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2010年4月28日 (水)

インディアスの破壊についての簡潔な報告

 ラス・カサスインディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫、1976)を読みました。

 この本の表紙カバーには、こう書かれています。

1542年に書かれたこの『簡潔な報告』は、キリスト教と文明の名の下に新世界へ馬を駆って乗込んだ征服者=スペイン人たちによる搾取とインディオ殺戮が日常化している植民地の実態を暴露し、西欧による地理上の諸発見の内容を告発した。形態は変貌しつつも今なお続く帝国主義と植民地問題への姿勢をきびしく問いかける書である。

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 「大航海時代」「新大陸の発見」と、われわれが昔習った世界史ではポジティブにとらえられていたできごとが、いかに胴欲で狡猾な人々による残虐な行為であったかを告発する記録です。著者は、同時代に現地でその行為を目撃していたカトリック司祭。
 簡潔でない大部の報告は、岩波書店の大航海時代叢書に『インディアス史1~5』として収められています。ちょっとこちらまでは手が出ません。

Photo                  「大航海時代叢書インディアス史1~4」

 この本のことは前から知っていましたが、なかなか読もうという気になりませんでした。スペイン人がインディオに加えた様々な残虐行為が多々書かれているということで、そういう内容だとわかっていると、簡単には読み始められません。今回は、ネットでの読書会の課題図書に取り上げられたので、ようやく読むことができました。

 スペイン人の所業はまったくひどいものだ、と言わなければなりません。こんな胸の悪くなるような話の連続です。(この箇所は有名で、よく引用されています)

ある日、ひとりのスペイン人が数匹の犬を連れて鹿か兎を狩りに出かけた。しかし、獲物が見つからず、彼はさぞかし犬が腹を空かしているだろうと思い、母親から幼子を奪ってその腕と足を短刀でずたずたに切り、犬に分け与えた。犬がそれを食いつくすと、さらに彼はその小さな胴体を投げ与えた。」(P.93)

 書き写すのもいやになるので、この手の話はこれ以上は引用しませんが、、スペイン人たちは、インディオを脅し、騙し、約束は守らず、ひたすら殺戮と略奪を続けます。ラス・カサスは、四〇年間に一二〇〇万人以上が殺されたのは確実で、おそらくは一五〇〇万人以上のインディオが犠牲になったであろうと書いています。
 こんな挿話もあります。
 キューバ島のカシーケ(インディオの首長)の一人は、キリスト教徒に捕まって、生きたまま火あぶりにされます。木に縛りつけられたカシーケに、フランシスコ会の聖職者が、キリスト教の神と信仰について説いて聞かせます。

彼はカシーケに、もし言ったことを信じるなら、栄光と永遠の安らぎのある天国へ召され、そうでなければ、地獄に落ちて果てしない責め苦を味わうことになると語った。カシーケはしばらく考えてから、キリスト教徒たちも天国へ行くのかと尋ねた。彼はうなずいて、正しい人はすべて天国へ召されるのだと答えた。すると、そのカシーケは言下に言い放った。キリスト教徒たちには二度と会いたくはない。そのような残酷な人たちの顔も見たくない。いっそ天国より地獄へ行った方がましである、と。(P42)

 読むとまず第一に、征服者たちの残虐性に胸が悪くなります。そしてそれがずっと続くのにうんざりします。
 子どものころのわたしにとって、アステカやインカの征服者(コンキスタドール)たちはあこがれの冒険者でしたが、およそそういう存在ではありませんでした。
 うんざりしてくると次に、どうしてインディオはここまでやすやすとやられてしまったのか、イライラしてきます。馬と鉄砲を知らなかったことが大きいと言われていますが、人数は圧倒的に多く、スペイン人は地理もわからないのですから、もう少しなんとかできたのではないか、と考えてしまいます。文化の違いも大きかったのでしょう。狡猾で残虐な白人に対する、無知で純朴な原住民という図式ができています。
 当時、一五世紀から一六世紀にかけては日本ではちょうど戦国時代です。白土三平の『忍者武芸帳』にでてくる影丸のような反乱の組織者があらわれれば、などと夢想してしまいました。
 そしてさらに、もし当時の日本人が乗り込んでいったならどうだったかも、ちょっと考えました。植民地化する側になっただろうけれども、このスペイン人たちと同じ程度に残虐であったとは考えたくありません。

 そしてもうひとつ考えさせられたのは、解説の、ここです。

この『報告』が、印刷公刊されると、彼の予想もしなかった、とりわけ政治的、宗教的脈絡の中でいわばスペイン攻撃、スペイン批判のかっこうの武器となった。(P184、解説)

 やってきたことにスペインとそれほど差があるとも思えない西欧他国からの攻撃材料とされ、さらにスペインからの独立運動のための宣伝にもつかわれた。そのためスペインの保守主義者たちは、ラス・カサスの『報告』を、捏造された「黒い伝説」にすぎないとして歴史的意義や資料的価値を否定した、ということです。

 「国益」がからんでくると、立場が違うと、ひとつのことが違って見えてきます。

 最近、毎週、週刊新潮を裏表紙の方から開いて、高山正之の「変見自在」というコラムを立ち読みするのを習慣にしています。この人に全面的に賛同しているわけではありませんが、なるほどこういう見方や立場があるのか、世には知られていないこういう事実があるのかと考えさせられることが多いコラムです。

 白人の残虐性については何度も書かれていて、新大陸の話もありました。  
 ネットで調べてみたら、天理大学アメリカス学会のHPに、高山正之がマヤのインディオについて書いている文章がありました。要約すると、おおよそ次のようになります。

 ラス・カサスが書いたような略奪と殺戮の後、エンコミエンダ(委託)による植民地経営に移行すると、男は強制労働を強いられて社会的に断種され、女は強姦されて生まれた混血児は植民地防衛の先兵とされた。そしてそれが現在のメスティソとなっている。
 メキシコ社会は現在でも白人の血が濃い者ほど社会的に高い地位につける。逆に白人との混血度が低ければ社会的地位も下がる。
 マヤ族の中には、白人からの陵辱を逃れて密林の奥深く隠れて人たちもいたけれども、その文化と純血を守ってきたマヤの末裔は、現在、定住化政策で山を下り、白人度が高いほど社会的地位が高いという社会の現実に直面している。
 若い者の中には、なぜ祖先は山に逃げ通婚政策を拒否したのか、その残酷さを受け入れていてくれれば私たちは村を降りられたのにと愚痴るのものもいると聞かされた。
(→http://www.tenri-u.ac.jp/tngai/americas/files/newsltrs/41/no41takayama.html

 祖先が陵辱を逃れたことを恨まないといけないとは、なんと悲しいことか。
 キリスト教でいう「原罪」がどういうことかは知りませんが、この言葉を借りれば、「原罪」があるのはスペイン人やポルトガル人の方なのに、無実のマヤの末裔が負い目を背負って生きて行かなければなりません。不条理、理不尽です。理屈で解決できることではありませんが。

 

 
 

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