« 沖縄旅行3 歴代総理の色紙 | トップページ | 沖縄旅行5 観光、観光 »

2008年12月17日 (水)

沖縄旅行4 ひめゆりの塔で

 ひめゆりの塔に三十年ちょっと前にきたときには、他の南部戦跡でもそうでしたが、観光バスが着くと、まわりから花束を持ったおばさんたちがわらわらっとあらわれ、客を取り囲んで花を売っていたことを覚えています。今回はそんなことはなく、きれいな花束の売場ができていました。

Photo

 資料館の展示などを見ていると、沖縄へ気楽な物見遊山にやってきたつもりでも、やはり戦争というものについて考えざるをえません。

 わたしが一番考えさせられたのは、米軍が上陸し戦局が絶望的になった中で、ひめゆり学徒隊が、昭和二十(1945)年六月十八日、解散を命じられたということです。十五、六の女学生を看護要員として徴用しておいて、敗色濃い戦闘のさなかに、解散、後は自分たちでなんとかしろ、と放り出してしまったということです。
 そしてその結果、

 職員を含むひめゆり学徒隊240名中、死亡者は生徒123名、職員13名であるが、このうち解散命令以後に死亡したのは117名で全体の86%にものぼり、さらにわかっているだけでも全体の35%にあたる47名が第三外科壕に攻撃があった6月19日に亡くなっている。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%81%E3%82%86%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%A1%94

 司馬遼太郎の『街道をゆく』シリーズを旅の友にしている人も多いようです。わたしも『沖縄・先島への道(朝日文庫)』を読み返しました。

Photo_2

 沖縄戦について書いているところで、こんなことを書いています。司馬が当時配属されていた栃木県佐野の戦車連隊は、敵が関東地方に上陸したときに出動することになっているのだが、その時東京方面から家財道具を大八車に積んで逃げてくる人々とぶつかったら交通整理はどうなるのか、大本営から来た人に聞いた。

 そういう私の質問に対し、大本営からきた人はちょっと戸惑ったようだったが、やがて、押し殺したような小さな声で──かれは温厚な表情の人で、決してサディストではなかったように思う──轢(ひ)っ殺してゆけ、といった。このときの私の驚きとおびえと絶望感とそれに何もかもやめたくなるようなばからしさが、その後の自分自身の日常性まで変えてしまった。軍隊は住民を守るためにあるのではないか。
 しかし、その後、自分の考えが誤りであることに気づいた。軍隊というものは本来、つまり本質としても機能としても、自国の住民を守るものではない、ということである。軍隊は軍隊そのものを守る。この軍隊の本質と摂理というものは、古今東西の軍隊を通じ、ほとんど希有の例外をのぞいてはすべての軍隊に通じるように思える。(『沖縄・先島への道(朝日文庫)』P36~37』

 軍隊は軍隊の論理でしか動かない。ひめゆり学徒隊も放り出されてしまった。しかし、当時の一般の兵隊たちはなんのために戦い、死んだのか。
 司馬はこう書いています。

  私どもは、学校から兵隊にとられた素人兵であったが、何のために死ぬのかということでは、たいていの学生が悩んだ。ほとんどの学生は、父母の住む山河──そこには当然、人が住んでいる──を守るためだということを自分に言いきかせた。私の世代の学生あがりの飛行機乗りの多くは、沖縄戦での特攻で死んだ、たいていの者は、自分で抽象化した母国の住民群というイメージ上に自分の肉体を覆いかぶせて自分が弾よけになるというつもりであったはずである。(前掲書P37~38)

 今回のツアーでまわった南部戦跡は、ひめゆりの塔だけでしたが、ガイドさんの説明の中には、ときどき戦争の話がでてきました。三日目には嘉手納の基地を外側から見ました。沖縄を訪れるときには、戦争のことを考えざるをえません。

|

« 沖縄旅行3 歴代総理の色紙 | トップページ | 沖縄旅行5 観光、観光 »

なむや文庫雑録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 沖縄旅行4 ひめゆりの塔で:

» 実践沖縄 [沖縄]
やっぱり奥が深いよな沖縄知りたいことが沢山ありますね。沖縄の牧師会沖縄リバイバ... [続きを読む]

受信: 2008年12月18日 (木) 05時47分

« 沖縄旅行3 歴代総理の色紙 | トップページ | 沖縄旅行5 観光、観光 »