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2009年4月 7日 (火)

関ヶ原古戦場

 予定していた薄墨桜と谷汲山の花見が思ったより早くおわったので、方角がずいぶん違いますが、同じ岐阜県だからと、関ヶ原の古戦場跡へ行ってみました。
 小さなテーマパークのようなところへまず行きましたが、閑散としていて、外から見る限り、ちょっと入る気が起きません。ここはやめて、古戦場跡の標識に従って進むと、着いたのは笹尾山という石田三成の陣地があったところです。

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 山のふもとに防馬柵が植えられていて、そこに陣取った武将の旗が立てられています。上の写真には、「島左近陣地」の旗が見えます。

治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり
島の左近と佐和山の城

とうたわれた石田三成の部将、島左近です。今、NHKの大河ドラマでやっている上杉家の部将、直江兼続と同じような立場だったということでしょうか。
 NHKのドラマは、戦国武将でもなんでも、主人公は反戦平和思想の持ち主になってしまって、ヒューマンなホームドラマになってしまうので、困ったものです。

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 山の上まで登ると、碑があって、開けたところからは関ヶ原の古戦場が見渡せます。

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 この陣形図の下のボタンを押すと、ドン、ドンと太鼓が鳴り、「ときは慶長五年…」と音声で合戦の解説が流れます。なるほど、あちらの山に徳川家康がいて、と状況がよくわかりました。戦国武将物のゲームをやっている若者は、部屋にこもってばかりいないで、ここへ来て実際の合戦場をながめてみるといいのではないでしょうか。

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 実際に、そういう若者が来ているのかどうか。おもしろかったのは、武将の配置図の中で、小早川秀秋の名前に落書きされていることでした。下の写真の赤で囲ったところ、秀秋の名前が消されていますし、これだけシールを貼ったようになっているのは、前にも汚されたので補修したものだと思われます。さらに図の下にある西軍武将リストでも小早川秀秋だけ名前が棒線が入っていました。

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 一六〇〇年の関ヶ原の合戦から四百年以上たっても、小早川の裏切りによって西軍が負けた、ということは忘れられていません。歴史に汚名を残してしまった、ということになります。
 しかしここで負けたから、のちのち薩摩と長州が明治維新を成しとげたと、言って言えないこともないわけで、そうすると小早川秀秋は明治維新の功労者だと…、うーん、これはちょっと苦しいか。

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