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2009年5月

2009年5月30日 (土)

已己巳の覚え方正解!

 「声に出して覚える漢字」のカテゴリーは久しぶりです。昔聞いた「已己巳(すで、おのれ、み)」の覚え方がちゃんと思い出せない、というところからはじめた話(声に出して覚える漢字)でしたが、結局正解がわからないまま終わっていました。

 それが突然、正解に出会いました。BIGLOBEの「なんでも相談室」です。

已(すで)半ば 己(おのれ)は下に 付きにけり 巳(み)は皆付きて 「已(い)己(き)巳(し)」とぞ読む
http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa1514785.html

 なるほどそうだったのか。わたしは「已(すで)半ば、己(おのれ)は いでず、巳(み)は…」というかたちだと思っていたのですが、これはどうも下の方の、「已(い)己(き)巳(し)…」をちゃんと覚えられず、自分で変型していたもののようです。思い出せないので勝手に縮めて

已(すで)半ば 己(おのれ)は下に 巳(み)は付きぬ

でいいやと思っていたのですが、とうとう正解に巡りあうことができ、長年の疑問が解けました。
 こうなったら、あらためてちゃんと覚えることにしましょう。ではもう一度

すで   おのれ                
已半ば 己は下に 付きにけり
  み         い き し
 巳は皆付きて 「已己巳」とぞ読む

 

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2009年5月29日 (金)

バザー、草刈り、本棚

2009年5月23日(土)
 08:55 久里浜発のフェリーで出発。
 13:00 館山商工会館で、児童養護施設ひかりの子学園のバザーのための手伝い。カーネーションをいただいた方が役員をされている縁で、昨年初めて手伝った。
 トラック数台分の荷物を、建物の入口から三階の会場まで、バケツリレー式に手渡しで上げるのだが、去年は商品の数の多さに驚き、けっこう疲れた。今年は昨年の経験があるせいか、手伝いの人数が多かったせいか、一汗かいたけれど、昨年ほどの疲れは感じないですんだ。 

2009年5月24日(日)
 雨かと思っていたが、パラパラ程度。
 南側のマキの垣根にハラン(葉蘭)とアスパラ(非食用)がはびこってうるさいので、刈り払うことにする。地下茎から掘り取らないと根絶やしにはできないが、とりあえず見た目をすっきりさせたい。

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 垣根をいじるといつも腕がかゆくなる。なんだかよくわからない虫にやられる。椿の下も刈ったけれど、チャドクガではない。それほどひどくはないが、蚊ほど軽くはない。なおるまでけっこう長引く。

2009年5月25日(月)
 今日も垣根の下草刈り。西側はツユクサが多い。
 畑は、植えた苗が少しずつ成長してきている。

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キュウリ
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ナス
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サツマイモ

2009年5月26日(火)
 本棚づくりの続きをはじめたらドライバーの電池切れ。充電している間に草刈りをすれば時間の無駄がないと、刈払機を出し、エンジンをかけようと何度かスターターを引っ張ったら、なんとスターターのヒモが切れてしまった。それも奥の方で切れたから、自分でつなぐわけにもいかず、購入したホームセンターへ持っていって修理を依頼する羽目になった。時間の無駄だ。
 ヒモをつなぐ、あるいは取り替えればすむのだが、そのホームセンターではなおせないから、そのままメーカーに送って…という話になる。昔のこういう機械を扱う店だったら、これくらいその場で部品を取りはずして、ちょちょっとなおして「ヒモ代だけ、百円ももらおうか」程度ですんだ筈だが、これだと、一週間以上もかかってヒモまわりの部品をまるごと取り替えられて数千円という話になりそうだ。日本の技術の将来はどうなることか。

 帰る予定なので、本棚作りは中途半端で終わってしまった。

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 うちの奥さんは、モモに袋をかけた。

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 ビワはまだ甘くない。もう少し。

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 前回と同じ、15:20金谷発のフェリーで帰る。

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2009年5月25日 (月)

週刊公論の創刊号

 週刊公論の創刊号。中央公論社、昭和34(1959)年11月3日号、定価20円。
 この週刊誌は記憶にありません。中央公論が週刊誌も出していたのか、という感じです。

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表紙と裏表紙

 定価20円に 注目です。同じ年創刊の週刊文春は40円、週刊現代は30円でした。

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 目次は上のとおり。ちょっと固めの内容のように見受けられます。

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 トップのグラビアは、1957年に脳梗塞を発症して、就任2カ月で総理大臣を辞職した石橋湛山。そして目次裏の、最初の記事はその後を継いだ当時の総理大臣岸信介です。この次の年が60年安保ということになります。

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 そしてこれがメインの大宅壮一の記事、「敗けてよかった日本」というタイトルや「私はソ連に軍配をあげる」という小見出しは、今なら街宣車やインターネットでの集中砲火を心配しないといけないところですが、1959年の時点では、これで特に問題にならなかったということです。
 記事の内容は、アメリカを訪れたソ連のフルシチョフとそれに対するアメリカのマスコミや大衆の反応を紹介するもので、派手なタイトルほどの中身があるわけではありません。

 「私はソ連に軍配をあげる」というのは、当時人工衛星やロケット技術で先行していたソ連が、将来的には文化、生活、産業等全般にわたって、アメリカを追い越すのではないかという予測。この頃のインテリには、こういう気分がかなりの程度あったのではないかと思われますが、これは大宅先生、はずれました。
 「敗けてよかった」というのは、日本は、敗戦で植民地を失い、都市は戦災を受けたが、元老・重臣をはじめ古い指導者は姿を消して指導者層が若返り、農地解放や組合運動などは行きすぎもあったが、全体として民族や産業の若返りに役立った。
 アメリカは豊かになりすぎて積極性がなくなり、守りの態勢になっている。フルシチョフに見せたピッツバーグの工場も四十年前の施設だ。日本では古い施設や機械が破壊されて、最新式のものを導入し、アメリカでも日本のトランジスタ・ラジオやカメラ、オートバイなどは人気になっている。同じ戦勝国のフランスは、今、北アフリカの植民地でアラブの叛乱軍相手にたくさんの貴重な生命を失いながら、巨額の金を投じ続けている。
 であるから、あの戦争を賛美したりするわけではないが、敗けたことが、結果としてはよかったのではないか、というものです。

 大宅壮一は、当時の社会評論家のナンバー・ワンでした。今生きていたら、いわゆる自虐史観対自由主義史観の争いや田母神論文について、なんというか聞いてみたいものです。

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 グラビアには高峰秀子。この頃はこの程度の解像度でもよかったんですね。
 右の広告には、神谷酒造の蜂ブドー酒、とデンキブラン。今でもあるはずですが、デンキブランは当時全国区の銘柄だったんでしょうか。知りませんでした。

 週刊公論は、創刊後二年に満たない、昭和36(1961)年8月に廃刊になっています。
 当時の中央公論社青年社長だった嶋中鵬二の遺文集『日々編集』(平成13年、私家版)によれば、20円で売り出して創刊としては当たったけれど、単価が安いから書店や鉄道弘済会からは評判が悪く、30円に値上げしたら部数が減り、苦労していたところへ「風流夢譚」の事件が起こり、週刊誌どころではなくなったということです。

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嶋中鵬二『日々編集』、左:函、右:本体

 風流夢譚の事件については、ウィキペディアに「嶋中事件」と題して、次のような解説があります。

雑誌『中央公論』1960年12月号に掲載された深沢七郎の小説『風流夢譚』(ふうりゅうゆめものがたり)の中で、皇太子妃が民衆に殺される部分や民衆が皇居を襲撃した部分が描かれたことなどについて、不敬であるとして右翼が抗議し、1961年2月1日に大日本愛国党の党員だった17歳の少年が、中央公論社社長の嶋中鵬二宅に押しかけた。少年は嶋中との面会を求めたが嶋中は不在で、雅子夫人が重傷を負い50歳の家政婦が刺殺された。少年は事件の翌日に警察に自主して逮捕された。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 週刊誌撤退後については、前掲の『日々編集』に、大宅壮一がらみのこんな話も記載されていました。

 ちょうど外国に行っていた大宅壮一さんから手紙をもらいましてね、「週刊コウロン」(休刊時は「週刊公論」)をやめたそうだが、雑誌で失敗した場合には、全集で取り返すというのが、昔からの鉄則である。新潮社が「婦人の国」で失敗したあと、世界文学全集で建てなおしたんだという手紙を下さいましてね、そんなこともあって高梨専務を中心に全集を本格的に考えるということになったわけです。(『日々編集』P273)

 これで出した全集が、昭和38(1963)年の赤い函の『世界の文学』、昭和39(1964)年の紺色の函の『日本の文学』だそうです。当たりました。高校生だったわたしも買いました。今では色褪せて見る影もありませんが、当時、本棚に並べるとあの赤い色は斬新で、ちょっといいものでした。
 この全集の装丁が遺文集にも取り入れられています。

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2009年5月21日 (木)

カーネーション、コゲラ、モグラ

2009年5月16日(土)
 9:35久里浜発のフェリーに乗るつもりで出かけたところ、その前の8:55発に間に合った。久里浜港で待ち合わせていた学生時代の先輩(通称「E長老」)も早めに来ていたので、そのまま一緒に乗船。
 土曜日だというのにフェリーはすいている。高速道路の休日割引のせいだろうから、むしろ、土曜日だからすいていると言うべきか。稼ぎどきの土曜日にこれでは、フェリー会社はたいへんだ。

 午後、館山のカーネーション農園へ、母の日を過ぎ、植え替えのため倒してしまうカーネーションの花をもらいに行く。館山にセカンドハウスを持ち、横浜と行ったり来たりの生活を送っている知り合いのM島夫妻も誘ってあったので、途中で合流。
 去年はじめて来たときのことは、「カーネーション、カーネーション、カーネーション」に書いた。今年も取り放題だから、欲ばりじいさん、ばあさんとなる。
 去年は取るのに夢中でまわりをよく見ていなかったので、目の前にあった同系統の花ばかり取っていたが、今年はたくさんある温室をあちこちのぞいて、いろんな種類のカーネーションがあることを発見。で、あれこれ取ってきた成果がこれ。花屋の店頭状態。

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2009年5月17日(日)
 昨夜から雨と風。午前中ふったりやんだり。畑仕事もできないし、風が強く、海には三角波が立っている。フェリーがこの先運行を中止する恐れもあるので、E長老は12:15金谷発のフェリーで帰る。

 午後、風は強かったが、雨は上がって晴れ間も出てきた。畑仕事をするべきところ、どうせ今日は仕事にならないからと読みはじめた藤沢周平を手放せず、最後まで読んでしまい、とうとう畑は一日休み。

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スイレンの花が咲いた

2009年5月18日(月)
 晴れて暑くなった。今日は畑仕事。エンドウがもう終わりなので、抜いた跡地を買ったばかりの耕耘機で耕す。キュウリやトマトの支柱立て、まわりの草取り。
 耕したところにサツマイモの苗を植える。いつもビワの育て方などを教えてもらっている近所の人(おばあさん)が、こうやるんだと実地にやってみせてくれる。畝に溝を掘って、蔓の三分の二くらいを寝かせて植える。

 うちの奥さんが隣の敷地にキツツキのような鳥がいるというので見に行くと、なるほどスズメくらいの大きさの白黒まだらの鳥が、下を向き横を向き、ココココココ…と音をたてて木を突ついている。

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 近づいたら逃げられてしまった。図鑑で調べると、コゲラのようだ。
 ウィキペディアには次のようにある。

コゲラ小啄木鳥、学名:Dendrocopos kizuki あるいは Picoides kizuki )はキツツキ目キツツキ科に分類される鳥類の一種。英名は "Japanese Pygmy Woodpecker" で、日本にいる小さなキツツキの意。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B2%E3%83%A9

 なるほど、ジャパニーズ・ピグミー・ウッドペッカーか。その昔(中学生の頃)、テレビで『ウッドペッカー』というアメリカ製のアニメをやっていたのを思い出した。

2009年5月19日(火)
 畑仕事が一段落したところでひさしぶりに木工。本棚の作成にかかる。これまでに十数本同じものを作っているので慣れているはずなのに、いきなり部材を1センチ短く切ってしまい、しばし茫然。初歩的なミス。
 一息入れて、どうせ古本ストック用の本棚だから多少のことはかまわないと、足りない部分を余りの部材から切り出し、ボンドで貼りつけた。「匠のわざ」への道は遠い、やれやれ。

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本棚の部材

2009年5月20日(水)
 
午前中は畑仕事。夏野菜の準備がようやくできたというところか。
 ビワはもう少しで熟しそう。例年より少し早いようだ。

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袋が飛ばされて傷ついたビワ

 ビワの木のうしろ、隣のタブノキの上の方で大きな声で鳴いているウグイスの写真をとった。以前にとったのと同じ場所(バードウォッチング)。写りはよくないが、ウグイスで間違いないと思われる。

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 庭にまたしてもモグラ出現。去年の秋と同じアズマモグラのようだ。(モグラ道
 モグラは太陽の光に当たると死ぬというのはウソ。お尻をつついたらあわてて逃げていった。

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 横浜へ帰る日はいつも忙しい。仕事を片付け、部屋を片付け、荷物をつんで出発しかかったところへ、イモ苗の植え方を教えてくれた人がやってきて、自分の山でとれた夏みかんをくれた。
 15:20金谷発のフェリーに、ぎりぎり間に合った。
 久里浜から自宅へ戻る途中、三カ所へカーネーションをおすそわけ。土曜日にとっているから、その分花もくたびれかけている。この次は日程を考えて花が元気なうちに届けよう。

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2009年5月19日 (火)

盗まれたスタインベック

 『盗まれたスタインベック』(ウェイン・ワーガ、村山汎訳、扶桑社ミステリー、昭和63)

 カバー裏表紙の売り文句は、

「ライフ」誌の特派員として中南米を駆け回っていたジェフリー・ディーンは、現在ロサンジェルスに書店を構え、古書売買を生業にしている。
ある日、地元で開催された古書市に出かけたディーンは、そこでスタインベックの二冊の初版本と再会した。それは、かつて彼の蔵書であったが、必要に迫られて手放したものだった。
だが、しばらくぶりに手にとってみたその二冊には、以前なかった著者の献辞と署名が入っていた。すでにスタインベックは物故している以上、この署名は明らかに偽造であった。
ひさしぶりに記者魂が甦ったディーンは、二冊の追跡調査を開始した。……が、本の売り渡し先を尋ねた時から彼の身辺に黒い影がつきまといはじめた。
1985年度アメリカ私立探偵小説作家賞新人賞に輝く異色のミステリー!

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 古書市から話が始まり、古本の相場の話やオークションと、古本好きには興味津々の話題が次々出てくる。しかも主人公は、現役作家の初版本と探偵小説を専門に扱っているから、出てくる作家の名前や本も、標題のスタインベックに、レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルド、エリック・アンブラー、カート・ヴォネガット…と、あらかたわかるのがうれしい。
 まあアメリカ生まれの古本は、1600年代のイギリス植民地時代にまでしかさかのぼらないから(「殺人詩篇(ウィル・ハリス)」参照)、やたら古い本は出てこない。これが西洋中世の宗教書だの歴史書だのの話だと、出てくるナントカ修道院もカントカ城もわからないし、実在の本の話かどうかすらわからないことが多い。

 偽造されたスタインベックを追っていく話に、離婚した妻との子供の養育と金をめぐる話や同業者の姪の英文学教師との出会いがからみ、さらに怪しいアラブ人の古書業者があらわれて、CIAのスパイが登場し、とうとうカダフィ大佐の大統領暗殺計画にまでつながっていく。
 正直な話、これはやりすぎじゃないのという気がしてくる。古書業界の話で十分おもしろいのに、ここまで話を広げる必要があったのか。
 大統領暗殺という大仕事をもくろんでいる人間が、古書の偽造を調査しているだけの奴を、わざわざ殺そうとして話を面倒にしてどうする。それも狙撃すればすむところを、オートバイで幅寄せして乗用車を坂から落とそうとするなんて、映画化を意識しているんだろうが、不自然きわまりない。

 小鷹信光も同じように感じたらしく、巻末の解説で、作者自身ではなくエージェントか編集者がスパイ小説に仕立てるよう求めたのだろうと書いている。アメリカでは編集者の力が強くて、しかもこれは処女作だということだから、おそらくそのとおりなのだろう。無理やりスパイをはめこんで、その部分が浮いてしまっている。

 小鷹はまた、ベッドシーンがよかった、とも書いているが、これについては海外ミステリの愛読者である養老孟司の『臨床読書日記』から、次の部分を引いておこう。

 楽しみで読む小説には、よく性描写が出てくる。著者はサービスのつもりらしいが、ほとんどの場合、これは邪魔である。アメリカの場合には、ひょっとすると編集者が要求しているのではないか、という気さえする。ともかく私の場合、性が出てこなければ、それだけで点が上がる。べつに上品ぶっているわけではなくて、性は話の筋書きと関係がないので、話の邪魔になる。ウルサイ。(『臨床読書日記』(文藝春秋、1997)娯楽で読む本、p66)

 本当に、アメリカのミステリでは、欠かせないものとしてベッドシーンを一定量以上入れるよう決められているのではないかと思うときがある。
 そういえば、別れた妻から子供の養育や金のことで無理を言われ…というのも、よくあるパターンだ。たいてい男は我慢してがんばっている。
 これがアメリカの男の二大関心事項ということだろうか。

 カダフィ大佐にまで結びつけるのはちょっと強引だったが、古本話を十分楽しむことができ、合格点のミステリである。
 ただ最後に、あれっと思ったのは、スタインベックはどうしたんだ、ということ。『盗まれたスタインベック』というタイトルから、これはスタインベック本人またはその本にまつわる謎を追うミステリだとばかり思っていたのに、そんな話はどこにも出てこない。たまたまスタインベックのサインを偽造した本が見つかった、その偽造者を探っていくと…という話。
 上の写真を見ても、スタインベックがむずかしそうな顔をしているし、これではそう思ってしまうではないか、羊頭狗肉だと文句を言いたくなるが、その下には『HARDCOVER』の文字があるのに気がついた。
 原題は『ハードカバー』というだけで、スタインベックの名前はない。日本語の題にだまされたというわけだった。ただの『ハードカバー』より、『盗まれたスタインベック』の方がそりゃ売れるだろうけど…。

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2009年5月11日 (月)

有島武郎『或る女』

 有島武郎『或る女』(筑摩書房『現代文学大系22 有島武郎集』1964)を読みました。読書会酣(たけなわ)、5月9日の会の課題図書です。

 新潮文庫版『或る女』の裏表紙のうたい文句は次のとおり。

美貌で才気溢れる早月葉子は、従軍記者として名をはせた詩人・木部と恋愛結婚するが、2カ月で離婚。その後、婚約者・木村の待つアメリカへと渡る船中で、事務長・倉地のたくましい魅力の虜となり、そのまま帰国してしまう。個性を抑圧する社会道徳に反抗し、不羈奔放に生き通そうとして、むなしく敗れた一人の女性の激情と運命を描きつくした、リアリズム文学の最高傑作のひとつ。

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左:新潮文庫、右:筑摩現代文学大系

 この小説は、封建時代の旧習にとらわれた社会の圧力に抵抗して、自分らしい自分、新しい女の生き方を求めて果たし得なかった女の悲劇を描いた名作、ということになっているようです。

 而して生れ代わった積りで米国の社会に這入り込んで、自分が見付けあぐねてゐた自分といふものを、探り出して見よう。女といふものが日本とは違って考へられてゐるらしい米国で、女としての自分がどんな位置に坐る事が出来るか試して見よう。自分は如何しても生るべきでない時代に、生るべきでない処に生れて来たのだ。自分の生るべき時代と処とはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になほつても恥かしくない程の力を持つ事が出来る筈なのだ。生きてゐる中にそこを探し出したい。(十六章、筑摩書房『現代文学大系22 有島武郎集』P89)

 ここを読んだときには、これは昨今はやりの「自分さがしの旅」の嚆矢であったのか、とちょっと驚きました。
 この小説が発表された頃、明治の終わりから大正にかけてが、社会が悪い、時代が悪いという思想を発見した時代ということになるのでしょうか。樋口一葉のあの恵まれない登場人物たちは、社会や時代が悪いなどとは考えてもみなかったでしょうけれど、本編の主人公葉子は、はっきりと時代と社会の圧力を感じています。
 事前に上のような「あらすじ」は読んでいなかったので、米国でどういう生活がはじまるのか期待をもって読み進めると、船中で事務長倉地と恋に落ちた葉子は、シヤトルに着きながら病気と称して船から降りず、なんとそのまま日本に帰ってしまいます。

 この日本へ帰って来るまでが前編で、これにはモデルとなる人物と事件がありました。
 主人公のモデルは佐々城(ささき)信子という女性で、「日本キリスト教女性史(人物編)」というホームページには、「佐々城信子(ノブ) 明治11年(1878)7月20日~昭和24年(1949)9月22日」と題して、次のように書かれています。

 (明治)34年9月、親戚会議でアメリカに追いやられる羽目になって、森広と結婚するために渡米の途に着いた。乗船した鎌倉丸の事務長・武井勘三郎と恋に落ち、アメリカに上陸せずに帰国した。同船していた鳩山春子はスキャンダルとして新聞に告発したと言われている。

 このことで武井は日本郵船を辞めた。武井の妻は勘三郎との離婚を承知しなかったために信子と勘三郎は制度上の夫婦にはなれなかった。勘三郎との間に一女瑠璃子が生まれた。

 大正10年(1921)2月に勘三郎と死別した。同14年(1925)、末の妹が病弱だったため栃木県真岡に移住した。真岡の自宅で日曜学校を開き、聖書と讃美歌を教えた。

 72歳で死去し、真岡市海潮寺に葬られた。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/sasakinobuko.html

 結婚する予定だった森広が有島武郎の友人。スキャンダルを告発した鳩山春子は、鳩山一族の始祖というべき鳩山和夫の妻にして共立女子大の創立者で鳩山一郎の母。由紀夫・邦夫兄弟の曾祖母です。ついでに書いておくと信子の前夫は国木田独歩。

 当時の報知新聞に「鎌倉丸の艶聞」と題して報じられたそうです。1901(明治34)年のこの事件を、有島武郎はわずか十年後の1911(明治44)年に、まず『或る女のグリンプス』と題して「白樺」に発表しています。これが『或る女』前編に相当する部分で、1919(大正8)年に『或る女』前編、後編が刊行されました。

 読む人は誰のことを書いているのかわかっただろうし、当人たちはまだ生存していたわけですから、この小説は、プライバシーだ人権だとうるさい現在から見れば、ずいぶんとんでもない乱暴なものだということになりますが、当時、そういうことは問題にならなかったのでしょうか。
 加賀乙彦は、新潮文庫版『或る女』の解説に、小説を読むのにモデルの詮索は無用、モデルさがしは虚しいと書いています。今のわれわれが読む分にはそのとおりだけれど、書かれた本人たちや関係者の受けとめ方はどうだったのか、一般の読者がどのように読んでいたのか気になります。新聞記事の現物も読んでみたいところです。

 後編は帰国後の話になります。
 世間の誹謗中傷に抵抗して葉子は、日本郵船を辞めさせられた倉地と愛の巣を構え、自分を貫こうとしますが、根がわがままで贅沢なうえ、妹二人を引き取ったことで、倉地への嫉妬から生じる疑心暗鬼も生じ、生活は次第に重苦しいものになっていきます。倉地は金のために法に触れる仕事に手を出し、やがて追われるようになって姿を消します。病を得た葉子は、ひとり貧しい病院の一室で息を引き取ります。

 これは最後まで添い遂げたモデルたちとは違った話になっていて、その意味では加賀乙彦の言うようにモデルの詮索は無用ですが、古い道徳にとらわれない、自分の欲するところを偽らずに行動するという主張が、地に足のついた生活にならず、ただ愛欲に溺れる、表現はずっと控えめですが、渡辺淳一の小説のような話になっていきます。読んだことがないのに渡辺淳一の『失楽園』を思い出したのは、有島武郎の情死事件があるからでしょう。(注1)

 これを自分たちの生活にひきつけて考えられては、モデルたちはたまらないと思うのですが、不義者、駆落者は何を言われてもしょうがないという時代だったのでしょうか。有島は自分を、葉子の誘惑にも屈しない堅物のまじめな男として登場させていますが、モデルたちについて、どういう感情をいだいていたのでしょうか。
 百年前の小説のモデルのことを今さら気にしてもしょうがないのですが、なぜか気になります。

 小説としてはおもしろくて、ぐいぐい読ませます。文章がわかりやすくて、その場の状況がよくわかり、葉子の内心の独白も、その揺らいでいるさまなどよくあらわれています。
 帰国した明くる日、横浜の紅葉坂の旅館から坂を下りて停車場、税関から県庁、グランドホテルへと葉子が歩く情景が、わたしには馴染みのあるコースだけに印象的でした。しかし実際にこれだけ歩くとけっこうあります。病弱な葉子が何とも思わず往復歩いてるくらいですから、昔の人はよほど歩いたものとみえます。
 有島武郎でまず思い出すのは『一房の葡萄』です。小学生の時でしょうか、道徳の副読本のようなもので読んだ記憶があります。わたしには縁の薄い、お金持ちの子供が横浜の山手の外人さんの学校に通っているという、うまく想像がつかないけれど、なんだか甘ったるい、うらやましいような世界の話でした。これが横浜という街に思いをはせたはじめだったような気がします。

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ほるぷの復刻本

 ひとつ不満だったのは、事務長の倉地がどういう人間なのかよくわからないこと。ただ頑丈な身体をしていたというだけで、それ以上、葉子を虜にするなにがあったのかさっぱりわかりません。たくましさの他には何もなかったとも書いてないのです。
 最近聞かなくなりましたが、昔、インテリの肉体コンプレックスということが言われていました、三島由紀夫のボディビルはそのせいだとか。その手の話と、有島の、人間には習性的、知的、本能的の三段階があり、第三の本能的生活にこそ真の自由があるという考え方(『惜みなく愛は奪ふ』)が結びついたものでしょうか。
 肉体云々という話でいくと、『或る女』は1919年ですから、1928年の『チャタレイ夫人の恋人』に先行しています。有島えらい。

 しかし日本郵船のアメリカ定期航路、当時の豪華客船の高級船員ですから、野性の男というだけではなかったはずです。同じ有島の『カインの末裔』の主人公、粗暴な農夫広岡仁右衛門とはあきらかに違います。それでも有島のような当時の上流階級からみれば、船員などしょせん車夫馬丁の仲間だくらいの意識があったのでしょうか。
 そういえば昔、映画や歌謡曲にマドロスものというジャンルがありました。「海の男」は今でも人気があります。うーん、ひょっとして『或る女』は、本邦マドロスもののはじまりなのだろうか。

 また、新しい女を書きたかったのなら、先にも引用したように、せっかく「生れ代わった積りで米国の社会に這入り込んで、自分が見付けあぐねてゐた自分といふものを、探り出して見よう。女といふものが日本とは違って考へられてゐるらしい米国で、女としての自分がどんな位置にどんな位置に坐る事が出来るか試して見よう。」と葉子に言わせたのだから、本当にアメリカへ行った話を書けばよかったのにとも思います。
 わたしの最初の期待どおり、帰国せずにアメリカの男を手玉にとってアメリカで生きていくというストーリーにしていたら、もっとおもしろかったんじゃないでしょうか。新しい女らしくわざわざ英語でタクトといいながら、葉子のそのタクト(手練手管のことらしい)の内実は、色気と癇癪に泣き落としという、伝統の「女の武器」が中心なのがちょっと気になりますが、当時のアメリカの男だって、これには弱かったことでしょう。

(注1) この文章を書いたときには気づきませんでしたが、ウィキペディアによれば、渡辺の『失楽園』は「有島武郎の心中事件をモチーフとして」いるそうです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E6%A5%BD%E5%9C%92_(%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%B7%B3%E4%B8%80)
 わたしが渡辺淳一を連想したのは、記憶には残っていなかったけれど、この小説や映画が騒がれていた頃に有島の話も目にしていて、それを無意識に思い出したのかもしれません。(09/05/14、追記)

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2009年5月10日 (日)

野菜苗を植える

 今回の作業のメインは夏野菜の苗の植え付けです。

 お決まりの家庭菜園御三家、トマト、ナス、キュウリを植えました。うちの奥さんは、キュウリは留守のうちに大きくなりすぎるからいやだと言っていますが、なんといっても御三家ですから今年も入れてもらいました。

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     トマト
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     ナス
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     キュウリ

 それからこんなものも。

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     スイカ
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     シシトウ
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     ペピーノ

 ペピーノはホームセンターで目についたので買ってみました。トロピカルフルーツだそうです。どんなものができるのか楽しみです。
 畑は奥さん主導なので、細かいところまではわかりません。他にもいろいろ、花もふくめて、苗を植えたり種をまいたりしたようです。

 そして今回の収穫。

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     サヤエンドウ
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     オオキヌサヤ
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     スナックエンドウ
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     レタス

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 さすがにこれはうちの畑ではとれません。連休なのでちょっとはりこんで、南無谷の魚屋さんでイセエビを買いました。

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 翌日はみそ汁に入れて…
 これでわが家のゴールデンウィークはおしまいです。

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2009年5月 8日 (金)

耕耘機買いこむ

 連休初日の5月2日、館山のホームセンター、パワーコメリで家庭用小型耕耘機を買いました。
 前からほしかったとはいえ、わたしはこの日買うつもりはなかったのですが、うちの奥さんはやる気十分だったようで、即決即断、その場で買ってしまいました。

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 買ったのはこれ。(株)アグリップの小型管理機、ジーフォース G-force VAC235。
 聞いたことのない会社ですが、井関農機の子会社で、エンジンはカワサキ製だといいますから大丈夫でしょう。「管理機」というのは耕耘機とどうちがうのか、特に定義はなくて、メーカーにより管理機と呼んだり、小型耕耘機と呼んだりで、同じもののようです。
 これは小型、軽量、そして安いのが特徴。

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 さっそく使ってみました。上の写真で、爪が土の中に潜り込んでいるのがわかると思います。この程度までは掘れます。
 それほどパワーがあるわけではないので、新規の開墾とかは苦しそうですが、通常の作業には十分使えます。人力で耕すよりずっと速いし、土が細かく砕かれるので固まりができません。一見プロの畑のように見えます。
 まだ使い方がいまいちうまくありませんが、早く慣れて、しっかりもとをとるよう有効に使いましょう。

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2009年5月 7日 (木)

ビワふくらむ

 ビワがふくらんできました。かけた袋の上から、大きくふくらんできているのがわかります。袋がはちきれそうなものや、本当にはちきれてしまったものもあります。

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 上の写真のように破れ目が入った袋をとってみると、

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 破れて光のあたったところと袋におおわれていたところが、まだらになっています。

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 これは完全に袋が飛んでしまったビワ。濃い緑一色になっています。

 風や雨で破れた袋や飛んでしまった袋をかけかえました。
 あと一カ月くらいでいよいよ収穫です。
 今年もこの連休から、街道沿いにはビワの露店が出ていました。温室栽培のビワもだんだん増えてきているようです。

 ビワのほかにもふくらんできたものがいろいろ。

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 サクランボ。何年目かではじめて実りました。

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 モモ。これも貴重な初収穫となってくれるか。

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 ウメ。去年より少ない。

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 そしてこれが、ふくらみすぎたサヤエンドウ。先週収穫に来るつもりでしたが、親戚に不幸があって来るのを一週間のばしたら、実が入りすぎてサヤエンドウがグリーンピースエンドウになっていました。
 それでも取りたてだから柔らかくて十分おいしいし、量もたっぷりとれたので、わが家では連日エンドウ料理です。

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2009年5月 5日 (火)

ツバメ飛び込む

 5月2日(土)から南無谷へ来ています。
 前回、休日の高速割引に目がくらんでアクアライン経由で横浜へ帰ったら、ひどい渋滞にあいました。うみほたるの手前で事故があって、東京湾をわたるのにえらく時間がかかってしまい、畑仕事の疲れが倍加して、家に着いたときは疲労困憊でした。
 だから今回はいつもどおり久里浜から東京湾フェリーにしました。毎年、ゴールデンウィークの午前中は満員で、一、二船待たされたものでしたが、今年は、いつもより混んでいる程度で、スムーズに乗れました。フェリー会社は連休体制でいつもより人も増やして対応しているようですが、おそらく前年を下回る成績でしょう。
 例年より楽に乗れたのはいいけれど、国が突然決めた政策で一方的に割をくうのは、会社としてはたまったもんじゃないだろうと心配になります。フェリーの方が便利な客もいるわけだし、税金で割引するならこちらへもまわせ、と客も会社も言いたくなるのは理の当然。これでフェリー会社の経営が悪化して便数を減らしたりしたら、ますます客が減っていくことになるでしょう。

 南無谷へ着いて門を開けたら、その音に驚いたのか、台所の外あたりからツバメが二、三羽飛び立ちました。あれ、いつのまにか巣でも作ったか、後で確認しないといけないなと思いながら、荷物をおろしていたら
「大変!」
とうちの奥さんの声。
 行ってみると、居間にツバメが二羽、天井のあたりを舞っています。戸を広く開けてやったら、一羽は無事外へ出ましたが、もう一羽は逆に中へ入り込んで、階段の上、吹き抜けの窓あたりに落ち着いてしまいました。

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 出ていく前に写真をとろうとしましたが、飛んでいるところはなかなかむつかしい。

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 上の二枚が一番よく写っていたくらいで、ピントがあわないどころか何も写っていないコマがずいぶんありました。

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 おとなしくしていてくれればこれくらいの写真がとれますが、このまま家の中にずっと落ち着いてもらうわけにはいきません。
 小学校の頃、ツバメは益鳥、スズメは害鳥と習ったし、家の前の東海道線を走る「特急つばめ」をあこがれの目で見ていたから、ツバメには邪険にできませんが、このあと、なんとか二階の窓から出ていってもらいました。

 屋根や窓にツバメが出入りできるような隙間は発見できなかったから、荷物を入れるため戸を開けておいたわずかの時間に入ってしまったようです。家のまわりに巣も見つかりませんでした。ただ、ガラス戸の内側と、棚の上には糞が残っていました。  

古家や ツバメ飛び込む 糞の跡

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2009年5月 2日 (土)

米原万里そしてロシア展

 4月29日(水)、大船にある鎌倉芸術館で「米原万里そしてロシア展」を見てきました。

Photo

 一部屋だけの、こじんまりした展示でしたが、子供の頃の写真や、メモ帳など興味深いものがありました。

 この人の、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』には驚かされました。なるほど東欧というのはこういうところなのか、共産党の高級幹部の子弟にはこういう生活があったのか、目を見開かれる思いでした。
 抱腹絶倒の下ネタエッセイもいいけれど、もっとこういう本を書いてほしかったなと、亡くなられたことを残念に思います。

 一度、たしかJR藤沢駅のホームですれちがったことがあります。向こうから歩いてくる元気そうなおばさん、どうも見たことがある、知り合いの町内会長さんだったかな、ともかくあいさつしておこう、と思ったところで気がつきました。
 間違えなくてよかったけれど、間違えていれば、それはそれでおもしろかったかもしれません。

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