« カーネーション、コゲラ、モグラ | トップページ | バザー、草刈り、本棚 »

2009年5月25日 (月)

週刊公論の創刊号

 週刊公論の創刊号。中央公論社、昭和34(1959)年11月3日号、定価20円。
 この週刊誌は記憶にありません。中央公論が週刊誌も出していたのか、という感じです。

S
表紙と裏表紙

 定価20円に 注目です。同じ年創刊の週刊文春は40円、週刊現代は30円でした。

_

 目次は上のとおり。ちょっと固めの内容のように見受けられます。

Photo

 トップのグラビアは、1957年に脳梗塞を発症して、就任2カ月で総理大臣を辞職した石橋湛山。そして目次裏の、最初の記事はその後を継いだ当時の総理大臣岸信介です。この次の年が60年安保ということになります。

Photo_2

 そしてこれがメインの大宅壮一の記事、「敗けてよかった日本」というタイトルや「私はソ連に軍配をあげる」という小見出しは、今なら街宣車やインターネットでの集中砲火を心配しないといけないところですが、1959年の時点では、これで特に問題にならなかったということです。
 記事の内容は、アメリカを訪れたソ連のフルシチョフとそれに対するアメリカのマスコミや大衆の反応を紹介するもので、派手なタイトルほどの中身があるわけではありません。

 「私はソ連に軍配をあげる」というのは、当時人工衛星やロケット技術で先行していたソ連が、将来的には文化、生活、産業等全般にわたって、アメリカを追い越すのではないかという予測。この頃のインテリには、こういう気分がかなりの程度あったのではないかと思われますが、これは大宅先生、はずれました。
 「敗けてよかった」というのは、日本は、敗戦で植民地を失い、都市は戦災を受けたが、元老・重臣をはじめ古い指導者は姿を消して指導者層が若返り、農地解放や組合運動などは行きすぎもあったが、全体として民族や産業の若返りに役立った。
 アメリカは豊かになりすぎて積極性がなくなり、守りの態勢になっている。フルシチョフに見せたピッツバーグの工場も四十年前の施設だ。日本では古い施設や機械が破壊されて、最新式のものを導入し、アメリカでも日本のトランジスタ・ラジオやカメラ、オートバイなどは人気になっている。同じ戦勝国のフランスは、今、北アフリカの植民地でアラブの叛乱軍相手にたくさんの貴重な生命を失いながら、巨額の金を投じ続けている。
 であるから、あの戦争を賛美したりするわけではないが、敗けたことが、結果としてはよかったのではないか、というものです。

 大宅壮一は、当時の社会評論家のナンバー・ワンでした。今生きていたら、いわゆる自虐史観対自由主義史観の争いや田母神論文について、なんというか聞いてみたいものです。

Photo_3

 グラビアには高峰秀子。この頃はこの程度の解像度でもよかったんですね。
 右の広告には、神谷酒造の蜂ブドー酒、とデンキブラン。今でもあるはずですが、デンキブランは当時全国区の銘柄だったんでしょうか。知りませんでした。

 週刊公論は、創刊後二年に満たない、昭和36(1961)年8月に廃刊になっています。
 当時の中央公論社青年社長だった嶋中鵬二の遺文集『日々編集』(平成13年、私家版)によれば、20円で売り出して創刊としては当たったけれど、単価が安いから書店や鉄道弘済会からは評判が悪く、30円に値上げしたら部数が減り、苦労していたところへ「風流夢譚」の事件が起こり、週刊誌どころではなくなったということです。

S_2
嶋中鵬二『日々編集』、左:函、右:本体

 風流夢譚の事件については、ウィキペディアに「嶋中事件」と題して、次のような解説があります。

雑誌『中央公論』1960年12月号に掲載された深沢七郎の小説『風流夢譚』(ふうりゅうゆめものがたり)の中で、皇太子妃が民衆に殺される部分や民衆が皇居を襲撃した部分が描かれたことなどについて、不敬であるとして右翼が抗議し、1961年2月1日に大日本愛国党の党員だった17歳の少年が、中央公論社社長の嶋中鵬二宅に押しかけた。少年は嶋中との面会を求めたが嶋中は不在で、雅子夫人が重傷を負い50歳の家政婦が刺殺された。少年は事件の翌日に警察に自主して逮捕された。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B6%8B%E4%B8%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 週刊誌撤退後については、前掲の『日々編集』に、大宅壮一がらみのこんな話も記載されていました。

 ちょうど外国に行っていた大宅壮一さんから手紙をもらいましてね、「週刊コウロン」(休刊時は「週刊公論」)をやめたそうだが、雑誌で失敗した場合には、全集で取り返すというのが、昔からの鉄則である。新潮社が「婦人の国」で失敗したあと、世界文学全集で建てなおしたんだという手紙を下さいましてね、そんなこともあって高梨専務を中心に全集を本格的に考えるということになったわけです。(『日々編集』P273)

 これで出した全集が、昭和38(1963)年の赤い函の『世界の文学』、昭和39(1964)年の紺色の函の『日本の文学』だそうです。当たりました。高校生だったわたしも買いました。今では色褪せて見る影もありませんが、当時、本棚に並べるとあの赤い色は斬新で、ちょっといいものでした。
 この全集の装丁が遺文集にも取り入れられています。

|

« カーネーション、コゲラ、モグラ | トップページ | バザー、草刈り、本棚 »

雑誌の創刊号」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 週刊公論の創刊号:

« カーネーション、コゲラ、モグラ | トップページ | バザー、草刈り、本棚 »