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2009年9月 4日 (金)

川合玉堂が赤塚不二夫に

 川合玉堂が赤塚不二夫になりました。

 9月2日(水)、前から一度行きたかった、奥多摩の川合玉堂美術館へ出かけました。横浜のわが家から、東京都内とはいえ青梅線御獄(みたけ)駅までは片道三時間近くかかります。とことこ電車を乗り継いで、昼ごろ御獄駅につき、橋を渡ると渓流の向こうに美術館が見えます。
 玉堂の絵にそのまま出てきそうな場所です。

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真ん中上の白い建物が玉堂美術館

 ところが、美術館に着くと、意外な貼り紙が…

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 「9月1日(火)、2日(水) 臨時休館させていただきます」
 月曜休館は確認してあったのですが、これはまいりました。

 天気が良ければ山の方の御獄神社などへ行ってもいいのですが、山には写真のとおりガスがかかっているし、時おり細かい雨がぱらつきます。

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 山はあきらめて、駅に置いてあったパンフレットにあった、赤塚不二夫会館へ行ってみることにしました。「昭和レトロ商品博物館」「青梅赤塚不二夫会館」「昭和幻燈館」の三館がセットになっています。

Photo

 青梅はどういうわけか「昭和レトロ」を売り物にしていて、青梅駅にはこんな展示もありました。

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 これが赤塚不二夫会館。昔から赤塚は大好きですが、原画や写真の展示を見て、玉堂の絵のような感慨にふけるわけにはいきません。寝っころがってセンベイでもかじりながら本を読むのが正しい赤塚の鑑賞方法です。 そういう部屋をひとつ作ったらいかがなものでしょうか。
 青梅でなぜ赤塚なのかは、よくわかりませんでした。

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 これは「昭和幻燈館」。幻燈をやっているわけではなく、映画の看板と、灯りの入った昭和の町のジオラマが展示されています。

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 こういう昭和レトロが流行りだしたのは、新横浜にラーメン博物館ができた頃からだと思います。あそこへ初めて行ったときはたしかに驚きました。映画「地球防衛軍」の看板がなつかしくて郷愁にさそわれました。
 でもそうそういつまでも驚きは続きません。

 昭和の時代、まだ小さかった頃は、なんて上手に描いてあるんだろうと思って映画の看板を見上げていました。それが中学生くらいになると、微妙に顔が歪んでいたり、少々目つきが悪かったりするのがわかるようになりました。
 高校・大学生になると、「映画の看板は、あの俗悪で品のないところがいいんだよ」などと生意気なことを言っていたことを思い出します。ちょうど横尾忠則が登場し、「キッチュ」という言葉が流行りだした頃でしょうか。

 青梅の町にかざってある映画の看板も、キッチュな、映画看板の正道を行くものです。しかし上映案内という本来の機能を失ったものを、博物館の中ならともかく、町のあちこちにいつまでも飾っておくというのはいかがなものでしょうか。
 下の写真は青梅駅の地下通路です。左側にも同じ様な看板(洋画の「鉄道員」!他)が飾ってあります。観光客のわたしは一瞬ハッとしましたから、そういう意味では目を引きますが、毎日通勤でここを通るとしたら、ちょっと疲れそうです。高倉健も大友柳太朗の怪傑黒頭巾も大好きでしたけど。

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 赤塚不二夫館へもう一度行くことはないでしょうけれど、川合玉堂美術館は、天気の良さそうな、ちゃんと開館している日に、もう一度行ってみることにします。

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