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2008年12月

2008年12月31日 (水)

富浦の夕日

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 2008(平成20)年は、今日でおしまいです。
 一年間、いろいろお世話になりました。みなさん、どうぞよいお年をおむかえください。

(南房総市富浦町、豊岡海岸の夕日です。08/12/19撮影)

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2008年12月30日 (火)

年末の買物

 今年のはじめから買おうかどうかずっと悩んでいたデジタルカメラを、年内に決着をつけてしまおうと、とうとう買いました。

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 あれこれ検討しましたが、結局買ったのは、いわゆるコンパクトデジカメの富士フィルム Fine Pix F100fd です。値段がずいぶん安くなってきたうえ、最近製造中止になったので、そのうち手に入らなくなるというのが決め手になりました。来年になったら改良された新製品が出るのでしょうが、しばらくは安くなりません。
 1200万画素、28mm~140mm、光学ズーム5倍に手ブレ補正、顔認識がついて、2万円ちょっとで買えました。ずいぶん安くなったものです。

 デジカメはいくつか買いました。下左のオリンパス CAMEDIA C-3030 は、買った当時は最新鋭機で、定価で10万円ぐらいしましたが、今の感覚で言うと、たったの300万画素しかありません。それなりに使ったから、高かったけれど納得していますが。
 下右は今まで使っていたオリンパス CAMEDIA X-100 。ホームセンターの開店特価で買った安物ですが、このブログの写真は、おおむねこれでとりました。

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 来年はもう少しきれいな写真を載せたいと思います。新しいものを買うと、しばらくはやる気が出ます。

 あと買ったのは、これ、自転車の速度計です。サイクルコンピュータと言って、速度だけでなく、走行距離、積算走行距離に消費カロリーまで測れて、時計にもなります。
(下の写真の右がメーター。左はライト。)

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 前に紹介した『こぐこぐ自転車』という本には、速度計はだいたい一万円ぐらいすると書いてありました。自転車を買ったときから欲しかったけれど、一万円ではちょっと手が出ませんでした。
 それが、ホームセンターで、1980円というのを見つけました。値段からすると、精密だったり堅牢だったりすることはまずなさそうですが、ともかく買い込んで、さっそく、わが愛機ミヤタ・クオーツXLαに取り付けました。

 どうやって測るかというと、下の写真の中央にある黒いのがセンサーで、スポークに着けたマグネット(銀色の丸い物)が近くを通過する回数をカウントして、計算して出すようです。マグネットとセンサーの間隔は5mm以下にするように、と書いてあったので、むずかしいのかと思いましたが、やってみると簡単にセットできて、タイヤを回すとちゃんとメーターが動きました。

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 近所をぐるぐるまわって試してみました。平地で20km/h出すと息が切れます。急な坂道だと30km/hを越えます(もちろん下りです)。
 おもしろいものです。ただ、走行距離が実際より少し大きめに出ているような気がするので、速度も少し大きく出ているかもしれません。まあ「当社速度」20km/hです、でいいことにしましょう。
 こちらも、来年しばらくは、楽しめそうです。天気のいい日は、カメラを持って自転車で出かけることにしますか。

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週刊明星の創刊号

 「雑誌の創刊号」というカテゴリーをつくりました。
 今回は『週刊明星』の創刊号です。1958(昭和33)年、7月27号。表紙と裏表紙。

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 表紙のモデルは安西郷子という新東宝~東宝の女優で、三橋達也の奥さんだそうですが、わたしの記憶にはありませんでした。

 これが目次。これを見ると芸能週刊誌という感じではなく、執筆者に石川達三、三島由紀夫、獅子文六、石坂洋次郎、柴田錬三郎、松本清張と並んでいて、文芸週刊誌か、という感じがします。

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 トップのグラビアも、下左にあるようになんと谷崎潤一郎です。淡路恵子と一緒ですけれど。右は谷崎とは関係ないけれど、なんともなつかしい小林旭と浅丘ルリ子の写真なので入れました。

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 ウィキペディアには、創刊時の「編集方針は若い読者層を狙った『週刊新潮』のジュニア版」としてスタートし、1959年に創刊された『週刊平凡』に部数で追い越されてから、芸能週刊誌に変更した、とあります。なるほどそうだったのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E6%98%8E%E6%98%9F

 『週刊明星』の創刊は『週刊平凡』より先だったんだ。これは知りませんでした。
 集英社という出版社は、雑誌『平凡』(1945創刊)に対して『明星』(1958年)、『平凡パンチ』(1964年)が出ると『週刊プレイボーイ』(1966年)、『アンアン』(1970年)の次に『ノンノ』(1971年)と、マネシタ電機ではないけれど、二匹目のドジョウをうまくすくっていく会社だと思っていたので、ついつい『週刊明星』も『週刊平凡』の後だとばかり思っていました。(集英社のみなさんごめんなさい。)

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 この年は巨人の長島のデビューの年で、当時国鉄の金田との対談記事があって、第一戦の三振のことが話題になっています(上左)。ほかの頁の「杉浦投手に愛されて」という記事は、南海の杉浦のことで、七月十日現在、十七勝三敗とあります。これもすごかった。

 上右はポール・アンカ。「ダイアナ」、「君はわが運命(さだめ)」がヒット中。その下の「七月の歌謡曲」として並んでいる歌の中で覚えているのは、平尾昌章の「星はなんでも知っている」と石原裕次郎「風速40メートル」
 わたしは小学四年生でした。

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2008年12月28日 (日)

オケラ工房の作業台

 下の写真は、わたしが今使っているDIY用の作業台です。(写真は完成当時なので、まだきれいです。)

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 600×1200mm、高さ700mm。2×材使用。穴があいているのは、加工する木材を固定するクランプを入れるためです。
 木工教室オケラ工房の太巻(おおまき)さんに設計図をいただいて作りました。

 その太巻さんが、昨年の10月に亡くなられていたことを、最近になって知りました。http://www4.ocn.ne.jp/~okera-k/

 伊豆の別荘地にあるオケラ工房へは二度、泊まり込みで木工を習いに行きました。2003年のことですから、もう五年前です。
 二十五年つとめた会社をやめて木工教室を開かれた太巻さんは、わたしと歳も同じくらい。作業終了後、酒を飲みながらいろいろお話を聞いて、早く仕事をやめたかったわたしは、とてもうらやましかったものでした。

 そのオケラ工房で教えてもらって作ったのが、この引き出しと飾り棚。 

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 オケラ工房で教えてもらったことはいくつかあります。
 その中で一番大きかったのは、電動丸鋸の使い方を教えてもらったこと。簡単なジグを作って、線に沿ってまっすぐに切る。これを覚えただけで、できることが大きく広がりました。
 トリマーの使い方も教えてもらったのですが、不肖の弟子で、余り活用していません。しかしアリ溝ガイドを使えば、わたしにもアリ継ぎができることを体験したことは、大きな自信になりました。
 作業台も、工房にあったものよりひとまわり小さいサイズの設計図を、後日お願いして送ってもらって、自作したものです。

 その後、太巻さんは、トリマー、ルーターの専門家としてDIYの専門誌などでも活躍され、『ドゥーパ!EX』創刊号(2006 Mar.)では、附録のDVDにも登場されています。
 下の写真の左がその『ドゥーパ!EX』創刊号(2006 Mar.)、右は立風書房の『DO  SERIES ルーター&トリマー使いこなしマニュアル (2002)』に掲載された太巻さんの記事です。

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 わたしは伊豆方面ではなくもっぱら南房総に向かうようになったため、また教えてもらいたいと思いつつ足が向きませんでした。箱根方面へ行くことがあったらお邪魔しようとずっと思っていたのですが…
 突然の訃報に、驚くばかりでした。慎んでご冥福をお祈りします。合掌。

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2008年12月27日 (土)

沖縄旅行6 雑感いくつか

 第四日は、那覇午前十一時半の飛行機で帰るので、観光は首里城のみ。司馬遼太郎の『沖縄・先島への道(街道をゆく6)』によれば、戦前の首里の旧王城界隈は、京都や奈良に比すべき美しい街であったらしいので、少しゆっくりできるとよかったのだが、この日行われる沖縄マラソンの渋滞に巻き込まれるといけないからと、予定より早めに出発。復元された王城を忙しくひとまわりしただけで、終わってしまいました。

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 居酒屋で民謡を聴き、おきなわワールドでエイサーを見、琉球村で王朝行事の舞台を見、首里の城を見ると、やっぱり沖縄は別の国だったんだと思います。本土の古代の文化とつながっているのはたしかだろうけれど、日本と中国の間で、また違う文化の花がたしかに開いていたのだと感じられました。

 また、民謡居酒屋の歌い手や、観光用の伝統芸能の出演者が、みんな若いのにも驚きました。エイサーは、高校生くらいの男女が溌剌として太鼓を打ち、踊っていて、とても楽しいものでした。
 観光が、一つの大きな産業として成りたっているから、若い従事者がふんだんに供給され、その結果、伝統芸能が干からびてしまわず、いきいきと命脈をたもっているのでしょう。その土台があるから、沖縄独自の新しい歌謡も次々に生まれてきているのでしょうか。

 沖縄の普通の家は、台風対策のせいでしょう、鉄筋コンクリートの家が圧倒的に多い。三十数年前にきたときには、赤瓦を漆喰でかためた伝統的な建築に感心したものでしたが、ずいぶん減ってしまっているようです。

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 三十数年前にきたときは、本土復帰後ですが、自動車はまだ右側通行でした。当時、転勤で沖縄にいた友人の車をちょっとだけ運転させてもらいました。
 街中の車線がきちんと分かれているところではよかったけれど、田舎の狭い道で、向こうからやってくる車とすれ違おうとしたとき、わたしは無意識に左に寄ってよけ、向こうは当然右に寄ってかわそうとし、一瞬、ぎくっとしたことがあったのを思い出しました。

 今では高速道路もでき、街の風景もずいぶん変わったようです。でも相変わらず沖縄はいいところでした。また、ゆっくり来たいものです。

 三日目に泊まったホテルの前には、サンタクロースの帽子をかぶったシーサーがいました。沖縄旅行の話は、とりとめなく、これでおしまいです。

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2008年12月21日 (日)

太郎ちゃん値下げ

 12月20日、久里浜のフェリー乗り場で、こんなものを見つけました。

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 以前紹介した「太郎ちゃんの漫画王かりんとう」、三割値下げです。「支持率とは関係ありません」そうです。投げ売りがはじまりました。

 一国の総理大臣を、マスコミを先頭に、こんなふうにみんなでおちょくっていられるというのは、日本にはまだまだゆとりがあるということでしょうか。

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2008年12月19日 (金)

沖縄旅行5 観光、観光

 沖縄旅行第三日は、古宇利島(こうりじま)~海洋博記念公園(美ら海(ちゅらうみ)水族館)~万座毛(まんざもう)~琉球村~嘉手納~沖縄市のホテル。

 ありきたりの観光写真が続きます。
 これが古宇利島。ここも海がきれいです。

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 これが美ら海水族館の目玉、ジンベエザメ。こんなふうにどーんとでかい。これは見ものです。(右上の黒いのは、 水槽に潜っている職員の足のヒレ)

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 海洋博記念公園の中です。このほかにもカメとかトリとか、いくつもありました。

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 昼食に寄った「琉宮城」にある蝶々園のオオゴマダラ。ここは庭がきれいで、見晴らしもよかった。

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 ここが万座毛。風が強く、海が荒れていました。

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 琉球村のシーサー。見物中に息子から電話あり。携帯はどこへでも追いかけてくる。

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 普通の観光じゃないのがこれ。嘉手納の道の駅の屋上から見た、米軍の嘉手納基地。夕暮れどきです。中央に見える飛行機は対潜哨戒機のP3Cオライオンだそうです。(オライオンて、オリオン Orion の英語読みなんですね。知りませんでした。)
 バスガイドさんがちゃんと軍用飛行機の名前まで知っていて、あれはなんだかんだと教えてくれたり、米軍基地が観光コースに入っていたりするところが、まさに沖縄です。

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 第三日もあちこち行って、どこでもゆっくりはできませんでした。

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2008年12月17日 (水)

沖縄旅行4 ひめゆりの塔で

 ひめゆりの塔に三十年ちょっと前にきたときには、他の南部戦跡でもそうでしたが、観光バスが着くと、まわりから花束を持ったおばさんたちがわらわらっとあらわれ、客を取り囲んで花を売っていたことを覚えています。今回はそんなことはなく、きれいな花束の売場ができていました。

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 資料館の展示などを見ていると、沖縄へ気楽な物見遊山にやってきたつもりでも、やはり戦争というものについて考えざるをえません。

 わたしが一番考えさせられたのは、米軍が上陸し戦局が絶望的になった中で、ひめゆり学徒隊が、昭和二十(1945)年六月十八日、解散を命じられたということです。十五、六の女学生を看護要員として徴用しておいて、敗色濃い戦闘のさなかに、解散、後は自分たちでなんとかしろ、と放り出してしまったということです。
 そしてその結果、

 職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名で全体の86%にものぼり、さらにわかっているだけでも全体の35%にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%81%E3%82%86%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%A1%94

 司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズを旅の友にしている人も多いようです。わたしも『沖縄・先島への道(朝日文庫)』を読み返しました。

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 沖縄戦について書いているところで、こんなことを書いています。司馬が当時配属されていた栃木県佐野の戦車連隊は、敵が関東地方に上陸したときに出動することになっているのだが、その時東京方面から家財道具を大八車に積んで逃げてくる人々とぶつかったら交通整理はどうなるのか、大本営から来た人に聞いた。

 そういう私の質問に対し、大本営からきた人はちょっと戸惑ったようだったが、やがて、押し殺したような小さな声で──かれは温厚な表情の人で、決してサディストではなかったように思う──轢(ひ)っ殺してゆけ、といった。このときの私の驚きとおびえと絶望感とそれに何もかもやめたくなるようなばからしさが、その後の自分自身の日常性まで変えてしまった。軍隊は住民を守るためにあるのではないか。
 しかし、その後、自分の考えが誤りであることに気づいた。軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど希有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。(『沖縄・先島への道(朝日文庫)』P36~37』

 軍隊は軍隊の論理でしか動かない。ひめゆり学徒隊も放り出されてしまった。しかし、当時の一般の兵隊たちはなんのために戦い、死んだのか。
 司馬はこう書いています。

  私どもは、学校から兵隊にとられた素人兵であったが、何のために死ぬのかということでは、たいていの学生が悩んだ。ほとんどの学生は、父母の住む山河──そこには当然、人が住んでいる──を守るためだということを自分に言いきかせた。私の世代の学生あがりの飛行機乗りの多くは、沖縄戦での特攻で死んだ、たいていの者は、自分で抽象化した母国の住民群というイメージ上に自分の肉体を覆いかぶせて自分が弾よけになるというつもりであったはずである。(前掲書P37~38)

 今回のツアーでまわった南部戦跡は、ひめゆりの塔だけでしたが、ガイドさんの説明の中には、ときどき戦争の話がでてきました。三日目には嘉手納の基地を外側から見ました。沖縄を訪れるときには、戦争のことを考えざるをえません。

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2008年12月13日 (土)

沖縄旅行3 歴代総理の色紙

 二日目は、午前中はオプショナルツアーに参加。まず南部の新原(みいばる)ビーチへ。昨日は遠くから見ただけだった沖縄の海を、三十有余年ぶりに直接見る。あいにく小雨がぱらついたりの天気だが、やっぱりきれいだ。すきとおった緑色の水の色と砂の色がちがう。ふだん神奈川・東京の人たちに南房総の海を自慢しているけれど、これを見ると当分自慢できそうにない。
 グラスボートに乗って海中を見る。珊瑚礁の近くで船頭さんが餌を投げると、魚が集まってくる。いわく「うちの従業員です」とのこと。

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 その後おきなわワールドへ。玉泉洞鍾乳洞を中心にした観光施設で、鍾乳洞を出ると沖縄の民家やステージなどがあり、伝統芸能のエイサーを見た。これがなかなか楽しくおもしろかった。

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 午後からは通常のツアーに戻って(といっても、このツアーの参加者三十数名のうち、三十人以上がオプショナルツアーに参加している)、南部観光=泡盛ギャラリー、琉球ガラス村、ひめゆりの塔。
 それから高速道路にのって、一気に北部の名護まで行き、パイナップルパークを見て、本部(もとぶ)のホテルへ、というコース。

 泡盛ギャラリーにはこんなものも飾ってありました。横に一列に並んでいたものを4枚の写真にとって、無理やりくっつけました。大きさがふぞろいなうえ、蛍光灯が映りこんでいてちょっと見づらいですが、最近の総理大臣の色紙です。

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 左上から竹下登、中曽根康弘、海部俊樹、橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫(敬称略)。こういうふうに並べて比較してみるとなかなかおもしろいものです。意外な人が、けっこううまいじゃないかと思ったり。戦前の総理大臣と比べてみたら、おそらくずいぶんちがうことでしょう。

 この酒造会社は総理大臣が替わるたびに、色紙を頼んで、もらっているのか。最近は忙しかっただろうな。でも、この「国酒」というのはなんだろう。泡盛は琉球の国の酒、という意味か、と思っていたら、違いました。

 インターネットで調べてみると、「麗人 蔵元だより」という造り酒屋さんのブログに、こうありました。

昔から歴代の総理大臣は「国酒」と揮毫した色紙を書いております。最近、福田首相の揮毫した「国酒の色紙」の希望者への配布の案内が日本酒造組合から参りました。最近の低い支持率の福田さんの色紙を店先に飾っても、日本酒の消費が上向くとは思いませんが、安部さん、細川さんや宇野さんなど短命内閣の首相以外、歴代首相は造り酒屋のために「国酒」と揮毫した色紙を書いております。
http://blog.reijin.biz/?month=200806

 日本中の造り酒屋さんに配られているのでした。
 だから北海道の千代鶴という酒造会社の酒ミュージアムにも、同じ色紙が飾ってあるそうです。
http://hiroba.gnavi.co.jp/usr/osaka/photo/detailPhoto/11853?seq=4&type=0

 これを見ると、沖縄の色紙と同一のようで、この配られている色紙は、どうも印刷のようです。なんだか損したような…

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2008年12月10日 (水)

沖縄旅行2 アパホテル那覇

 一日目の泊まりがアパホテル那覇だという日程表が届いたとき、「あれ」があるんじゃないか、という予感がありました。だからDFSからホテルの部屋へついたとき、さっそく確認しました。やっぱりありました。これです。

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 今、話題の田母神論文です。
 この九月に岐阜へ行ったとき、たまたま大垣のアパホテルに泊まりました。部屋にアパグループ代表の『報道されない近現代史』という単行本とPR誌「アップルタウン」が置いてありました。ぱらぱらめくってみたところ、代表と各界著名人との対談が主流のようなので、よくある、成功した社長の自慢話かと、それ以上読んでみませんでした。

 その後、航空幕僚長の懸賞論文が文民統制違反ではないかとマスコミで話題になったとき、あああれか、と思い当たりました。だから、アパホテルにまた泊まるなら、あのPR誌に何か載っているにちがいない、というわけです。

 那覇にあったのはこれ。「アップルタウン2008年12月号」で、ずばり「真の近現代史観」論文の審査結果発表と入選論文が載っていました。
(下が表紙と審査発表ページ、上の写真が田母神外志雄前空幕長の入選論文)

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 論文、読んでみました。論文というより、いわゆる「自由主義史観」的な考え方の概説というところで、これで入選なの、という感じでした。中でもコミンテルン陰謀史観にはちょっとついていけません。
 沖縄旅行の話の途中なので、この話はここまで。

 一日目の夜は、アパホテルを出て、国際通りと市場通りをぶらぶら歩き。
 国際通りにはなぜか「あしたのジョー」が寒そうにしていました。(雑貨屋さんの前で)

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 沖縄民謡のライブショーつき居酒屋で「らふてい」や「みみがー」、「ごーやちゃんぷる」、「海ぶどう」などを肴に飲み、最後にソバ屋さんで沖縄ソバを食べておしまい。

 アパホテルは、大垣もそうでしたが、新しいせいかリフォームが行き届いているせいかか、建物がきれいで、大浴場がついているのがよかった。
 あとは、部屋が狭いが、安いと思うか、
      安いが、部屋が狭いと思うかは、その人次第でしょう。

 

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2008年12月 9日 (火)

沖縄旅行1 格安ツアー

 沖縄旅行に行ってきました。十二月四日から七日までの三泊四日。最近新聞広告でよく見る格安のパックツアーです。
 参加料金は一人33,000円(二人一室)で朝食三回夕食二回つき。これにオプショナルツアーと入園料などの別料金を一人8.000円くらい払って、それでも一人41.000円です。あとかかったのは自前の食事と土産代のみ。
 これで添乗員つき、二日間はバスガイドつきで、南部のひめゆりの塔から北部の海洋博記念公園まで、沖縄本島をひととおりまわってきました。

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 飛行機代はいま、早割りだなんだといろいろありますが、割引のない普通運賃は、乗っていった全日空で羽田から那覇まで、片道40,900円、往復73.800円です。
 ツアー料金(ホテル三泊と飛行機代+α=33,000円)のうち、航空会社の取り分はおそらく一万円くらいではないでしょうか。

 昔、早割りなどの割引や格安航空券がなかった頃、沖縄出身の女性と結婚した友人は、子供三人連れて里帰りすると、一回分のボーナスが飛んでしまうと言っていました。
 うちの奥さんの母親は北海道の出身でしたから、北海道に親戚がいます。冠婚葬祭のうち婚礼や祭事は日どりが事前に決まるから早割りで行くこともできますが、危篤だ、葬式だというとすぐ駆けつけなければなりません。これは今でも、高い正規料金で、しかも混んでいるときは空席待ちをして飛んでいきます。

 今回の沖縄行きでも空席待ちの客へのアナウンスが流れていました。中には親が死にそうな人がいたかもしれません。一万円の物見遊山の客で席がいっぱいで、緊急の客が七万円で空席待ちというのは、なんだか理不尽な気がします。この料金の格差はいったいなんだろうと考えてしまいます。

 以下の数字に特に根拠はありませんが、もともと正規運賃というのは、乗車率(乗機率か)が50とか60%くらいで収支がまかなえるくらいに定められているのではないでしょうか。それを越えた40%の席の料金がもうけになる。だからそこは空席にしないで、半額でもいいから乗れるだけ乗せたい。そのあたりから団体割引だ、早割りだと始まったのでしょう。それが今回の沖縄行きの便など、大半は団体、割引ツアー客のように見受けられました(プレミアムシートの方は知りません)。
 割引料金の客が主流になれば乗機率50や60%ではとても採算はとれず、常時90%を越えるくらいでないと引き合わなくなってしまうでしょう。安い料金でどんどん乗せて乗機率を上げ、正規料金を払う緊急の客が圧迫されることになってきます。

 実際には乗らない人=旅行会社が安く買い占めて、サヤを取って、実際に乗る人に売る切符が主流になって、緊急の需要に影響をあたえているわけです。現在、金融不況で、金融経済が実体経済に影響云々という話を思い出します。
 まあ、わたしも安いからこのツアーに参加したわけだし、緊急の空席待ちの方に席をおゆずりしたわけでもありませんから、文句を言うつもりはありませんが。

 格安ツアーと言えば、ついてまわるのが買い物です。
 今回、那覇空港に降りてから一番に連れて行かれたのは、なんと免税店のDFSでした。日程の都合で最終日の予定が繰り上がったのですが、観光もなにもなく、いきなり買い物、それも沖縄とは関係ない、グッチだ、シャネルだ、とは。われわれ夫婦には用のない店でしたが、他の人はどうだったでしょうか。

 翌日から行った店は、ガラス細工、泡盛、パイナップル、御菓子、黒糖など。工場見学は観光でもあるけれど、少し省いて海洋博公園など主な観光地での滞在時間をもう少し増やしてくれたほうがありがたかった。しかし、ツアーの一行には、着くたびに何かしら買っている人もいましたし、これがツアー料金を安くできる一因なのでしょうから、これにも文句は言えません。

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2008年12月 4日 (木)

瀬上池晩秋

 昨日(12/3)、天気がよかったので、近くにある瀬上池(せがみのいけ、横浜市栄区)へ散歩に行ってきました。こんなところです。

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 こうして見るとちょっと横浜市内とは思えない風景です。

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 この近くには円海山(えんかいざん)という標高153.3mの小さな山があって、ずっと鎌倉の天園ハイキングコースまで緑地がつながっています。

・円海山周辺マップ
http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/green/enkaizan_map/enkaizan.pdf

 子供たちが小さい頃、何度か鎌倉までハイキングに行きました。昨日も途中でリスを見かけましたが、このあたりでは、リスはみんな鎌倉の八幡様の大銀杏からやってきたものだということになっています。

 

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2008年12月 3日 (水)

肖像紙幣いくつか

 なむや文庫の「今月の本棚」は、店主のおすすめ、日垣隆の本です。http://homepage2.nifty.com/namuyabunko/
 日垣隆をはじめて読んだのは、文藝春秋に載った、ベストセラー『買ってはいけない』の批判記事でした(1999年9、10月号)。
 読んでおどろきました。『買ってはいけない』が根拠とした実験データ等を検証し、それが自分たちに都合のいいところだけの恣意的な引用であること、事実に誤りがあること、推定をもとに全否定していることなどをあげて、読者の恐怖を煽り立てるホラー本だと書いています。筋のとおった論理で説得力があり、これは『買ってはいけない』の完敗だと認めざるをえませんでした。ところどころ皮肉がきいているところも、悪口を読むのが好きなわたしとしては大いに気に入りました。

 例えば、ある商品に含まれている亜硝酸ナトリウムは、ラットに≪体重1kgあたり0.085g経口投与すると半数が死亡する、(…だから「買ってはいけない」)≫という説明について、こう書いています。

 急性毒性の試験は、要するにラット(などの動物)を殺すために行なわれる。どれだけ当該物質を一挙大量に与えればラットの半数が死ぬか、という限界を見るための実験なのである。つまり、この実験では必ずラットは死ぬ。水でも死ぬし、米でも死ぬ。死ぬまでやる実験なのだから、あたりまえである。だから私たちは、≪体重1kgあたり0.085g経口投与すると半数が死亡する≫に驚いてはならず、≪0.085g≫に注意を払わねばならない。数値が低いほど、急性毒性は高いわけである。そして飼料(食べ物)にそれをどのような割合で混ぜるか、が重要になる。水の毒性と、わさびの毒性を同列に論じることは現実的ではない。毎日、わさびを二リットルも食べるやつはいないだろうからだ。
(中略)
 電気椅子に人を座らせ二〇〇〇ボルトの電圧を五秒かけると人の半数が死ぬ。だから家庭で電気を使ってはいけないと言っているに等しい。
(『「買ってはいけない」は嘘である』P58、1999、文藝春秋)

 これには動物実験の結果を見る目を開かれました。この後、過去の著作をいくつか読んで愛読者となり、とうとう日垣隆のメールマガジン(参照 http://www.gfighter.com/)の購読者にもなって現在に至っています。

 そのメールマガジンの愛読者プレゼントとして、こんなものをもらいました。日垣隆は買い物が好きで、買い物に関する本まであります。
 前回、ゲバラの肖像紙幣を紹介したので、ついでに紹介します。

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 上はイラクの250ディナール紙幣、肖像はサダム・フセイン前大統領。下は北朝鮮の100ウォン紙幣、肖像は金日成前国家主席。

 そしてこれは、わたしが別に入手したもの。

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 中国の10元紙幣、毛沢東元国家主席。
 こうなると、ヒットラー紙幣とかスターリン紙幣が、もしあるものなら手に入れたくなってきました。

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