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2010年2月11日 (木)

北仲スクール開校記念シンポジウム

 内田樹(うちだたつる)のブログを見ていたら「北仲スクール開校記念シンポジウム」に出るという記事が目に留まりました。この「北仲」というのは横浜市中区の北仲通のことで、しかも予約不要、入場無料だったので、2月4日(木)、行ってきました。
 北仲スクールというのは、横浜にある七つの大学が連携して都市文化創造と都市デザインの担い手を育てるための講義や公開講座などを行うもので、連携大学の学生は、自分の大学の単位にもなるのだそうです。(→http://www.kitanaka-school.net/

Photo_4

 だから参加者はほとんどが学生のようで、わたしのような年寄りは一般聴衆にはあまりいませんでした。

 シンポジウムは、内田樹と東大教授の吉見俊哉、それに司会の横浜国大教授の室井尚による「ポスト戦後社会と都市文化の行方」というタイトルで、日本の戦後社会の変容を中心にした、雑談というか漫談のようなもので、主に内田樹の話が聴衆にうけていました。

 内田樹の話というのは、こんなものです。

「小泉純一郎は、自分のやった政策のことごとくが失敗に終わったのに、実に晴れやかな顔で引退した。本人は意識していないけれど、小泉は実は反米で、親米をよそおってアメリカの言うとおりの政策をいろいろ実施して、全部失敗した。そして『ほーらやっぱりアメリカの言うことなんか聞いてたらだめだろう』と無意識で思っている。そうでなければ、あんなに晴れやかな顔で引退できるわけがない」
 これには、こういう説明がつきます。

 横須賀で育った小泉少年はある日帝国海軍司令部に翩翻と翻っていた日章旗が星条旗にとってかわられるのを見た。
そのとき小泉少年は「星条旗と日章旗は同一のものである」という妄想を病むことによって「死んだ兄たち」への崇敬と愛情を保持するという大技を繰り出した。
小泉少年が帝国海軍軍人たちに向けた憧憬のまなざしはそのままアメリカ兵たちのうえに投影されたのである。(ブログ「内田樹の研究室」http://blog.tatsuru.com/2009/12/より)

 「死んだ兄たち」というのは実の兄ではなく、比喩的に帝国海軍軍人たちをさしています。
 たしかに昭和17年(1942)に横須賀に生まれて育ったということは、物心がつきはじめた頃に、帝国海軍の「軍都」が米軍の「ベース(基地)」と「どぶ板通り」の街に変貌していくのを目の前で見ていたということです。だからそういう屈折した心理があったとしてもおかしくはありません。しかし実証することはできません。本人にもわからない無意識の話です。

Photo_3              最近のどぶ板通り。きれいです。

 また、吉見俊哉の1970年代に日本は変わりはじめたという話を受けて、それはその頃明治生まれの人間が定年で、社会の第一線から離れるようになったからだ。明治人というのは、自らの「明治人」という幻想に向かって自分を作り上げ、大正人とは差別化を図ってきた、というような話もありました。
 まあ明治45年(1912)生まれが昭和47年(1972)に六十歳。当時はまだ五十五歳定年が普通でしたから、その頃明治生まれが現役から引退していったのはたしかでしょう。
 しかし明治人が「明治人」にこだわっていたという内田の論拠は、自分の父親が明治45年生まれで、「俺は明治人だ、大正人とはちがう」と非常にこだわっていたというだけの話で、これもちゃんと実証されたとは言えません。
 わたしの父は明治39年(1906)生まれでした。たしかに「明治生まれの誇り」のようなものはありましたが、それほど「明治人」にこだわっていたようには見えませんでした。
 内田の父親の「明治45年生まれ」というのがポイントではないかという気がします。明治最後の年で、7月30日からは大正元年になっているので、同学年に明治生まれと大正生まれがいます。子供の頃からこの人たちは、どちらの生まれかにこだわっていたのでしょう。わたしの父などはまわりが全部明治生まれですから、それほど気にする機会も必要もなかったと思います。
 わたしは戦後、昭和22年の生まれですが、ときどき「おまえたちは戦争を知らないからダメだ」と言う上級生がいました。そんなこと言うのはたいてい昭和19年か、20年の8月15日までに生まれた上級生で、要するに冗談なのですが、これも言い募っていると、本人は戦争を知っているような気になってくるのかもしれません。

 個人的な、自分の父親がそうだったというだけの話を、もっともらしく一般化してしまう。内田の話は、ブログや本で読んでも「ホントかな」と思うことが多いけれど、趣向、見立てとしてはけっこうおもしろくて、なんとなくそんな気になってしまうところがあり、最近愛読しています。これも芸のうちでしょうか。
 ナマで聞いていると、早口で聞き取りにくいところもふくめて、なるほどこの話はこういう口調で語られるものだったのかと、腑に落ちるところがありました。
 学問として、ということになると疑問もありますが、社会漫談として有益でした。

 今回はおまけに、横須賀の歌「タイガー&ドラゴン」の桑田佳祐版へのリンクをつけておきます。→
http://www.youtube.com/watch?v=ab_kb1cuHk4&feature=related

 

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