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2010年3月 3日 (水)

傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段

 2月28日(日)は、大船の鎌倉芸術館へ文楽を見に行きました。「文楽への誘い -初めてでも楽しめる文楽」という、入門者向けの催しです。
 出かけようとしたら、チリ地震による津波がやってくるというので、京浜東北線が桜木町・大船間運行見合わせになっていて、ちょっとあわてました。けっきょく車で行きました。

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 これを見ようと思ったのは、出し物が「傾城阿波の鳴門 巡礼歌の段(けいせいあわのなると じゅんれいうたのだん)」だったからです。
 あの有名な
 「ととさんの名は 阿波の十郎兵衛」
というセリフを、ちゃんと本物で聞いてみようというわけです。

 子供の頃、漫才やコントなどで、この話はよく取り上げられていて、
「ジュンレイにゴホウシャー」
「ととさんの名はアワのジューロベー…」
などは、自然に覚えてしまいました。
 しかし、考えてみると、そういうパロディで見たり聞いたりしたことがあるだけで、元の浄瑠璃や歌舞伎は見たことがなく、そもそもどういう話なのかはよく知りません。

 舞台の前半に義太夫の太夫、三味線、人形遣いの解説があって、観客全員に義太夫をかたらせるところで取り上げられたのは、やっぱりこのセリフでした。

「アイ、父様(ととさん)の名は十郎兵衛、母様は(かかさんな)お弓と申します」と、聞いて吃驚り、

 「ととさんの名は阿波の十郎兵衛」と覚えていましたが、「阿波の」はありませんでした。
 声はつくるな、おじんの声でもいい。子供のセリフだから「と・と・さん・の・名・は」と、つぶつぶに言え。恥ずかしいと思わずにやれ、ということでしたが、大勢の中でもやっぱり恥ずかしいから、小さな声でそっと「アーイー…と聞いてビックリ」をやってみました。おもしろかったけれど、大きな声を出すと落語の「寝床」になってしまいます。

 後半の舞台を見て、巡礼のおつると父親の阿波の十郎兵衛はどうして別れなければならなかったのか、だいたいどんな話なのかはとりあえずわかりました。十郎兵衛は元は武士だが、今は盗賊になっているというのは意外でした。
 人形がちゃんと感情を表現するのには本当に感心します。しかもこういう小さな子供が不幸な目に遭って、それでもけなげにがんばっている、という話は、この歳になるとどうしても涙腺に触れます。いい舞台でした。
 今回は、親子の名乗りをせず別れてしまったおつるを、母親のお弓が、やっぱり名乗りをしようと追いかけていくところで終わりましたが、この後は、十郎兵衛が自分の娘とは知らず、誤って殺してしまうという話になるそうです。わたしの感覚では、そこまでやらなくてもと思うけれど、浄瑠璃・歌舞伎は、こういう、これでもかこれでもかという話が多い。泣けるだけ泣かせてみせようというところでしょうか。

 この他にも、何となく知ってはいるけれど、ちゃんとは知らない話は、いくつもあります。
 「知らざあ言って聞かせやしょう」の白波五人男だとか、「お若えのお待ちなせえやし」の幡随院長兵衛とか、弁慶の勧進帳だとか…。
 お富与三郎の源氏店というと、頭に浮かんでくるのは春日八郎の「お富さん」か、三木のり平の雲の上団五郎一座で、なんで与三郎がお富さんのところへやってくるのか、その後どうなったのか、本筋の話は全然わかりません。

 この歳になってから歌舞伎を見はじめたのには、こういうパロディーとして一部だけ知っている話を、きちんと確認したい、という気持もあります。
 3月は、石川五右衛門の「絶景かな、絶景かな」を見に行こうと思っています。

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