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2009年9月17日 (木)

外科治療には『三国志』

 そんなに忙しかったわけではないのですが、いろいろあってブログから遠ざかっていました。
 いろいろのひとつが首筋にできたデキモノ。医者はニキビのようなものだと言いましたが、大きく腫れあがって、切開され、その後、ウミや油カスを出すといって、一週間くらい傷口をいじられ続けました。昨日ようやく傷口をふさいで様子をみることになり、ほっと一息ついだところです。

 いざ切開というときに思い出したのは、子供の頃、注射とか怪我の治療をしてもらうたびに『三国志』で読んだ関羽の話を思い浮かべて痛みを我慢していたこと。。
 ご存じの方も多いと思いますが、『三国志』には、腕に毒矢が当たった関羽が、治療のため肉を切られ骨を削られても顔色一つ変えず、碁を指し、酒を飲んで談笑していたという話があります。
 小学生の頃『三国志』を読んで感動したわたしは、それ以後、注射や怪我の消毒などの際には、この関羽を思い浮かべて、男らしく我慢していたのでした。歯医者でもそうでした。顔色一つ変えず、うめき声の一つもあげず、とはいきませんでしたが、けなげに痛みや恐怖をこらえてがんばっていたのです。
 さすがにこの歳で関羽を思い描いてというわけにはいきませんが、そうやって痛みをこらえていた自分の幼い姿を思い出すと、そうそう泣き言は言えないなという気にはなります。

 何年か前に、その頃読んだ『三国志』をもう一度読みたくなって探したことがあります。覚えているのは、名作全集のようなシリーズの一冊、単行本より一回り小さい変型サイズ、黄色い地に絵入りの表紙、講談社から出ていたような気がする、といったところ。
 神田の古本屋で同じシリーズの他の本がありましたが、『三国志』はありませんでした。

 最近入手したのがこの本。野村愛正『三国志物語』(クレスト社、平成5年)。
 昭和15年に講談社の『世界名作物語』叢書の一冊として刊行され、昭和21年にそれを書きなおして同じく講談社の『小国民名作文庫』の一冊として刊行されたものを復刊したものだそうです。

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 谷沢永一、渡部昇一の二人が、この野村愛正の『三国志物語』を少年時代に愛読したと、カバーの袖に推薦の言葉を寄せています。
「私の人生学、人間学の入門書(谷沢)」、「本書は、私の知的生活の出発点である(渡部)」と二人とも手放しでほめています。
 この二人の政治向きの意見についてはかなり異論がありますが、本・読書に関するものはおもしろく読み、かつ尊重しています。

 わたしもこの二人と同様、小学生の頃読んだ『三国志』に、傷の治療だけでなく、かなり影響を受けていると思います。大人になってから吉川英治の『三国志』も、子供に買ってやった横山光輝の『三国志』も読みましたが、最初の本が『三国志』の印象を決定づけているように感じます。
 しかし、これが本当に昔読んだその本なのかどうかは、どうもはっきりしません。読んでみるとやっぱりおもしろくて、一気に最後まで読んでしまいましたが、文章までは覚えていないので、これがそうだったとは断定できません。
 同級生だった造り酒屋の息子のヨシオくんから借りたような記憶があります。そうだとすると小学校一、二年の頃のことになりますが、そんな小さい頃にこんな文章が読めたんだろうか。しかし、あのころは少年雑誌だって活字がいっぱいだったし、難しい漢字にはたいていふりがながついていました。わからないところは特に詮索しないで飛ばして読んでいたから、こんなものだと思って読んでいたのかもしれません。
 ヨシオくんとは「宋江がどうした」とか、『水滸伝』の話をした記憶もありますから、ともかく二人ともこの手の本を読んでいたのはたしかです。

 関羽の手術のところはこう書かれています。

 華陀(かだ)という呉の名医が訪ねてきて診察して、
「これは烏頭(うず)という毒のためで、早く治療しないと腕が駄目になります。今、静かな部屋に柱を一本立て、それに鉄の環(わ)を取り付けて臂を縛りつけ、私が肉を裂き骨を削って手術すれば必ず治ります。ただ並大抵のことでは到底我慢ができないでしょう」
 と言う。現在のような麻睡(ますい)薬がなかったので、こんな方法で手術するよりほかはなかったのだ。関羽は笑って、
「それはたやすいことだ。子供ではあるまいし、柱を立てたりするには及ぶまい」
 と言って、馬良を呼んで碁を囲み、酒を飲みながら右の腕を差し出す。華陀が刀をとって傷を切り開いてみると、すでに骨が毒に染まって青くなっている。それを削り取って治療する間に、血は兵が捧げた盆に一杯になったが、関羽はふだんのとおり談笑していて、顔色一つ変えなかった。
 これには華陀も驚いて、自分は長く医者をするが将軍のような人は一生にはじめてだ、真(まこと)に天神(てんしん)だと言って、礼物を受けずに帰って行った。この手術によって、さしも重かった関羽の矢傷も百日あまりですっかり全快した。(P228~229)

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 華陀(=華侘)は実在した伝説的名医ですが、実際に関羽を治療してはいないようです。麻酔を発明したとされていますが、この話では麻酔はつかっていません。まあ麻酔で手術しては豪傑の話にはなりませんし、わたしの心の支えにもなりませんでした。
 この『三国志物語』には出てきませんが、原本の『三国志演義』では、このあと華侘は、病気になった曹操に脳の切開手術をすることを申し出て、殺そうとするのかと疑われて、獄死してしまいます。このときにはちゃんと麻酔すると言っています。

 小説の『三国志』ではなく、正史の『三国志』にも「華侘伝」があって、いろんな話が書かれているそうですが、ウィキペディアのこんな話が目にとまりました。

・李痛の妻が重病にかかると、流産した胎児が残っているためと診断した。李通は胎児はもう降りたと言ったが、華佗は胎児は双子で、一人が残っているのが病因と診断し、果たしてその通りだった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%AF%E9%99%80

 これは、TVドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」で、医女になったチャングムが皇后の病気を見事にあてたという話そのままではありませんか。なるほどこれをネタにしていたのか。

 『三国志』は、韓流ドラマにも外科治療にも役立っていたという話でした。

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コメント

 正岡子規の『墨汁一滴』にこんな記載がありました。
 その昔から、三国志のこの箇所は有名だったのです。

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 毎朝繃帯ほうたいの取換をするに多少の痛みを感ずるのが厭いやでならんから必ず新聞か雑誌か何かを読んで痛さを紛まぎらかして居る。痛みが烈しい時は新聞を睨にらんで居るけれど何を読んで居るのか少しも分らないといふや
うな事もあるがまた新聞の方が面白い時はいつの間にか時間が経過して居る事もある。それで思ひ出したが昔関羽かんうの絵を見たのに、関羽が片手に外科の手術を受けながら本を読んで居たので、手術も痛いであらうに平気で本を読んで居る処を見ると関羽は馬鹿に強い人だと小供心にひどく感心して居たのであつた。ナアニ今考へて見ると関羽もやはり読書でもつて痛さをごまかして居たのに違ひない。
(二月十三日)
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投稿: 窮居堂 | 2014年5月22日 (木) 08時59分

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