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2010年7月 2日 (金)

吉本隆明と谷沢永一 4

 さらにこれに対し吉本隆明は、『試行51号(1979年1月、試行社)の「情況への発言」で次のように書いた。

 わたしは先頃、谷沢永一という近代文学研究の馬鹿学者が、まったくしみったれた道化役者にしかすぎないのに、いやに実証研究の大家づらをして、小心な学者たちを脅かしているばかりか、スターリニストの昔とった杵柄で、その批判とやらが実証主義を装ったまやかしもので、鎧の袖の下は学閥的党派性や政治的な党派性の狙い撃ちに外ならない所以を暴露し、その珍奇な文学論(?)をちょっとカラカッてやった。するとまさしくわたしの指摘した通りの己れを知らぬ、また他者の<心づくし>を知らない本式の馬鹿であることを自ら露呈していた。谷沢の研究室所属の研究者の名前で、自ら編集する編著に収録する文章の著者から文学的「略歴」を往復葉書で問い合わせて、<実証>的研究の資料に間に合わせるインチキ「実証」研究と、さもしい根性をあきれられて、わたしだけではなく外の文章の著者からもひんしゅくを買って、降りる降りないの失態をやらかしたという明確な(しかも自分の胸に手を当ててみればすぐにわかる)「事実」を否定し、あろうことか担当の編集者に問い合わせたら<そのような事実は知らない>と答えてくれたと称して、わたしの言説をデマゴギー呼ばわりしていた。盗人猛々しいとはこのことだ。わたしは谷沢永一をデマゴギーを使ってまでヘコませるほど尊重もしていないし、大物の敵だとも思っていない。せいぜい「日本読書新聞」や「新日文」や「株屋の雑誌」と同程度のくずれスターリニストだとおもっている。降りかかったクモの巣をちょっと吹いているだけだ。(『試行』51号、P3)

51

 論争どころではない、悪意の罵倒があるだけである。
 これを呉智英は「吉本は、日頃の勢いにも似ず、ただへどもど言い訳をするばかりで」と書いたが(吉本隆明と谷沢永一 1)、言いわけにもなっていない。
 証拠の葉書を出して見ろと言われ、逆上して「文句あるか馬鹿野郎」と罵倒しているだけである。「くずれスターリニスト」という罵倒語はちょっとなつかしいが。
 吉本は、谷沢の方法論にも言及しているけれど、谷沢の論文や著作を読んでいる気配はない。『文学』45号に掲載された文章の「実証」とか「博覧と精査」という単語に反応して罵倒しているだけである。中身のある論はない。
 これで「吉本・谷沢論争」はいちおう終わって、『試行』だけを読んでいる吉本読者は別にして、おおむね谷沢の勝ちということになったらしい。しかしこれは、最初に『牙ある蟻』を読んだとき思ったように「論争」とはいいがたい。

 吉本隆明は、いったい何のためにこんなものを書いたのか。

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