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2009年5月11日 (月)

有島武郎『或る女』

 有島武郎『或る女』(筑摩書房『現代文学大系22 有島武郎集』1964)を読みました。読書会酣(たけなわ)、5月9日の会の課題図書です。

 新潮文庫版『或る女』の裏表紙のうたい文句は次のとおり。

美貌で才気溢れる早月葉子は、従軍記者として名をはせた詩人・木部と恋愛結婚するが、2カ月で離婚。その後、婚約者・木村の待つアメリカへと渡る船中で、事務長・倉地のたくましい魅力の虜となり、そのまま帰国してしまう。個性を抑圧する社会道徳に反抗し、不羈奔放に生き通そうとして、むなしく敗れた一人の女性の激情と運命を描きつくした、リアリズム文学の最高傑作のひとつ。

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左:新潮文庫、右:筑摩現代文学大系

 この小説は、封建時代の旧習にとらわれた社会の圧力に抵抗して、自分らしい自分、新しい女の生き方を求めて果たし得なかった女の悲劇を描いた名作、ということになっているようです。

 而して生れ代わった積りで米国の社会に這入り込んで、自分が見付けあぐねてゐた自分といふものを、探り出して見よう。女といふものが日本とは違って考へられてゐるらしい米国で、女としての自分がどんな位置に坐る事が出来るか試して見よう。自分は如何しても生るべきでない時代に、生るべきでない処に生れて来たのだ。自分の生るべき時代と処とはどこか別にある。そこでは自分は女王の座になほつても恥かしくない程の力を持つ事が出来る筈なのだ。生きてゐる中にそこを探し出したい。(十六章、筑摩書房『現代文学大系22 有島武郎集』P89)

 ここを読んだときには、これは昨今はやりの「自分さがしの旅」の嚆矢であったのか、とちょっと驚きました。
 この小説が発表された頃、明治の終わりから大正にかけてが、社会が悪い、時代が悪いという思想を発見した時代ということになるのでしょうか。樋口一葉のあの恵まれない登場人物たちは、社会や時代が悪いなどとは考えてもみなかったでしょうけれど、本編の主人公葉子は、はっきりと時代と社会の圧力を感じています。
 事前に上のような「あらすじ」は読んでいなかったので、米国でどういう生活がはじまるのか期待をもって読み進めると、船中で事務長倉地と恋に落ちた葉子は、シヤトルに着きながら病気と称して船から降りず、なんとそのまま日本に帰ってしまいます。

 この日本へ帰って来るまでが前編で、これにはモデルとなる人物と事件がありました。
 主人公のモデルは佐々城(ささき)信子という女性で、「日本キリスト教女性史(人物編)」というホームページには、「佐々城信子(ノブ) 明治11年(1878)7月20日~昭和24年(1949)9月22日」と題して、次のように書かれています。

 (明治)34年9月、親戚会議でアメリカに追いやられる羽目になって、森広と結婚するために渡米の途に着いた。乗船した鎌倉丸の事務長・武井勘三郎と恋に落ち、アメリカに上陸せずに帰国した。同船していた鳩山春子はスキャンダルとして新聞に告発したと言われている。

 このことで武井は日本郵船を辞めた。武井の妻は勘三郎との離婚を承知しなかったために信子と勘三郎は制度上の夫婦にはなれなかった。勘三郎との間に一女瑠璃子が生まれた。

 大正10年(1921)2月に勘三郎と死別した。同14年(1925)、末の妹が病弱だったため栃木県真岡に移住した。真岡の自宅で日曜学校を開き、聖書と讃美歌を教えた。

 72歳で死去し、真岡市海潮寺に葬られた。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/sasakinobuko.html

 結婚する予定だった森広が有島武郎の友人。スキャンダルを告発した鳩山春子は、鳩山一族の始祖というべき鳩山和夫の妻にして共立女子大の創立者で鳩山一郎の母。由紀夫・邦夫兄弟の曾祖母です。ついでに書いておくと信子の前夫は国木田独歩。

 当時の報知新聞に「鎌倉丸の艶聞」と題して報じられたそうです。1901(明治34)年のこの事件を、有島武郎はわずか十年後の1911(明治44)年に、まず『或る女のグリンプス』と題して「白樺」に発表しています。これが『或る女』前編に相当する部分で、1919(大正8)年に『或る女』前編、後編が刊行されました。

 読む人は誰のことを書いているのかわかっただろうし、当人たちはまだ生存していたわけですから、この小説は、プライバシーだ人権だとうるさい現在から見れば、ずいぶんとんでもない乱暴なものだということになりますが、当時、そういうことは問題にならなかったのでしょうか。
 加賀乙彦は、新潮文庫版『或る女』の解説に、小説を読むのにモデルの詮索は無用、モデルさがしは虚しいと書いています。今のわれわれが読む分にはそのとおりだけれど、書かれた本人たちや関係者の受けとめ方はどうだったのか、一般の読者がどのように読んでいたのか気になります。新聞記事の現物も読んでみたいところです。

 後編は帰国後の話になります。
 世間の誹謗中傷に抵抗して葉子は、日本郵船を辞めさせられた倉地と愛の巣を構え、自分を貫こうとしますが、根がわがままで贅沢なうえ、妹二人を引き取ったことで、倉地への嫉妬から生じる疑心暗鬼も生じ、生活は次第に重苦しいものになっていきます。倉地は金のために法に触れる仕事に手を出し、やがて追われるようになって姿を消します。病を得た葉子は、ひとり貧しい病院の一室で息を引き取ります。

 これは最後まで添い遂げたモデルたちとは違った話になっていて、その意味では加賀乙彦の言うようにモデルの詮索は無用ですが、古い道徳にとらわれない、自分の欲するところを偽らずに行動するという主張が、地に足のついた生活にならず、ただ愛欲に溺れる、表現はずっと控えめですが、渡辺淳一の小説のような話になっていきます。読んだことがないのに渡辺淳一の『失楽園』を思い出したのは、有島武郎の情死事件があるからでしょう。(注1)

 これを自分たちの生活にひきつけて考えられては、モデルたちはたまらないと思うのですが、不義者、駆落者は何を言われてもしょうがないという時代だったのでしょうか。有島は自分を、葉子の誘惑にも屈しない堅物のまじめな男として登場させていますが、モデルたちについて、どういう感情をいだいていたのでしょうか。
 百年前の小説のモデルのことを今さら気にしてもしょうがないのですが、なぜか気になります。

 小説としてはおもしろくて、ぐいぐい読ませます。文章がわかりやすくて、その場の状況がよくわかり、葉子の内心の独白も、その揺らいでいるさまなどよくあらわれています。
 帰国した明くる日、横浜の紅葉坂の旅館から坂を下りて停車場、税関から県庁、グランドホテルへと葉子が歩く情景が、わたしには馴染みのあるコースだけに印象的でした。しかし実際にこれだけ歩くとけっこうあります。病弱な葉子が何とも思わず往復歩いてるくらいですから、昔の人はよほど歩いたものとみえます。
 有島武郎でまず思い出すのは『一房の葡萄』です。小学生の時でしょうか、道徳の副読本のようなもので読んだ記憶があります。わたしには縁の薄い、お金持ちの子供が横浜の山手の外人さんの学校に通っているという、うまく想像がつかないけれど、なんだか甘ったるい、うらやましいような世界の話でした。これが横浜という街に思いをはせたはじめだったような気がします。

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ほるぷの復刻本

 ひとつ不満だったのは、事務長の倉地がどういう人間なのかよくわからないこと。ただ頑丈な身体をしていたというだけで、それ以上、葉子を虜にするなにがあったのかさっぱりわかりません。たくましさの他には何もなかったとも書いてないのです。
 最近聞かなくなりましたが、昔、インテリの肉体コンプレックスということが言われていました、三島由紀夫のボディビルはそのせいだとか。その手の話と、有島の、人間には習性的、知的、本能的の三段階があり、第三の本能的生活にこそ真の自由があるという考え方(『惜みなく愛は奪ふ』)が結びついたものでしょうか。
 肉体云々という話でいくと、『或る女』は1919年ですから、1928年の『チャタレイ夫人の恋人』に先行しています。有島えらい。

 しかし日本郵船のアメリカ定期航路、当時の豪華客船の高級船員ですから、野性の男というだけではなかったはずです。同じ有島の『カインの末裔』の主人公、粗暴な農夫広岡仁右衛門とはあきらかに違います。それでも有島のような当時の上流階級からみれば、船員などしょせん車夫馬丁の仲間だくらいの意識があったのでしょうか。
 そういえば昔、映画や歌謡曲にマドロスものというジャンルがありました。「海の男」は今でも人気があります。うーん、ひょっとして『或る女』は、本邦マドロスもののはじまりなのだろうか。

 また、新しい女を書きたかったのなら、先にも引用したように、せっかく「生れ代わった積りで米国の社会に這入り込んで、自分が見付けあぐねてゐた自分といふものを、探り出して見よう。女といふものが日本とは違って考へられてゐるらしい米国で、女としての自分がどんな位置にどんな位置に坐る事が出来るか試して見よう。」と葉子に言わせたのだから、本当にアメリカへ行った話を書けばよかったのにとも思います。
 わたしの最初の期待どおり、帰国せずにアメリカの男を手玉にとってアメリカで生きていくというストーリーにしていたら、もっとおもしろかったんじゃないでしょうか。新しい女らしくわざわざ英語でタクトといいながら、葉子のそのタクト(手練手管のことらしい)の内実は、色気と癇癪に泣き落としという、伝統の「女の武器」が中心なのがちょっと気になりますが、当時のアメリカの男だって、これには弱かったことでしょう。

(注1) この文章を書いたときには気づきませんでしたが、ウィキペディアによれば、渡辺の『失楽園』は「有島武郎の心中事件をモチーフとして」いるそうです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%B1%E6%A5%BD%E5%9C%92_(%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E6%B7%B3%E4%B8%80)
 わたしが渡辺淳一を連想したのは、記憶には残っていなかったけれど、この小説や映画が騒がれていた頃に有島の話も目にしていて、それを無意識に思い出したのかもしれません。(09/05/14、追記)

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