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2007年9月22日 (土)

『大衆の反逆』

 最近、機会あって、オルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(ちくま学芸文庫)を読んだ。
 この本は、もう40年近く前、まだ学生だったとき角川文庫版で読んでいるのだが、よくわからなかった、おもしろくなかった記憶だけがある。ところが今回読み直してみると、とてもおもしろいのに驚いた。

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 オルテガは、社会は少数者と大衆のダイナミックな統一体で、「少数者とは、特別の資質をそなえた個人もしくは個人の集団であり、大衆とは、特別の資質をもっていない人々の総体である。(前掲書P15)」という。
 この少数者の努力によって築き上げられたデモクラシー社会は、デモクラシー浸透の結果、社会を統治することなど及びもつかない大衆が「慢心しきったお坊ちゃん」として社会的権力の座を占めるという状況を生んでしまった。これが「大衆の反逆」である。

 当時の大衆は、公の問題に関しては、政治家という少数者の方が、そのありとあらゆる欠点や欠陥にもかかわらず、結局は自分たちよりいくらかはよく知っていると考えていたのである。ところが今日では、大衆は、彼らが喫茶店での話題からえた結論を実社会に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じているのである。わたしは、多数者が今日ほど直接的に支配権をふるうにいたった時代は、歴史上にかつてなかったのではないかと思う。(前掲書P21)

 なんとこれは、ちょっと前の小泉人気とか、最近の参議院選挙での自民党の大敗とか、あるいはわたしがテレビのニュースを見ながら「朝青龍は引退しろ!」「安倍は無責任だ!」とか叫んでいる状況のことではないか。これならよくわかる。

 まだある。

  •  たとえば、勝負ごとやスポーツを人生の主要な仕事にしたがる傾向とか、自分の肉体への関心──衛生や美しい衣服への関心──とか、女性との関係におけるロマンティシズムの欠如とか、知識人を楽しみの相手にしておきながら、心の底では知識人を尊敬せず、召使や警吏に彼らを鞭打つように命ずるとか、自由な議論よりも絶対的な権威ののもとでの生活を好む、等々といったことである。(同P141)

 これは今の日本の話ではないか、とても1930年のスペインこととは思えない。「召使」には「マスコミ」をあてはめればいい。

 どうしてこの本がわからなかったのか。
 ひとつは、わたしが世間をよく知らなかったせいだろう。世の人々が何を考え、どう感じているのか、よくわからず、これが大衆だと言われても理解できなかった。
 もうひとつは、オルテガの「選ばれた少数者」という考え方に反発したことにあるように思われる。

「特にわたしは、周知のごとく、歴史に対する根本的な貴族主義的な解釈の支持者であるからなおさらのことである。」(同P24)

 しかし、これは訳者解説にあるように、血統上の貴族の話ではない。

  •  この場合の少数者と大衆の別は、いわゆる上層階級と一般大衆というような社会階級的区別ではなく、質的なものであって、少数者とは優れた資質をもつとともに自らに多くの要求を課し、すすんで困難と義務を負い、常に前進しようとする人々──つまり、オルテガの言う「真の貴族」──であり、大衆とは、自分に対して特別の要求をもたない人々、生きるということが現在の自分の繰り返し以外のなにものでもなく、自己完成への努力を自ら進んではしようとしない人々のことである。」(同p297)

 落ち着いて読めば理解できない話ではないのに、若いわたしは、これは大衆蔑視のエリート主義だと反発したように思われる。単純だったのだ、嗚呼。

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