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2009年3月

2009年3月30日 (月)

バードウォッチング

 南無谷では、今さかんにウグイスが鳴いています。ところがこれがなかなか実物を見られない。今回は、声の出所を追いかけて、とうとう木の上の方にそれらしい鳥を見つけました。
 これがそうです。

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 でもこれが、はたして本当にウグイスなのかどうか、いまいち確信がもてません。

 いろんな鳥がやってきますが、写真をとろうと近づけばすぐに逃げられ、正体がよくわかるような写真はなかなかとれません。
 これはそのなかでもよくとれた方で、図鑑を見て、「ジョウビタキ」ではないかと思っています。

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 こちらも今月とった写真ですが、なんの鳥かは不明です。けっこう高い木の上なので、下から見上げる角度になって、図鑑の姿とはうまく比較できません。

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 これは、前に畑の野菜を食べられたヒヨドリです。(食べたのはヒヨドリ

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 バードウォッチングというほどでもありませんが、南無谷に来る鳥の名前を知りたいと思って追いかけています。コンパクトデジカメなので、たいした写真もとれませんが、少しずつ名前の数が増えればいい、というところです。
 バードウォッチングで、昔読んだ『新西洋事情』(深田祐介、1975)を思い出しました。

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 この本は、海外の商社マンが、日本と現地の文化の差異に苦労しながら、一生懸命生活している実態を描いて、楽しく読ませながら文化の相違について考えさせる、おもしろい本でした。その中にこんな一節があります。

イギリス人の、この孤独な趣味

 たしかにイギリス人の余暇、休暇の過ごしかたには、その奇妙さにおいて、日本人の想像をはるかに超えているようなところがあります。
 私が今でもはっきり憶えているのは、現地社員採用試験に応募してきた若い男のことで、面接の折に履歴書の趣味の欄を眺めますと、BIRD・WATCHING、と意味不可解なことがかいてあります。
「私はご覧のとおり英国人じゃないんで、よくわからないんいだが、BIRD・WATCHINGというのはどういう趣味ですか」
 そう訊ねますと、男は大真面目な顔で、
「いや、休日に鳥を見物(ウォッチ)しに行くんですよ」
木で鼻をくくったような返事をします。
「鳥って、その、空中を飛んでいる鳥ですか」
(中略)
私はこの青年が藪かげに坐りこみ、終日鳥を眺め暮らしているさまを想像し、ほとんど呆気(あっけ)にとられました。(P209~210)

 三十数年前、1975年(昭和50年)の時点の日本では、バードウォッチングは意味不可解な行動だったのです。
 わたしはたしか、他の本だか雑誌だかに、この本にはイギリス人の奇妙な趣味のことが書いてある、というこの部分の紹介を読んで、それからこの本を読んでみたのでした。それでやっぱり「なんとケッタイなことをするもんだ」と思ったものでした。

 それが今では、「バードウォッチング」は誰でも知っていることばになり、誰も奇異な感じをもつことなく、わたしも庭に来る鳥を見て喜んでいます。日本人もわたしも変わりました。
 これからさらに三十年の後には、どんな趣味が流行していることでしょう。

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2009年3月28日 (土)

チューリップが咲いた

 春の進行がとまってしまったような冷たい空気の日が続きます。花見の予定を決めたはいいけれど、どうも花が遅れているようで心配です。

 南無谷でも空気は冷たいけれど、やはり春です。いろんな花が咲きはじめました。
 中でも一番色あざやかなのはチューリップ。

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 色変わりの、こんなのもあります。

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 アンズの花。

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 植物はうちの奥さんの管轄なので、花の名前はよくわかりません。

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 これはわかります。モクレンです。

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 とう立ちしたダイコンの花も咲いていました。

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2009年3月21日 (土)

春のうららの

 墓まいりをすませてから、天気もいいので、隅田川まで行ってみることにしました。
 首都高速から何度か桜が咲いている土手を見下ろしたことがあって、ちゃんと花見に行ってみたいと思っていたので、花にはちょっと早いけれど、ぶらぶら土手を歩いて言問橋方面へ向かいました。

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 この日は気温が二十度をこえる暖かさで、春のうららの隅田川ですが、こんなところもあちこちに…

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 花はやはり、まだです。あと一週間でしょうか。

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 でも柳は緑、ハクモクレンは花盛りでした。

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 言問橋までせっせと歩いて、ここまで来たら言問団子を食べなければと、団子屋の場所をたずねつつ行くと、なんと通り過ぎてきた桜橋まで戻るのでした。言問団子がどうして言問橋じゃなくて桜橋のたもとにあるんだ、と怒りたくなりましたが、桜橋は十年前にできた新しい橋で、しかも言問団子から「言問」という地名がついたのだそうで、団子屋さんの方がえらいのでした。ごめんなさい。
 団子屋さんの名前は、在原業平の有名な歌

名にしおはばいざ言問はん都鳥
我が思ふ人はありやなしやと

からとったもので、業平がこの歌をよんだのが、隅田川のこのあたりだといいます。 

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 団子は三色、おいしくいただきました。

 道路をへだてて斜め向かいの、長命寺の桜餅も有名だそうで、こちらはみやげに買いました。

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 帰り道、待乳山聖天(まっちやましょうてん)へも寄りました。

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 浅草界隈ですから、あちこち見るところはいっぱいあるのですが、さすがに歩き疲れたので、もうやめてバスに乗って上野まで出て、アメ横でカニを買って帰りました。

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2009年3月20日 (金)

彼岸の墓まいり

 昨日(3月19日)、うちの奥さんの父母の墓参りに行ってきました。墓は荒川区のお寺にあって、JR南千住駅から歩いて五分くらいのところです。

 南千住の駅から、シャッター通り化しているように見えるこの商店街を通っていきます。この名前がめずらしい。「コツ通り商店街」と言います。
 名前の由来は、江戸時代の小塚原刑場がこのあたりにあったので「小塚原(こつかっぱら)」から「コツ」になった。あるいはそのものずばり、骨(こつ)からきたという説もあるようです。

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 刑死者を供養するために建てられたのがこれ、南千住回向院(=小塚原回向院)です。両国回向院(=本所回向院)の別院で、小塚原刑場もこのあたりにあったそうです。

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 目的のお寺は、回向院とは方角がちょっとちがいます。これが、墓地の入口、右はお寺の本堂です。

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 都会の墓地なので通路が狭い。一人通るのがやっとです。

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 おまいりしてまいりました。

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2009年3月18日 (水)

ビワの袋かけ

 今回の作業のメインはビワの袋かけです。前回摘果して残ったものから、さらに最後まで残して実らせるものを選んで、一つずつ袋をかけます。
 これがその袋です。だいぶ前に農協で買いました。一箱五千枚が売買単位なので、わが家では何年ももちます。

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 袋の内側は黒くなっていて、旗竿のように飛び出たところには細い針金が入っています。こんな感じです。

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 ビワの実の現状はこんなところ。これは残っている実が多すぎる。もう少し摘果しておいた方がよかったのですが、しばらく来なかったのでやむをえません。

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 これで小さいものを落として左右一つずつ残しました。本当は一つだけにした方がいいのだけれど、欲ばりで数をかせぎたいので二つ残しです。

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 袋をかぶせて、根元の方をすぼめて襞をよせるようにして、その上に針金を巻きつけてとめます。下の写真はわたしがやったものですが、あまりうまくありませんね。もう少しふっくらという感じにしたいところです。

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 しかし、場所によっては脚立や木に登り、そのうえ身体をねじらないと袋をかけられないところもあって、そうそううまくはいきません。夫婦二人で、離れて黙々と作業しているうち、ときどき、「あっ」という声が聞こえてきます。たいていは、袋をかけようとして、ビワの実を落としてしまったときです。

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2009年3月17日 (火)

水仙いろいろ

 庭にさいている水仙もよく見みるとけっこういろいろです。
 わたしには名前がよくわかりませんので、とりあえず写真だけ紹介します。

1 これが一番多い。

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2 1とよく似ているが、ちがう。

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3 花が大きいもの

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4 これも花が大きいが、また違う。

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5 黄色いもの

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6 黄色で小さい(初歩的な分類しかできない!)

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7 これも他と違うのはわかりますよね。

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8 これもありました。一番ポピュラーな花ですが、もう盛りをすぎて、散る寸前です。

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2009年3月16日 (月)

ひさしぶりの南無谷

 3月14日、ひさしぶりに南無谷へ来ました。13日からの春の嵐で、久里浜からのフェリーは欠航のため、雨のやんだ午後、アクアライン経由で来ました。アクアラインから館山まで高速道路がつながったため、フェリー経由で来るより、早く着いたようです。
 高速料金が安くなったら、こちらをメインのルートにするかもしれません。今回の高速料金値下げでフェリー会社はずいぶん影響を受けそうです。

 今年の冬は南無谷にずいぶんご無沙汰してしまいました。梅はもう散ってしまっただろうと思っていたところ、白梅はそのとおりでしたが、紅梅の方はまだ咲いていました。もう盛りはすっかりすぎた風情ですが。

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 そして庭には水仙。

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 菜の花も。

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 もう春です。ちょっと海へ散歩に行ってみました。うまくいくとワカメがひろえるかと思ったのですが、春の嵐で、海はこんな波。ワカメの気配はまったくありませんでした。

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 クールベの「波」を思い出します。

 昨日(3月15日)の夕方、わが家のベランダから富士山が見えました。ぶれてしまいました。次回はちゃんと三脚を使ってぶれない写真をとります。

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2009年3月11日 (水)

台湾台東のレストラン

 友人が台湾でやっているレストランがあります。
 それが大台湾旅行ネット(大台灣旅遊網 http://jp.travel-web.com.tw/) に紹介されたという連絡がありましたので、ここでも紹介します。

 「福爾摩沙(フォルモサ)」という名前で、日式西餐=日本式西洋料理の店。下の地図の右下にある台東県の台東市にあります。

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http://jp.travel-web.com.tw/Show/Style201/News/c1_News.asp?SItemId=0271030&ProgramNo=A000201000001&SubjectNo=67433&CityId=20taiawnn

 上の記事に「主に和食と洋食を中心としてウーロンラーメン、豚カツ、牛丼とスパゲティなど」と書いてあるので、いったいどういう店か心配になる方もいらっしゃるかもしれません。台湾の人の嗜好にあわせるため、あれこれ工夫していろんなものを作っているようですが、ちゃんとした味であることは保証します。

 台湾へは行っても、台東まで行く人は少ないけれど、のんびりしたいいところです。近くには知本温泉という有名な温泉もあります。もし台東まで足をのばすことがありましたら、このレストランにもぜひお立ち寄りください。

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2009年3月 9日 (月)

元禄忠臣蔵

 一昨日(三月七日)、歌舞伎座へ行ってきました。
  建て替えのため四月までさよなら公演というので、あわてて演目も見ずに切符を買ったら、なんと来年の四月まで十六カ月もさよなら公演は続くのだそうで、なにもあわてることはありませんでした。

 出し物は真山青果の「元禄忠臣蔵」。見たのは夜の部で、「南部坂雪の別れ」、「仙石屋敷」、「大石最後の一日」。大石内蔵助を市川団十郎、片岡仁左衛門、松本幸四郎がそれぞれ演じ、「南部坂雪の別れ」では瑶泉院を人間国宝中村芝翫という豪華な顔ぶれでした。

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 おもしろく楽しんできましたが、ちょっと気になったのは「南部坂雪の別れ」最後の場面、内蔵助の真意を知った瑶泉院が屋敷から見送るところ。道路に面した窓から瑶泉院が顔を出して、ということなのですが、武家屋敷の囲いにあんな窓があるものか、吉原の張見世じゃあるまいし、と感じました。
 まあ歌舞伎のご都合主義は毎度のことで、なんでもありですから細かいことを言い出すときりがないようですが、この場面はなんだかおかしな絵に見えました。せっかくの芝翫と団十郎なのに。

 おかしいといえば、「大石最後の一日」も。おみのという、義士の一人礒貝十郎左衛門と結婚の約束をしていた娘が男装して、内蔵助に十郎左衛門に会わせてくれとせまる。十郎左衛門の心を確認したおみのは喜びながら、切腹の場に向かう十郎左衛門を見送って、いつわって屋敷内に潜入したおわびにと腹を切って死にます。
 おみのが、なんで腹を切らないといけないのか、これは外国の人にはわけがわからないのではないのでしょうか。男装の潜入は微罪で情状酌量の余地が大きい、男の気持ちは確かめられた、しかも年とって病気の父親さえ残っているというのに。
 わたしにもいまいち唐突な感じはしますが、それでもなんとなく心根のあわれさ、いじらしさみたいなものや、話全体の流れを感じて、わかってしまうところがあります。欧米人に説明を求められたらうまく説明できそうにないので、日本の芝居ではこういうとき死ぬことになってるんだ、とでも言うしかありません。
 ちなみに、おみのを演じた中村福助はとてもきれいでした。

 前に『パルムの僧院』の読後感で、 ヒロインのクレリアが、永遠に主人公ファブリスを見ないという誓いを守るため、闇の中で密会したという話が、わたしには納得できないと書きましたが、これは現実にありうる話かどうかはともかく、きっと欧米人にはなんとなくわかる話なんでしょうね。おみのの腹切りはわからなくても。

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2009年3月 6日 (金)

週刊ポストの創刊号2

 週刊ポストの創刊号の記事がおとなしいというのは、グラビアを見てもわかります。こんな程度です。
 この後、ポストと言えばヘアヌード、という時代があって、ずいぶん売れました。あれはいつごろのことだったでしょうか。

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 グラビアの右側も見てください。富士電機の広告です。重電の会社で、このころは家電も作っていたと思います。戦前に富士電機の電話関係部門を分離独立させたのが富士通ですが、この頃わたしはまだ富士通の名前を知りませんでした。現在は逆になって富士通は有名ですが、富士電機の方は余り知られていない名前になってしまいました。
 ネットで調べたら、そもそも富士電機は、古河電工とドイツのジーメンス社が共同で設立したものだそうです。だから古河の「ふ」とジーメンスの「じ」をとって、「富士」と命名されたとのこと。これは知りませんでした。
 それと「ジーメンス」はドイツ語読みで、最近は日本法人の名前も英語読みの「シーメンス」になっているとのこと、勉強になりました。

 週刊ポストの創刊号は、週刊現代に比べてカラーページがずっと多くなっています。十年後だから当然といえば当然です。
  その中でも目を引くのがカラーテレビの広告。四つありました。ゼネラルというなつかしい名前もあります。

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 この頃が、カー、クーラー、カラーテレビが三種の神器と呼ばれていた時代です。
 上の広告の価格は次のとおり。
  ・ナショナル パナカラー 19型 197,000円
  ・三菱        高雄             189,000円(おそらく19型)
  ・日立     キドカラー  19型 173,000円
  ・ゼネラル  王朝           12型 108,000円
   (参考 ゼネラルの電子レンジは127,000円)

 大卒初任給が3~4万、この週刊ポストが70円の時代ですから、高かった。同じ号にトヨタ自動車の新型パブリカの広告もありますが、これが排気量1000CCで、39.5万円です。ほぼカラーテレビ二台分で乗用車が買えたことになります。お金持ちの家に行かないとカラーテレビは見られませんでした。わたしの家がカラーテレビを買ったのはいつのことだったでしょうか。

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2009年3月 3日 (火)

週刊ポストの創刊号

 週刊現代の次はやはり週刊ポストの創刊号でいきましょう。昭和44(1969)年8月22日づけですから週刊現代より十年遅れ、今から四十年前のことです。
 表紙と裏表紙、三船敏郎が元気です。

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 これが目次。現在の週刊ポストと比べると、ずっとおとなしい感じですが、記事は創刊時から、はっきりサラリーマンを対象にしぼっています。

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 目次のトップは「フォード会長が初めて語った日本上陸作戦」。ヘンリー・フォードの孫のフォード会長への国際政治評論家中丸薫氏のインタビュー記事です。

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 四十年前は、強大なアメリカの自動車会社が、関税障壁に守られた日本の自動車会社を自由化で飲み込もうと襲いかかってくると恐れられていた時代だったのです。
 記事には「(フォードの)昨年の売り上げ高百四十億ドル、五兆円、つまり日本の国家予算の四分の三」とあります。当時の日本は、同じ記事内に「自由世界第二位の経済力を持つようになった」とありますが、まだまだ力は弱く、アメリカの自動車産業は見上げるような巨人だったのです。
 それをこの後の四十年で日本の自動車産業は世界を席巻し、今やフォードは存続すら危うくなっているわけですから、経済危機のさなかですが、日本もよくやってきたよなあ、とちょっと感慨にふけりたくなります。

 また、全体におとなしい感じがするとはいえ、目次には「このままでは学生は殺される!」とオーバーな文句も踊っています。
 この年の1月がお茶の水カルチエ・ラタン闘争、東大安田講堂の封鎖解除、6月には新宿西口のフォークゲリラが機動隊に排除と、物情騒然としていた時代でした。
 記事は「大学立法が成立して、かえって火に油を注いだのではないか」と、さらに騒ぎが大きくなるのを期待するような気配がありますが、このあと学生運動が次第に下火になっていきます。この頃わたしは何をしたらいいのかわからない何もしていない大学三年生でした。

 当時を思い出させるこんな記事もありました。

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 梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波新書、1969)です。ベストセラーになりました。
 わたしもこれを読んではまってしまった口で、さっそく京大型カードを買い込みました。しかしものになりませんでした。ともかくこのカードは場所をとります。一枚に一件、余白を恐れず惜しまず使えという教えに従ってやってみると、どんどん増えて置き場に困るし、カード代も貧乏学生には馬鹿になりません。
 ただ梅棹忠夫の本は、この後もずっと読み続け、著作集まで買い込みました。この人の無駄のない、飾り気のない、わかりやすい文章が好きです。

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