« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »

2010年5月

2010年5月26日 (水)

夏野菜、バザー

 畑に野菜の種をまきました。今年はガーデンアーチをいくつも立て、その中と柱の下に種をまいたり、苗を植えたりしています。

Dscf2714 

 豆類をまいたところは鳥にほじくられないよう、竹の小枝を立てています。土をかけてあるのにどうして豆があるのがわかるのかいつも不思議に思います。
 インゲンとエダマメ。インゲンは前にまいたのでもう芽が出ています。

Photo        インゲンマメ        エダマメ:おつな姫

Photo_3        落花生           トウモロコシ:早生みらい

Photo_4         マクワウリ:黄金まくわ瓜      サトイモ

 サトイモは勝手に芽が出てきたものを植え替えただけ。芋がとれなくても、葉が涼しくて風情があって楽しめます。
 キヌサヤはもう収穫できます。ウメは野菜ではありませんが、こんなにふくらんできました。 

Photo_2          キヌサヤエンドウ          ウメ

 そして、袋ごと落ちていたビワを開けて見ると、こんなに色づいていました。いよいよ来月はビワの収穫です。

Dscf2742

 今回は畑仕事の他に、児童養護施設ひかりの子学園のバザーの応援に行きました。5月23日(日)、館山商工会館で、夏みかんなどの販売を夫婦で手伝いました。去年までは前日の荷物搬入の手伝いでしたが、今年は初めて売場にたちました。
 慣れない立ち仕事で疲れましたが、若い職員たちが元気に生き生きと働いているのを見て感心しました。あいにくの雨でしたが客も多く活気があって、ボランティアはわたしたち同様年寄りが多かったけれど、みんな疲れながらも楽しかったのではないかと思います。

 でも昔ながらのすっぱい夏みかんはあまり人気がありませんでした。「川野みかん」と呼ばれる甘夏は、量も少なかったのですぐ売り切れてしまいましたが、夏みかんは最後には土嚢袋いっぱいで100円という超投げ売りになってしまいました。リンゴでもなんでも果物がみんな甘くなりすぎた、昔ながらのすっぱい味が恋しいという話をときどき聞きますが、どうもすっぱい夏みかんを恋しがる人は多くはなさそうです。

Ts2dscf2730

 わが家でも夏みかんを一袋と、売り物にならないと言われていた三宝柑を一袋引き取ってきました。(花もバザーで)
 でも実はわが家にも夏みかんの木があって、もう終わりの時期だから今回もこれだけ収穫してきたんですね。

Dscf2733
 わが家のデザートは当分すっぱい夏みかんづくしになりそうです。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月25日 (火)

消えたサクランボ

 これは今年の4月30日の写真です。サクランボがふくらんで色づきはじめました。
 昨年このまま放っておいたら、採る前に鳥に全部食べられてしまいました。

Dscf2511

そうさせてはならじと、今年は木全体に鳥よけの網をかけました。

Tsdscf2516

 こんな感じです。 どうだこれなら食べられないだろう。

Tsdscf2546 

 前回(5月11~14日)来たときには、さらに大きく赤くなって、今度来たときには収穫出来そうな状態でした。
 ところが5月21日(金)南無谷へ来てみたら、なんとサクランボは全部消えていました。見事に一粒もありません。熟し切って下に落ちた気配もありません。
 網の下の方を紐でしばってあったのですが、それがゆるんで、小動物なら十分通れるくらいの隙間ができていました。鳥がつついているうちにゆるんでしまったのでしょうか。ここから何者かが侵入して全部食べてしまったようです。実のひとつだに無きぞ悲しき、です。

Dscf2716

 昨年に続く被害にショックは大きい。こうなったら来年は意地でもちゃんと収穫してみせます。

 はずした網は、アンズの木にかけました。網の下をしっかり縛りました。

Dscf2734

 これでどうでしょう。期待して待ちましょう。

Dscf2735

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月22日 (土)

24 もの書き

 今回も前回(23 駆け出し作家たち)と同じく、植松黎編・訳『ポケット・ジョーク15 芸術家』(1985、角川文庫)からです。

もの書き

 若い天才学者が昔のユダヤ律法を研究してみごとな書物を著した。彼は、本を一冊でも多く売りたいと考え、高名な老律師(ラビ)のところに推薦文を頼みに行った。
 老師は心やさしい人物で、お茶を入れてくれ、二人で飲んでいるときにこんな話をした。
 「よいかな、お若い方よ、若い時というのは理想と情熱と夢と希望の時なのじゃ。若者はたしかにそうあるべきものじゃ。しかし人生には冷厳な現実というものもある。きみがもの書きとして生きて行こうと決めたのなら、貧困と飢えに悩まされることを覚悟しなければならぬ。それに孤独にもな。なぜなら、ものを書くというのはなににも増して孤独な労働だからのう。とにかく、五十歳になるまでは、貧困を覚悟しなければならないのだ」 
「五十歳になったら、どうなるのでしょうか?」と若者はたずねた。
 老師は微笑した。
「なに、その頃には貧乏にすっかり慣れっこになっておるから、苦にならんのじゃ」(P190)

経験

「去年、キミに送った原稿を持ってきたよ」作家が言った。
「何を考えてるんだ」編集者が驚いて答えた。「一ぺん断わった原稿をまた持ち込むなんて」
「うん、あれから一年たったんで、キミも経験をつんだはずだと思ってね」作家が答えた。(P192)

欠点

 ある小説家が、次のような添え書をつけて原稿を編集者に送った。
「この小説に登場する人物は、まったくのフィクションで、生きてるにせよ、死んでるにせよ、実在する人物とは何の関係もない」
 まもなく、原稿が送り返されてきた。次のような編集者のメモとともに。
「そこがこの作品の悪いところです」(P186)

駄作

 シンクレアー・ルイス、シャーウッド・アンダスン、それにアーネスト・ヘミングウェイとアメリカを代表する文豪が三人、集まって会食した。食後の雑談で、確実にベストセラーになる小説を作るにはどうすればいいかという話になった。その結果、文豪たちは、セックス、アドヴェンチュア、それにサクセスの三つを備えた小説ならば必ず売れるという結論に達したのだった。
 三人は協力してベストセラー間違いなしという小説を書くことにした。アンダスンがセックスの面を、ヘミングウェイはアドヴェンチュア、ルイスはサクセスを受け持つことにして、三人の文豪は相談して綿密な筋書きを作りあげた。
 各々の作家はその筋書きにもとづいて、数か月かけて執筆、それを持ち寄って文体を統一したり、不自然なところを修正したりして、全員が満足できる小説を仕上げた。彼らは、その小説をひとりの信頼できるエージェントに託した。作者名は匿名とすること、作品成立のいきさつについては、絶対に秘密とすることという条件をつけて。
 その小説はしかし、どの出版社からも突き返された。ある編集者にいたっては、次のような辛辣な手紙まで送ってきたのである。
「あなたのような見識あるエージェントが、このような素人の手すさびにも値いしない作品を扱われるとは驚きにたえません。この作家には、才能も将来性もまったく認められません。成功する小説が備えるべき基本的要件として、セックス、アドヴェンチュア、サクセスの三つがありますが、この作家は、そのどれをとっても、それを巧みに処理し、表現する能力を決定的に欠いております」(P184)

 もうひとつおまけしておきましょう。これも上のジョークと同じく、いまいちピンときませんが。

天と地と

 尊師(ラビ)のモイシュが、死んで天国にいった。
 そこは、たった三人の人間しかいなく薄明かりの中で雑誌を読んでいた。一人は『プレイボーイ』を、もう一人は『ペントハウス』を、三人目は『プリティガールズ』だった。モイシュは、何となく侘びしくなって、地獄を覗いてみようと、神に許しをえた。
 地獄の門に着くと、にぎやかな音楽が聞こえてきた。迎えに出た悪魔が、「あれはナイトクラブさ。入ってみるかい?」と陽気に案内してくれた。
 ゴージャスな内容の室内は、まるで映画のようだった。ジャズバンドが、アート・ブレーキーの懐かしい『ムーニン』を演奏していた。手拍子を打っている者、ダンスをしている者、誰もがすっかり酔いしれている。隣の部屋はランバダのディスコで、ラテンムードいっぱいですっかり盛りあがっていた。モイシュは、天国に戻ると、聖ピーター、そして三人の仲間に、自分が見てきたことをすっかり話して聞かせた。
「それにひきかえ」モイシュは聖ピーターにいった。「どうして、ここはこんなに貧乏臭いんです?人間は、たった三人だけで、やることといったら雑誌の廻し読みじゃないですか。理解に苦しみますよ」
「仕方がないのじゃよ」聖ピーターはいった。「なにしろ、人が少なすぎて、バンドも雇えんのだから」 
植松黎編・訳『ポケット・ジョーク 神さま、仏さま』P206) 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月16日 (日)

大山千枚田

 5月11日(火)から14日(金)まで南無谷へ行っていました。
 13日に友人一行が遊びに来るというのに、春の天候不順のせいで布団干しや部屋の掃除が十分でなく、おまけに前日まで雨がぱらついていたので、コインランドリーへ行ったり準備にバタバタ。

 例年ビワ狩りに来てもらっているのですが、ちょうど館山でカーネーションの栽培をされているE田さんから花摘みのお誘いがあったので、今年はカーネーション狩りがメインの行事になりました。

今回の日程

5月13日(木)
11:00  とみうら枇杷倶楽部集合
      自家用車、高速バスで計5人、みんな11:00前に到着
      富浦漁港を散策
 昼食  館山の回転寿司「やまと」へ
      ・一行のうちT老板夫妻は、なんと回転寿司は初めて!
 午後  カーネーションの花摘み(館山市のE田さんの温室)
      ・取り放題に魅せられ暑い温室の中みんな黙々と花摘み。

Imgp0386
      南房パラダイス~平砂浦(へいさうら)散策
 夕刻  南無谷へ
      遅れてきたK機長合流
      南無谷近郊散策(里山と海岸)
      夕食 BBQ
      ・宴会はいつもどおりにぎやかに。      
5月14日(金)
 6::00少し前 仕事のためT老板夫妻+K機長帰還
 午前中  畑の作業:ガーデンアーチ組み立て、竹の切り出しなど
 昼食   富浦港の「おさかな倶楽部」にて「まんぷく定食」ほか
 午後   鴨川市の大山千枚田(おおやませんまいだ)を見に行く
       ・途中、道を間違えて遠回りしてしまった。
       ・一同、千枚田の風景に感動、棚田オーナー志願者も。
       ・高速道路に出て解散。

 カーネーションのことは何回も書いているので(→館山で春を楽しむカーネーション、カーネーション、カーネーション)省略して、今回は大山千枚田の写真を少し。

Dscf2631

 以前この近くへ来たことがあり、場所はわかっているつもりでしたが、途中道を間違えてずいぶん遠回りをしてしまいました。
 棚田は壮観でした。同行者一同景観の美しさと、これを作り出した人々の苦労を思いやって感心することしきり。本当にたいしたものです。

Dscf2632

 山の上に「棚田倶楽部」という管理施設がありました。

Dscf2635                真ん中に見える建物が棚田倶楽部

 千枚田の保存会があって、いろんな活動をされています。
 http://www.senmaida.com/index.php
 棚田だけでなく、大豆や酒、綿・藍のオーナーやトラスト制度もあります。上記のHPを事前に読んでおけばよかったのですが、思いつきで行ったので、米の話を聞いただけでした。
 「酒づくりオーナー」にはちょっと心ひかれるものがあります。また行ってみることにしましょう。

Dscf2639                 棚田倶楽部から見おろす千枚田

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月12日 (水)

井上ひさしあれこれ2

 井上ひさしのサイン本があります。

 ちょっと気に入っているのがこれ。 「ひょうたん島大統領ドン・ガバチョの印 」があります。

Photo_2
 これは『ドン松五郎の生活 下』にあったもの。

Photo_5

 こちらはちょっと読みにくいけれど「遅筆堂」の印です。

Photo_4

 これは『腹鼓記』でした。

Photo_6

  前回紹介した『父と暮せば』には、文庫本だからでしょうか、小さく本名の「廈(ひさし)」の印がありました。

Photo_3

 特にサイン本のコレクターというわけではありませんが、印が違うのがおもしろかったので紹介させてもらいました。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2010年5月11日 (火)

井上ひさしあれこれ

 作家の井上ひさしが4月9日に亡くなりました。大好きな作家のひとりでした。

 高校生の頃、NHKテレビで「ひょっこりひょうたん島」をやっていました。1964年(昭和39)4月から69年(昭和44)3月までの放送だったそうです。わたしが高校2年のときから大学の頃までにあたります。
 子供番組でしたが、子供向きともNHKとも思えない斬新なギャグの連発で、生意気ざかりの高校生にも人気がありました。クラスでは、藤村有弘のドン・ガバチョ大統領の真似をして、「みなっさーん」と呼びかけるのが流行ったりしていました。あのドン・ガバチョのキャラクターはまったく空前絶後です。藤村有弘も不思議な、得難いタレントでした。
 人形のデザインもおもしろく、熊倉一雄、楠トシエ、中山千夏など声優も豪華で、魔女が箒ではなく電気掃除機に乗って空を飛んでいたり、当時の最先端をいくドラマでした。
 わたしはあまりテレビは見ませんでしたが、「ひょうたん島」は機会があれば見ていました。もっともこのころ、作者の名前は特に気にしていませんでしたが。

Photo_2 

 小説は『モッキンポット師の後始末』あたりから読み始めて、ひところ、はまっていました。「ひょうたん島」の作者だったことも知り、なるほどそうかと納得しました。

 大学を卒業してまもなくのころ、岩手県大槌町の「吉里吉里」を車で通ったことがあります。かわった地名だなと記憶に残っていて、『吉里吉里人』がベストセラーになったころ、俺は、吉里吉里へ行ったことがあるぞ、と自慢していました。
 小説の吉里吉里は、岩手県と宮城見の県境付近に設定された架空の土地なのですが、その元になった地名であることは間違いないでしょう。
 これが確かに行ったという証拠です。若いころはずっと煙草を吸っていたので、行った先々でマッチをもらっていました。このときたまたま、旅先のものをスクラップしたのが残っていました。下に「10/2 昼食 吉里吉里」とメモしてあります。1971年(昭和46)10月2日、じきに24歳になるころでした。

  Photo_7

 『吉里吉里人』は1981年(昭和56)8月の刊行ですから、吉里吉里へ行ってからちょうど十年後です。当時すごく感動した筈なのに、さてひとこと書こうと思うと、なかなか内容が浮かんできません。これではいけないと本を取り出して読み始めると、やっぱりおもしろくてついつい読みふけってしまいます。しかし大作なので最後まで読み返すにはちょっと時間がかかりそうです。

S

 『四千万歩の男』や『手鎖心中』なども、ともかくおもしろかったことは覚えていますが、内容を再確認しないと何も言えません。歳です。

 とりあえず一番記憶にあたらしいのは『父と暮せば』です。
 一昨年の夏、大船の鎌倉芸術館でこの芝居をみました。入館するとき、外の喫煙所でアロハシャツのようなものを着て井上ひさしが煙草を吸っていました。元気なようにみえました。死因は肺癌だったそうですが。

Photo_8
 原爆の被害を訴える芝居というと、なんだか気恥ずかしくなるような左翼系の舞台を想像してしまいますが、井上ひさしの才能は、そんな安直なものはつくりません。客をずっと笑わせながら、それでいて斜に構えるのではなく、まともに原爆の問題に向かわせ、しみじみと情感にも訴えます。わたしも泣きました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月 6日 (木)

この夏の野菜苗

 今回の南無谷での作業は夏野菜の苗を植えること。
 昨年のスイカの空中栽培でつかったアーチが便利だったので、これをさらにいくつか建てました。そして横に竹をわたし、途中に支柱を建てて縛り、支柱の根元に野菜苗を植えました。

Dscf2604_2

 最近は、どこに何を植えたか、どういう品種だったか、すぐ忘れてしまうので、メモがわりの写真です。
 まず家庭菜園御三家のトマト、ナス、キュウリから。

Photo     トマト:ホーム桃太郎        トマト:フルーツトマト

Photo_11      ナス:千両2号           ナス:ごちそうナス

Photo_12        キュウリ:夏すずみ      シシトウ:土佐シシトウ

Photo_13      パプリカ              プリンスメロン

 スイカは、今年は大玉、小玉の両方を植えました。

Photo_14      スイカ:赤大玉 縞王マックス  スイカ:紅小玉

 さてどうなりますか、この夏のお楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月 5日 (水)

ホオノキ、ミズキ

 新緑の季節です。その中でも、今わが家の庭で一番緑のきれいなのはホオノキです。高く上に伸びた枝に大きな葉がひろがっています。

Dscf2553

 手のひらほどの大きさの白い花も咲いています。

Dscf2554

 このきれいな葉が、秋から冬にはこんな枯葉になってしまいます。全部朴葉ミソにするわけにもいきません。根元には今も積もっています。

Dscf2563

 ミズキの木陰を作業中の休憩所にしています。ミズキは枝が階段状に広がるのが特徴だそうです。そのとおり枝と葉が繁って、木陰を作ってくれます。

Dscf2551

 椅子に座って見上げると…新緑の天井です。

Dscf2566

 花も咲き始めました。仲間のハナミズキほどきれいではありませんが。

Dscf2613

 こうして見ると、これはこれでなかなかのものです。

Dscf2612

 ※朴の花については以前にも書いて、同じ様な写真を載せていました(→朴の花 )。年寄りの話はくどくなります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年5月 4日 (火)

館山城のつつじ

 連休の前半4月29日から5月2日まで、南無谷へ行ってきました.
 まず南千住の長男のところへ届け物をして、と横浜から東京へ向かったら、途中の川崎・浮島では、アクアライン方面が横浜からも東京からもひどい渋滞中でした。これはだめだと、南千住から京葉道路へ出て、ずっと陸づたいに南房総へ行きました。だいぶ余計に時間がかかりましたが、帰りはフェリーで久里浜へ出て横浜へ戻ったから、ぐるりと東京湾を一周したことになりました。
 アクアラインの渋滞もあってか、フェリーが久しぶりに混んでいて活気がありました。良かったねという気がしましたが、一時だけのことでまたすぐ静かになってしまうのでしょう。6月以降の国の政策はどうなるのか。

 ようやく春になったと思ったらいきなり初夏の天候でした。4月30日は買物に出たついでに、館山城のつつじを見てきました。城山の途中に、小規模ですが、つつじ園があります。

Dscf2535

 陽光につつじの赤がまぶしいくらい。

Photo

 城山の上からは館山の町と東京湾が見渡せます。

Dscf2529

 その帰り、富浦の枇杷倶楽部へ寄りました。昨日29日から、これが販売されていると聞いたので。

Dscf2538

 その、たねなしビワ。なんと一粒1,000円です。

Dscf2539

 果肉がどうなっているのか、割ったところを写真に撮ってお見せしたいのですが、やっぱり一粒1,000円には躊躇しました。それに、こんなところで初物を食べたりしたら、うちで育てているビワに義理が悪いというものじゃありませんか。また次の機会にします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »