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2010年3月

2010年3月28日 (日)

漢字の覚え方一覧

 以前書いていた「声に出して覚える漢字」は、中途半端なまま終わっていますが、ときどき検索フレーズのヒットがあるようなので、中に出てきた漢字の覚え方の一覧表をつけておきます。残念ながら、あまり役に立ちそうなものはありませんね。

   漢字  覚え方
 あいさつ  挨拶  むやみにくった(※「つくり」の覚え方)
 あいとこい  愛と恋  愛は真心、恋は下心
 あさ    十日十月『朝』が来た
 あたま    いちくちソいち、いちノめハ
 いかり    女の又に心
 いぬ  戌・戊  イヌ(戌)にボウ有り,ボウ(戊)にボウ無し
 いのち    命はAOP
 う・かん  于・干  ウ(于)カン(干)はね,ぼう
 うつ 1    林に空き缶 を捨てたら、環境破壊で『凶』で、ヒ~~~
 うつ 2    リンカーンはアメリカンコ ーヒーを三杯飲んだ。
 うつ 3    きかんじゅう、わっと驚く米屋さんのヒサン
 うるわしい  しい  鹿がめがね掛けて、私きれい?
 おどろく    ケイマに驚く
 くま 1    むつきひーひーどどんがどん
 くま 2    ムつきてんてんヒヒてんてん
 こい    いとし いとしと いうこころ
 ことぶき    侍の笛は10寸。(士のフエは一インチ)
 さくら   二階の女が気に掛かる(二貝の女が木にかかる)
 さわぐ    馬の又に虫が入ってさわぐ
 さい  栽・裁・戴・載  木はウエル、衣はタツなり、異なるはイタダクなれば車ノスなり。(「戴」の音は「タイ」)
 し    横棒でターっと叩いたらヒーって死ぬ
 しき・しょく  識・職・織・幟  言うはシキ(識),耳シヨク(職)なれば,糸はオル(織)巾偏こそはハタジルシなれ
 しゅ    民主の主の字を解剖すれば、王の頭に釘を打つ
 じゅう・かい  戎・戒  十(じゅう)ジュウ(戎)、廿(にじゅう)カイ(戒)
 すい    粋人は 米を九十回も かみ
 そう    イトーハムの心
 つめとうり  爪と瓜  瓜に爪アリ、爪に爪なし(うりにつめあり、つめにつめなし)
 つゆ    雨のあと、路ゆく人は露にぬれ
 てつ    金の王なる哉(かねのおうなるかな):「鉄」の旧字です。
 てら    ドスンとお寺で音がした
 とおる・きょう  亨・享  トオル(亨)は通らず、通るはキョウ(享)
 ど    女の又に力
 はな    自(おれ)が田は廿(にじゅう)もあると鼻にかけ
 ほれる  れる  深切な心忽ち人が惚れ
 み、おのれ、すで 1  巳・己・已 ミは上に、オノレ、ツチノト下につき、スデニ、ヤム、ノミ中ほどにつく
 み、おのれ、すで 2  巳・己・已  ミ(巳)は上に,スデニ(已)半ばと思えども,オノレ(己)は下と思え世の中
 み、おのれ、すで 3  巳・己・已  ミ(巳)シ(巳)は上,ヤ(已)むイ(已)はスデ(已)に半ばなり,オノレ(己)ツチノト(己)コ(己)キ(己)下につく」
 み、おのれ、すで 4  巳・己・已  スデ(已)半ば、オノレ(己)は下に付きにけり。ミ(巳)は皆付きて、「イ(已)キ(己)シ(巳)」とぞ読む
 むらさき    此の糸は紫(このいとはむらさき)
 らん    草葺きに門を構えて西側の向ひに秋の花ぞかをれる

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2010年3月25日 (木)

ビワの袋かけ、海

 南無谷へ行った3月19日、風が強かったので、空がかすんでいるのは海岸の砂が巻き上げられているのかと思ったら、大陸から飛んできた黄砂のせいでした。20日から21日は、低気圧の通過で、雨や雷も伴って大荒れの天気でした。

 さいわい21日の午前中に雨はあがり、作業は予定どおり進行しました。
 今回は、まずビワの袋かけをやらないといけません。今年は、去年豊作だった反動と、冬が寒かったこと、高い枝を切ったことなどが重なって、袋をかける数も少ないし、実の大きさもいまいちで、残念ながら不作です。

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 袋かけの作業の詳細については去年書いた「ビワの袋かけ」ごらんください。去年よりずいぶん短い時間で終わってしまいました。こうなったら来年に期待です。

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 その他の畑仕事は、ジャガイモ植えがメインで、サンチェの種まきなど。あとは夏野菜の植え付けに備えて、畑を再度耕しました。家庭菜園用の耕耘機、小さいながらけっこう役にたちます。

 ちょうど海岸にワカメが打ち上げられる時期なので、ひょっとしたらと行ってみました。
 風が強く波が高い。南無谷海岸ではめったに見られない光景です。

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 ちょっとワカメという雰囲気ではありませんでした。

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 こんなものが打ち上げられていました。フグです。

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 それでもほんの切れ端のようなワカメをひろってきましたが、ちょっと固かったので食用にはしませんでした。
 南無谷に来はじめた頃は、毎週のように来ていたので、時期にはちゃんとワカメをひろっていました。下の写真は何年か前のワカメ干し風景です。最近は来るのが間遠になって、なかなかワカメが上がる時期ととタイミングがあいません。

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 夕方、二階のベランダから、夕焼けの中に富士山が見えました。

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2010年3月24日 (水)

春の花たち

 3月19日(金)から22日(月)まで南無谷に行ってきました。またしばらくほったらかしになっていたので、庭には雑草がはびこりはじめてきましたが、その中でいろんな花が咲いていました。もう春です。

 菜の花です。

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 梅は見ないうちに終わっていました。サクラは蕾が少しふくらんできたくらい。これはサクランボの花。去年は実のほとんどを鳥に食べられてしまいました。さて今年はどうしようか。

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 プラムの花。これも去年は、あまり実がとれませんでした。

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 アンズの花も開き始めました。

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 水仙は、今年もあちこちにいろんな種類の花が咲いています。
 よろしければ昨年の頁(→水仙いろいろ)もご覧ください。

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 白木蓮はもう終わりで、赤い木蓮はこれからですが、咲いたときを見られるかどうか。

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 チューリップもこれからです。

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 これは勝手に咲いているタンポポ。

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 ソテツの雌花についた実。はじけています。生命力旺盛です。

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2010年3月21日 (日)

金門五山桐

 最近、芸能鑑賞の話が多くなっています。
 3月17日(水)は、国立劇場花形歌舞伎「金門五山桐(きんもんごさんのきり)」を見てきました。通常「楼門五三桐(さんもんごさんのきり)」と言われている芝居ですが、「金門五山桐」が原題なのだそうです。
 安永七年(1778)並木五瓶の作で、筋が複雑に入り組んでいて長く、現在では有名な「南禅寺山門の場」だけ独立して演じられることが多いが、今回は筋を圧縮して、五幕九場の通し狂言にまとめたものだそうです。

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 前にも書いたように(傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段)、わたしは「南禅寺山門の場」の石川五右衛門のセリフがお目当てです。

絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両

というやつです。これもギャグやパロディでよく見ました。ドリフターズの加藤茶が得意でした。

 いよいよ本物が見られる期待の場では、幕があいてからも水色の浅葱幕が奥を隠しています。そして浅葱幕がさっと落とされ、色鮮やかな山門と五右衛門の姿があらわれたと思ったら、いきなり「絶景かな…」がはじまってしまい、それがちょっと聞き取りにくかったので、あれれ、と思っているうちにこのセリフは終わってしまいました。歌舞伎初心者ですから仕方ありません。次の機会にはきちんと聞きとるようにしましょう。
 五右衛門の金襴の衣裳、山門のせり上がり、上と下でにらみ合って見得を切る五右衛門と真柴久吉(=豊臣秀吉)、そして散る桜と絢爛豪華な舞台ですが、なんと十五分ほどで終わってしまいます。
 五右衛門と秀吉が立ち回りでもやるのかと思ったら、見得をきっただけでおしまいでした。ともかくきれいなところ、派手なところを見せてやろうという場なのでしょう。その絢爛豪華さには感心しましたが、ちょっとあっけない舞台でした。

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 山門の五右衛門に、白鷹が飛んできて、死ぬ間際に父親が書き残した手紙を届けます。この白鷹は、第二幕で、北宋の徽宗(きそう)皇帝(在位1100~1125年)が描いた名画「白鷹図」の掛け軸から抜け出てきたものでした。
 ちょうど前日の3月16日にテレビの「開運なんでも鑑定団」を見ていたら、この徽宗皇帝の「白鷹図」が出てきました。名品とされているので昔から贋作が多いそうで、出品されたものも贋作でしたが、本物だったら数十億円というお宝だそうです。なるほど歌舞伎にも出てくるほど有名な作品だったのかと、いささか驚きました。

 この芝居にはもうひとつ有名なお宝が出てきます。「千鳥の香炉」です。五右衛門が秀吉の寝所に忍び込んだ時、この香炉の千鳥が鳴きだしたため捕えられたという伝説があり、この芝居でも鳴きだした香炉のために五右衛門が囲まれてしまいます。
 こちらの方は昔から聞いたことがあり、最近ではこんな本でも読みました。

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 細野不二彦『ギャラリーフェイク 24巻』(2002、小学館)の「千鳥香炉」です。
 歌舞伎の「五三桐」を見るところからはじまって、役者の海老蔵のもっていた千鳥香炉を取り返すという話になっています。

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 余談はさておき、今回の芝居は、筋を圧縮したということですが、まだすっきりしないところがあるように感じました。それと泣かせる場面が弱かった。しかし、山門の場や、白鷹が飛んだり、葛籠抜けの宙乗りなど、豪華絢爛、華麗な舞台を十分堪能することができました。

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2010年3月16日 (火)

第四回日向ひまわり独演会

 3月13日(土)は第四回日向ひまわり独演会でした。場所は前回と同じ、横浜にぎわい座地下の「のげシャーレ」。

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 女流講談です。余談ですが、最近、女流義太夫が、略して「ジョギ」と言われています。どうも最近の言葉の略しかたや語感には抵抗を感じるものが多い。これでいくと女流講談は「ジョコウ」で、修行中は「女講哀史」になってしまいそうです。

 次第は

 「清水次郎長伝 小政の生い立ち」
 トークショー
 (中入り)
 「大岡政談 万両婿」
  抽選会

 前回(日向ひまわり独演会)と同じ組み立てで、今回もなごやかに進行しました。

 「大岡政談 万両婿」は落語では「小間物屋政談」と言われる話。
 旅に出た行商の小間物屋が、箱根で大店の小間物屋の主人を助けた後、上方をまわっているうちに、小田原で死んだ大店の主人と間違えられて死んだことにされてしまう。江戸へ帰ってみると、女房はすでに他の男と結婚しており、戻る場所がない。
 そこで大岡越前が、主人が死んだ大店の入り婿として裁きをつけ、若くて美人の女房と資産三万両の大店を獲得したという、ちょっとうらやましい、調子のいい話。
 講談と落語はどうちがうのか、ちょっと考えてしまいました。これは懸案事項とします。

 「清水次郎長伝 小政の生い立ち」は、小政が子供のとき、旅の途中の次郎長と知り合い、母親が死んだ後、次郎長を頼って清水へ行くことになるという話。
 親孝行な小政、という設定で、かわいらしく演じられていましたが、子供を集めてバクチをして、その稼ぎで病気の母親を養うというのは、親孝行だと言っていいのかどうか、疑問が残るところです。

 清水次郎長の話は子供の頃から、映画やマンガで親しんできたので、今でも何人もの子分の名前がすぐ思い浮かびます。筆頭にあげられるのが大政・小政。その小政は実際にはどんな男だったのか。

 今川徳三『東海遊侠伝 次郎長一代記』(1983、教育社)という本があります。
 講談や浪曲の元になったという天田五郎(愚庵)の『東海遊侠伝』を現代語に書き改め、解説をつけた、実録清水次郎長伝です。

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 小政については、こう書いてあります。

 小政は遠州浜松の生まれで、十一のとき次郎長の養子になった男である。勇猛で気性が荒く次郎長について賭場を回りながら、しばしば喧嘩沙汰を起こし、名をあげていったが、小柄のうえに政五郎という名であったことから、人呼んで小政といった。(『東海遊侠伝 次郎長一代記』P134)

 さらに著者(今川徳三)の解説ではこうなっています。

小政は天保十四年(一八四三)十二月、遠州浜松の魚屋に生まれ、幼名は冬吉。次郎長の養子になって山本音五郎といい、別に政五郎ともいった。
 次章に述べる江尻追分駕籠屋の石松の敵吉兵衛殺しに、次郎長に従ったときは弱冠十六歳であった。
 五尺にみたぬ小柄だが喧嘩早く強かった。性格がやや凶暴で陰険なため、他の子分とそりが合わず、清水より浜松で暮らす方が多かった。明治七年五月、三十二歳の若さで亡くなった。
 一説に毒殺という。(同書P139)

 流行歌の文句の「粋な小政の…」とは、だいぶ違って、あんまりおつきあいしたくないような人物だったようです。

 もともと『東海遊侠伝』は次郎長からの聞き書きなので、都合の悪いところはぼかされ、次郎長が美化されているということですが、読んでみると、次郎長のやっていることは縄張り争いの喧嘩出入りやイカサマ博打など、ろくなことはありません。それが英雄伝説になってしまったというのも、不思議といえば不思議な話です。
 本としては、子供の頃から親しんだ石松とか吉良の仁吉とかいろいろ出てきて、なるほど実際はこうだったのかと納得した、なかなかおもしろい本でした。
 上の引用の「吉兵衛」が悪役「都鳥の吉兵衛」です。次郎長の仇敵黒駒の勝蔵も当然出てきます。中には「灰神楽の三太郎」のモデルのような話もありました。次郎長はじめ、この頃のヤクザはやたら人を殺していたようですが、いざ出入りとなると恐くなって逃げ出してしまうヤクザもいたようです。
 吉良の仁吉が死んだ高神山(=荒神山)の喧嘩のもとになった神戸(かんべ)の長吉(ながきち)は、伊勢の吉五郎が本来の名前だが、顔が人並みはずれて長いことから長吉と呼ばれていたそうです。でも、こんなことをおもしろがっても、それがどうしたの言われればそれまでですが。

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2010年3月12日 (金)

倒れた大銀杏

 鎌倉の鶴岡八幡宮の大銀杏が倒れました。3月10日未明のことだそうです。最初にニュースの字幕を見たときは、まさか鶴岡八幡宮だとは思わず見逃してしまい、後で知って驚きました。
 前にも書きましたが(鎌倉へ初詣)、鶴岡八幡宮へは毎年初詣に行っています。子供が小さいときには大銀杏の前で写真を撮るのが恒例でした。

 3月11日(木)、八幡宮へ行ってみました。
 予想していたとおり、この時期の平日としてはかなり多い人出でした。わたしのような思い入れのある人もけっこうたくさんいるのでしょう。

 正面の入口の参道。いつもは遠くからでも見えた銀杏が見えません。

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 下の写真は今年の1月21日に撮った写真。左上に大きく銀杏が見えています。

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 中へ入っていくと、銀杏のまわりが囲われ、さらにそのまわりが広く立入禁止になっていて、正面の階段は登ることができません。人垣の向こうに倒れた銀杏が見えます。

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 これも1月21日の写真と比べてみます。こんなに大きかった木が、本当に倒れてしまいました。

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 これは裏側の木陰から撮った写真。横倒しになっています。

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 樹齢千年と言われています。ずっと昔からあって、これから先もずっとあるものだとばかり思っていました。いつかは…と言えば、そのとおりですが、まさか「昨日今日とは思わざりしを」 というところです。合掌。

 久しぶりにいい天気だったので、この後、来迎寺(らいこうじ)から頼朝の墓、大江広元の墓をまわって帰りました。
 この西御門のあたりは、昔、高校時代の友人が一時期住んでいたことがあって、何度か訪れたことがあるのですが、それがどこだったのか、もうわかりませんでした。画家の平山郁夫や外交評論家の加瀬俊一の家が近くにあったと記憶しています。

 これは来迎寺の梅。梅ももう終わりです。

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2010年3月10日 (水)

柳家喬太郎三題噺

 3月7日(日)はまた、大船の鎌倉芸術館で「かまくら名人劇場番外編・柳家喬太郎日本列島落語家計画in鎌倉 三題噺の会」 でした。雨で、寒くて、今回ははじめから車にしました。
 喬太郎は最近人気があるので、一度見たいと思っていたのですが、なかなか切符が取れず、今回ようやく見ることができました。

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 演目は

 柳家小んぶ 初天神
 柳家喬太郎 転宅
 柳家喬之助 茶の湯
 (中入り)
 三増紋之助 江戸曲独楽
 柳家喬太郎 三題噺

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 前座がうまくないのはともかく、喬之助の「茶の湯」もパッとしませんでした。

 喬太郎はさすがにおもしろい。
 「転宅」の、泥棒に入られた二号さんの表情や素振りがおかしい。
 三題噺は、「しらす干し、ひとりカラオケ、フラメンコ」のお題を受けて、スペインから帰ってくる恋人を迎える荒川区地場産業に勤める青年という話を作りました。
 なつメロやテレビのなつかしの番組をネタにしたギャグでつないでいくのはいつものことなのでしょう、手慣れたものです。ただわたしとは年代が違うから、喬太郎にはなつかしのネタでも、「それ誰?、それ何?」というのがそこそこありましたが、たっぷり笑わせてもらいました。
 

 喬太郎の色紙を持っています。

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 実はこれはプロレスラーの前田日明の色紙のおまけで入手したもの。最近売り出しの落語家で、週刊文春に川柳の欄(「川柳のらりくらり」)も持っていると聞かされ、喬太郎を知りました。しかし、そのとき裏に貼ったメモを見てみると、なんと柳家「香」太郎となっていました。喬太郎さん、ごめんなさい。

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2010年3月 3日 (水)

傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段

 2月28日(日)は、大船の鎌倉芸術館へ文楽を見に行きました。「文楽への誘い -初めてでも楽しめる文楽」という、入門者向けの催しです。
 出かけようとしたら、チリ地震による津波がやってくるというので、京浜東北線が桜木町・大船間運行見合わせになっていて、ちょっとあわてました。けっきょく車で行きました。

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 これを見ようと思ったのは、出し物が「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段(けいせいあわのなると じゅんれいうたのだん)」だったからです。
 あの有名な
 「ととさんの名は 阿波の十郎兵衛」
というセリフを、ちゃんと本物で聞いてみようというわけです。

 子供の頃、漫才やコントなどで、この話はよく取り上げられていて、
「ジュンレイにゴホウシャー」
「ととさんの名はアワのジューロベー…」
などは、自然に覚えてしまいました。
 しかし、考えてみると、そういうパロディで見たり聞いたりしたことがあるだけで、元の浄瑠璃や歌舞伎は見たことがなく、そもそもどういう話なのかはよく知りません。

 舞台の前半に義太夫の太夫、三味線、人形遣いの解説があって、観客全員に義太夫をかたらせるところで取り上げられたのは、やっぱりこのセリフでした。

「アイ、父様(ととさん)の名は十郎兵衛、母様は(かかさんな)お弓と申します」と、聞いて吃驚り、

 「ととさんの名は阿波の十郎兵衛」と覚えていましたが、「阿波の」はありませんでした。
 声はつくるな、おじんの声でもいい。子供のセリフだから「と・と・さん・の・名・は」と、つぶつぶに言え。恥ずかしいと思わずにやれ、ということでしたが、大勢の中でもやっぱり恥ずかしいから、小さな声でそっと「アーイー…と聞いてビックリ」をやってみました。おもしろかったけれど、大きな声を出すと落語の「寝床」になってしまいます。

 後半の舞台を見て、巡礼のおつると父親の阿波の十郎兵衛はどうして別れなければならなかったのか、だいたいどんな話なのかはとりあえずわかりました。十郎兵衛は元は武士だが、今は盗賊になっているというのは意外でした。
 人形がちゃんと感情を表現するのには本当に感心します。しかもこういう小さな子供が不幸な目に遭って、それでもけなげにがんばっている、という話は、この歳になるとどうしても涙腺に触れます。いい舞台でした。
 今回は、親子の名乗りをせず別れてしまったおつるを、母親のお弓が、やっぱり名乗りをしようと追いかけていくところで終わりましたが、この後は、十郎兵衛が自分の娘とは知らず、誤って殺してしまうという話になるそうです。わたしの感覚では、そこまでやらなくてもと思うけれど、浄瑠璃・歌舞伎は、こういう、これでもかこれでもかという話が多い。泣けるだけ泣かせてみせようというところでしょうか。

 この他にも、何となく知ってはいるけれど、ちゃんとは知らない話は、いくつもあります。
 「知らざあ言って聞かせやしょう」の白波五人男だとか、「お若えのお待ちなせえやし」の幡随院長兵衛とか、弁慶の勧進帳だとか…。
 お富与三郎の源氏店というと、頭に浮かんでくるのは春日八郎の「お富さん」か、三木のり平の雲の上団五郎一座で、なんで与三郎がお富さんのところへやってくるのか、その後どうなったのか、本筋の話は全然わかりません。

 この歳になってから歌舞伎を見はじめたのには、こういうパロディーとして一部だけ知っている話を、きちんと確認したい、という気持もあります。
 3月は、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」を見に行こうと思っています。

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