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2009年8月

2009年8月31日 (月)

大井川鉄道

 8月25日(火)は、岐阜から横浜へ帰る途中、東海道線金谷駅で降りて、大井川鉄道に乗ってきました。

 特に鉄道ファンというわけでもないけれど、金谷11:48発の「SLかわね路号」に乗りました。金谷駅では先頭のSLはホームからはみ出していて、写真はとれませんでした。
 まず弁当を買いました。

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 乗り込んだ客車は、昭和十年代から二十年代にかけて東海道線の最新標準型として活躍したものだとのこと。わたしは東海道線の国鉄駅前に生まれ育ったので、とてもなつかしい車両です。
 いかにも古くおんぼろですが、型は昭和二十年代でも、窓枠などにステンレスが使ってあり、もっとずっと新しい年代、昭和五、六十年代ぐらいに使われていた車両のような気がします。

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 SLは警笛を鳴らし、煙をなびかせて走ります。窓は開け放してあるので、煙のにおいと煤そのものも車内に流れこんできます。トンネルに入ると目に煤が入ったり、窓框に触れると指先が黒くなります。ああ昔はこうだったとなつかしく思う一方、手を洗いたくなりました。昔はこれでたいした文句も言わずに乗っていたんですね。

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 年輩の(わたしと同年輩くらいの)女性の車掌さんが乗っていて、マイクで車窓から見える風景の案内をはじめたと思ったら、ハーモニカを吹き出したり、SL音頭を歌い出したりして、ちょっと驚きました。これは観光バスか。
 少しゆっくりさせてもらいたいなあと思ったころに終わって、あとは静かになったので、まあいいけれど、やるなら音響装置を最新のものにして、もう少しクリアーな音でソフトにやっていただきたいものです。

 終点の千頭(せんず)駅で、先頭の蒸気機関車の写真が撮れました。

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 歌う車掌さんのおすすめに従い、千頭からトロッコ鉄道の「南アルプスあぷとライン」に乗って、長島ダムまで行ってきました。
 もともと大井川水系のダム建設のために電力会社が造った鉄道で、「あぷと」というのは、途中、アプト式機関車を使って急勾配を登っていく区間があるからです。

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 こんな車両もついています。

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 さっそく乗ってみました。崖っぷちを走っていきます。下の右の写真に見えるのが長島ダム。左の写真に見えるのは、乗り合わせた、大学の鉄道同好会かと思われる若者たち。

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 寸又峡温泉に泊まってとも思ったけれど、家を出てからもう四日目なので、老体の身は少々疲れ気味。長島ダムから千頭経由でまたSLに乗って金谷に戻り、東海道線でその日のうちに横浜へ帰りました。

※「窮居堂旅日記」というカテゴリーをつくって、旅行関係のものはそちらへまとめることにしました。

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2009年8月30日 (日)

墨俣一夜城

 伊吹山を下りてから岐阜へ戻るまで時間があったので、墨俣一夜城へ足を伸ばしてみました。
  木下藤吉郎が一夜にして城を築いたという伝説の真偽については諸説あるようですが、地元では平成3年に、竹下内閣のあの「ふるさと創生資金」の一億円で城を造り、「墨俣一夜城歴史資料館」としているそうです。
 レンタカーのカーナビの操作を間違えて、少し行き過ぎてしまいましたが、なんとかたどり着きました。

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 長良川に平行して流れる支流のほとりに「墨俣一夜城歴史資料館」はありました。

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 ところが残念なことに月曜休館のため、中へは入れませんでした。
 ここへ寄ってみようと思ったのは、以前にこの本を読んでいたからでした。

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 藤本正行、鈴木真哉『偽書『武功夜話』の研究』(洋泉社、2002)です。
 この本のカバーの袖にはこう書かれています。

戦国文書『武功夜話』は、なぜ偽書の疑いが強いのか?
一九五九年の伊勢湾台風で、愛知県内の旧家の崩れた土蔵から発見された「前野文書」は、のちに『武功夜話』と題して公刊された。
同書はNHKや朝日新聞などのメディアが、戦国時代を解明する第一級の史料として喧伝したり、遠藤周作や津本陽らの有名作家の種本として使われたことから、その内容が史実として一人歩きすることになる。
しかし、同書はその原本が公開されていないために、用語や記述に多くの疑問がありながら、専門家の検証すらなされてこなかった。
在野の戦国史研究の第一人者が、様々な角度から徹底検証し、真贋に決着をつける!

 つまりこの本は『武功夜話(前野家文書)』という古文書はニセモノだと主張しているのですが、その『武功夜話』には墨俣一夜城の築城について詳しく書かれており、それにのっとってこの歴史資料館の展示も行われているということなのです。
 『偽書『武功夜話』の研究』はなかなかおもしろい本で、それなりに説得力があります。しかし『武功夜話』本体を読まずに、これが正しいのかどうかは言えません。『武功夜話』は全5冊、定価4万数千円、それにわたしに読みこなせるかどうかも考えるとちょっと手が出ないので、とりあえずこの資料館だけでものぞいておこうかと思ったのでした。

 真贋はともかく、この『武功夜話』をもとにして書かれたという、遠藤周作の『決戦の時』、『男の一生』はおもしろい時代小説でした。
 木曽川沿いの川並衆の野武士であった蜂須賀小六と前野将右衛門は、信長、秀吉と関わっていくことで、戦国の世の中、次第にのしあがっていきます。しかし大名になり、関白秀次の守り役となった前野将右衛門は秀頼が生まれたことによって、秀次と一緒に滅亡させられてしまいます。
 この前野家の子孫の家に伝わったのが『武功夜話(前野家文書)』だというわけです。

 わたしは濃尾平野の同じ木曽川沿いで生まれ育ちました。しかも父方の祖父はポンポン船を持っていて、名古屋まで木曽川を下って石を運んで売るという仕事をしていました。だからわたしもいわば川並衆の末裔ではないかと思いながら、蜂須賀小六や前野将右衛門が、子どものころから馴染みのある地名の間を駆け回って活躍するのを読むのは、とても気持がいいものでした。
 地元民としては『武功夜話(前野家文書)』は本物であると考えたくなるのがよくわかりました。なんと言われても、郷土が生んだ英雄のことだし、その方が楽しいんだからいいじゃないか、ということになるのでしょう。

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 この墨俣一夜城には金の鯱までついています。こんな城を一夜で築いたわけはありませんが、これも地元の、このくらいであってほしいという願いのあらわれでしょうか。大垣城の天守を模したものだそうです。

 『武功夜話』なり、その研究書なりをまた読んでみたいと思います。

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2009年8月29日 (土)

伊吹山へ

 8月24日(月)は、岐阜駅前でレンタカーを借りて、伊吹山ドライブウェイへ行ってみました。
 伊吹山は岐阜県と滋賀県の境にあって標高1,377m、その九合目の標高1,266mまで、車で登れます。料金三千円。

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 ドライブウェイ終点の駐車場から。左奥に見えるのは琵琶湖。

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 ここから頂上までは、高さで100m余り、なだらかなコースを歩いて40分、急坂コースは20分。自家用車や観光バスでここまでやってきた人たちの行列が、頂上まで続いています。

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 晴れて暑い日でしたが、風がちょっとあります。先日の大雪山遭難のニュースでも、風速1m/sにつき体感温度が1度下がるとさかんに言われていましたが、なるほど涼しい。頂上に着く頃には耳が冷たくなっていました。
 なんとかツアーの団体のお年寄りが多くて、これは天気が悪いときにはバスで待機してもらわないといけないな、と余計な心配をしてしまいました。

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 海のように見えるのは琵琶湖です。

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 道のまわりはお花畑。
 古くから伊吹山の薬草は有名だったそうで、百人一首にもこの歌があります。

かくとだに えやはいぶきの さしも草
さしも知らじな 燃ゆる思ひを (藤原実方)

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 頂上へ着きました。

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 頂上には小屋がいくつもあってにぎやかです。
 中にはこんな看板も。

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 バスで山頂のすぐ下まで来られることに加えて、日本百名山に入っているから、こんなに団体客が多いのでしょう。でも山は百名山、遺跡は世界遺産ばかりがもてはやされるのも、なんだかなあという感じです。

 わたしは濃尾平野の片隅に生まれ、冬には伊吹おろしの中、雪をかぶった伊吹山を仰いで育ちました。
 中学校では二年生の夏に、伊吹山へ登るのが年中行事になっていました。ドライブウェイができる前のことで、まだ暗いうちに麓から歩き始め、頂上でご来迎を仰ぐ予定が、霧の中にうすぼんやりしていたような記憶があります。山らしい山に登ったはじめでした。

 名古屋の八高の寮歌には「伊吹おろし」という歌もありました。

伊吹おろしの雪消えて
木曽の流れに囁けば
光に満てる国原の 
春永劫に薫るかな

 最近では阪神タイガースの「六甲おろし」の方がずっと有名なようで、ちょっと残念です。

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2009年8月27日 (木)

長良川の鵜飼

 2009年8月22日(土)から25日(火)まで、岐阜方面へ行ってきました。

 今回は、まず長良川の鵜飼を見ようということで、夕刻乗り場へ。

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 6時15分乗船開始。屋形船の乗合船に乗りました。夏休みの土曜とあって、ホテルや団体の貸切船など、たくさんの舟が出ていました。

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 少し上流へ行ったところに舟をとめて、鵜飼がはじまるのを待ちます。なんと開始は7時半だそうです。この間に舟の中で弁当を食べ、お酒など飲んでゆっくりと、ということです。
 三十数年前に一度来たことがあるのですが、どういう手順だったのか、何もおぼえていませんでした。

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 すっかり暗くなってから、六艘の鵜舟が、とめてある屋形船の前を、鵜飼をしながら間をおいて流れていきます。篝火が揺れながら、まわりを照らしています。なかなかの見ものです。

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 ちょっと遠いけれど、鵜匠が鵜を操っているのが見えます。どんどん進んでいくので、鮎をちゃんととったかどうかとか、細かいところまでは確認できませんでした。

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 このあと、六艘の鵜舟が横隊になって、「総がらみ」という漁法を見せて、鵜飼は終わりです。

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 風情のある光景でしたが、この終わりの頃から、わたしはちょっと困った事態におちいっていました。腹がしくしくしてきて、なんとなく便意を催してきたのです。
 まあ大丈夫だろうと思っているうちに鵜飼が終わって、ああよかった、これで帰れる、今動くか、この次かと待っていると、どうしたことかわたしの乗った舟はいっこうに動かない。そのうちに腹の方はどんどん高まってくる。
 三十艘くらいいた屋形船のうち半分以上が出発して、右隣も左隣もいなくなってしまったのにまだ動かない。船着き場で降りるのに時間がかかるせいか、それまで順番に出ていたのに、残っている舟は全然動かなくなってしまいました。乗合船は、どうも一番後になるらしい。
 もうすぐだと思うからほとんど脂汗をかきながら我慢していたのに、動かなくなっていつになるかわからないとなると不安が高じて、とてもたまらない。とうとうもうダメだと観念し、船頭さんに「便所へ行きたいから降りる」と言って、船尾から降りて、川原へ一目散。

 「舟へ戻ってもらわないと困る」と言われたけれど、「もう戻らない」と言い捨ててきたので、そのまま船着き場まで向かったら、これがなんと近いこと。三百メートルもないくらいで、すぐ着きました。暗くてどこへ舟をとめているのかわからなかったので、我慢して苦しい思いをしたけれど、これなら早めにさっさと降りて用を足して、また舟へ戻ることだってできました。うーん、なんだか自分が情けない。

 芭蕉の句が身にしみました。

おもしろうて やがてかなしき 鵜舟かな 

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2009年8月22日 (土)

平凡パンチの創刊号2

 小さな活字の五段組みが基本で、トップ記事の「ポルシエ九〇四をめぐるナゾ」も、中身はこんな感じ。

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 活字がぎっしり詰まっている感じがします。「九〇四」と漢数字になっているところも時代を感じさせます。右端の植木等はこの頃「無責任」で人気絶頂。 

 カラーグラビアは、ほとんどが宣伝がらみのもの。この頃は白黒に比べて印刷経費が相当高かったのでしょう。
 こんな頁がありました。左から杉浦直樹、小池朝雄、ジェリー藤尾、渥美清です。

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 ファッションの頁、これも西武百貨店の宣伝が入っています。

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 白黒頁。

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 左頁のモデルは、市川染五郎、現在の松本幸四郎です。

 当時の大卒初任給の資料がありました。二万二、三千円が平均でしょうか。クリックしてごらんください。

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 映画の頁。この時代のものは、見ていないものもタイトルだけはけっこう記憶にあります。

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 見にくいので、下に邦画の部分を拡大しました。
 吉永小百合の『潮騒』、高校の応援団長をしていた友人と見に行った記憶があります。

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 芸能欄と裏表紙の裏に出ているビートルズ。

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 当時、オカッパのようなヘアスタイルをした級友がいて、なんだこいつはと思っていたら、これがビートルズの先駆者的ファンで、香港からとりよせた日本未公開のレコードとか持っていました。わたしは彼によってビートルズの存在を知りました。
 まもなくビートルズは日本でも大爆発しました。

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2009年8月20日 (木)

平凡パンチの創刊号

 週刊「平凡パンチ」創刊号。昭和39(1964)年5月11日号です。

 秋には東海道新幹線が開通し、東京オリンピックが開催された年。わたしは高校二年生でした。
 平凡パンチの創刊は覚えていますが、買った記憶はありません。高校生の小遣いでは、なかなか週刊誌までは買えません。「伊賀の影丸(横山光輝)」や「おそ松くん(赤塚不二夫)」で大人気だった『少年サンデー』は、友達とのまわし読みなどでやりくりして、ちゃんと読んでいましたが。
 電車通学の途上、他の記事を読むために買った『サンデー毎日』に、司馬遼太郎の「国盗り物語」が連載されていて、読んでみたらとてもおもしろく、続きを読みたくて何号か買いました。しかし、とても資金が続かず、「こんな大衆小説を読んでいては、いかん」と途中でやめたことを覚えています。司馬遼太郎の読み始めでした。

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表表紙と裏表紙

  大橋歩のイラスト、今となってはなつかしいけれど、この表紙が見はじめで、名前もはじめて知りました。斬新でした。
 そして、これがその創刊号の目次。

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 トップ記事は「ポルシエ九〇四」、グラビアは加賀まりこにワシントン広場にファッション。 車、女、アメリカ情報にファッションの基本路線はこの後も変わらず、一世を風靡しますが、今見ると、創刊号の中身は意外に地味です。

 表紙を開けると、こうなっっています。

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 表紙とトップ記事の間に、頁幅を狭くした厚手のカラーグラビアとして三船敏郎(「赤ひげ」です)とアン・マーグレットが挟まっています。これが後にはピンナップになって、平凡パンチの礎となるのですが、創刊号はこれだけです。

 加賀まり子の写真もこんなもの。

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 そしてこれが「ワシントン広場の若者たち」のグラビア。

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 「ワシントン広場の夜は更けて」この歌もずいぶん流行りました。「グリニッチ・ビレッジ」は憧れでした。
 しかし、上の写真を見ると、なんだかフォークダンスか盆踊りの紹介のようにも見えます。この歌詞もこうやって眺めるとなんだか場違いです。

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2009年8月15日 (土)

夏野菜は終わり

 三週間留守にしていた間に、夏野菜の盛りはすぎてしまっていました。スイカの蔓が枯れていたようにキウリの蔓も枯れ、ササゲは実までが枯れていました。

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 このキウリはとても食べられません。

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 ササゲは種になってしまいました。

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 ゴーヤの実は黄色くなって、はじけてしまっています。

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 ナスも太りすぎ。
 みんな最盛期の一番おいしいころに放っておいたわけで、惜しいことをしました。

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 この次に来る日が確定しないので、帰る日にスイカは全部収穫してしまいました。ちょっと早いのがありそうです。
 左の白いのは、南国果実ペピーノです。これがちっとも甘くない。肥料をもっとやらないといけなかったのか、育て方がよくわかりませんでした。

 夏野菜は終わってしまったけれど、まだまだ暑い日が続きます。

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 ソテツ。雄花は枯れてしまったけれど、雌花は元気にふくらんでいます。

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 今年もサルスベリが咲きました。やっぱり暑い。
 少し涼しくなってから、畑は整理することにしましょう。

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2009年8月13日 (木)

スイカの空中栽培その後

 いろいろあって、三週間南無谷へ行くことができず、空中栽培のスイカや夏野菜がどうなっているか心配でした。通いの田舎暮らしには、こういう問題点があります。
 ようやく8月11日(火)、早朝には静岡方面で大きな地震が起き(横浜でもけっこう揺れました)、台風9号が海上を通過中でしたが、雨がパラつく中、朝から南無谷へでかけました。

 一番心配だったスイカは、ごらんのとおり。

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 実は大きくなっていますが、葉と蔓がほとんど枯れた状態です。何か病気でも起きたのか、それとも時期的に終わりなので、自然に枯れはじめたのか。
 実がいたんでいる様子はありませんから、どうやらもう終わりのようです。一番大きな実は、取り替えてやったカゴの中でいっぱいにふくらんでいます。

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 切ってみると、このとおり。

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 真ん中あたりは十分甘い。皮に近い方はちょっと甘さが足りないのは、ほったらかしで肥料が少し足りなかったか。しかし、市販のものでも、この程度のものはよくあります。まあ合格点でしょう。他のものの味はどうでしょうか。

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 いきなり大玉のスイカではじめた空中栽培でしたが、今年はひとまず成功したようです。こうやってスイカがぶらさがっているのは、なかなかの眺めです。

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2009年8月10日 (月)

『古書殺人事件』

マルコ・ペイジ『古書殺人事件』(中桐雅夫訳、ハヤカワ・ミステリ、1985改訂1版)

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 ちょっと長いけれど、裏表紙の売り文句はこうなっています。

ダンテの大理石像で殴り殺されたニューヨークの古書商エイヴ・セリグの死体が発見されても、心から同情を寄せている人間はそう多くなかった。とかく商売にいかがわしい噂のあったセリグ、それだけに手を下しても不思議はない容疑者の数も少なくない──顧客を横取りされた古書商仲間のドック・ドーラン、盗品に巧妙な細工を加えてセリグに流していた弁護士バナーマンとその手先フィーラー……だが、なかでも警察が目をつけたのは。セリグの店の元事務員ネッド・モーガンだった。
モーガンは二年前、店から稀覯本を盗んだ罪で刑務所に送られ、ごく最近町に戻ってきていた。セリグへの憎悪をむきだしにしたモーガンに向けられる世間の目は冷たかった。だがジョエル・グラスは二年前の事件に疑いを抱いていた。セリグの娘レアと恋に落ちたモーガンが金欲しさに店の品に手を出したのは明らかだ。しかし、一冊数万ドルもする『ドン・キホーテ』の初版本を盗むはずはない。長年、盗まれた稀覯本を見つけだして保険会社から手数料を稼いできたグラスの目はごまかせない。
真相は、セリグがモーガンに罪を押しつけ、保険金を詐取したに違いないのだ。ということは、失くなった稀覯本はどこかに眠っているはずだ。グラスは本の行方を追いつつ、殺人事件の渦中へと踏み込んでいった……。
「第一ページから最後の驚くべき結末に至るまで、その変った背景は探偵小説界の一事件である」と評された名作ミステリ。しゃれた会話とスピーディな展開は、アメリカ探偵小説黄金期の香りを十二分に堪能させよう。

  競売で主人公のジョエル・グラスがエミール・ゾラの手紙を70ドルで競り落とすところからはじまります。それについてジョエルの妻ガーダはこう言います。
「いいお仕事だわ、こんなくだらない手紙にお客がつくとでも思ってらっしゃるの?それとも名前がZではじまる作家のものを集めだしたの?」
 これでいきなりめんくらいました。ゾラの手紙がくだらない?Zではじまる?なんのことだ?この後、ジョエルが
「この手紙は本当はシェークスピアが書いたもので、彼はわざと、それがゾラの手になるもののように見せかけようとしたんだと、そう言ってもか」
と言うところで、ようやく冗談を言っているのだとわかりました。裏表紙の売り文句に「しゃれた会話」とありましたが、この手の会話のことのようです。
 こんなところもあります。酔っぱらったジョエルを家に連れて帰ってきて、

ガーダはドアをあけた。「どうぞ、旦那さま。もうぶっ倒れてもいいわよ。わたしの責任は終りましたからね」
「頼みにならん女房だ」と言ってジョエルは椅子にすわり、右足の靴をぬいで、ピアノの下に投げ込んだ。「朝になったら靴が五オクターヴの辺にあることを教えてくれよ」

 ハードボイルド探偵小説では気のきいた会話が命、というわけで(まあこの作品はハードボイルドとは言いかねますが)、こんな調子の会話が続きます。でも、ときどき意味がわからない、こちらに響かないところがある。生活習慣や考え方の違いのせいでしょうが、言葉遣いが古くてピンとこないところもあります。原作が1938年ですから、戦後すぐくらいの訳でしょうか。
 夫にむかって「思ってらっしゃるの」と言う妻たちは、いつ頃まで日本に棲息していたのでしょうか。小津安二郎の映画に出てくる女性たちはこんな言葉遣いをしていましたが、わたしのまわりにはまず見あたりません。

 習慣の違いということでは、保険会社の調査員を警察官が仲間のように扱ったりするのもよくわかりません。これは癒着ではないか。アメリカ探偵小説の定番で、地方検事がいばっているけれど、やっぱりなじめない。
 古書の話がいろいろ出てくるのはいいのですが、出てくる古書商たちが悪い奴ばかりなのもちょっとひっかかりました。まさかアメリカの古本屋がこんな悪い奴ばかりだということはないでしょう。それとも作者がなにか古本屋に含むところがあるのか。
 タイトルの『古書殺人事件』は、原題では”Fast Company”で、訳者によれば「ぺてん師組合とかインチキ仲間」という意味だそうです。悪い奴たちの話を書こうとしたから、こうなったと考えることにしましょう。

 というわけで、ストーリーを頭に入れるのにちょっと苦労してしまった作品でした。
 

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2009年8月 7日 (金)

楽太郎・風間杜夫二人会

 昨日(8月6日(木))、横浜にぎわい座の「三遊亭楽太郎・風間杜夫二人会」を見ました。

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<演目>
・対談      三遊亭楽太郎、風間杜夫
・禁酒番屋   三遊亭楽太郎
(中入り)
・マジック    OZ
・化物使い   風間杜夫

 円生の協会分裂騒動の話から、前回、三遊亭円丈を見にいった(川柳・円丈二人会)ので、次は円楽と行きたいところでしたが、円楽はもう引退し、来年には楽太郎が六代目円楽を襲名するということなので、今回は楽太郎です。

 「禁酒番屋」 。風邪気味と言ってましたが、声がちょっとかすれているというか、楽太郎はもっといい声だったと思います。酒を飲む仕草のうまさで沸かせていましたが、全体としては今ひとつの感じ。もちろんおもしろかったけれど。

 風間杜夫の「化物使い」。使用人の杢助と主人の区別がうまくついていない。やっぱり素人としてはお上手ですね、というところ。これも楽しませてもらいましたけれど。

 先日、古いダンボールの中からこんなチラシやパンフレットが出てきました。
 昭和52(1977)年1月21日の「第4回月例横浜落語会」です。

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 右のパンフを開いてみると

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 三遊亭ぬう生(=円丈)が「金明竹」をやっています。三十年以上前、円丈がまだ二つ目だったときにちゃんと聞いていたんですね。全然記憶にありませんが。

 横浜から東京まで落語を聞きに行くのは、今でもけっこう面倒です。当時は「にぎわい座」もありませんでしたから、いわゆるホール落語ですが、この「月例横浜落語会」に何度か行きました。出てきたのは第三回から第九回までのパンフレットで、円生のほか、小さん、正蔵、志ん朝、馬生といった当時の錚々たるメンバー、それに円楽や小三治なども出ていました。
 チラシをよく見ると、他の回は全席千六百円なのに、この円生独演会だけがA席二千円、B席千八百円と高くなっています。これは正月料金で高かったのか、名人円生だから高かったのでしょうか。
 次の年の昭和53(1978)年に落語協会分裂騒動が起き、昭和54年には円生が亡くなっています。晩年の円生を見ていたわけですが、覚えているのは、いかにも俺は名人上手だぞと言わんばかりの感じに、多少反感を感じたこと。猥雑な寄席と違って、ホールのあらたまった雰囲気で聞いたせいもあるのでしょう。

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2009年8月 5日 (水)

本棚を作る 5

本棚を実際に作る(続き)

4 経費の計算

 前回お金のことを書くのを忘れていました。本棚一つあたりいくらぐらいかかったか、計算してみます。

・ラワン合板(18mm厚)  @2,480円×3枚÷2= 3,720円
・背板用合板(2.5mm厚)   @418円×3枚÷2=  627円
・木口テープ(18mm幅)
  50mで3,750円のものを使用。本棚ひとつで約10.2m必要なので
                  3,750×10.2/50=  765円
・水性ニス
  ワシン0.7リットル、1,550円のものを、本棚一つで、3分の2から4分の3くらいつかうので、4分の3として
                     1,550×3/4≒  1163円
・コーススレッドネジ、ダボ、サンドペーパー
  どうでしょう、多めに見て                500円
・ホームセンターの板カット代
  これは合板3枚で二十数カットになるので、@50円として
                              600円
     ─────────────────────────
                           合計 7,375円

 ニス塗り用のハケとか道具の損料もありますが、だいたい、ひとつ7,500円ぐらいでできたことになります。
 シナベニヤのようないい合板や、いい塗料を選択すれば、経費はもっとかかりますが、よりいいものが作れると思います。
 参考までに報告しておきます。

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2009年8月 2日 (日)

映画『白鯨』

 小説『白鯨』を読んだついでに、DVDで映画『白鯨』をみました。(小説の話は→メルヴィル『白鯨』

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1956年、アメリカ
監督 ジョン・ヒューストン
脚本 ジョン・ヒューストン、レイ・ブラッドベリ
主な出演者:グレゴリー・ペック、オーソン・ウェルズ

 小説を読んでおぼろげに思い描いていたイメージが、映画では具体的な映像ではっきり示されます。ナンタケットの港町、怪しげな船員宿の中からはじまって、オーソン・ウェルズ演じる牧師が説教するために縄ばしごを登っていく教会とか、捕鯨船の大きさ、船員たちの服装などなど、わたしが思い描いていたのとはだいぶ違いました。
 銛は、陸上競技の槍投げのように、片手で持って何十メートルも飛ばすように想像していましたが、映画では左手で銛を支え右手で端を持って押し出すように投げていて、そんなに遠くまでは飛びません。考えてみれば、あんな重い物を、人力でそうそう遠くまで飛ばせるわけがありません。
 本ではよくわからなかった船上で鯨油をとる作業のシーンや帆綱の貼り具合なども映像を見るとなんとなくわかります。なるほどこれがアメリカ人の思い描く『白鯨』の世界なんだと、納得しました。

 映画を見る前は、話を簡略化して怪物退治の海洋冒険活劇に仕立ててあるのではないかと、勝手に想像していました。読むのが面倒だったあの鯨百科の部分をいちいち映像化することは不可能でしょう。
 見ると、拝火教徒フェダラーの一行を省略するなど、簡略化はしてありますが、オーソン・ウェルズの説教とか、エイハブ船長が恐ろしい顔で難しいことを言ったりして、原作の難解なところもなんとか伝えようとしています。脚本のレイ・ブラッドベリは、この年にはもうSF作家として名を上げていました。アメリカが誇る古典だけに、単なる娯楽作品ではなく「文芸大作」という位置づけで、できるだけ原作の雰囲気を再現しようと作られたということでしょうか。

 しかし、そのおかげで、この映画は興行的には失敗だったそうです。
 わたしはけっこうおもしろく見ました。原作の絵解きを楽しんだ部分が多かったのはたしかですが、白鯨との戦いのシーンなど、よくできていると思いました。

 ウィキペディアには「その後、「ジョーズ」等の海洋パニック映画の原点として再評価された。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%AF%A8)」と書いてあります。なるほど、この映画から面倒なところを全部除いて、純粋な活劇娯楽映画にしたのが『ジョーズ』だというわけか。なんとなく納得。

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