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2007年11月

2007年11月20日 (火)

6 開高健のジョーク

 開高健は、わたしの大好きな作家の一人ですが、エッセイの中で、よく世界中で聞いたジョークについて書いています。その中から本に関するものを探してみました。

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モスコーで。
 一人の男が書店へ入ってきて、『男は女の支配者』という本はどこにおいてあるかしらとたずねたら、店員がそっけなく、空想小説ならとなりの売場ですと答えた。

(開高健『食卓は笑う』p32)

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 開高の本に出てくるジョークは下ネタが多く、本に関するものでも、こんなのがありました。

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 つぎに紹介するのは今から二十五年前ぐらいに文壇、出版界、マスコミ界を風靡した一作。ウワサによると森繁久弥氏の作だとのこと。

 都市生活にくたびれたあなたが、ふらり、田舎へ旅に出る。肩がコッてしようがないので、世ふけにアンマを呼ぶ。品の良い盲目のお婆アさんがやってきてにがい肉をしこしこともみほぐしてくれる。お婆アさんは問わず語りに盲いとけなげ一途にたたかった半生記を語り、いまでは点字でなくても普通の活字を撫でるだけですべてわかるようになりました。ウソだと思うならお試しあれと、いう。そこで枕もとのバグから雑誌をだしてわたすと、お婆アさんは指で一撫でして、ア、わかりました、これは『文藝春秋』ですねといいあてる。つぎに一冊わたすと、ア、わかりました、これは『プレイボーイ』ですねといいあてる。何をわたしてもピタリ一言でいいあてる。そこであなたは感動し、婆アさんの手をとってフトンにひき入れ、ごぞんじにさわらせようとする。婆アさんはするりと手をひきぬき、これはさわらなくてもわかります、『主婦の友』ですねと、いった。

(開高健『食卓は笑う』p74)
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2007年11月10日 (土)

「往来物倶楽部」へ質問

 「巳己已巳」の謎については、もう専門家に聞くしかないと、小泉吉永という
往来物研究者の「往来物倶楽部」というホームページ(http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/indexOurai.htm)の掲示板で、質問してみました。
 以前『小野篁歌字尽』の概要を紹介したのは、このホームページからの引用で
した。「往来物」については、同じく次のような解説があります。 

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往来物とは、主に寺子屋で使用された初歩教科書の総称です。中古・中世に作られた往来物(古往来)の多くは、貴族子弟の学習用に編まれた往復書簡(模範文)であり、手紙文の行き来(往来)の意から「○○往来」という呼称が一般化しました。近世においては書簡文の体裁をとらない初歩教科書(「実語教・童子教」等の教訓文や「御成敗式目」等の法令文など)を含めて広く「往来物(往来本)」と呼ぶようになりました。 
 http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/A11.htm
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 わたしの質問は次の二点です。

1『小野篁歌字尽』の活字本というのは存在するのでしょうか。あるとすれば、
題名、出版社等をお教えください。
2『小野篁歌字尽』の中で、「已己巳」の字が、「巳己己巳」のように4文字に
なっているようですが、これはどういうわけでしょうか。
 江戸時代には、4文字として通用していたのでしょうか。
 また、「巳」を「すで」あるいは「つち」と読んだり、「己」を「ミ」と読ん
でいるように見えるのですが、いかがでしょうか。

 素人の質問に答えてもらえるかどうか、心配だったのですが、小泉吉永さんか
らとても丁寧な回答をいただきました。

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(1)「小野篁歌字尽」の活字本は、下記のように類書を含めて、「日本教科書大系・往来編」七巻(講談社、昭和四七年)に活字になっています。ただし、解説は私の編著『往来物解題辞典』の方がより新しい資料に基づく正確な記述になっていますので、下記(石川松太郎先生執筆)を参考にしてください。
 また、活字版自体の誤植の可能性もありますので、きちんと調べられるのでしたら、大空社刊の「往来物大系」一六巻や「稀覯往来物集成」一一巻をあわせてご覧になるとよろしいと思います。

(2)往来物に限らず江戸時代に流布した本には、文章の一部が異なる色々な異本が生じたり、文章の前後が入れ替わるなどの異同が生じることがあります。「小野篁歌字尽」の場合には次の(イ)(ロ)の二つの系統に大別できますが、そのいずれもが「巳(*漢字の第一画と第三画が接触、第二画と第三画は接触せず* い/すでに)・已(*第二画と第三画のみ接触* こ/おのれ)・巳(*第三画が第一・二画の両方と接触しない* み)・巳(*全ての画が接触し合う* き/つち」の4文字になっています。ただし、最後に掲げた(ハ)は「巳(*全ての画が接触し合い、第一画の横棒が左に突き出る* い/すでに/おはり/やむ/はなはだ)・已(*第二画と第三画のみ接触* き/おのれ/つちのと)・巳(*全ての画が接触し合い、第三画の縦棒が上に突き出る* し/み)」の3文字ですので、これらと同様な異同が生じた結果と思われます。また、漢字の読み方や記載にもしばしば誤記が見られますように、校訂が必ずしも十分ではない写本による伝達が大半をしめていたと思われる江戸時代では、誤記や校訂不足が諸本による異同や混乱の原因になっているものと思います。

(以下、次の三系統の刊本の説明が続きますが、ちょっと長くなるので省略します)
(イ)おののたかむらうたじづくし 小野篁歌字尽(寛文二年板系統)
(ロ)おののたかむらうたじづくし 小野篁歌字尽(延宝三年板系統)
(ハ)たいぜんうたじづくし〈小野篁大増補〉大全歌字尽
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「いやあ、インターネットって素晴らしいですね」と、言いたくなります。大学
の先生なら同僚の国文の先生にちょっと聞いてみることもできるのでしょうが、
わたしにはそんなつてはありません。それが、いとも簡単に専門家からの回答を
もらうことができました。

 「巳己已巳」についての回答は、大学時代の友人の説と同じく、誤記や校訂不
足によるものであろうとのことで、4文字通用説は認められないようです。
 そうすると、最初に「巳己已巳」の項を書いた人物が、かなりいい加減であっ
たということになります。
 
 さあ次は、活字になっているという「日本教科書大系・往来編」七巻に当たっ
てみなければなりません。

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2007年11月 5日 (月)

小野篁伝説

 さてちょっと話を戻して、再び小野篁です。関係ホームページを見ていくと、いろんな伝説がある人だということがわかりました。
 漢字に関することでは、前に書いた嵯峨天皇が出した謎は「子子子子子子子子子子子子」ではなく、

「一伏三仰不来待書暗降雨慕漏寝」

を読めというものだったという話もあるそうです。小野篁はこれを「月夜には来ぬ人待たる掻き曇り雨も降らなん恋ひつつも寝ん」と読んでみせた。(「一伏三仰」というのは、月夜は「一度伏し、三度仰ぎ見る」ものだから。 というものや、そのほかにも、

「二冂口月八三 中とほせ」
「木頭切月中破」

などの謎に答えたということです。
「二冂口月八三 中とほせ」は、「二冂口月八三」の真ん中に線を引けということで、答えは「市中用小斗」、「市中では小斗を用いる=市(いち)では小さな升(ます)を用いる」となる。
「木頭切月中破」は「木の頭切れて、月の中破る」で、答えは「不用」です。


 漢詩の才能が唐の白楽天に匹敵するほどだったという伝説もあります。
 やはり嵯峨天皇が、自作の詩として

閉閣只聽朝暮鼓  閣を閉じて只だ聴く 朝暮の鼓

上樓遙望往來船  楼に上りて遙かに望む 往来の船

この二句を小野篁を見せたところ、篁は、「遙」を「空」にして「楼に上りて空しく望む」としたら、もっといいでしょうと言った。
 ところがこれは、そのころ渡来したばかりで天皇が秘蔵していた『白氏文集』の「春江」という詩の一部で、「空」を「遙」に変えて、自作の詩だとして見せたものだった。小野篁の詩情は、白楽天(白居易)と同じである、と天皇は驚いた、というものです。

 そういえば、この話は、ずっと昔に聞いたことがあります。これが小野篁の話だとは覚えていませんでしたが。
 もうこれで、江戸時代の「漢字の覚え方」の先生としての資格は十分ですが、ほかにもいろいろな伝説があったのです。

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篁は多情多感な博識の英才で自恃(じじ)するところ高く,直情径行,世俗に妥
協せぬ反骨の士であり,野狂の異名がある。

その奇才に因由する数々の話柄が《江談抄》《俊頼口伝》《今昔物語集》《宇
治拾遺物語》等に伝えられている。唐の白楽天と詩境を同じくする才幹である
ことを称揚する説話は篁を9世紀の漢風謳歌時代を代表する詩人として理想化する伝承だが,その他隠岐配流事件をめぐる和歌説話,篁を冥官とする蘇生説話などがある。なお異母妹との恋愛談や大臣の娘への求婚談から成る《篁物語》は虚構であり,その成立時期については,諸説があるが,平安中期から鎌倉初期までの間と推定される。             秋山虔 
(c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/takamura.html
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 この中で、「篁を冥官とする蘇生説話」とは、次のようなものです。

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篁は、毎晩冥府に通い、閻魔王庁で裁判を手伝っていた人物としても知られる。篁がまだ学生であったときに、罪を犯した。そのとき、藤原良相(よしみ)が篁のために弁護をした。歳月が流れ、篁は参議となり、良相も大臣になっていた。そのうち良相は重病となり、他界した。直ちに閻魔王の使いの者にからめ捕らえられて、王宮で罪を定められようとした。見ると、閻魔のかたわらに篁がいる。篁は閻魔に「この大臣は、正直で良い人だ。篁に免じて許してくれないか」と言う。閻魔は「篁がぜひにもと言うのならば、許してやろう」と答える。こうして良相は、生き返った。ある日、良相が内裏に行くと、篁がいた。
あのおりの閻魔王庁でのことを尋ねた。篁は「先年、私のために弁護をしてく
れたお礼をしただけ。決して人に話しなさるな」と言う。話を聞いて、良相は
ますます篁を恐れながら、「篁は普通の人間ではない。閻魔王庁の臣であった」と知った。このことは自然と世間に聞こえ、人々は、「篁は閻魔王宮の臣として冥途に通っている人だ」と恐れたという(「今昔物語集」)。 (中略)
京都の六波羅蜜寺近くの六道珍皇寺境内の閻魔堂には、閻魔大王と篁の木像が並んでいる。寺の裏には篁が冥界へ通っていたという井戸がある。篁は、この井戸から毎晩閻魔の庁へ出かけ、裁判を手伝っていたのである。そして、嵯峨の清涼寺横の薬師寺境内の井戸(生の六道)から、この世に戻って来たという。
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/ononotak.html
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 つまり昼間は朝廷に仕え、夜は閻魔庁に仕えていたという伝説です。忙しい人だったんですね。今なら公務員は「兼業」の届け出をしないといけません。
 そしてこの「冥官伝説」が、小野道風をしのぐ件数の関連ホームページの源となっていたのです。
 「陰陽師」安倍清明が、マンガやら小説、映画、テレビでブームになった影響だと推測しますが、安倍清明と同じく、時代オカルトもののヒーローあるいは脇役として有名になっているようです。少女マンガにも出ているのでしょうか、「小野篁サマ秘密の花園」というホームページまであって、これには驚きました。

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2007年11月 2日 (金)

びわの花芽

 南無谷は知る人ぞ知る房州びわの名産地です。わが家にも、大きめのびわの木が2本あって、ちょうど花芽が出てきました。ソテツの花より、こちらの方が、おいしい実ができることを期待しながら、楽しく観察できます。

びわの花芽 07/10/30

Biwa0710

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ソテツの花

 南無谷の家の庭には、ソテツが何本もあります。勝手にあちこちに生えてきます。そのうちの一本が、雌花をつけました。開くまで、経過を観察していきます。

上が2007年9月、下が2007年10月30日の状態

Sotetu0709_3 

Sotetu0710_2

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2007年11月 1日 (木)

白川静

 懸案の「巳己已巳」の謎について、大学の同窓生で、大学の先生をしている友人から次のようなメールをもらいました。ありがとうございます。

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手元にある白川静著の『字通』をひも解いてみますと、イと読ませるのは、中で離れるやつで、字訓として、「はなはだ、やむ、すでに」とあり、コとキと読ませるやつは、みな離れる字で、字訓は「おのれ、つちのと」です。そしてすべてくっつくやつが、シと読ませ、字訓は「やむ、ああ、み」となっています。これは象形では、蛇の形だそうです。ただし説文解字でも、中で離れるやつで、「やむなり」と読ませ、ついでにすべてくっつくやつで「すでに」とも読ませています。そして、中で離れるやつと、すべてくっつくやつとが、「古くは区別が明らかでない」と注釈されています。金文では区別されていないということです。日本で盛んに使われたのが、説文解字であれば、この本家本元にすでに混乱があるのですから、江戸期の漢学者の解釈に混乱が生じたのもやむをえないのかなとも思われました。
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 白川静の『字通』が手元にあるというのはさすが大学の先生ですね。わが家にあるのは藤堂明保の『学研漢和辞典』、定価4,400円、『字通』は2万円超。ケチな話はおいといて、少し解説をさせてもらいます。

 白川静について、インターネットに次のような紹介があります。

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 人物紹介
立命館大学名誉教授。明治43年、福井に生まれる。働きながら夜間の立命館大学専門部国漢科に通う。立命館中学教諭を経た後、立命館大学法文学部漢文学科に入学し、卒業後、同大予科教授となる。29~56年、立命館大学教授を務めた。漢字研究の第一人者として知られ、59年、50年に及ぶ研究成果を盛り込んだ漢字の字源辞典「字統」を刊行、続いて「字訓」を刊行、平成8年には13年半かけて漢和辞典「字通」を刊行、三部作完成させる。他の主著に「金文通釈」(56冊)、「説文新義」(全16巻)、「稿本詩経研究」(
全3巻)、「詩経―中国の古代歌謡」「漢字」などがある。
http://obserai.co.jp/top/works/seisaku/eichi/s.shirakawa.html
(※05/07/08現在、このページは見つかりません。)
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 立花隆は『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』(文藝春秋、2001)にこう書いています。

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字を書く人、字を読む人なら、白川静の三部作(いずれも平凡社)、『字統』
(六六〇二円)『字訓』(六六〇二円)『字通』(二万一九〇五円)のうち、
少くも『字統』の一冊くらいは座右に置いてほしいと思う。漢字の学は、久し
く『説文解字』を最大の典拠とし、二千年近くにわたって、ほとんど進歩らし
い進歩がなかったが、二十世紀に入って、大量の古代甲骨文、金文の資料が出て、それをもとに漢字の歴史が書きかわりつつある。それを最も包括的にやりとげ、中国の学者も驚倒させたのが『字統』である。同書はどの一ページを開いても、驚くほど広くて深い知識がこめられており、碩学とはこのような人をいうためにある言葉かと讃嘆せざるをえない。(304頁)
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「字を書く人、字を読む人」必携という、べたぼめですね。
 そして、『説文解字』というのは、

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説文解字 せつもんかいじ
中国最古の字典。▽紀元100年ごろに,後漢の許慎(きょしん)がつくった
。漢字の成り立ちを「象形・指事・会意・形声」の4種に,漢字の使い方を「
転注・仮借」の2種に分けて説明する。この6種を六書という。
(学研学習事典データベース (C)Gakken 1999)
http://db.gakken.co.jp/jiten/sa/226940.htm
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 中国で最も古い漢字の字典ですから、以降の研究者はみなこれを基礎として漢字の研究をしてきたわけで、いわば最古の権威です
 ところが許慎の時代には、それ以前の甲骨文字とか青銅器や石碑に刻まれている金石文のことは知られていなかった。だから甲骨文字にまでさかのぼって漢字を研究した白川静によれば、最古の権威であった『説文解字』も、多々誤りがあるということになります。   メールをもらってから、わたしも図書館へ行って『字通』を見てみました。【已】、【己】、【巳】の三項目を読んだだけですが、【己】の字の解説には「〔設文〕十四下に……とするが、形義ともに無稽の説である。」【巳】の字の解説には「……〔設文〕の説は根拠がない。」とハッキリ書いてありました。無稽というのは荒唐無稽の無稽ですよね。すごいですね。

 わたしは、ちょっと著書を読んでみたことがありますが、とても歯が立ちませんでした。背景となる知識がないものですから、読み終えるのがやっとで、その後は、敬して遠ざけております。 

 それと気になるのは、ネットの中に、わたしの愛読する高島俊男が白川静を認めていないという記事があったことです。高島の先生だった藤堂明保(わたしの漢和辞典の著者)の影響であるということでしたが、このあたり、わたしにはまったくわかりません。

 話が長くなってしまいました。白川静によって「古くは巳・已の字の区別が明らかでなく」というのはわかりました。しかし、江戸時代の用例がどうだったのかは、わからないままです。まだまだ勉強しなければなりません。

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