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2009年4月

2009年4月29日 (水)

18 秋田實『ユーモア辞典』

  秋田實と言えば、大阪の漫才作家として有名な人でしたが、晩年にまとめていたのがこの『ユーモア辞典』だそうです。(秋田實編『ユーモア辞典1~3』、文春文庫、1978)
 その中の第3巻から、本が出てくるものをひろいました。

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つながる
 チェコスロヴァキアのブラスティラヴァのある書店で、四冊のロシアのベストセラーをショウウインドウに大々的に飾った。ところが、その店の女主人は共産党警察に逮捕されてしまった。
 なぜ?ウィーンのウィーナー・クーリエ紙が報じたところによると、その四冊の書物を次の順序で並べて陳列したから──
「モスクワから遠く離れて」
「高層建築の陰で」
「外国の旗の下で」
「われらは生きたい」
(秋田實編『ユーモア辞典3』文春文庫、1978より(以下同じ)、P56)

脅迫
母親「坊や、そんなに行儀よくしないんならお祖母さんがクリスマスのお祝いに買ってきてくださった、あの難しいご本を本当に読ませますよ。──そのお話を、お祖母さんは、坊やにして貰いたがっているんだから!」
(P83)

誇大広告
”トマトの作り方”という本を注文して取りよせた百姓が発行者に手紙を出して曰く、
「この本は広告を書いたものが書けばよかったのに!」
(P117)

用心用心
女A「”百歳まで長生きする法”って本、まだ持ってらっしゃる?」
女B「とっくに燃やしちゃったわ。おしゅうとさんが読むといけないから」
(P263)

百科全書
小児「おとうさん、ちょっとその大きなエンサイクロペディアを貸してくださいナ」
父「いいとも、そっちへ持っていってたんとお使い。お前もこの本を使うようになったのかい!」
 それからしばらくすると、いかにも不思議だと言わぬばかりの母の声で、
「オヤ、どうしてこの高い棚の上にのせておいたお菓子に、あの子の手がとどいたのだろう?」
(P275)

自叙伝
 自叙伝とは、他人についての真相を語るための無類の手段である。
(P313)

 わたしが小学生の頃、秋田實の弟子の秋田Aスケ・Bスケという漫才コンビが大人気で、Bスケの猿の物まねがはやっていました。当時の上級生で、今でも「Bちゃん」と呼ばれている先輩がいます。
 ラジオに「漫才学校」という番組があって、ミヤコ蝶々が校長、南都雄二が小使、生徒がAスケ・Bスケなどで、楽しみにして聞いていたのですが、はてどういう内容だったのか、ギャグのひとつくらい憶えていないかと、頭の中をさぐってみましたが、何もでてきませんでした。ともかくおもしろかったんだけど、今聞いたらどうでしょう。おもしろいと思うかどうか、ちょっと心配ではありますが、聞いてみたいところです。

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2009年4月25日 (土)

週刊宝石の創刊号

 「週刊宝石」の創刊号(1981(昭和56)10月17日号)です。
 2001(平成13)年2月8日号で廃刊だそうですから、二十年近く刊行されていたことになりますが、そう言えばこんな週刊誌もあったな程度にしか憶えていません。

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 表表紙と裏表紙。表紙は真行寺君枝。この人も、そう言えばこんな女優もいたな程度です。すみません。

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 目次を見ても、どうもいまいち。内容もざっと目をとおしてみましたが、これといって特に紹介したいような記事もみつかりませんでした。(こんなコメントばかりで、関係者のみなさん申しわけありません。)

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 ゴシップ記事は、闇将軍田中角栄、新大関琴風、引退直後の江本、当時は王様の堤義明、名古屋のトラウマとなったオリンピック開催地争いの敗退など。  
 年表を見ると、創刊の後、ロッキード事件の裁判で、榎本三恵子の「蜂の一刺し」証言や小佐野賢治への実刑判決がありますから、そのあたりの号はもっとおもしろかったかもしれません。

 あとは、この頃まだ元気だった人の広告を見ておきましょう。

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 1981年、長男がこの年一歳。育児といわれても何をどうしたらいいのか、おろおろしていたころでした。

※写真がくっついていても、必ずしも続きページとは限りません。一枚ずつ載せると場所をとるため、離れた頁をくっつけて紹介している場合が多いので、ご承知ください。

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2009年4月21日 (火)

野村万作・萬斎 狂言の現在2009

 4月15日(水)、横浜の関内ホールで狂言を見ました。
 「野村万作・萬斎 狂言の現在2009」

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 一階席の最後列、28列はさすがに遠くて、役者の顔がよく判別できませんでした。
 演目などは、次のとおり。(上のパンフレットより)

レクチャートーク …野村萬斎

鈍太郎(どんたろう) 
   
鈍太郎:野村万作、下京の妻:深田博治、上京の女:竹山悠樹

 三年ぶりに九州の旅から都へ戻った鈍太郎は、下京の本妻と上京の愛人のもとを訪れるが、二人とも本当の鈍太郎と思わず、戸を開けようともしない。悲観した鈍太郎が出家して修行の旅に出ようとすると、本物と知った女二人が駆けつけ、出家を思いとどまるように頼みこむが、鈍太郎はなかなか承知せず、ますます懸命に詫びて引き止める二人の、虫の良い条件を突きつけてみると…。
 本妻と愛人の対照など、中世の人情、風俗の反映も鮮やかな、女狂言の傑作。

木六駄(きろくだ)
   太郎冠者:野村萬斎、主:高野和憲、茶屋:石田幸雄、伯父:野村万之介

 六頭の牛に薪を、六頭の牛に炭を積み、酒樽を添えて都に届けよと命じられた太郎冠者。大雪の中、思うように動かない十二頭の牛を追いながら山道を急ぎ、ようやく峠の茶屋にたどり着くが、お目当ての酒がない。つい届け物の酒樽に手をつけて、上機嫌で謡い舞ううち、すっかり飲み干してしまい、酔ったあげくに、薪を茶屋にくれてやり、炭を積んだ六頭の牛を連れて、主人の伯父を訪ねるが…。
 ムチ一本で十二頭の牛を描き出す至難の技、また鶉舞など見所たっぷり。目に見えない牛の姿をいかに浮かびあがらせ、何頭見せることが出来るか…歴代の名人上手の様々な伝説に包まれた珠玉の名作に、劇場公演ならではの様々な工夫を凝らして、萬斎が挑む。

 萬斎が、レクチャートークで「「鈍太郎」は、ピンクのヘルメットをかぶった人達(中ピ連)が活躍していた頃には上演できませんでした」と言っていました。
 狂言の解説に中ピ連が出てくるとは。でも中ピ連がうるさかったのは1970年代のことだから、66年生まれの萬斎はその頃まだ小学生だったはずで、事情をわかっていたとは思えない。テレビでピンクのヘルメットを見た記憶くらいはあるんでしょうね。
 上の解説にもあるように、男が妻と愛人の二人に勝手なことを言って悦にいるという話なので、今だってフェミニストは怒るんじゃないかと思いますが、まあ他愛もない話です。
 最後には、妻と愛人の二人に手車を作らせて(二人向き合って手を組ませて)、それに乗っかって意気揚々とわが家に凱旋します。そのときの囃し文句、「これは誰が手車」「鈍太郎殿の手車」が何度も繰り返されるので、
「これはーたーれがてーぐるまー」
「どんだろどーののてーぐるまー」
が頭について離れなくなりました。ちょっと前に『崖の上のポニョ』の、「ポーニョポニョポニョさかなのこー…」が頭から離れなくなったとうちの次男が言っていたことがありましたが、休憩中しばらく、「どんだろどーのの…」が頭の中をまわっていました。

 「木六駄」は、「目に見えない牛の姿をいかに浮かびあがらせ」るかが見所ということですが、残念ながら何頭もの牛の姿は見えなかったように思います。
 こちらの最後は、薪を届けず、酒を飲んでしまった不届きな太郎冠者を「やるまいぞやるまいぞ、やるまいぞやるまいぞ」と追いかける、狂言にはよくある終わり方です。
 今更ですが、なるほどこれが、吉本新喜劇やドリフターズの最後のシーン、話をぶちこわしてしまった道化役=志村けんや加藤茶をいかりや長介が追い回して幕となるシーンの原型なのだと思い当たりました。

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2009年4月18日 (土)

畑仕事とタケノコ掘り

 今回の南無谷ではひたすら畑仕事。うちの奥さんの指示に従い、あっちを掘り、こっちを耕し、そして雑草取り。
 毎年のことですが、これからのシーズン、一週間も間をおくと草だらけになってしまいます。毎日手入れできるわけではないので、ある程度はしかたがないとあきらめていますが、ともかく南無谷へ来るたび、草刈り・草取りがかかせなくなります。

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 ともかく、畑と、そうでないところとの区別がつく程度まではやりました。まわりはまだまだ草だらけ。

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 エンドウが、なりはじめました。

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 アスパラ。収穫できるのは、来年か再来年。

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 イチゴがささやかに実っていました。

 まわりの草取りは、次回来たときにやることにして、4月12日(日)は、南無谷と同じ富浦町の、大津というところにある福原農園に出かけました。

 福原農園のホームページ(http://www4.ocn.ne.jp/~farmfuku/)で、この日は「山菜天ぷらパーティ」をやるという記事を見つけ、無理にお願いして参加させてもらいました。
 福原農園のファンクラブのような方々の集まりで、新参者はわたしたち夫婦だけでしたが、気持ちよく仲間に入れていただき、楽しい時間をすごすことができました。

 はじめに、山菜取りとタケノコ掘りのグループに分かれ、わたしたちはタケノコ掘りに。

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 これは荷物運搬用のモノレール。人間も乗れるというので、いくらでもない距離でしたが、タケノコ山まで乗せてもらいました。そもそも人間用ではないので乗り心地は問題外ですが、いきなり写真に見えるような急な坂を登っていきます。かなりパワーがあるようです。本来は、この奥のビワ山のビワの運搬用だと思います。

 さてタケノコ掘り。これがむずかしい。
 まずタケノコが見つからない。ちょっとだけ地上に顔を出しているのを見つけるか、足で落ち葉をかきわけるようにして探れ、というのですが、全然見つかりません。
 あらかじめ目印がついていたものの他に、うちの奥さんは一本、足で見つけましたが、わたしはゼロでした。

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 芽のまわりをスコップで、つながっている地下茎のあたりまで掘ります。これが重労働。土の中はいちめん竹の根がはっていて掘りにくいうえ、急な斜面だから踏ん張るのがたいへん。連日の畑仕事の疲労もあって、息が切れました。
 地下茎が出てきたら、下の写真右に見える、刃の狭い、専用のタケノコ鍬で、地下茎を切ります。これをうまくやらないとせっかくのタケノコ本体を切ってしまう。

 これが収穫。今度はもっととろう。

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 竹藪にはこんな植物も。マムシグサだそうです。茎の模様がマムシに似ているとか、花の模様が似ているからとか言います。鎌首をもたげたところに見えます。

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 この後、とったばかりのタケノコや山菜でパーティになって、タケノコの刺身や天ぷらなど、たくさんの料理をおいしくいただきました。
 この福原農園の園主は、なんと大学の経済学の教授でもあって、パーティの間も、なにごとにつけ、それはこうだ、あれはこうだとおもしろい講義がはじまります。
 車なので酒が飲めなかったのは残念でしたが、参加者のみなさんからも興味深い話をいろいろ聞くことができ、本当に楽しく有意義でした。またお邪魔して、いろいろ勉強したいと思っています。

 福原農園のみなさん、参加者のみなさん、どうもありがとうございました。

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2009年4月17日 (金)

サクラチル

 4月9日南無谷へ行きました。そうしたら、薄墨桜だ、いたち川だと、よその桜にかまけているうちに、肝心のわが家の桜はもう盛りを過ぎていました。

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 葉がずいぶん出てきています。

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 少し風が吹くと、花吹雪。

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 昼食は庭でとりました。ソバの上にも花びらが落ちてきます。

 そして4月12日、横浜へ戻る日には、この状態。

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 逆光で見えにくいですが、もうほとんど花はありません。

 もう少し早く南無谷へ来るべきでしたが、港南台の家のウォッシュレットが故障して、トイレの工事を入れていたため、遅くなってしまいました。 

 来年は、わが家でちゃんと花見をしよう。

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2009年4月14日 (火)

いたち川散策

 4月4日、5日の土日の横浜は絶好のお花見日和になりました。どこも満開です。
 うちは横浜市港南区なのですが、うちの奥さん曰く、近所の奥さんが「港南区より、隣の栄区の桜の方がきれいだ」と言っていたそうです。それは聞き捨てならない、港南区の桜が負けているわけはないじゃないか、とは言うものの、5日、実地見聞に栄区の「いたち川プロムナード」へ行ってみました。
 歩くには遠い、車は停めるところに困るし、停めたところまで戻らないといけなくなるので自転車で出かけました。

 栄区というのは二十数年前に戸塚区から分区してできた区で、鎌倉市の北に位置していて、区役所のある本郷台駅の一つ隣が大船駅になります。

 なるほど、桜と、柳の緑の対比がきれいです。

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 なかなかのものであることは認めておきましょう。

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 プロムナードを通り過ぎて、いたち川を上郷方面へさかのぼってみました。

 この「いたち川」は、漢字では下の写真のように書きます。
 抽出の抽の字に似ていますが、「けものへんに由」です。この字は通常の漢和辞典には載っていません。当然JIS漢字にもありません。
 「鼬(いたち)」という字が複雑なので、左側をけものへんで代用した略字が広まったものかと思っていましたが、Wikipediaには『康煕字典』に載っているとあります。中国古来の字なのでしょうか

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 名称のそもそもは動物のイタチからではなく、このあたりに鎌倉の出入り口の宿駅があって、「出で立ち」川から来たと言われています。
 『徒然草』の吉田兼好の「兼好法師集」には

「相模国いたち河という所にてここの名を句の上にすえて旅の心を」と題して

かにわが ちにしひより りのきて ぜだにねやを らはざるらん
 (旅をしていいる間の寝部屋に溜まった塵は風で掃かれることもない)

http://www004.upp.so-net.ne.jp/cipot/index.html
http://www.city.yokohama.jp/me/sakae/sogo/rekishi/reki_11.html
 参照

と詠まれているということですから、鎌倉時代からの地名です。
 近くには、源頼朝建立といわれる証菩提寺(しょうぼだいじ)もあります。ここの桜もきれいでした。

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 このあたりの川辺を行くと、カメラマンが数人、三脚に筒の長い望遠レンズを据えて構えている場所がありました。

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 川には白い鳥がいます。コサギだそうです。でもカメラマンたちはコサギには興味ありません。

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 中の一人に聞いてみると、なんと、みんなカワセミが来るのを待っているのだそうです。話を聞いて、写真を見せてもらっているうちに、「あ、来たようです」の声。

 川の上に突き出た枝の上に青い鳥が。

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 思ったより小さな鳥なんですね。青色があざやかです。これは思わぬ眼福を得ました。

 帰る途中、近所の港南区の桜も見ました。桜はともかく、鳥では港南区が負けているかもしれません。

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2009年4月12日 (日)

青春18きっぷ 中央線2

 このあとは、中央線で塩尻へ出て、八王子へ行き、横浜線で東神奈川へ出て帰ります。

 塩尻での乗り換え時間に駅前で買い物をしたほかは、ずっと電車に乗りどおしでしたが、八王子までは客も少なく、向かい合わせの四人席に二人で坐って、缶ビールをやりながら、車窓の風景を楽しみました。山がよく見えたのが印象的でした。

 これは南アルプスを遠くから見ているのだと思うのですが、どのあたりかはよくわかりません。

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 進行方向に向かって左側に見えました、八ヶ岳。

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 これは南アルプスの甲斐駒ヶ岳ではないかと思います。

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 学生時代には山登りも少しやりましたが、仕事についてからは縁遠くなり、今では増えた体重をもてあましている状態で、もう自分でこの山を登ることはないだろうと思うと、なんだかちょっとかなしい気がしてきます。

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 夕焼けです。もう山も見えなくなります。

 乗ってきたコースを整理してみました。

東海道線 岐阜~名古屋          26分、 30.3㎞
中央線  名古屋~多治見         38分、 36.2㎞
中央線  多治見~中津川         36分、 43.7㎞
バス    中津川~馬籠~南木曾          (不明)
中央線  南木曾~塩尻      1時間30分、 75.9㎞
中央線  塩尻~大月        2時間50分、134.3㎞
中央線  大月~八王子          57分、 40.4㎞
横浜線  八王子~東神奈川           54分、 42.5㎞
京浜東北・根岸線 東神奈川~港南台 32分、17.8㎞
────────────────────────
       合計           8時間23分、421.1㎞

 いい旅でした。
 青春18きっぷはこれで合計四枚消化。残る一枚は、4月10日の使用期限にあわせて、うちの奥さんが、一人で奥多摩方面へ元気に出かけていきました。

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2009年4月10日 (金)

青春18きっぷ 中央線

 話が前後したので整理しておくと
3月31日 夜行列車ムーンライトながらで大垣へ
4月1日  長男訪問、岐阜泊
4月2日 薄墨桜~谷汲山~関ヶ原
というわけです。
 それで当初は、4月2日の帰りの夜行ムーンライトながらで帰る予定でした。
 しかし、せっかく来たのだからもう少しほかのところもまわって見たいのと、やっぱり夜行は疲れる、老体にはつらいのとで、ムーンライトはキャンセル し、岐阜の同じホテルにもう一泊することにしました。

 そして翌日、4月3日 はゆっくり中央線の鈍行を乗り継いで横浜まで帰ることにしました。
 岐阜から東海道線で名古屋へ出て、中央線多治見行きに乗り、多治見で乗り継いで中津川行きに。中津川では乗り継ぎ時間が四〇分以上あるので外へ出てみると、ちょうど馬籠行きのバスが出るところ。バスには青春18きっぷは使えませんが、途中下車して木曽路のあたりへ行ってみたいと思っていたところだったので、渡りに舟と、急いで乗りました。

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 馬籠の宿です。

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 島崎藤村記念館へも行ってきました。
 『夜明け前』の「木曽路はすべて山の中である。」という冒頭部は有名です。
 三十歳になったとき、これをもじって、年賀状に「三十路はすべて藪の中である。」と書いたことを思い出しました。藪の中からその後たいした路も歩かずに、今や六十路になって木曽路を歩いています。まあ「六十路はすべて病(やまい)の中である。」になっていないことを感謝するとしましょう。

六十路来て なにやらゆかし すみれ草

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 ここで昼食、おいしいそばでした。下の写真は恵那山。

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 馬籠から妻籠まで歩く人が多いようですが、われわれはバスで南木曾の駅へ向かいます。

 南木曾の駅でまた電車待ちの時間があるので近くの木曽川にかかる桃介橋を見てきました。福沢桃介。福沢諭吉の養子で、木曽川水系の電力開発などをやり、「日本の電力王」と呼ばれた人です。

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 橋のあたりから見えた木曽駒ヶ岳。馬籠峠からもよく見えました。

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 さて南木曾駅14:52発。もう三時ですからあとはどこへも寄らず、ひたすら電車に乗って帰ります。それでもけっこう遅くなるでしょう。

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2009年4月 8日 (水)

青春18きっぷの旅

 今回の薄墨桜鑑賞の旅は、「青春18きっぷ」を使って行ってきました。長男が岐阜へ転勤になり、それにわたしの田舎が岐阜に近い愛知県であることもあって、最近何度も往復したのですが、この交通費が馬鹿になりません。
 円高で海外旅行が安くなって、新聞にも韓国や台湾へ二泊三日で二万九千円くらいのツアーの宣伝が毎日のように載っていますが、新幹線で岐阜へ一泊で出かけるとこれくらいはかかってしまいます。岐阜とソウルが一緒だというのはどうも納得できません。
 それで最初は、休日の高速道路割引(どこまで行っても千円)を使って車で行こうかと考えました。ついでに友達の同行者も誘えば、一人あたりはぐんと安くなります。
 しかし、長男の勤務の都合と桜が早めに咲きそうだという予報から、予定を4月2日の木曜日に決めたので、車は使いにくくなりました。平日だとつきあってくれる友人もそうそうはいません。そこでうちの奥さんが買ってきたのが「青春18きっぷ」というわけです。

 還暦すぎの夫婦が「青春」というのはちょっと気がひけますが、もともと年齢制限はありませんし、とにかく安い。
 切符が五枚セットで11,500円、一枚2,300円。基本ルールは、一人一日一枚でJR全線の普通車が乗り放題、乗り降り自由ということです。他に細かいルールもあります。(参考: http://www2s.biglobe.ne.jp/~sakana/18kippu.htm

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 行きはまず、3月31日(火)、横浜駅23:36発の臨時快速「ムーンライトながら」に乗りました。夜行列車です。これは快速なので18きっぷで乗れます、ただし指定券が必要ということで500円払います。
 それと横浜23:36発、小田原00:31着なので、途中で日付がかわります。そうすると一日一枚のルールから18きっぷが二枚必要ということになりますが、これは横浜-小田原間の普通乗車券740円を別に買って、18きっぷは一枚ですませます。

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 これは昔、大垣行きの普通列車で、さらにその前は大阪行きでした。学生時代はよく帰省に使ったものです。なつかしい列車です。
 上の写真のように現在は昔の特急の車両を使っていますが、当時は電気機関車に普通の客車で、背もたれが直角の座席にゴトゴト揺られて行きました。通路に新聞紙を敷いて寝ている人もいるような列車でした。

 今では柔らかいリクライニングシートになって、座り心地は格段に改善されています。しかし何十年ぶりかの夜行列車でそのうえ還暦すぎの身体、そうそう快適とはいきません。本を読んだり、うとうとしたりしているうちに、05:22、なんとか名古屋駅に着きました。
 目的地へは大垣で樽見鉄道に乗り換えるのですが、この時間に大垣についても樽見鉄道はまだ動いていないし、大垣駅前ではいるところもありません。名古屋で降りて、新幹線口のマクドナルドでコーヒーを飲み、身体を伸ばして一息入れました。

 この日、4月1日(水)は、観光の予定は特になし。長男のところへ行って昼食を一緒に食べ、夕方岐阜へ戻って岐阜グランドホテルに泊まりました。
 長良川畔の鵜飼でにぎわうホテルなのですが、ちょうど創立45周年記念で格安料金で泊まれるということでここにしました。今回は格安ツアーです。

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 ホテルの前、長良川べりの桜もきれいに咲いていました。左の山は金華山。この上に岐阜城がありますが、写真には入っていません。

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 岐阜では名のとおった観光ホテルですから、大浴場もあって、部屋もそれなりにきれいで広く、おまけに創立45周年記念の花火までサービスについていました。

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 ここをビジネスホテルより安く利用できたのは幸いでした。夜行列車の疲れもあり、ぐっすり眠りました。

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2009年4月 7日 (火)

関ヶ原古戦場

 予定していた薄墨桜と谷汲山の花見が思ったより早くおわったので、方角がずいぶん違いますが、同じ岐阜県だからと、関ヶ原の古戦場跡へ行ってみました。
 小さなテーマパークのようなところへまず行きましたが、閑散としていて、外から見る限り、ちょっと入る気が起きません。ここはやめて、古戦場跡の標識に従って進むと、着いたのは笹尾山という石田三成の陣地があったところです。

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 山のふもとに防馬柵が植えられていて、そこに陣取った武将の旗が立てられています。上の写真には、「島左近陣地」の旗が見えます。

治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり
島の左近と佐和山の城

とうたわれた石田三成の部将、島左近です。今、NHKの大河ドラマでやっている上杉家の部将、直江兼続と同じような立場だったということでしょうか。
 NHKのドラマは、戦国武将でもなんでも、主人公は反戦平和思想の持ち主になってしまって、ヒューマンなホームドラマになってしまうので、困ったものです。

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 山の上まで登ると、碑があって、開けたところからは関ヶ原の古戦場が見渡せます。

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 この陣形図の下のボタンを押すと、ドン、ドンと太鼓が鳴り、「ときは慶長五年…」と音声で合戦の解説が流れます。なるほど、あちらの山に徳川家康がいて、と状況がよくわかりました。戦国武将物のゲームをやっている若者は、部屋にこもってばかりいないで、ここへ来て実際の合戦場をながめてみるといいのではないでしょうか。

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 実際に、そういう若者が来ているのかどうか。おもしろかったのは、武将の配置図の中で、小早川秀秋の名前に落書きされていることでした。下の写真の赤で囲ったところ、秀秋の名前が消されていますし、これだけシールを貼ったようになっているのは、前にも汚されたので補修したものだと思われます。さらに図の下にある西軍武将リストでも小早川秀秋だけ名前が棒線が入っていました。

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 一六〇〇年の関ヶ原の合戦から四百年以上たっても、小早川の裏切りによって西軍が負けた、ということは忘れられていません。歴史に汚名を残してしまった、ということになります。
 しかしここで負けたから、のちのち薩摩と長州が明治維新を成しとげたと、言って言えないこともないわけで、そうすると小早川秀秋は明治維新の功労者だと…、うーん、これはちょっと苦しいか。

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2009年4月 6日 (月)

谷汲山華厳寺

 薄墨桜を見たあとは、このあたりでは有名な谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ)へ向かいましたが、途中、根尾谷の断層をちょっと見ます。この、ちょっと寄って見られるというのが車の旅行の便利なところです。
 下の写真で、真ん中あたりの石垣から左にかけての下の畑との段差が、1891年(明治24年)の濃尾地震でできた断層のようです。百年以上前のことなので、説明がないとわかりません。すぐそばに、根尾谷地震断層観察館という施設もありましたが、そこ へは寄りませんでした。

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 谷汲山華厳寺のホームページには、こう書かれています。

 当山は日本最古の観音霊場である「西国三十三所観音霊場」の第三十三番札所で結願・満願霊場としても知られ、春には桜、秋には紅葉の名所として賑わいをみせています。(http://www.kegonji.or.jp/

 参道は桜のトンネルが続きます。ここも満開に近い咲きっぷりです。

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 参拝をすませて、この店で昼食をとりました。(でんがく定食、あまご定食、うなぎ丼)

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2009年4月 5日 (日)

薄墨桜を見る

 4月2日(木)、岐阜県根尾谷の薄墨桜を見てきました。長男が昨年の秋に転勤になって岐阜県にいるため、長男の様子見にかこつけて、実は桜見物というわけです。

 全国的に例年より早く桜が咲きそうだという予報と長男の休みにあわせて、4月2日に見に行く予定をたてました。ところが3月の終わりから全国的に寒気が居すわって、開花した桜がなかなか見ごろになりません。
 本巣市のホームページに紹介されている薄墨桜の開花状況を見ても
  3月31日 3分咲きになりました。
  4月1日 3分咲きですが、今日は気温が高いので開いてくると思います。
といったところで、ちょっと早かったな、これではせいぜい5分咲きくらいかと思いながら出かけました。
 全国的に有名な桜ですから、見ごろにはずいぶん混雑して、駐車場へ車を入れるのに四時間かかったなんて話もあるようです。だからはじめは、樽見鉄道のこんな電車に乗って行くつもりでした。

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 しかし、残念ながら見ごろには早いけれど、その分道路はすいているだろうと予定を変更し、岐阜駅前でレンタカーを借りて出かけました。そうしたらやはり道はスイスイ、楽に駐車場までたどり着くことができました。駐車場はガラガラといっていいくらい余裕があります。
 そして駐車場のおばさんに、「桜咲いてますか」とたずねると、なんと「咲いてますよ。満開に近いくらい」との返事。「えっ」と驚きながら行ってみると、こうでした。

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 うれしいことに本当にきれいに咲いていました。さすがに満開まではいかないけれど、八分以上は開いています。

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 これは裏側。樹齢千五百年というだけあって、手厚い介護が必要なようです。

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 明くる日、4月3日(金)の地元の中日新聞朝刊の一面には、薄墨桜の記事が載っていました。

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 記事によれば、薄墨桜の高さは十六メートル、枝は最大で幅三十二メートルに広がるとのこと。見出しはもう「満開」とうたっているし、「ここ十日間ほどが見ごろ」と書かれているので、きっとこれで観光客のラッシュがはじまったことでしょう。
 見ごろの花を、すいている状態でゆっくり見られたわけで、幸運でした。

 まわり一帯が公園になっていて、その一角から、北の方に雪をかぶった能郷白山(のうごうはくさん)がよく見えました。岐阜県と福井県の県境の山で、標高は1,617m。太平洋と日本海の分水嶺だそうです。

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 深田久弥の『日本百名山』の「88 荒島岳」の章に、福井県の代表的な山を選ぶとしたら、この山か、あるいは荒島岳か、と書かれています。

越前と美濃との境には、あまり世に知られないたくさんの山が並んでいるが、千二、三百米前後では推すに足りない。その中で能郷白山(一六一七米)だけが一きわ高く、長大な白山山脈の最後の盛り上がりであり、一部の登山家の間に知られていた。私はこの山にもかねてから目をつけていた。選ぶとしたら、能郷白山か、荒島岳か。(新潮文庫版、372P)

 結局「山の気品のある点では、荒島岳が上だった。」と、おしいところで能郷白山は日本百名山には選ばれませんでした。山にランクづけするような行為にどれほどの意味があるのか、とは思いますが、いまや深田の個人的な趣味をこえて、「百名山」は権威あるひとつのブランドのようになっています。荒島岳と能郷白山の年間登山者数の過去の推移を知りたいものです。
 世界遺産に選ばれると観光客がどっと増え、ミシュランの星がつけば行列ができる。みんながレッテルを欲しがり、漢字検定のように、レッテル発行組織が荒稼ぎをするようになりました。「評判に惑わされず、心の眼で見ろ」と昔の少年漫画で教えてもらったものですが、もうそういうのは、はやらなくなったんでしょうか。

 そう言えば、薄墨桜も「日本三大桜」の一つ、と言われています。

 みやげ物屋の店頭に、その薄墨桜の子供だという桜の苗木を売っていました。
「薄墨桜の枝を接ぎ木にしたの?」と聞いてみると、実生で生えてきたものを育てたもので薄墨桜の子供だといいます。
 まわりには他の桜の木もあるから、実生だと、本当に薄墨桜の種から生えてきたものかどうか、DNA鑑定でもしないと確信はもてませんが、安かったし、レンタカーだったこともあり、旅先で植木なんか買うもんじゃありませんが、ついつい買ってしまいました。

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 花が咲くまで五年くらいはかかるそうです。それまで大事に育てて、咲いたら、なにはともあれ大きな「日本三大桜、薄墨桜」の看板を立てることにしましょうか。

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