« 井上ひさしと渡部昇一 | トップページ | 今年のビワは… »

2009年6月 6日 (土)

三遊亭円丈『御乱心』

 先日の朝日新聞に「あのとき落語が変わった」という、こんな記事がのっていました。

S_2
2009(平成21)年5月30日、朝日、朝刊

 三遊亭円生の落語協会分裂騒動(1978(昭和53)年)がきっかけとなって、弟子の三遊亭円丈の「奇才」が花開き、新しい創作落語の道が開けた。これに春風亭昇太、柳家喬太郎などが続き、上方の桂三枝にも影響を与えた、というものです。

 円丈は名古屋出身の落語家というくらいしか知りませんでしたが、たまたま去年の9月28日、浜離宮朝日小ホールで、対談を聞きました。
 ラジオデイズ一周年記念特別対談三連発『本日、戦後表現者論でご機嫌を伺います。』という催しです。内容は次のとおり

「この人の声が聴きたい。今、最もブッキング困難な役者を揃えて、対談・放談・漫談の三題噺。編集不能の危険なライブトークが炸裂する。」
 第一部 戦後落語家論  三遊亭円丈+本田久作
 第二部 戦後詩人論    高橋源一郎+小池昌代
 第三部 戦後マンガ家論 養老孟司+内田樹

 最近のお気に入り、第三部の内田樹と養老孟司が目当てで行きました。
 その第一部 の案内がこれ。

三遊亭円生の高弟にして、現代落語の旗手をつとめてきた三遊亭円丈。「円丈以前と円丈以後」の言葉があるとおり、三遊亭円丈の出現はひとつの革命であった。そこに、落語台本の賞を総なめにしている若き落語作家本田久作がからむ。落語ファン待望の(というよりは仰天の)新作落語黎明期の真相話が炸裂。大丈夫か。

 新作落語について「円丈以前と円丈以後という言葉があるのをはじめて知りました。
 対談相手の落語作家だという本田久作は酒を飲んでいて話がメロメロ、しょうもない奴でしたが、円丈はさすがにおもしろく聞かせました。ただ新作落語黎明期の話というより、協会分裂騒動当時の内幕話が中心でした。
 その頃ちょうど真打ちになったばかりで、寄席へ出たくてしょうがなかった円丈は、協会に戻りたいと円生に言ったら、「恩知らず」とさんざんののしられ辛かった。これで円生との間に溝ができてしまった。みんな裏で画策した兄弟子の円楽が悪い。そのうち円楽と円生の仲がおかしくなって、とうとう円生が急死してしまった…というような話です。

 本にも書いたというので、さっそく買って読んでみたのがこの本。
 『御乱心-落語協会分裂と、円生とその弟子たち』(三遊亭円丈、主婦の友社、1986)

Photo

 副題のとおり、分裂当時の自分の体験談がこまかく書かれ、やっぱり、円生をそそのかした円楽が悪いんだという話になっています。おもしろい本でした。

 この手の話は、一方の言い分だけ聞いていてはいけないのですが、円楽は、この本に対し何の反論もしなかったそうで、ウィキペディアの「御乱心」の項には、こう書いてあります。

1986年の発刊当時、この本は暴露本の一種として世間を賑わせたものの、肝心の圓楽側からは圓丈の期待をある意味で完全に裏切る反応が返ってきた。圓楽側は反論や名誉毀損など訴訟などの行動を一切行わないどころか、むしろ逆にこの本の内容について「真実」と言い切ってしまったのである。やる気満々であった圓丈側としてみれば、物の見事に肩透かしを食らった格好になってしまった。この時点で暴露本としての存在意義が事実上形骸化してしまい、単に圓楽を否定的に描いてみせただけの実録小説になってしまった。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E4%B9%B1%E5%BF%83_%E8%90%BD%E8%AA%9E%E5%8D%94%E4%BC%9A%E5%88%86%E8%A3%82%E3%81%A8%E3%80%81%E5%86%86%E7%94%9F%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BC%9F%E5%AD%90%E3%81%9F%E3%81%A1

 それで、こんな本ものぞいてみました。
 『聞書き・寄席末広亭』(席主北村銀太郎述、冨田均、少年社、1980)。

Photo_2
 末広亭の北村銀太郎は、『御乱心』には「怖い物なしの円生にとって唯一、頭の上がらなかった人」(p164)と書かれ、また、席亭会議では、北村銀太郎の鶴の一声で、分裂を認めないことが決定したとも書かれています(p139)。

 『聞書き・寄席末広亭』で、そのあたりを当たってみると、こんなふうに書いてあります。

 まあ、あの脱会騒動もね、円生さん次第だつたんだよ。彼が垣根をこさへて、その外だけでやらうとしてゐたからね、うまくゆかないわけだよ。そんなことぢゃ、人はついてこないもの。あんときだつてもう少しで成功するといふところまで行つたんだけど、それが一日、二日でふられちやふつていふのは円生さんの側に多少なりとも問題があるからなんだ。
 事前にあの人が私んところへ来て、今度かうしますから、よろしくつて、会員の名簿を見せてくれたんだけど、それ見たらなかなかいいメンバーだつたから、私もやれるもんならやらしてみたい、また私もやつてみようつていふ気があつたんだけど、いかにも浅いんだ、メンバーの底が。一人欠けたら、ぐんと落ちてしまふやうぢや困るわけだよ。鈴本は承知したんだけど、私だけがウンと言わなかつた。メンバーをもう少しふやして底を厚くしてくれれば、新しい会としてこつちだつて認めようと思つたんだが、円生さんが自腹を切らないんぢや仕様がねえよ。あんとき、うちと鈴本の両方が認めれば、うまく行つたんだけど。(P44~45)

 円生側が力量不足で、見通しが甘かったということでしょうか。
  円生が脱会したのは、年数さえたてば多少下手でも真打ちに昇進させるというやり方に異を立てたからでしたが、席亭の方は、そんなことより、協会が三つになって、交代で興業がうまくうてるようなら認めてやってもいい、ということですから、まるで立場が違います。

 この後の円生の死について、こう書いてあるのには思わず声を出して笑ってしまいました。

だけど。あの人も運の悪い日に死んだもんだよ。パンダの死んだ日だもん。よりによつてそんな日に死ぬこたあねえんだ。新聞見たつてパンダの扱ひの方がずつと大きいしね。テレビのニュースもパンダを長々とやつたあと、あの人がちょつと出てくる。パンダが終わつたから、今度あの人が映るなつて思つてると、決まつて映るんだもん。パンダが真打ちで、円生さんは前座並みの扱ひだよ。一日ずらしやあよかつたんだ、前か後に。そのくらゐの芸を見せたつてよかつたのにさ。あのくらゐの芸をもつてれば、そのくらゐ出来ただらうに。それとも、その程度の芸も出来ないほど弱つちゃつてたのかな。(P49)

 いくら名人円生でも、死ぬ日をずらすわけにはいかなかったでしょうし、なによりパンダが同じ日に死ぬことまでは見通せません。

 円生死後、協会に復帰した円丈は、入門する前からやりたかった新作一本に賭け、そして新境地を開いた、というわけです。
 でも、これらの本を読んだ後、去年の秋に教育テレビの「日本の話芸」で見た、円丈の「東京足立伝説」は、期待していたほどは笑えませんでした。一度、ナマで聞かないといけません。

|

« 井上ひさしと渡部昇一 | トップページ | 今年のビワは… »

なむや文庫雑録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/217746/45228315

この記事へのトラックバック一覧です: 三遊亭円丈『御乱心』:

» 『現代落語論』から『立川流騒動記』までの道? [トンデモない一行知識の世界 2 - 唐沢俊一のガセビアについて -]
・唐沢俊一にとってのキーパーソンは立川談志か桂文治か ・志ん生と談志と唐沢俊一 の続きのようなもの。今回は、未刊の『立川流騒動記』について、時系列を逆にたどって みようかと。 以下は立川談之...... [続きを読む]

受信: 2011年12月 4日 (日) 01時51分

« 井上ひさしと渡部昇一 | トップページ | 今年のビワは… »