« 将軍吉宗と尾張宗春 | トップページ | 北仲スクール開校記念シンポジウム »

2010年2月 6日 (土)

『尾張春風伝』

 尾張徳川家七代目藩主徳川宗春の一代記を小説にしたのが名古屋出身の作家清水義範の『尾張春風伝』(幻冬舎、1997)です。
 下巻の帯にはこう書かれています。

貫いて見せよう、自由なり。
人間に規律をあてはめ、禁欲を求めた将軍吉宗とは対照的に、人の欲望を肯定した政治で庶民の喝采を浴びた破天荒な殿様・徳川宗春。思いがけず、時代の中を一陣の突風として吹き抜けた男のオリジナリティあふれる空前絶後の生涯

Photo_2
 藩主の二十男であって、尾張藩を継ぐことなどほとんど考えられなかった部屋住みの宗春は、自由・平等・伊達を愛する快男児だった。先代将軍家宣の側室への恋、そして尾張を狙う紀州の忍びの者などがからんで、思いがけず尾張藩主になった宗春は、人生は楽しみがあってこそと、民にも欲望や自由を認め、享保の改革にさからう大胆な藩政改革を進める。しかし吉宗の陰謀と幕府の権力、尾張藩に巣くう因循姑息な体質に、宗春は敗れざるをえなかった。

 恋とか忍びとか架空の話もありますが、幕府との関係や施策などは、おおむね「将軍吉宗と尾張宗春」のとおりです。

 小説の前半で宗春が快男児であればあるほど、後半で幕府にも尾張藩の旧勢力にも認められないのが理不尽に感じられてきます。
 清水義範は、吉宗も尾張藩の姑息な家老たちも、よく時代劇にあるような悪人としては書いていません。時代の枠の中でそのように動くことはある意味当然であったと認めています。宗春が時代としては突出していたがゆえの悲劇だ、ということになりますが、どうもそのあたりが尻すぼみで、これだけの快男児が、たいした抵抗をすることもなく幕府に恐れ入ってしまうことが、うまく了解できませんでした。
 歴史的にはそうだったので、それを踏み外さないとすればこうなるしかなかったのでしょうが、わたしとしてはちょっと不満が残る作品でした。

 宗春をここまで快男児にしたのなら、思いきって吉宗をそれに匹敵するくらいの悪役、「暴れん坊将軍」の敵役くらいにしたらどうだったでしょうか。
 主人公がスーパーマンなら、悪役も同じくらい強くないと話が引き立ちません。さいわい吉宗には、悪い噂もあります。
 まず紀州の藩主になれたのは、長兄、父、次兄が一年のうちに相次いで死んだため。将軍になれたのは、六代将軍家宣、尾張藩主吉通、七代将軍家継がこれも一年の間に相次いで死んだため。尾張藩では吉通の後継五郎太も三カ月後に急死し尾張の正系が絶えている。
 これらについては、吉宗は紀州時代から横目を駆使し、幕府にはお庭番をおいたように、隠密を使った情報収集や工作を得意で、当時から不審がる者があったというくらいです。尾張人の目から見れば、吉宗がやったに決まっている。
 清水はそういうこともあったかもしれないとほのめかしているだけですが、はっきり吉宗の仕業として(そういう小説もあったような気がします)、宗春にもはっきり対抗意識をもたせて二人を対決させたらどうだったでしょうか。もっと盛り上がっておもしろくなったに違いないと思います。
 しかしそうすると、反旗を翻して名古屋城に籠城するというような話になって、史実とうまく折り合いをつけられなくなってしまいそうでもあります。まあしょうがなかったのかもしれません。

Photo_3             幻冬舎文庫版『尾張春風伝』(2000年)
              写真は宗春所用の火事頭巾と火事羽織

 清水には、『金鯱の夢(きんこのゆめ)』(集英社、1989)という作品もあります。
 秀吉には秀頼の他に秀正という息子がいて、これが大阪城の秀頼を倒し、名古屋に豊臣幕府を開く。日本の公用語は名古屋弁になり、泰平と狂乱の名古屋時代の260年が続くという、尾張人にとってはなんとも楽しい話でした。
 『尾張春風伝』は、これとはちがって、史実をふまえて書いたということでしょうが、わたしとしては『金鯱の夢』の方が、ずっとおもしろかったなあ。やっぱり清水は、ハチャメチャ系の話がいい。

Photo              集英社文庫版『金鯱の夢』1992

|

« 将軍吉宗と尾張宗春 | トップページ | 北仲スクール開校記念シンポジウム »

なむや文庫雑録」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『尾張春風伝』:

« 将軍吉宗と尾張宗春 | トップページ | 北仲スクール開校記念シンポジウム »