見る」だろうから、稀でない70歳は、しばらくこのままでいいことにしておくか。

 


 

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2017年10月19日 (木)

枝野を見に行く

 衆院選は現在、自公大勝、希望尻すぼみ、立憲民主躍進と予想されている。
 立憲民主の枝野党首がやってくるというので、10月16日雨の中を、大船駅東口まで行ってみた。
 駅の前は、これまでここでは見たことのない人だかりになっていた。広場などない。ただの階段下の狭い空地が会場で、雨が降っているからみんな傘をさしていて、よくわからない。

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 ショッピングモール2階のデッキ通路へ行ったら、カメラを持っていたせいか、親切に場所を変わって写真を撮らせてくれた人がいた。ようやく様子がわかった。真ん中の白いジャンパーが枝野幸男氏、隣の黄色いのが立憲民主党神奈川4区の候補者早稲田夕季氏である。

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 また下へ降りて、道路の向こうの商店の軒下で演説を聴く。ときどき群衆の隙間から枝野氏の顔が見える。 
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 狭いうえ、雨は降るし、音響もよくない。聴衆に良い状況とはいえなかったが、人は増えこそすれ減らない。寒いくらいのせいか熱気は感じなかったが、集中して演説を聞いている人が多かった。電車に乗り降りする人は通路をふさがれてたいへんだったろう。

 ここでの演説内容については、ちょうど産経ニュースに「【衆院選】「格差拡大、貧困深刻」立憲民主の枝野幸男氏が神奈川県でアベノミスク批判」という記事があった。

 新党「立憲民主党」の枝野幸男代表が16日、神奈川県鎌倉市のJR大船駅東口で応援演説を行った。冷たい雨が降る中、集まった約600人の聴衆を前に、枝野氏は「格差が拡大し、貧困が深刻化している。長時間労働や過労自殺を見逃し続けたから社会は不安定になった」とアベノミクスを強く批判した。

 続けて安保法制と集団的自衛権が採決されたことを上げ、「民主主義の本当の意味は、主権者である国民が多数決で決めるということ。立憲主義を今さら言わなければならないのは、本当にみっともない」と切り捨て、「草の根からの民主主義と経済の再生、社会を下から支えて押し上げる、新しい選択肢を掲げているのが立憲民主党だ」と、支持を求めた。

 また、「急がなくてもいい大型公共事業に回している税金を、いま急がなければならない介護や保育に回すべきだ」と訴えた。http://www.sankei.com/politics/news/171017/plt1710170006-n1.html

 枝野氏は声がよくて演説がうまい。落ち着いた口調でよどみなくはっきりしゃべる。難しい漢語が少なくて内容もわかりやすい。激烈な口調で煽るようなこともしない。
 惜しむらくは、まじめ一方でユーモアに欠ける。優等生の模範的な作文を聞かされているような気がしないでもない。リアルな政治の世界でどこまで通用するかと、ちょっと心配になる。

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 演説終了後、大船の街の練り歩きが始まった。わたしも握手してきた。
 雨の中、たくさんの人がついて歩いている。枝野の街頭演説にはどこでも大勢集まっているという。民進党が分裂したことで、これまでずっと右側勢力に押さえつけられていた左バネが少し戻り始めたというところか。

 

 

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