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2010年6月29日 (火)

吉本隆明と谷沢永一 1

 谷沢永一(たにざわえいいち、文芸評論家)が、その昔、吉本隆明と論争して勝ったという話をネットでときどき見ます。しかし、具体的にどんなことを言い争ったのかよくわからないので、ちょっと調べてみました。

 ウィキペディアの谷沢永一の項にはこうあります。

 1977年前後に思想家の吉本隆明とのあいだで論争(罵倒合戦)があった際には、谷沢嫌いの呉智英をして「吉本の敗北が明白だった」(『バカにつける薬』)といわしめる結果を収めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%B2%A2%E6%B0%B8%E4%B8%80

 吉本隆明の項にもこう書いてあります。

1970年代に谷沢永一との間にかわされた論争では、谷沢の理路整然とした反論に、感情的な言葉を返すのみであり、「吉本の数少ない敗北」とされた。
( 『バカにつける薬』呉智英より )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%98%8E#.E9.96.A2.E3.82.8F.E3.81.A3.E3.81.9F.E8.AB.96.E4.BA.89.E3.81.AA.E3.81.A9

 このあたりが話の出所のようです。
 呉智英の『バカにつける薬』(双葉文庫、1996)を見てみると「吉本隆明は何故強いのか」という章があって、こう書いてありました。

 吉本隆明が強いということについては、吉本隆明主義者には、もちろん反対はあるまい。彼らは、吉本隆明のくり出すパンチの圧倒的な威力の見事さに魅せられているからだ。別に吉本主義者でもなく、したがって、必ずしもそう多くの著作を読んでいるわけではない私も、これまで吉本があらゆる論戦者にKOかTKOで勝ってきたのを知っている。吉本隆明の敗北が明白だったのは、ごく小さな論戦だったが、谷沢永一との間に交わされた、方法論がどうこうということから派生したものだけである。吉本は、日頃の勢いにも似ず、ただへどもど言い訳をするばかりで、途中からうやむやになってしまった。(P158)

Photo


 吉本隆明がなぜ強かったか。呉智英は、神を信じない立場からすれば神学などたわごとにすぎず誰でも勝てる。吉本の殴り込んだ当時の左翼は神学界のようなものだったと、次のように書いています。

 吉本隆明は神学界に殴り込みをかけたシロートなのである。この神学界というのは、むろん左翼神学界のことである。因循姑息で旧弊な日共中枢が、善良な庶民信者から正統的知識人信者にまで広く支持されているローマ法王だとすれば、斬新に見える神学を持っている花田清輝は、学生など懐疑主義者の知識人に人気のあるブルトマンやバルトなのだ。彼らは、エホバ信仰が成立している世界で、お互いに異端だの旧弊だのと批判し合い、論争に勝った負けたと戦果を誇示し、除名だ破門だ裏切りだと、かまびすしくやってきた。むろん、そんなことは、エホバなんていうものを信じてはいない外部の人たちにとって、どうでもいいことであった。しかし、神学者たちは、そういうシロートの存在にすら気づいていなかった。シロートを完全にしめ出した中で、砂上楼閣の作りっくらをしていた。そこへ、吉本隆明が殴り込んだというわけなのである。吉本隆明が強いのは、基本的には、これだけの理由なのだ。(P162)

 わたしには実感がありませんが、戦後すぐ、「政治と文学」と言ったときの「政治」が、日本共産党をめぐるあれこれを指していた時期があったようです。その頃の左翼信仰についてある程度見当がつかないと呉智英の言っていることもわかりません。
 しかしその話は今回の趣旨ではないので置いておくとして、吉本・谷沢論争の内容については、上記のとおり「方法論がどういこうということから派生したもの」というだけで、これ以上の記載はなく、次のように言及されているだけです。

初めに言った、吉本が一度だけ敗北した論戦の相手が、谷沢永一であったことは偶然ではない。左翼からの転向者であり、神学を全く信じておらず、憎悪さえ感じている谷沢にとって、吉本隆明のごときは、少しも恐るるに足りなかったのである。(『バカにつける薬』1996、双葉文庫、P161)

 もうちょっと具体的な中身を書かなければ、呉智英の言い分が正しいかどうかもわからないじゃないかと思いつつ、谷沢に方法論云々の論争があったことを思い出しました。若いころから開高健が好きだったので、その友人谷沢永一もけっこう昔から読んでいたのです。

 『牙ある蟻』(谷沢永一、冬樹社、1978)にありました。第一部の「方法論論争」の中に「捏造は想像力の行使であるか」と題して、吉本隆明とのやりとりが書いてあります。
 これは出た当時、新刊で買って読んでいるのですが、そのときはこれが「論争」だなどとは思わなかったので、吉本・谷沢の論争と言われても思い出せませんでした。

 これでだいたいの経緯はわかりました。ちょっと長くなるので、次回以降、どういう話だったのか書いてみることにします。

 

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