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2010年6月30日 (水)

吉本隆明と谷沢永一 2

 まず最初に吉本が、谷沢にかみついた。
 谷沢が雑誌『文学』Vol.45(1977、岩波書店)に書いた「文学研究に体系も方法論もあり得ない」という文章を、吉本隆明は、自分がやっていた雑誌『試行』41号(1977、試行社)の「情況への発言-きれぎれの批判-」で取りあげ、谷沢を罵倒した。冒頭から

 谷沢の論議のうち「文献の批判的処置」を論じた部分には、あまり関心がない。また、かつていっぱしのマルクス主義批評家づらをして、恣意的な党派的な「評論」を書いていた谷沢が、いつの間にか「証拠と理由を挙げて個々の解釈の当否を決する文学研究」者と自称する解釈学至上主義者に成り果てたのかについてもそれほどの関心があるわけではない。(『試行』41号、P2)

と始まる。

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 谷沢の文章は、勝本清一郎編の「透谷全集」の校訂方法への批判をめぐり、東大教授三好行雄にかみついて近代文学研究の方法論をめぐる論争となった、けっこうおもしろいものなのだが、上記のとおり吉本は、どうせ谷沢のような連中のやることに特別の興味はない、ただ自分は、谷沢に被害を蒙った一人である、と切り出す。

 しかし、わたしは「文学研究の精髄は技術である。」などという珍妙な主張を臆面もなくわめき散らし「技術の習得と錬磨をなおざり」にしないようなきれいな口をたたき「文学研究の技術は、博覧と精査によってしか身につけ得ない」などと大口をたたいている谷沢永一の「博覧と精査」の被害を蒙った一人である。当然この男が方々でわめき散らしているデタラメな放言を「批判的処置」する権利があろうというものだ。(『試行』41号、P2)

 その被害の内容がどのようなものであったか、ちょっと長くなるが、この後の文章を引用する。

 谷沢永一の「博覧と精査」がどの程度のものかを検証するのに、べつに谷沢の著書などをとりあげる必要はない。以前に筑摩版のある大系本のひとつに、私の文章をひとつ載せたいという連絡が書店からあり、承諾したのかどうかさえも忘れはて時効になったころ、こんどは編者谷沢の研究室から一枚の往復葉書が舞い込んだ。その文面が谷沢自身の手になるものか、谷沢の研究室にたむろしている助手や院生やアルバイト学生の手になるのかどうかは確かめなかったからわたしには判定できない。その文面がふるっているのだ。お前の文学的略歴を、往復ハガキのもう一面に書いて送り返してくれというのである。わたしは驚き呆れた。当人の仕事と年譜は、当人に訊ねれば、もっとも手っとり早くまた精確だなどと考えるようなら、「文学研究」の初歩すら解しない者だと断定されても仕方がない。まったくの失格者なのだ。これは、少しでも「研究」や「評論」の真似事をしたことがある者なら誰でも知っていることである。太宰治の大げさな口振りをまねていえば、こういうのが大学で「博覧と精査」の文学研究者を装い文学を講じていることの犯罪にりつ然としたとでもいおうか。わたしが谷沢の耻をさらすまいとして、その葉書をそっと書店の担当者に返し、書店の担当者もまた谷沢の耻をさらすまいとしてその葉書を「批判的処置」したことは推察できよう。何となれば、わたしは文字通りこんなものを残しておいたら谷沢の耻なるとおもったし、書店の担当者もそう思ったことは疑いない。(中略)もちろんわたしは、谷沢の耻をさらす証拠を残さないための<心づくし>の「批判的処置」はしたが、きっぱりとわたしの文章の収録を拒否する旨、書店の担当者に伝えたことは申すまでもない。理由はこんな「文学研究」の初歩すら心得ない安直なことをやらかす編者の手では、本文の命運すらわからないということである。(『試行』41号、P3)
(注:下線部の原文は傍点、以下の引用も同じ)

 筑摩の文学全集に吉本の文章を収録するにあたって、編者である谷沢から往復ハガキで、返信欄に「文学的略歴」を書いて送れと言ってきた。こんな安直な文学研究があるか、これが「博覧と精査」か。あんまり馬鹿馬鹿しいから、全集への収録を拒否した、というわけである。
 なるほど週刊誌のアンケートじゃあるまいし、往復ハガキの返信欄に書かれた「文学的略歴」で研究などができるものかどうか、素人でも疑問に思う。

 そして谷沢の文章の主題については、何がいいたいのかよくわからぬとしたうえで、そこに隠された「私憤」のようなものがあると述べて谷沢への言及は終わる。

 ところで谷沢は何に憤りを感じて、こういう馬鹿気た幼稚なことを口走っているのか。勝本清一郎編『透谷全集』の校訂のヅサンさを瞋っているのか。それを擁護した三好行雄を怒っているのか。あるいは橋詰静子の勝本本の校訂批判を擁護したいのか。それらすべてであるかも知れぬが、その奥にくすぶっている私憤のごときもの、あるいは自己に対して抱いている憤怒のようなものの正体が判らぬ。もちろんこの判らぬというのは言葉の綾で、判るといってもおなじようなものである。とうてい文献の「批判的処置」などという高級な問題でもないし、谷沢自身が高級な手続などいつでも踏んでいるわけではないから、偉そうな口を叩く柄ではないといえば、それまでである。(『試行』41号P5)

 勝本清一郎編『透谷全集』の校訂がずさんだという話は、わたしにはけっこうおもしろかったのだけれど、吉本にはおもしろくなかったらしい。
 それはともかく、文学全集に収録しようとする著作の作者に対して、その文学的略歴を「往復ハガキ」で問うというのは、まず失礼だろうし、そんなものに書ききれるものなのかどうか、事実とすればまったくおかしいと言わざるをえない。
 しかし「谷沢の耻をさらすまいとして」と言うならはじめからこんな文章を書かなければいいのにとも思うが、そう言いながら臆面もなく罵倒してのけるのが吉本の芸か。

 これに対し谷沢がどう反論したかは、また次回。

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