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2010年1月27日 (水)

旭輝黄金鯱

 1月25日(月)は、国立劇場で歌舞伎「旭輝黄金鯱(あさひにかがやくきんのしゃちほこ)」をみてきました。

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 「尾上菊五郎大凧宙乗りにて 黄金の鯱盗り相勤め申し候」 とうたい文句にあるように、凧に乗って名古屋城の金の鯱の鱗を盗んだという伝説の盗賊、柿木金助(かきのききんすけ)を主人公にした芝居です。
 歌舞伎にこんな話があるとは知らなかったのですが、天明二年(1782)の並木五瓶『けいせい黄金鯱(こがねのしゃちほこ)』を基に、今回、復活歌舞伎として書きなおしたものだそうです。

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 娯楽のための芝居に徹した、楽しい舞台でした。

 派手な立ち回り。囲まれた柿木金助が煙玉を投げつけ、煙とともに姿を消す。宝剣「龍神丸」を抜くと雷鳴が轟く。大凧に乗って観客席の上から舞台の天守閣の屋根に降りる。鯱に乗るとその鯱ごと舞い上がっていく…
 子供の頃、手に汗握って夢中で見た時代劇映画を思い出しました。煙でパッと消える、巻物を口にくわえ印を結んで変身する──忍術は驚異であり憧れでした。目の前に展開する予想外の画面に魅せられたものです。その原型というか、もとになった芝居の世界を見ることができました。

 話としては、いつもながらの荒唐無稽で、盗賊の柿木金助は、実は足利・小田(=織田)家に滅ぼされた三韓の武将の子供で、父親の復讐と日本征服をたくらんでいます。金助と対立する盗賊の向坂甚内は、実は赤ん坊のときに取り替えられた小田家の跡取りだったことが判明し、名古屋城の城主になってしまいます。そしてさらに、その甚内と金助が実は乳兄弟だったことがわかり、仇敵の子を慈しんで育てたことを知った金助の母は、自ら金助に斬られて死にます…
 これが三幕目までですが、当時の作者達は、現実にありうるかどうかなど問題とせず、どこまで複雑に因果の糸をからめられるかを競いあい、観客のほうも、話が複雑になればなるほど、「これまた趣向でげすな」と喜んでいたのでしょう。そうでも考えないと、こんな話にはなりようがないという気がします。そもそも「三韓」って、神功皇后はまるで時代が違うじゃないか。
 だから細かいところに目くじらたててもはじまりません。趣向、遊びと心得て楽しむことです。この後の大詰の「御師大黒戎太夫内の場」では、それまでと一変して金助が道化になってしまい、松竹新喜劇ふうに笑わせてくれます。
 そして次の「木曽川の場」では、本水(ほんみず=本当の水)をつかって滝のような洪水を見せ、妖術で暴れ出した鯱と水の中で格闘するというクライマックスシーンになります。舞台のすぐ前の席の客には、しぶきで濡れないようにビニールが配られていました。

 全体の構成など、まだ改良の余地があるのではとも思いましたが、ともかく手をかえ品をかえ、客を楽しませる仕掛けに満ちた芝居で、堪能しまた。

 今回は三階席、いわゆる天井桟敷からの見物でした。やっぱり役者の顔などはよくわかりませんでしたし、正月公演で「手ぬぐいまき」があっても三階までは飛んできませんでしたが、十分楽しむことができました。しばらくは、これでいこうと思います。

 この芝居は「名古屋開府400年祭パートナーシップ事業」だそうで、こんなパンフレットも置いてありました。きっと名古屋の御園座(みそのざ)でもやるんでしょうね。

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 わたしは尾張の国に育ち、名古屋の高校に通いました。凧に乗った盗賊の話は子供の頃から聞いていました。だからこの芝居の「黄金鯱(きんのしゃちほこ)」というタイトルにすぐ反応し、これは観なければ、という気になりました。
 金の鯱は名古屋の誇りです。なにしろわたしの高校では、校章にも鯱がデザインされていて、講堂兼体育館は「鯱光館(ここうかん)」と呼ばれていたくらいです。

 最近あちらへ行っても名古屋は素通りでしたが、今年は一度寄ってみることにしましょう。

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