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2009年1月

2009年1月31日 (土)

ビワには枇作(ビーサク)

 寒肥(かんごえ)の季節です。ビワに肥料をやらなければなりません。
 ビワ用特製の肥料があります。その名も「枇作(ビーサク)」
 富浦の農協で開発したという話で、ちょっと高いけど、農協で買いました。

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 ビワは、少しずつ実がふくらんできました。

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 ところが、そのまま枯れてしまったような実が、けっこうたくさんあります。これはもうだめです。

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 去年、タブノキを切る 第一日タブノキを切る 第二日に書いたように西側の、海風を防いでいてくれたタブノキを大きく切りました。そのため、わが家のメインのビワの木二本は、日当たりはよくなりましたが、冬場の風当たりをまともにくらうようになりました。
 それが影響しているのではないかと思われます。去年が不作だったので、今年は豊作と期待していましたが、ちょっと割引しないといけないようです。

 留守が長く、雨も少なかったけれど、ダイコンもとれました。寸詰まりですが、畑の土が浅いので、そうそう長くはなりません。

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 暮れにも少し抜いて、うちの奥さんがタクアンを漬けました。今回もまたタクアンです。洗濯用の物干しにダイコン干し。

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 タブノキを切って広がった空間に夕日が落ちていきます。冬の冷たい風がここからやってきます。

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2009年1月30日 (金)

水仙の季節

 暮からなんだかんだあって、南無谷へ行くのが一カ月以上あいてしまいました。1月27日から、今年初めて南無谷へ行ってきました。

 南房総はちょうど水仙の季節です。途中寄った富山町の道の駅「富楽里(ふらり)」の道路脇も花盛り。

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 水仙と並んで、菜の花も咲いていました。

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 わが家でも、ちょっと遅いようですが、咲いていました。

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 梅も、咲き始めていました。「主なしとて、春を忘るな」です。

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2009年1月23日 (金)

週刊現代の創刊号

 週刊現代の創刊号(昭和34(1959)年4月12日号)、表紙と裏表紙です。

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 前に紹介した週刊文春の創刊号とほぼ同じ時期の発行ですから、記事のメインも同じ、皇太子御成婚です。表紙のデザインは、今の若い人は、これは何だと思うかもしれませんが、当時はみんなこれでわかりました。「テニスコートの恋」です。でももうちょっとなんとかならないかという感じです。あのころはこれが斬新だったのでしょうか。

 これが目次の見開き。

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 週刊現代も週刊文春や週刊新潮と同じく、現在のようなケバケバしいタイトルはなく、全体におとなしめですが、御成婚の記事の中に、こんな箇所もありました。

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 おめでたに背をむける人々、左の日教組、総評。右は右で「皇太子と粉屋の娘の恋愛」が気に入らない。小学五年生のわたしはそんな話は知りませんでした。

 それから、おおこれは、という記事があります。目次でお気づきでしょう。これ、相撲の八百長疑惑です。

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 週刊現代は、八百長疑惑をめぐって現在も相撲協会と激しく対立していますが、創刊のときからこれをやっていたのです。今年は2009年だから、なんと五十年前から。すごいねばりというか、執拗というか…
 それにしても出てくる名前が、栃錦、若乃花(先々代)、朝汐(先代)…とはなつかしい。

 芸能記事は、石原裕次郎に北原三枝、黒い稲妻トニー・ザイラー…
 広告のトヨペットの形がなんとも言えません。

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 グラビアにはこんな写真も。

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 このころ日本は、まだ、豊かな国ではありませんでした。アジアの片隅の小さな国。「三丁目の夕日」の時代です。

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2009年1月22日 (木)

アメリカに黒人大統領

 1月20日正午(日本時間21日午前2時)、米大統領にバラク・オバマが就任しました。黒人初の大統領誕生の歴史的瞬間とはいえ、夜は弱いのでテレビ中継は見ないで、翌朝、インターネットの ABC News を見ました。

 思えば遠くまで来たものです。

 わたしが子供だった頃は、まだ『アンクル・トムの小屋』が肯定的に評価されていた時代でした。
 小学校には、同学年ではありませんでしたが、「黒んぼ」と呼ばれていた子どもがいました。当時のわたしにはどうして肌が黒いのか、よくわかりませんでした。運動会で、足がとても速かったのを覚えています。日本の各地にまだ米軍のキャンプが残っていた時代です。

 それからキング牧師の公民権運動、そしてそれを否定する過激なマルコムX、ブラック・モスリムの運動──「ブラック・イズ・ビューティフル」の時代があり、カシアス・クレイがモハメッド・アリになりました。
 メキシコ五輪の陸上二百メートルで、優勝および三位となった黒人選手が、表彰台で黒い手袋をはめた拳を高く掲げるブラックパワー・サリュート(The Black Power Salute)と言う黒人差別に抗議するパフォーマンスも記憶にあります。これは1968(昭和43)年、キング牧師暗殺の年であり、わたしは大学二年、ベトナム戦争の時代でもありました。

 その後、これらの運動が沈静化したからでしょうか、わたしが生きているうちに、アメリカに黒人大統領が誕生することになるとは、思ってもみませんでした。公民権法が施行され、アメリカ内部では、徐々に、大きな変化が起こっていたということです。

 そう言えば、日系三世ケネス・ヤマオカがアメリカ大統領選に出馬する、かわぐちかいじ作『イーグル』は、おもしろい本です。おすすめします。

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 オバマ大統領だからといって、多くの問題を抱えたアメリカの政策が劇的に変わるわけではありません。「チェンジ」と言っても、アメリカがひっくり返るほど劇的に変えるとは思われていないから選ばれたわけでしょう。
 急激に、なにもかもいっぺんに良くなることはありません。悪くなるときは、戦争や災害のように、一度に何もかも悪くなってしまいますが、良い方向への変化は、徐々にしかおこらないもののようです。
 ともかく一歩進んだとは言えるでしょう。黒人の大統領誕生をことほぎます。

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2009年1月18日 (日)

江ノ島へ

 江ノ電でようやく江ノ島にたどりつきました。
 江ノ島についての一番古い記憶は、

以前をいやア 江ノ島で
年期づとめの お稚児さん

という歌謡曲、三浦洸一の「弁天小僧」です。(これは春日八郎の歌だと思っていたら違いました。「お富さん」とごっちゃになっていたようです。)昭和三十年の曲だそうですから、小学校二年生のときですが、ちゃんと記憶にあります。この後は

くすねる銭も だんだんに
とうとう島を 追われ鳥

と、とても「よいこの愛唱歌集」には入れてもらえそうにない歌詞ですが、あのころの子供たち=わたしたちは、まるごと覚えてそのまま歌っていました。お稚児さんがどういうものか、弁天小僧が何をやっているのか、よくわかりませんでしたけれど。
 でも「とうとう島を 追われ鳥」とか「髪も島田に 由比ヶ浜」などの「掛詞」もそのまま飲み込んで覚えたし、そのうちなんとなくこの弁天小僧の白波五人男の話も覚え、「お富さん」のおかげで「源氏店(げんやだな)」──「いやさ、お富、ひさしぶりだなあ」のあの芝居も知りました。このあたりの話は、当時の国民の共通の基礎知識みたいなものだったんだと思います。

 三浦洸一の「弁天小僧」が聞きたい方はこちらからどうぞ。(YouTubeです) http://jp.youtube.com/watch?v=Ew7HxbTJjsk

 江ノ島といえばなんといっても弁天様だと、途中の辺津宮・中津宮・奥津宮の三つの神社は横目で見るだけで、ひたすら島の奥の岩屋をめざしました。あの有名な裸弁天は岩屋にあるものだとばかり思っていました。ここも四十年くらい前に来たことがあって、洞窟の中で弁天様を見たような記憶があったのです。
 ところが岩屋の奥で待っていたのは、雷鳴のような音と点滅する光に浮かび上がる作り物の龍。なんじゃこれは。五百円も入場料をとっているからサービスのつもりかもしれないが、ディズニーランドの「カリブの海賊」じゃあるまいし、小さな子供を驚かせたり泣かせたりするぐらいのことはできるかもしれませんが、ドラゴンズファンのわたしでもこれはいただけません。

 奥からまた坂道を上ったり下ったりとことこ歩いて戻ってくると、弁天様は、島の入口に一番近い辺津宮の脇の弁天堂にいらっしゃいました。あんなに歩くことはなかったんだ。

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 この弁天堂は、昭和45(1960)年に造営されたものだというから、そのときに岩屋から移されたものなら、昔岩屋に弁天様がいたという記憶は間違いではないけれど、そのときまでは岩屋にいたという記事もない。どうもよくわかりません。

 江ノ島もけっこう広いところで、岩屋への参道は登ったり下ったり、いささかくたびれて、しまいには左の膝が痛みはじめました。悪口を言ったから、あの龍のたたりでしょうか。前にもいためたところなのでちょっとやばい。龍の神様ごめんなさい。

 土産物屋などの並ぶ参道の店で、しらすかき揚げソバとサザエの壺焼きを食べて、一息入れてから帰りました。

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 ともかく天気がよく、島のあちこちや展望塔から富士山がよく見え、気持のいい一日ではありました。
 「弁天小僧」の次に記憶にある歌は、「真白き富士の嶺 緑の江ノ島」でした。

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 左端、海の上に突き出ているのは、茅ヶ崎の烏帽子岩です。

【追記 091212】

 弁天様が岩屋にいらしたというのはわたしの間違いでした。
 昭和33年刊の『アサヒ写真ブック67 鎌倉 江ノ島』(朝日新聞社)に、「辺津宮社務所には二体の弁財天が安置されている。」と書いてありました。

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2009年1月16日 (金)

江ノ電から富士山

 鎌倉駅に戻り、江ノ電で江ノ島へ向かいます。

 「江ノ電」の名を覚えたのは、あの黒沢明監督の映画『天国と地獄』。わたしは高校一年になったばかりのころだったと思います。まったく息もつかせぬサスペンスに驚嘆しました。その中に、誘拐犯がかけてきた電話から聞こえる電車の音から、刑事たちが「これは江ノ電の音だ!」と犯人の潜伏先を推理するシーンがありました。しびれたシーンのひとつでした。

 駅ではちょうど電車が出たところだったのでしばらく待たされましたが、そのおかげで、一番前、運転席のすぐ後ろに座れました。年甲斐もなく、ですが、かんべんしてください。

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 江ノ電は、あいかわらず民家の庭先みたいなところをトコトコ走って行きます。まわりの建物はそれなりに変わっているのでしょうが、江ノ電の雰囲気は『天国と地獄』のころからそんなにかわったようには見えません。
 江ノ島近くに来たら、富士山が見えました。

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  天気はいいし、やっぱり海が見えて富士山が見える景色はいいですね。正月はこうでなくてはいけません。 

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2009年1月15日 (木)

鎌倉へ初詣

 昨日(1/14)は鎌倉の鶴岡八幡宮へ初詣に行って来ました。

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 子供が小さかったとき、正月はほとんど毎年わたしの田舎へ帰っていたので、初詣は地元の氏神様ですませ、松の内が過ぎ参詣客も少なくなった成人の日の頃に、家族で鶴岡八幡宮へ詣っていました。毎年大銀杏の下で子供の写真をとっていたので、貴重な定時定点撮影の写真が残っています。
 いつも境内の屋台でブドウ飴を買い。帰りに小町通りの「壁の穴」でスパゲティを食べるのが定番コースでした。大きくなるに従って、だんだん子供たちは誘ってもついてこなくなり、今では「壁の穴」もなくなってしまいましたが、十五日頃の八幡宮参詣は、夫婦でずっと続けています。勝手にここは家の氏神様のつもりです。

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 お詣りをすませたら久しぶりに江ノ島へ行く予定でしたが、途中で荏柄天神(えがらてんじん)の梅が咲いているという話を聞いたので、ちょっとそちらへまわってみることにしました。

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 これは行く途中にある源頼朝の墓。

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 これが荏柄天神。話のとおり紅梅が咲いていました。

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 これは荏柄天神にあったミツマタ。枝先が三つに分かれるので三つ又と言うそうです。三つの枝それぞれに花がひとつずつついています。咲くのはまだこれからです。
 ここまで来ると鎌倉宮(大塔宮)はすぐなので、正月でもあり、ちょっと寄ります。

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 これが鎌倉宮。お守りの獅子頭が鎮座しています。
 ついでに奥の土牢も見てきました。四十年前に見たはずですが、何も覚えていないので、あらためて確認です。

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 後醍醐天皇の皇子、護良親王(もりながしんのう)が足利方によって幽閉され、殺害されたということですが、吉川英治は、土牢ではなかったのではないかと、『私本太平記』にこう書いています。

  ことむずかしくいえば、土牢(どろう)は塗籠(とろう)で、すなわち”塗(ぬ)り籠(ご)め”──壁ばかりな部屋ということの訛伝(かでん)であろうか。(『私本太平記 六』P169、講談社、吉川英治歴史時代文庫)

 明日十五日はお焚きあげ、左義長です。ここ鎌倉宮のお札収め所は、写真のとおり、もうあふれはじめていました。

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 江ノ島へ行く前の寄り道が長くなってしまいました。

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2009年1月13日 (火)

本の中の本『耶律楚材』

 最近入手した本の話です。
 本の中の本『耶律楚材』、と言っても、この岩村忍『耶律楚材』(生活社、1942(昭和17))が、ブック・オブ・ブックス、とても素晴らしい本だというわけではありません。

 下が表紙と奥付。
 藁半紙のような紙で厚紙をくるんだ装丁で、立派とは言いかねます。厚紙といっても、いわゆるソフトカバーで、その中でも薄い部類に入るくらいの紙です。

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 背を見てみると、表紙が破れて表題がなくなっており、中の厚紙がむき出しになっています。するとなにやら字が見えます。左の端の方です。

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 おやおやこれはと、そっとすきまを広げると、出てきました。これが「本の中の本」、ブック・イン・ザ・ブックです。

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 「分類日本歴史(改訂版)三省堂編輯所編」と読めます。
 これはつまり、表紙の芯材に、他の本の表紙用紙(余り物?)を使用したものと思われます。奥付にあるように、昭和十九年の再版ですから、戦時中で紙が不足していたのでしょう。
 大谷大学図書館のHP(http://www.otani.ac.jp/kyo_kikan/library/index.html)で、この本の書誌情報を見ると、「123p ; 22cm」となっていますが、注記として「再版 (1944.10刊) の大きさは19cm」となっています。http://opac.otani.ac.jp/external/library?func=function.opacsch.toshoshozodsp&view=view.opacsch.newschdsp&shoshisbt=1&shoshino=0000458634
 たしかにこの本の縦の長さは19cmですが、初版は22㎝と、けっこう大きな本だったようです。きっと紙も、もっといいものが使われていたことでしょう。

 耶律楚材というと、「ジンギスカンが、漢人を皆殺しにして中国全土を牧場にしようとしたのを、耶律楚材が一生懸命とめた」という話をきまって思い出します。たしか小松左京が書いていたのを若い頃に読みました。その後読んだ陳舜臣の『耶律楚材』などには、中国全土牧場化計画の話はでてきませんでした。あれは、小松左京のヨタ話だったのか、それとも大げさにわたしが記憶しているだけなのか、よくわかりません。
 この本をじっくり読んでみましょう。

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2009年1月 9日 (金)

ソーホース(ウマ)の作り方

 このブログの右下に、「検索フレーズランキング」という欄があります。どんな言葉でインターネット検索をかけたらこのブログがひっかかったかが、毎日出ています。ひっかかったからといって、必ずここを開いて読んでいるわけではないようですが。
 一番多いのは漢字の覚え方に関するフレーズで、ときどきDIY関係の「○○の作り方」というフレーズもあります。その中に「ソーホース(ウマ) 作り方」というのがありました。

 ソーホースとは英語で、”sawhorse”つまりノコギリ用の馬。日本語でも「ウマ」と言うのは偶然の一致か、それとも sawhorse が輸入されて、「ウマ」になったのでしょうか。

 何年か前ですが、ソーホース(ウマ)を作ったとき、エクセルで図面のようなものを作っていたので、それを少し修正して、ちょっと格好つけて、下図のような「作り方」を作ってみました。
 足を、角度をつけてさらに斜めに切るところがミソです。ただし、長さも角度も厳密には作図しておりません(実はできない)ので、そのつもりでごらんください。実際には、図面より成り行きに従って作っております。人に教えるような腕じゃありませんので、多少でも参考になればということでご了承を。

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 これは藤岡等の本を見て作ったと思うのですが、どの本だったか、確認できません。この人には「手作りマイホームマニュアル」というシリーズがあって、そのどれかだとは思うのですが。手元にある『2×4材で作るかんたん日曜大工(山海堂)』には、これとはちょっと違うソーホースの作り方が載っています。前に「バラのアーチ、支え枠、ウマ」で紹介した写真のウマは、こちらの方です)

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2009年1月 6日 (火)

ああ『大航海時代叢書』

 なむや文庫(http://homepage2.nifty.com/namuyabunko/)の2008年3月の本棚は岩波書店の『大航海時代叢書』でした。
 昨年、この一部が売れたのは良かったのですが、売りに出したときには気がつかなかった欠陥がある、という話になってしまいました。
 本を受け取ったお客さんから、中を確認していたところ、白い漆喰の破片のようなものが落ちてきた、表紙の折り目から装丁が剥がれてきたと連絡がありました。
 いったいどういうことなのか、よくわからない。それで、手元に残っている、他の『大航海時代叢書』を確認してみることにしました。

 これがその『大航海時代叢書』

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 1978年の刊行(初版は1966年)ですから三十年前の本なので、箱にシミが出たりしているのは前から承知しています。その他、見たところ本体はきれいです。
 ところが、問題の表紙の折り目、製本用語で「溝」というところをよく見ると、下の方に割れ目があります。下の写真、右の白い部分の背中に近い方の下の部分です。

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 で、表紙をぐっと開いてみると、なんと溝から本当に白い粉がぽろぽろこぼれてきました。背を覆っているビニールレザーが経年劣化で硬くなって、力を加えると剥離してしまうのでした。
 これが、開いてみた後の写真。拡大しなくてもはっきり白い筋が見えると思います。

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 白い筋をさらに拡大して見ると、こうです。

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 これでは、申しわけありませんと言うしかありません。
 岡本太郎に「座ることを拒否する椅子」という作品がありましたが、「開くと表紙がこわれる本」では洒落にもなりません。

 この材料で装丁をしたら三十年後にどうなるか。岩波書店といえども、そこまでは検証しきれなかったのでしょう。この本がこれまで、よほどの高温とか低温の過酷な環境のもとにあったとは考えられないので、やはり材質の問題だと思います。本物の革だったらこんなことにはなりません。

 これは第一期の『大航海時代叢書』の話で、第二期の『大航海時代叢書』は装丁が変更されて、ビニールレザーの部分がなくなっているので剥離することはありません。一期と二期の間は二十年くらいたっているので、ひょっとすると、第二期を刊行するときに、あれはまずいよという話があったのでしょうか。

 ここまで書いて、本当に材質の問題なのか心配になってきました。管理が悪くて劣化てしまった可能性もないわけではない。うーん、ともかくごめんなさい、以後注意します。古本屋も楽じゃありません。

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2009年1月 4日 (日)

謹賀新年2009

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あけましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。

 12月31日から1月2日まで、岐阜県、愛知県へ行ってきました。写真は帰りの新幹線の車窓から携帯でとったもの。いい天気で、富士山がよく見え、元旦ではありませんでしたが、

 なんとなく今年はいいことあるごとし
 元旦の朝晴れて雲なし

という啄木の歌の気分になりました。
 今年一年、この気分でいきたいと思います。

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