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2010年4月15日 (木)

I田さんのこと

 今回の南無谷行きの中でショックだったのは、昨年の12月にI田さんが亡くなられていたことでした。がんだったそうです。

 南無谷に家を買ったのは六年前、2004年(平成16)の夏でした。その秋でしょうか、小柄でちょっと背中の丸くなったおばあさんがやってきて、ビワの木の手入れについて、あれこれ教えてくれました。それがI田さんでした。
 なんでも、この家の前の持ち主の親戚にあたるとかで、これまでもここのビワの木の面倒をみていたということでした。

 それ以来、ビワの花もぎ、摘果の仕方から袋かけまで、時期に合わせて、その都度、実地に教えてもらいました。遠くの枝をひっかけてたぐり寄せるための、木の叉のところを切り取った棒を持ってきてくれたり、最初の袋掛けの時期には、袋まで持ってきてくれました。
 摘果のとき、われわれが、もったいない、ひとつでも余計に実をならせたいと、なかなか実を落とせないでいると、
「もったんないなんて言ってちゃだめ。ひと枝にひとつだけ。」
と、どんどん実を落として見せてくれました。本で読んでいても実際にやろうとすると、どの程度やればいいのか迷うことが多いけれど、目の前で見ると、なるほどこうやるのか、とよくわかります。
 それでも、うちのビワは摘果の数が少ない、残しすぎだとしょっちゅう言われていました。「素人だから、まあいいか」とも言ってくれましたが。
 このブログで、ビワの花もぎ、袋かけのやり方とかえらそうに書いていますが(→ビワの花もぎビワの袋かけ )、みんなI田さんに教えてもらったことです。今でもI田さんのように手際よくはできません。

 その他にもサツマイモの苗の植え方とか畑仕事のいろいろを指導してもらい、あるときには、自宅の分があまったからと、わざわざ干した大根を持ってきていただいて、タクアンの漬け方を教えてもらいました。わが家の農事指南役でした。

 自宅はちょっと離れたところでしたが、南無谷にも家と畑があって、電動自転車で、元気に行ったり来たりされていました。途中の国道に狭いトンネルがいくつかあるので、大丈夫ですかと聞いたら、脇を走るとかえって危険だから、追い越されないように道の真ん中を走るんだとおっしゃってました。
 畑仕事が大好きで一番楽しいという働き者でした。

 この冬は、南無谷へ行ってもI田さんに会うことがありませんでした。こちらが体調が悪かったりしてあまり行かなかったので、たまたま行ったときに会えなかっただけだと思っていました。
 最後にお会いしたのは、はっきりとは覚えていませんが、秋のうちでしょう。まだまだお元気そうで、とてもこんなことになるようには見えませんでした。
 娘さんのお話では、わかったときにはもう手遅れで、入院して五日で亡くなられたそうです。ただ、そう苦しまずに、おだやかだったとのことでした。その前はずっとがまんしていらっしゃったのかもしれませんが。

 残念です。まだまだ教えていただきたいことはいっぱいありましたし、なにより、南無谷で一番親しくさせていただいていた方でした。

 謹んでご冥福をお祈りします。 合掌。

2004612_2              2004年当時のビワの木

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