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2009年4月21日 (火)

野村万作・萬斎 狂言の現在2009

 4月15日(水)、横浜の関内ホールで狂言を見ました。
 「野村万作・萬斎 狂言の現在2009」

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 一階席の最後列、28列はさすがに遠くて、役者の顔がよく判別できませんでした。
 演目などは、次のとおり。(上のパンフレットより)

レクチャートーク …野村萬斎

鈍太郎(どんたろう) 
   
鈍太郎:野村万作、下京の妻:深田博治、上京の女:竹山悠樹

 三年ぶりに九州の旅から都へ戻った鈍太郎は、下京の本妻と上京の愛人のもとを訪れるが、二人とも本当の鈍太郎と思わず、戸を開けようともしない。悲観した鈍太郎が出家して修行の旅に出ようとすると、本物と知った女二人が駆けつけ、出家を思いとどまるように頼みこむが、鈍太郎はなかなか承知せず、ますます懸命に詫びて引き止める二人の、虫の良い条件を突きつけてみると…。
 本妻と愛人の対照など、中世の人情、風俗の反映も鮮やかな、女狂言の傑作。

木六駄(きろくだ)
   太郎冠者:野村萬斎、主:高野和憲、茶屋:石田幸雄、伯父:野村万之介

 六頭の牛に薪を、六頭の牛に炭を積み、酒樽を添えて都に届けよと命じられた太郎冠者。大雪の中、思うように動かない十二頭の牛を追いながら山道を急ぎ、ようやく峠の茶屋にたどり着くが、お目当ての酒がない。つい届け物の酒樽に手をつけて、上機嫌で謡い舞ううち、すっかり飲み干してしまい、酔ったあげくに、薪を茶屋にくれてやり、炭を積んだ六頭の牛を連れて、主人の伯父を訪ねるが…。
 ムチ一本で十二頭の牛を描き出す至難の技、また鶉舞など見所たっぷり。目に見えない牛の姿をいかに浮かびあがらせ、何頭見せることが出来るか…歴代の名人上手の様々な伝説に包まれた珠玉の名作に、劇場公演ならではの様々な工夫を凝らして、萬斎が挑む。

 萬斎が、レクチャートークで「「鈍太郎」は、ピンクのヘルメットをかぶった人達(中ピ連)が活躍していた頃には上演できませんでした」と言っていました。
 狂言の解説に中ピ連が出てくるとは。でも中ピ連がうるさかったのは1970年代のことだから、66年生まれの萬斎はその頃まだ小学生だったはずで、事情をわかっていたとは思えない。テレビでピンクのヘルメットを見た記憶くらいはあるんでしょうね。
 上の解説にもあるように、男が妻と愛人の二人に勝手なことを言って悦にいるという話なので、今だってフェミニストは怒るんじゃないかと思いますが、まあ他愛もない話です。
 最後には、妻と愛人の二人に手車を作らせて(二人向き合って手を組ませて)、それに乗っかって意気揚々とわが家に凱旋します。そのときの囃し文句、「これは誰が手車」「鈍太郎殿の手車」が何度も繰り返されるので、
「これはーたーれがてーぐるまー」
「どんだろどーののてーぐるまー」
が頭について離れなくなりました。ちょっと前に『崖の上のポニョ』の、「ポーニョポニョポニョさかなのこー…」が頭から離れなくなったとうちの次男が言っていたことがありましたが、休憩中しばらく、「どんだろどーのの…」が頭の中をまわっていました。

 「木六駄」は、「目に見えない牛の姿をいかに浮かびあがらせ」るかが見所ということですが、残念ながら何頭もの牛の姿は見えなかったように思います。
 こちらの最後は、薪を届けず、酒を飲んでしまった不届きな太郎冠者を「やるまいぞやるまいぞ、やるまいぞやるまいぞ」と追いかける、狂言にはよくある終わり方です。
 今更ですが、なるほどこれが、吉本新喜劇やドリフターズの最後のシーン、話をぶちこわしてしまった道化役=志村けんや加藤茶をいかりや長介が追い回して幕となるシーンの原型なのだと思い当たりました。

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