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2010年7月 3日 (土)

吉本隆明と谷沢永一 5

 二十三年後の2002年(平成14)、谷沢永一の論争必勝法』(PHP研究所)という本が出た。谷沢がこれまで行った論争を回顧し、解説した本である。その中に、「吉本隆明との滑稽な論争」と題する話があった。「いちばん滑稽な論争の相手は吉本隆明である。」と始まる。

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 谷沢曰く、昭和43年から筑摩書房が刊行した『現代文学大系』全九十九巻の第九十七巻『現代評論集』は、当初三十五名の評論家を並べる予定で、その中に吉本隆明も入っていた。当時の内容見本に吉本の名前が出ているから、吉本も最初は承知したのであろう。
 しかし、文学全集の編纂にはよくある話だが、三十五人で一冊という余り物の片づけみたいなところへ放り込まれたのが、吉本には気に入らなかったのだろう。講談社の若者向き『現代文学全集』では江藤淳と二人で一冊だったのに、この全集では江藤淳は四人で一冊、吉本は三十五分の一である。

 吉本隆明もなかなか作戦家である。彼が脳を患っているのでないとすれば、浦西和彦の文面をあれほど妄想的に読み違える筈がない。吉本は正気なのだ。ただし、年譜の作成を戸籍謄本から始めるとことん厳密な書誌学者の意向を理解できなかったことは理解できる。だから、本籍を聞かれたのが不快であったのだろう。書誌学の何たるかがワカラン素人にはよくあることだ。しかし直ちに彼はこの不快な葉書を利用する方法を考えついた。さきほど私が注記したように、それを筑摩書房の担当者に渡したというところがオカシイ。処分するなら自分で処分したらよいのであって、彼の不快と筑摩書房とは何の関係もない。何の関係もないのに、しかし彼はムリヤリ関係をつけようとした。つまり『現代日本文学大系』の編集について語り合う機会を作ったのである。正面から突然に談合に行くのは不自然である。しかしこの葉書一枚を仲介にして話し合いを始めたら格好がつく。そこで自分の処遇が不当であることを訴え、せめて江藤淳と同等に扱ってもらえないかと持ちかけたのであろう。そのために自分が浦西に軽く扱われている不平を交渉のネタに用いたのである。折角の苦心も筑摩には通ぜず、イロよい返事はもらえなかった。そこで「降りる」と宣言したのがせめてもの筑摩への面(つら)当てだったのだろう。谷沢と浦西は彼の名誉欲のため、ダシに使われたのであった。(『論争必勝法』(P151)

 これは谷沢永一の推測だが、なるほどそういうものであるか、と思わせる話である。

 吉本・谷沢論争についての話、今回で終わりです。長くなりました。

 吉本隆明の文章は、吉本隆明「情況への発言」全集成2』(2008、洋泉社)に収録されています。

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