« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月31日 (金)

さよなら純ちゃん

 昨日(十月三十日)、南無谷へ来るとき、久里浜のフェリー乗り場で、こんなものを売っているのを見つけました。

S

 「さよなら純ちゃんまんじゅう」とは、さすが地元横須賀だと思ったら、隣には麻生総理の似顔の「「漫画王」かりんとう」が置いてある。製造は東京の菓子屋さんでした。

 小泉純一郎が総理だった頃、横須賀市民の知人が、
「小泉は、横須賀へなんにも持ってこなかった。田中角栄みたいなことは、地元になんにもしなかった」
 と言っていたことを思い出します。これは悪口だったのか、ほめていたのか。その知人はすでに亡くなってしまいましたが、半分半分だったような気がします。

 それよりずっと昔、わたしが友人の結婚披露宴の司会をしたときのこと。スピーチをお願いした新婦のお茶の先生が「衆議院議員小泉純一郎先生のお姉様」であることを紹介し忘れてしまい、その後、あれは言わないといけなかったかなあと、しばらく気になっていました。その頃は「小泉純一郎先生」を全然知らなかったので意識せずに飛ばしてしまいましたが、こんなに有名な人になるとは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月30日 (木)

サツマイモの花

 サツマイモの花が咲きました。
 観葉植物として、うちの奥さんがベランダで育てていたもの。

Pa270264

 けっこう珍しいものらしいので、載せてみました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月27日 (月)

さらば横浜松坂屋

 中日ドラゴンズは残念ながら巨人に負けました。まあ、シーズンの勝率五割一分一厘、ゲーム差十二で日本一というのも、ちょっと申しわけないというか、気がひけるなとは思っていましたが。
 クライマックスシリーズ第三戦で、川上がイ・スンヨプに3ランを打たれたのが痛かった。思い出すのは北京五輪の韓国戦。あのとき岩瀬がきちんと押さえておけば、イ・スンヨプは今年中立ち直れなかったことだろうに。
 その川上は、来年はアメリカへ行きそうだし、ウッズが退団という話も流れています。出ていきたいのはしょうがありません。来年、落合監督がどういうチームを作るのか、楽しみに待ちましょう。

 昨日(十月二十六日)、伊勢佐木町の本屋(有隣堂)まで行ったら、ちょうど横浜松坂屋の閉店日で、まわりにおおぜいの人が出ていました。
 携帯でその写真を撮りましたが、こないだ携帯を落としたとき運悪くカメラのレンズを傷つけてしまったようで、写真の一部ぼんやりしています。失礼。

Kc280073_2

 四十年前、わたしが横浜へ来たときには、ここは野沢屋という地元資本のデパートで、道路をへだてて松屋の横浜店がありました。どちらも当時としても小さく、建物も古く、さえない感じでした。横浜駅西口に大きな高島屋ができ、西口が新しい商業地として発展しはじめたころです。
 その後、野沢屋は松坂屋に吸収され、松屋は横浜から撤退。松屋の建物も合わせて今の「横浜松坂屋」になりましたが、ずっと営業的にはおもわしくなかったようです。松屋だった建物の方は、今では中央競馬に場外馬券売場(「エクセル伊勢佐木」)として貸していて、収益があがっているのはこちらのほうのようです。

 松坂屋のホームページにこんな記事がありました。 

平成10年(1998)10月横浜ベイスターズが38年ぶりのセントラルリーグ優勝と日本シリーズ制覇を果たし、地元百貨店として2度にわたる『横浜ベイスターズ優勝セール』を開催し、期間中30万人を越える顧客を動員。創業以来最高値の1日当り売上・入場客数を記録した。http://www.matsuzakaya.co.jp/yokohama/history/history04.html

 これは「横浜」松坂屋としてバーゲンをやったわけですが、松坂屋は名古屋の老舗です。これを横浜「松坂屋」として、中日の応援バーゲンをやっていたらどうだったでしょうか。一回あたりの売上は多少少なくても、ベイスターズとは違って、何度も優勝バーゲンができたはずですが。 

 まあそれくらいのことで閉店せずにすむような状況ではなかったのでしょうけれど。本体の松坂屋も、大丸と合併して「J.フロント リテイリング株式会社」という、なんだかよくわからない名前の会社になってしまっています。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月21日 (火)

週刊新潮の創刊号

 一昨年(2006年)の二月に、創刊五十周年記念として週刊新潮の創刊号の復刻版が発行された。このとき高島俊男が、せっかくの復刻なのに、当時の広告を消して新しい物に置き換えられているのが残念だ、というようなことを書いていたと記憶している。(今、書かれたものを確認できないので、まちがっていたらごめんなさい)

 覆刻版ではない、オリジナルの創刊号(昭和31年2月19日号)を入手したので比べてみた。

Photo

 写真は、左が覆刻版で、右がオリジナル。

 なるほど、創刊号で広告のあったところは、全部、サントリーの最新の広告に置き換えられている。例えば、裏表紙はこう。

Photo_2

 小さな片隅の広告にいたるまで、すべて置き換えられている。

S

 これはやっぱり、当時の広告もそのまま覆刻してほしかったといいたくなる。覆刻では広告料は取れないだろうし、下手をすると著作権云々という話になってしまうのだろうけれど、広告がそのまま時代を写す鏡になっているのがよくわかる。上のYKKの広告を見ると、男物のズボンはこの頃に、前がボタン止めからチャックに替わっていったんだなとわかるし、こんなオートバイがあったことも思い出した。陸王である。

Photo_5

 セイコーの時計もこんなもので、電池でもクオーツでもない。とてもなつかしい。

Photo_4

 中身はというと、まだ性格がはっきりしていなくて、「スキャンダルの新潮」にはいたっていない。(当然か)
 こんな写真もあった。

Photo_6

 なんと二十二才の中村メイコ。ついこないだNHKの大河ドラマ「篤姫」で、意地悪な老婆役をやっているのを見たばかり。昔はこんな感じだったのか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年10月16日 (木)

横須賀線は死んだか

 原武史の『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)に「横須賀線は死んだ」と題する章を見つけた。
  原武史は日本政治思想史を専門とする大学教授で、わたしは未読だが『大正天皇』(2000年、朝日選書)は、けっこう評判になった。
  鉄道マニアでもあるようで、『鉄道ひとつばなし』は、鉄道と専門の歴史をからめたエッセイを集めて、なかなか楽しい本になっている。

  Photo

  その中で「横須賀線が死んだ」とは、横須賀線がJRの単なる一通勤路線に成り下がってしまった、ということ。

 東京と古都鎌倉、葉山御用邸に近い逗子、そして軍港で鎮守府のあった横須賀を結ぶ横須賀線。戦前以来の国有鉄道の歴史の中で、これほどしばしば天皇や皇族、海軍軍人、文化人らが利用し、「帝国」の栄光を一身に集めてきた線は他にない。(P148)

  横須賀線は、当時としては驚異的なスピードを誇り、車両にもトイレや空気ブレーキなど最新のサービスが施されていたという。(こういうところで、きちんと所要時間や具体的な物を出して説明するところがいかにもマニアらしい)
 それが今は、スピードは当時と同じか、停車駅が増えたことから逆に若干遅くなり、車両も首都圏のどこにでもある4ドアの通勤車両になってしまったと嘆く。
  この没落は一九八〇年の東京地下鉄への乗り入れと総武本線や成田線などとの直通運転からはじまった。そして今や往年の栄光の横須賀線は「死んだ」というわけである。
 
  わたしは学生時代の一時期逗子に住んでいたので、その頃の横須賀線を覚えている。しかしその頃毎日利用していたのは京浜急行の逗子線だった。
  わたしたち京浜急行利用者の間では、東京・横浜間を平行して走る東急東横線との違いがよく話題になった。海側の京浜工業地帯を走る京浜急行と山手の住宅地帯を走る東横線。工場労働者の電車とホワイトカラーの電車。利用者にあわせたかのように、ガタガタ大きく揺れながらスピード第一で走る京急、悠揚におっとりと走る(かのように見える)東横線。
  当時、映画俳優のチャールズ・ブロンソンが男性化粧品マンダムのCMで大人気を博していて、わたしの競輪好きの友人はこう言った。
「ブロンソン、ブロンソンというが、あんな顔の奴は、競輪場へ行けばいくらでもいるぞ」
 沿線に競輪場や競艇場がいくつもあるのが京浜急行だった。

 それに比べると、ときどき乗る横須賀線はあきらかに客層が違っていて、それらしい高級な雰囲気があった。
  鎌倉駅のホームで小林秀雄を見かけたことがある。足取りがおぼつかず、最初は年齢のせいかと思ったが、よく見ると酒がはいっているようだった。逗子の駅では團伊玖磨を見た。こちらは意気軒昂という感じだった。
  彼らが横須賀線のグリ-ン車から降りてくるのに不思議はなかったが、京浜急行に小林秀雄が乗っている姿は想像もできなかった。
  だから横須賀線に津田沼行や成田行が走るようになって、だんだん変わってきたというのは、なんとなくわかるような気がする。

  原も書いているように、さらに二〇〇一年には湘南新宿ラインが開通し、東京駅を経由しないで埼玉方面へ行く電車まで走りはじめた。わたしも東海道線藤沢駅で上りを待っていて「籠原行」という電車がやってきたときは驚いた。東京行きでも品川行きでもない、これはいったいどこへ行くのか、ホームを間違えてしまったのか、一瞬わけがわからなくなった。今でも籠原というのはいったいどのあたりなのかよくは知らない。
 
  そういえば先月(九月十三日)のこと。友人宅で呑んだあと、横須賀線で電車を乗り過ごしてしまった。保土ヶ谷駅で乗って、わが家は大船駅で乗りかえないといけないのに、はっと目がさめたら暗くてさびしい北鎌倉駅。
 しまった、戻らなければとホームに降りたところ、向かいのホームに電車がやってきた。あれに乗らなくちゃと思うものの降りたところはホームの端。北鎌倉駅には跨線橋はないが、ホームの端から端まで走って乗りかえるのは、たとえ酔っていなくてもできそうにない。半分あきらめて歩いているとやはり電車は発車してしまった。まあ次でもいいやと思っているうち、向かいのホームの明かりが全部消えてしまった。なんと今行ったのが上りの最終電車だったのだ。
  時刻表を調べてみると、乗ってきたのが二十三時四十分の久里浜行、行ってしまったのが二十三時四十二分の品川行でやっぱり最終。下りはまだあるが、上りは本日終了というわけだった。
  あきらめて外へ出る。北鎌倉の駅付近は暗い。線路の反対側は円覚寺だから明かりはないし、数少ない駅前の店はとっくに閉まっている。どこかの田舎の駅と言ってもいいくらいだ。
  小津安二郎の映画で、大学教授の笠智衆と娘の原節子が住んでいたのが北鎌倉だった。(こういう設定が自然なところが昔の横須賀線の雰囲気である)なんだかあの白黒の映画とそれほど雰囲気は変わらないような気がする。ここで原節子のような娘が
「お父様、お帰りなさい」
と迎えに来てくれればいいが、現実は一人でとぼとぼと暗い鎌倉街道を歩かなければならない。そのうち通りかかった空車のタクシーをつかまえてなんとか帰宅したけれど、この夜の横須賀線は、上りが目の前で死んでしまったというわけだった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年10月15日 (水)

秋の庭 2

 秋の庭には花だけではなく実もあります。これは残念ながら渋柿です。

Pa020158

 こちらは富有柿。今年ようやく食べられる実がなりました。

Pa130218

 そして、ビワに花芽が出てきました。花が咲いたら今年も花もぎをしなければなりません。

Pa130230

 花や実があれば虫も元気です。
 これはミカンについた青虫。

Pa130214

 カマキリ。写真がうまくとれるようになったら、そのうち庭の昆虫図鑑でも作ってみたいものです。

Pa020168

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月14日 (火)

秋の庭

 秋の庭でお決まりの花といえばコスモス。今年も元気に咲いています。

Pa130216

 これはもう散ってしまった彼岸花。(十月二日にとった写真です)

Pa020157

 庭のあちこちから勝手に出てきて困っているオシロイバナ。

Pa020179

 ツルバラも咲きました。

Pa130217

 これはムラサキシキブ。以下、うちの奥さんに聞かないと名前がわからない花いろいろ。

Pa130240

Pa130236

Pa040209

Pa130238

Pa130245

Pa130248

Pa130247

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月11日 (土)

樽見鉄道モレラ岐阜号

 10.8決戦は巨人が勝って、昨日、優勝も決まりました。いよいよクライマックスシリーズ、今年も楽しみです。

 ちょっと前(9月23日)のことですが、用あって岐阜県の本巣市というところへ行ってきました。新幹線で名古屋へ行き、さらに東海道線で大垣まで。そこから乗ったのが樽見鉄道という、もと国鉄樽見線、今は第三セクターの鉄道会社になっているローカル線。
 大垣駅で乗り換えようとして目の前にあらわれたのがこの電車。

01

 ディーゼル車一両きり、しかもこの色。ちょっと驚きました。これはこの先にある(わたしの目的地でもある)「モレラ岐阜」という大型ショッピングモールのPR広告車として、こういうデザインになっているのですが、数台ある車両がそれぞれ青だったり白だったり、いろいろにデザインされていました。鉄道が生き残るための努力のひとつのようです。

 当然単線で、田んぼや畑の中を進んでいきます。下の写真は揖斐川の鉄橋にさしかかるところ。 土手の赤い花は彼岸花です。

Photo_3

 鉄道趣味というほどのものはありませんが、駅のすぐ前の家で生まれ、幼い頃から蒸気機関車や電気機関車を目の前に見て育ったせいか、乗ったことのない電車に乗るのは楽しみです。なんとなくうれしくて、一番前まで行って写真をとってしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 8日 (水)

10.8決戦

 ブログをずいぶん休んでしまいました。まだ肩の痛みは続いており、はじまってから三カ月を越えました。この歳になると、もうこのまま治らないのかも、と少し心配になってきます。

 さて今日は10月8日で、今日行われる巨人と阪神の試合が「10.8決戦」とよばれています。
 「10.8決戦」と言えば、1994年の中日と巨人の優勝をかけた最終試合のことで、うろおぼえですが、独走していた巨人が9月になってからつまづき、ぎりぎりのところで中日が追いついて、決戦になったと記憶しています。なんだか今年の独走阪神がここへきて巨人に追いつかれたのと似ているような気がします。
 その「10.8決戦」は、早い回に中日のエース今中が打ちこまれ、まったく残念ながら巨人が優勝しました。

 今年は、まだクライマックスシリーズがあり中日にもチャンスは残されています。しかし「10.8決戦」だなんだと大騒ぎしたあげく、勝率5割そこそこの中日が日本シリーズ出場ということになったらどういうことになるのか。甲子園では暴動が起こり、読売は「クライマックスシリーズの見直し」キャンペーンをはることになるのでしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »