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2007年10月16日 (火)

小野篁

 『小野篁歌字尽』の解読は進んでいませんが、もう一つ気になるのは、小野篁本人が書いたわけではないのに、なぜ「漢字の覚え方」が小野篁なのか、ということです。
 習字がうまくなる本が「小野道風手習鑑」とか、あるいは「小野小町美顔術」とか、「小野喬の鉄棒練習法」ならわかりますが、小野篁については、たしか百人一首にあったな、くらいの知識しかありません。
 そこで小野篁もインターネットで検索してみました。すると同じ小野で、小野小町には及びませんでしたが、小野道風や小野喬(若い人は知らないか。「小野に鉄棒」といわれた昔の体操選手です。)より小野篁の方がたくさんの件数がでてきました。

 とても全部はみられませんが、少しずつ見ていくといろんなことがわかってきます。
 いったいどういう人物だったのかというと、ある百人一首のページには、こんなふうに紹介されています。

わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと ひとにはつげよ あまのつりぶね

                    ~~~~~~~~~~ 参議篁 ~~~~~~~~~~(802-852)
 小野篁。
 小野妹子の子孫、参議岑守の子。835年、『令義解』の序を書く。838年、遣唐副使として出発するとき、大使藤原常嗣と争い、病と称して乗船せずに隠岐に流された。後に召還されて参議になった。
 漢詩は唐の人も激賞したと伝えられるが、現在まで知られているのはわずか。
『宇治拾遺物語』に、嵯峨帝が「子子子子子子子子子子子子」をどう読むかとたずねたところ、即座に「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と答えたという話が載っている。『今昔物語集』には、冥界を自由に行き来した話が載っている。
 野相公、野宰相と呼ばれた。
http://www19.big.or.jp/~floreal/11.htm
(※05/07/08現在、このページは見つかりません。)

 なるほど小野姓の有名人には小野妹子もいましたね、忘れていました。
 冒頭の歌が百人一首に入っている歌で、隠岐に流された時の歌ということです。しかし、それより「子子子子子子子子子子子子」ですね。これが読める、というのが漢字の覚え方の先生と関係がある。
 もう少し見ていくと、こんな話もありました。

嵯峨天皇にお仕えしていたのですが、その時に「無罪善」という風刺が流れ、それを嵯峨天皇が篁に「よんでみせよ」と命じました。「畏れおおきことが書いてございますゆえに・・・」と篁は嫌がったのですが、天皇がどうしても読めと言うもので、仕方なく「嵯峨無くてよからん」(嵯峨天皇なんて居なくても良い)と読んだところ、嵯峨天皇に「こんな文が書けるのは、今はお前しか居ない。作者は篁、お前であろう」と即座にばれてしまい、怒った天皇に処分されそうになったのですが、そこで篁は「天皇様、今私を切り捨てると言うことは、大切な知識人を失うと言うことになりまするぞ」と開き直り、それではと「この文が解読できたので有れば、お前を無罪放免許してやろう」と「子子子子子子 子子子子子子」と書いた紙を見せました。「子」という字の読み「こ」、「ね」、「し」を即座に当てはめ、「猫の仔子猫、獅子の仔子獅子」(ねこのここねこ、ししのここじし)と読みあて、無罪になったと言われています。
http://www.e-oki.net/kankou/study/rekisi/takamura.html
(※07/10/16現在、このページは見つかりません。)

 なるほど、これなら漢字博士として、江戸時代の漢字教科書の表題に使われる資格は十分です

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