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2010年2月24日 (水)

スチャラカ社員

 はじめて藤田まことを見たのは、中田ダイマル・ラケット主演の「スチャラカ社員」というテレビ番組でした。女子社員の尻を追いかけてばかりいるという役どころで、最初は女優の長谷百合を「ハセく~ん」と追いかけ、その後、藤純子(=富司純子)に代わって、「フジく~ん」になりました。藤純子はまだその頃高校生で、素人っぽくて、後に「緋牡丹のお竜」さんになるとは、とても考えられませんでした。        

Photo                 澤田隆治『笑いをつくる』P188

 「スチャラカ社員」もかなりの高視聴率を上げた人気番組でした。「てなもんや三度笠」と同じ香川登志緒(かがわとしお)作、澤田隆治(さわだたかはる)演出というコンビで、この二つの番組を何年も並行して作り続け、高い人気を保っていたというのはたいしたものです。
 番組制作の裏話などが、澤田隆治の『笑いを作る 上方芸能笑いの放送史』(放送出版協会、2002)に書かれています。これは1994年にNHK人間大学で放送された「上方芸能笑いの放送史」のテキストを本にしたものです。澤田隆治が講師でした。

Photo         左が、『笑いを作る 上方芸能笑いの放送史』、右がテキスト                   

 放送されたとき、テキストを買って読んだら、この「スチャラカ社員」のところにこう書いてあって、ちょっとがっかりしました。

清潔な色気が売物の長谷百合は、娘役として売り出していたが、出社すると「ハクセーン」を連発する藤田まこととのコンビは、サラリーマンの観客に大いにうけた。「ハクセーン」がギャグになっていったのだ。(テキストP153)

 「長谷くーん」が「ハクセーン」とは、何だこれは。番組を見たことのない奴がテキストを編集しているな。藤純子は「フクジーン」になるとでもいうのか、と思っていたら、八年後の単行本の『笑いを作る』も「ハクセーン」のままで、訂正されていませんでした。作者もチェックしなかったんでしょうか。ドラマ「白線流し」というのもありましたが…

 小林信彦の『日本の喜劇人』(新潮文庫、1982)にも、この二つの番組の全盛期の頃、大阪で香川や澤田に会っていろいろ聞いた話などが書かれています。
 前述の藤純子については「年齢のわりに色気のある顔立ちで、陰気であり、足が太かった。」とあります。

Photo_4

 小林信彦は中原弓彦名義の『虚栄の市』から読んでいて、好きな作家の一人です。中でも『唐獅子株式会社』などのパロディものは大好きですが、エッセイや私小説風の作品にときどきでてくる「東京中心主義」が、ちょっと気に入りません。
 『日本の喜劇人』にも、藤山寛美の昭和46年の新橋演舞場の舞台がエポック・メイキングであった、喜劇の新しい時代がきたなどと書いていますが、東京の人はそれまであまり寛美を見る機会がなかった、小林もそれまで見たことがなかったというだけのことでしょう。その頃大阪では、寛美の芸はすでに確立されており、知らない人はいないくらいのものだった筈です。
 大阪のテレビ番組『やりくりアパート』や『番頭はんと丁稚どん』についても、ためらうことなくこう言います。

 しかしながら、これらは、あくまでもローカルなものであり、しょせん、まともな喜劇愛好家の対象となるものではなかった。(『日本の喜劇人』P214)

 楽しんでみていた大阪人は怒るぞ、と思います。実際、東京嫌いの香川登志緒に「香川さんのショウ感覚は、東京で、完全に通用するものですよ」と言って、叱られた話も書いています。
 小林も「スチャラカ社員」や「てなもんや三度笠」は認めていて、その後香川と澤田が決裂してしまったのは、大阪のコメディのために大きな損失であった、とも書いてあります。(同書P233)

 わたしの不満はともかく、『日本の喜劇人』は名著です。

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