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2010年9月

2010年9月30日 (木)

北京塵天9 土産

四日目

 朝8:30北京空港発という飛行機に乗るので、バスのお迎えは5:45。先に他のホテルをまわってからくるので、これでも遅いお迎え。ホテルの食堂もあいていないし、部屋においてあったインスタントの雀巣珈琲(ネスカフェ)を飲んだだけでバスへ。あいかわらず雨が降っていました。
 空港で手続をすませ、荷物検査の時、ちょっとしたできごとがありました。ライター、マッチや大きめのエアゾールなどは2008年から機内持ち込み禁止になっています。タバコを吸う同行者が、これにひっかかりました。自分でわかっていたひとつは、すぐに出しましたが、ふだんから整理が悪いので、自覚のないまま鞄の中に入れっぱなしになっていたものがありました。X線検査でちゃんとライターはわかるようになっているんですね。それを指摘されて、ひとつ出しても、まだある、もっと出せというわけで、三つ、あわせて四つのライターを没収されました。おまけに噴霧式のシェイビングクリームも。これらは成田では見過ごされたものなので、どうして対応が違うんだと同行者は怒っておりましたが、これは文句を言ってもしかたありません。

 なんとか手続をすませて免税品売場へ。朝早いのに飛行機の時間にあわせてもう営業しています。まとめて土産を買いました。たいしたものはありません。

    紹興酒          月餅

    天津甘栗的チョコレート  北京酥糖

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 紹興酒は自分で飲むため。
 月餅はちょうど中秋の名月の時期だったので買いました。
 天津甘栗的チョコレート(万寿家 天津甘栗的 純栗巧活力)は、マカデミアナッツの代わりに天津甘栗もいいかと思って買いました。帰ってからよく見ると、パンダのマークの下に”MASUYA ”と入っています。おいおい「万寿家」を「ますや」と読むのなら日本製じゃないか。箱の裏側には「中日合弁工場の厳しい衛生管理のもとで製造されました」、「万寿家(天津)食品有限公司」とありました。
 ネットで調べてみると、これは株式会社マスヤという伊勢の菓子メーカーのグループ会社で、そのマスヤはなんと伊勢の赤福の関連会社なのでした。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%A4
 北京酥糖(ペキンスータン)というのは、胡麻や落花生などを砂糖でくるんだ、なつかしい和菓子のような味の菓子です。ガイドさんは「北京キャンディ」と呼んでいました。いろんなメーカーがあって、お土産の定番のひとつになっているようです。買ってきたお菓子の中ではこれが一番でした。

 雨のためか、飛行機は離陸が30分くらい遅れましたが、そのまま無事成田に到着。あとは成田エクスプレスで帰りました。

 三泊四日の、それも実質は中二日間のあわただしい旅行でしたが、目玉の世界遺産のポイントは押さえてあったし、ホテルもきれいでよかった。申し込んだときの案内に「当コースでは下記に明記してあるお土産物店へご案内させていただくことが条件となっています。」と書かれていたので、どんな土産物店へ連れて行かれるのかと思っていたら、これもみんなきれいで上品なところばかりでした。
 この価格では、文句を言うところはありません、楽しく行ってきました。
 反省点はデジカメの電池切れ。充電器と変圧器を持っていくべきでした。

 長々と旅行の話が続いてしまったのは、書いておかないとみんな忘れてしまうからです。記憶が断片的に残っていても、そのうちに話の前後や、期日、固有名詞などはわからなくなってしまいます。これでも間違っているところがあるかもしれませんが、一応なんとか整理ができました。読んでいただいた方、お疲れさまでした。ありがとうございます。

 

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2010年9月29日 (水)

北京塵天8 天壇

三日目の三

工芸品・昼食

 紫禁城のあと、工芸品の店へ行きました。「○○陶瓷(とうじ)博物館」というような名前だったと思うけれど、メモも写真もとってないのでわかりません。翡翠や玉をつかった精巧な作品が並んでいて、説明員が日本語で解説してくれます。これがけっこうおもしろい。
 十点くらい工芸品が入っている棚を見せ、全部でいくらだと思うかと聞きます。客が五百万円と答えると、日本ではこの棚だけで何十万円もするそうだが、棚も送料も込みでたったの七十五万円だと言います。けっこうお値打ちじゃないの、と思わされましたが、さすがに買う気にはなりませんでした。
 香港返還を記念して作らせたという大きな玉を彫った工芸品を見せて、日本の埼玉県の人がこれをどうしても売ってくれと頼んできたけれど、うちの館長は売らなかった。なぜかというと、まず香港返還記念の物だったから、そして「館長に賄賂をくれなかったから」というのには笑いました。

 その次に昼食。あいかわらずの渋滞で道路は混んでいます。そうしたらなんとわれわれのバスはこんな狭いところへ、街路樹の枝葉をこすりながら入って行きました。左の標識はどう見ても自転車専用レーンだと思いますが。
 バスの窓から自動車の通行状況を見ていて、道路は広いけれど、とにかく車が多くて混んでいるのと、運転が強引なのには驚かされました。隙間があけば突っ込んでくる、交差点は早い者勝ち、弱肉強食の世界です。

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 街角では床屋さんが店をひろげていました(右のほう)。左は自転車のパンク修繕のようなことをやっているようでした。今回のツアーは、こういう普通の街を見る余裕がほとんどありませんでした。Dscf3265_2

 これが昼食を食べた「唐縁」、飲茶の店です。

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天壇

 そしていよいよ、五つ目の世界遺産「天壇」へ。ここは、明、清の皇帝が天地の神を祀り、豊作を祈った場所ということで、現在は、天壇公園として故宮の4倍という広大な敷地に広がっています。しかし忙しいツアーなので、ここも有名な祈年殿(きねんでん)とそのまわりの建物を見ただけで、円丘壇(えんきゅうだん)とか皇究宇(こうきゅうう)というところへは行かずじまい。でもこちらも疲れてきたので、まあいいかという感じでした。

 これが祈年殿。どこもそうでしたが、ここもやっぱり人が多い。

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 とにかく大きな建物にとにかく大勢の人、これが北京の観光地でした。

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 天壇公園は緑豊かな公園で、年寄りが大勢集まって、太極拳やらなにやらで遊ぶところになっているそうです。その中に、右の写真のような遊びをしている人たちがいました。真ん中上に見える白いものは、羽根つきの羽根を大きくしたようなもので、これをみんなで蹴っています。うまいもので、これがめったに落ちません。日本の公園でバレーボールをしているような感じです。あちこちでやっていて、中にはわたしより高齢と思われる女性もいて、それが後ろ向きでポン!とバックに蹴り返していました。

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 蹴羽根(けばね)、中国語では毽子(ジェンズ)と言って、昔からの遊びで、今でも子供や年配の人たちに楽しまれているそうです。
  ガイドのUさんによれば、中国人はみんな小さい頃からこの遊びをしているので蹴るのはうまいのに、どうしてサッカーの中国代表は弱いのか、けしからんという評判だそうです。
 あんまり楽しそうだったので公園の売店で、羽根を買ってしまいました。10元。赤や青の色つきの羽根は5元でしたが、公園でやっている人たちはほとんど白い羽根だったので、こちらが本格的かと高いほうを買いました。羽根の下の蹴るところはゴムのようなものでできています。実際にやってみるとかなりむつかしい。

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 帰ってから、中国語の辞書をひいてみました。  

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茶芸店・夕食

 天壇のあとはお茶屋さんへ。「頤馨茶芸店(いけい─)」という名前であったようですが、これも確信は持てません。
 早口でときどきわからない日本語の女性店員が、説明しながら目の前でお茶を入れて飲ませてくれます。烏龍茶、普洱(プーアル)茶など4種類か5種類ありました。それぞれに香り、味がちがう。ここは同行者のみなさん、けっこう気に入って、お土産をいろいろ買っていました。ツアーもそろそろ終わりですからお土産を買わなくてはなりません。
 下はお茶を買うとおまけについてくる小便小僧。あらかじめ中に水をいれておいて、上から熱いお湯をかけると勢いよくオシッコがとびだします。店で実演してくれたのは、なんとクレヨンしんちゃんの人形でしたが、これは中国風の小僧です。

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 この店を出たときには、雨が降りだしていました。朝の天気予報があまりよくなかったので、ここまでもったのは幸いでした。
 夕食は四川料理。店の名前は不明。味はいまいちでした。今回のツアー、ホテルも含めて、食事は可もなく不可もなくというところで、感激するようなものにはあたりませんでした。まあ安いツアーですから、そこまで期待してはいけません。

恒基中心

 ホテルへ戻って最後の自由時間です。できれば北京一の繁華街、王府井(ワンフーチン)へいってみたかったので、王府井で帰りのタクシーを簡単につかまえられるかどうか、ガイドのUさんに聞いてみると、乗れる場所が限られていて、あそこでつかまえるのは中国人でもむつかしいと言います。雨は降っているし、車の運転の仕方など見ていると、現地の人と競り合って勝てるとはとても思えない。
 王府井はあきらめて、傘をさして、また北京站(駅)のあたりへ行ってみました。
 駅前に恒基中心(Henderson Centre)というビルがあって、恒基商場というショッピングモールがありました。いくつもの洋装店やレストランを中心に、玩具店、骨董店などもあってけっこうにぎやかでした。下右のレストランはピザハットです。

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 スーパーマーケットでまたビールを買って帰る途中、小さな古本屋があったのでのぞいてみました。あまり古い本はなく、新古本あるいはゾッキ本かと思われる本ばかり。定価よりずいぶん安いが、これはと思う本はなく、何も買いませんでした。まあ買っても読めないし。
 ホテルへ戻ってビールを飲んで三日目もおしまい。明日は日本へ帰るだけとなりました。

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2010年9月27日 (月)

北京塵天7 紫禁城

三日目の二

紫禁城

 天安門から先はこうなっています。ちょっとわかりにくいけれど地図の一番下の天安門から次の端門をくぐると、午門の前に出ます。そこが故宮(紫禁城)の入口になります。映画「ラスト・エンペラー」の世界です。

Photo_4  (『トラベルストーリー9 北京』(昭文社、2007)より)

 左が端門。右が午門。ここが紫禁城の入口で入場券売場があり、人でごった返しています。ここで水のペットボトルを買いました。2元でした。凍らせてあってとても冷たかった

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 午門をくぐって太和門とその門前。川があります。さすがに中国の宮廷の庭は広いと思っていたら、この奧へ入ってまた驚きました。

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 それがここです。太和門を入ると、太和殿の前に塼(せん)を敷きつめた広場がひろがっています。塼が痛んでいて、欠けたり、でこぼこしたりしていますが、天安門から奧へ奧へとずっと歩いたその奧に、さらにこんな広いところがあるのかと驚きました。
 ここが文武の百官が居並んで、宮廷の儀式や外国使節の謁見などをおこなったところ。「ラスト・エンペラー」でもやっていました。ガイドのUさんの話では、この映画のロケで、あちこち傷ついたので、以後映画の撮影は許可していないとのことです。

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 太和殿の額。その下左は、太和殿内の玉座を見ようとひしめく観光客。下右は、その玉座。「ラスト・エンペラー」の最後の場面で、溥儀がもう一度座ってみたところです。写真はぶれてしまいました。

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 さらにその奧の中和殿(左)と保和殿(ほわでん、右)。ここまでが外朝三殿といって、皇帝がまつりごとを執り行う主要な建物。

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 保和殿の裏にある、龍の石彫り。

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 この乾清門をくぐると、皇帝の私的空間、后妃と女官のほかは宦官しか入れない内廷です。門の奧に見えるのが乾清宮。ここまででもうかなり疲れてしまいました。そればかりではなくデジカメの電池が残り少なくなってきたのは不覚でした。

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 乾清宮とその内部。

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 ここまで来ると庭があって、これまで見あたらなかった樹木も見えてきますが、時間がない。もうどんどん先へ進んで北の出口へ向かいます。忙しい、けっこうハードなツアーです。Dsc01404
 順貞門から外へ出ます。Dscf3257_2

 これは神武門(しんぶもん)を外に出てから見たところ。「故宮博物院」の文字は郭沫若(かくまつじゃく)によるもの。

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 ようやく紫禁城は終わったわけですが、まだ続きがあります。この神武門の北側には景山(けいざん)という人工の山があります。風水の「背山面水」、都は北に山を背負って南は川に面するという考え方から、明代のはじめに、堀を掘った土で築かれたといいます。
 下の建物は綺望楼。山の上に見えるのが万春亭という楼閣です。これを登ります。

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 10分程度で上に着いて、見下ろすとこの景色がひろがります。紫禁城の全景、写真でよく見る風景です。まったくこの曇天・塵天の空が残念。

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   左は山頂の万春亭、右はその中に鎮座まします如来像(釈迦?)です。ガイドさんが、西太后の信仰厚かったと言っていたような気がしますが、確信がもてません。

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 この景山の北麓には、明朝最後の皇帝、崇禎帝(すうてい-)が、李自成軍に攻められて北京城が陥落し、ここで縊死したという槐の木があって(代替わりしてるけれど)、観光客が訪れているそうですが、そちらまでは行きませんでした。

 紫禁城の中央線をひたすら突破してきたような観光で、ひとつひとつゆっくり見ることはできませんでしたが、ともかくこれで紫禁城の章はおしまいにします。

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2010年9月25日 (土)

北京塵天6 天安門

三日目

天安門

 どこへ行っても人が多いのには慣れてきましたが、天安門のあたりはさらに輪をかけて凄い。平日の朝、まだ9時前だというのに人の波、人の列です。

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  下左は毛主席記念堂への入場待ちの行列。下右は天安門広場です。

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 これが天安門広場の地図。

0042   (『トラベルストーリー9 北京』(昭文社、2007)より)

 下左の写真の奧に見える塔が人民英雄記念碑、前で光っているのは北京五輪にあわせて設置したパナソニックの大型映像表示装置、クリックして拡大してみるとわかりますが、ちょうど「馬克思列寧(マルクスレーニン)主義、毛沢東思想、登β小平(とうしょうへい)理論」に「三個代表」を足した重要思想で云々、という表示が出ています。「三個代表」というのは江沢民の提唱した思想だそうですが、知りませんでした。その右の建物が人民大会堂
 下右の写真は北京市規劃展覧館(ぺきんしきかくてんらんかん)。750分の1スケールの北京中心部の精密な巨大模型があるそうです。広場では10月1日の国慶節のための工事が行われていました。

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 天安門そのものも国慶節にそなえて塗り替え工事が行われていました。

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 ここで天安門事件がどうこうとか始めると、また長くなってしまいます。天安門をくぐって奧へ、故宮=紫禁城へと進むことにしましょう。

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2010年9月24日 (金)

北京塵天5 京劇鑑賞

第二日の四 

シルクと北京ダック

 北京市内に戻って、東呉絲綢館というシルク屋さんを見物。ここは繭から糸をとるところなどの製造工程が見られておもしろかった。いろんなシルク製品がありましたが、実演を見たせいもあって真綿の布団が人気で、同じツアーの人たちも何人か買っていました。
 真綿というのは植物の綿から作るものだとばかり思っていたら、繭から作るんですね。この歳になって初めて知りました。帰ってから辞書をひいたら「繭を引き延ばして作った綿。多くはくず繭からとる。純白で光沢があり、軽くて柔らかい。(『新潮国語辞典』、1973年5刷)とちゃんとありました。そのとおり繭から真綿を作る作業も目の前で見ました。不覚でした。

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 市内は相変わらずの渋滞なのでシルク屋さんは早めに切り上げて夕食に。北京ダック屋さんの便宜坊です。いくつも支店があるようで、どこの店なのかはよくわかりませんでしたが、店頭にアヒルらしい人形がありました。
 渋滞のため、オプショナルツアーで申し込んでいた、この後の京劇鑑賞の開始時間に遅れそうになり、参加者は急いでくださいと言われ、北京ダックは落ち着いて食べられませんでした。ビールは青島ビールの「純生」でした。燕京の純生の方がうまかったような気がしました。

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京劇鑑賞

 京劇鑑賞はやはり遅刻、着いたときには一幕目がもうはじまっていました。
 下は、その梨園劇場のチケット兼絵葉書です。

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 まわりを気にしながら入っていくと、舞台はちょうど、この役者が歌い始めるところでした。言葉もわからず、途中からで、話も何もわからなかったけれど、まず歌声に驚きました。高音の声をふるわせて声量豊かに歌い、そして楽しげに舞います。
 ガイドさんは、尼さんが男に恋する話だと言ってたから、これが尼さんらしいけど、中国の尼さんは、こんなに派手でキンキラキンの服を着てるのか、などと思いつつ見ます。

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 この後、老船頭とのやりとりや、舟に乗って揺れていくところなど、けっこうコミカルな動きを見せて、内容はよくわからないまま、それなりに楽しませてもらいました。脇に中国語と英語の字幕が出ますが、舞台を見ながら一瞬で了解できるくらいでないとあまり役に立ちません。
 帰ってからネットで調べてみたら、これは「秋江(しゅうこう)」という演目で、道教の尼僧が若い男に恋して僧院から抜け出し、老船頭に頼んで舟を出してもらって、恋する男を追いかけるという話なのでした。途中、船頭の爺さんが尼さんに言い寄っているのかと思ったけれど、ちょっとからかっていたというだけで、そういう話ではありませんでした。
 この尼さんの役者は、なかなかかわいい感じでした。下のURLに出ている張淑景という女優によく似ています。あっているかどうかはわかりませんが。http://www.chinacenter.jp/japanese/news/topics023.html

 
 座ったは舞台のすぐ前のテーブル席で、下の写真に写っている客のすぐ後ろでした。テーブルにはお茶とお菓子にみかんがついていました。
 舞台は二幕目の孫悟空です。演技中写真をとってもかまわなくて、みんなパシャパシャやっていました。前の方は西洋人の客が多い。

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 孫悟空の話としか聞いていなかったので、ともかく孫悟空が化物をやっつける話だと思って見てました。これも帰ってからネットで調べると、演目は「十八羅漢闘悟空(じゅうはちらかんとうごくう)」とわかりました。孫悟空がまだ天界で大暴れしていた頃の話で、こらしめるためにお釈迦様が十八人の弟子(羅漢)を孫悟空と戦わせるという話だというのです。
 えーっ、そうなのか。見ていたとき、最初の場は、妖怪たちが集まって孫悟空をやっつける相談をしているところだとばかり思っていました。一段高いところにいるのは当然妖怪の総大将です。(下の写真)。ところがこの総大将はなんとお釈迦様で、弟子たちを集めて悟空をやっつける命令を下している場だったのです。うーん、中国のお釈迦様はこんなイメージなのか、これじゃどうしたって化物の一味と思うじゃないか。

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 この後は、最後までセリフなしで、ずっと十八羅漢と孫悟空の立ちまわりが続きます。字幕はいりません。雑伎団ではないけれど、体術、体技をたっぷり見せてくれます。相手の剣を如意棒でからめとるところを、途中二度失敗しましたが、それもご愛嬌、孫悟空は、次々にかかってくる十八羅漢を、ときどき猿のように身体をかくコミカルなしぐさをまじえながら、右に左に鮮やかにやっつけていきました。この役者名は李丹。これは字幕で見たから確かです。

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 機会があったら京劇は是非また見たい。この劇場は外国人向けで、わかりやすいものを中心にやっているようですが、わからなくても一度本格的な史劇を見てみたいものです。

 さて、さすがに疲れました。終わってまっすぐホテルに帰り、ビールを飲んですぐ寝ました。二日目はようやく終わりです。

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2010年9月23日 (木)

北京塵天4 万里の長城

第二日の三

万里の長城

 万里の長城は小学生の頃からの憧れ、ピラミッドなどと並んで一度は見たかったもののひとつです。このツアーに決めたのも万里の長城へ行けるからでした。
 北京市内から約75キロと近く、観光地として最もポピュラーな八達嶺(はったつれい)というところへ行くのですが、その八達嶺高速道路が渋滞していてなかなか進みません。この道路は張家口まで続いていて、内蒙古方面への幹線道路であるらしく、ずっと混んでいます。途中北京市内へ向かう大型トラックの列が延々と続いているところがありました。渋滞緩和のため大型トラックの市内通行は夜間に制限されているため、時間待ちをしているのだということでしたが、その長いこと。北京の街が毎日大量の物資を必要としていることを実感しました。
 予定よりはだいぶ遅れながら、やがて長城の姿が見えてきました。けっこうけわしい岩肌の山の上です。居庸関(きょようかん)のあたり、日本で言えば箱根のような関所だったところです。こんな急な階段も見えます。

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 これが八達嶺の長城。空が青くないのが残念です。

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 八達嶺入口。簡体字で「八达岭长城售票処」とあるのが見えます。切符売り場です。

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 入って少し登ってから入口を見下ろしたところ。平日なのに大勢の観光客がいます。

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 目の前の頂上めざして登ります。この甬道(ようどう)という通路は、傾斜がきつかったり、階段がふぞろいだったり、歩きにくいところがままあります。

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 長城は、秦の始皇帝の時代あるいはその前から造られていて、それが今のような形になったのは明の時代だそうです。
 その大きさには圧倒されます。こんなものよく造ったよな、というのが正直な感想。遙か彼方の山の上まで延々のびています。なんと全長2,700㎞だそうです。その意志と、断固それを実行した権力の力に驚かざるをえません。しかし一方では、こんなものを作る必要があったのかという気がします。敵もわざわざ登ろうとは思わないような高い山の上にまで城壁を造る必要があったのか。力の誇示にはなっただろうけれど、壮大な無駄ではなかったのか。要所要所を固めておけば軍事上は十分ではなかったのか、と思わざるをえません。

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 陳舜臣の『中国歴史の旅 上』(徳間文庫、1986)には、こう書かれています。

 現在の八達嶺をみごとに飾った明も、李自成軍の進撃をこの長城でくいとめることはできませんでした。宣府(現在の張家口のあたり)から南下した李自成軍は、難なく長城を越えて、居庸関を制したのは前述したとおりです。
 かぞえきれないほど多くの墩台(とんだい)や、のろし台がありましたが、誰ひとりとしてのろしをあげようとする者さえいなかったのです。李自成軍が北京の城門に迫るまで、紫禁城にいた皇帝とその側近たちは、そのことを知りませんでした。彼らは人心を失って国をほろばしたのです。(P76、下線部は原文では傍点)

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 ここが頂上。これが上記の墩台(とんだい)という兵士の詰所でしょう。Dscf3178_2

 このちょっと下に脇道があってこんな看板がありました。「衛生間」、トイレです。

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 これを見て、若い頃コンパのときなどに歌ったデカンショ節を思い出してしまいました。

 万里の長城で 立ちションすれば
 ゴビの砂漠に 虹がたつ
 ヨーイヨーイ デッカンショ

 立ちションするわけにはいかないから、万里の長城へ来た記念にゴビの砂漠を念じつつひとつしておこうかと矢印の方向へ行ったら、これが意外に遠くて、しかも売店の付属便所で有料でした。ここまで来たら引き下がれないと1元払って入ってみると、穴蔵のようなところで、臭い、汚い。男用の朝顔はなく、昔なつかしい共用の溝に流れがとどこおって、すごい臭いがしていました。もうする気もなくなったけれど、1元払った手前、無理矢理しぼりだしましたが、とてもゴビ砂漠に思いをいたす余裕はありませんでした。

 今回のツアーは、国を代表する観光地ばかりですから、ここを除いて、そんなに汚いトイレはありませんでした。
 ただ、ガイドさんも言っていたように、ドアの鍵がこわれていることが少なくないようで、わたしも、空いてると思ってドアを開けたら、しゃがみ込んでいる先客を目撃してしまったことがありました。
 下の写真は、昼食をとったレストランの男用便器の上に貼ってあった標語です。他のところでも同じ標語を見ました。

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 「向前一小歩 文明一大歩」
 ちゃんと一歩前に出て、汚すんじゃないよ、ということはわかりますが、「前に踏み出す小さな一歩が、文明の大きな一歩だ」と言われると、どうしても月着陸のアームストロング船長の「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」という有名な言葉を思い出してしまいます。
 That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.
 これは、
 That's one small step for [a] man, one giant leap for civilization.
なのか。
  しかし、隣にいたツアー同行者のOさんが、この「文明」は日本語とは違う。無教養・粗野ではなく礼節を心得ている、というような意味だと教えてくれました。
 Oさんは中国人で、現在日本で働いていて、たまたま休みが取れたのでこのツアーに参加したと言ってました。もともと上海の人ですが、北京は初めてというわけではなく五回目だとのことなので、なぜ日本のツアーに参加して来たのか、いまいちわかりません。こういう格安ツアーで来るのが一番安く、全部おまかせで気楽だということなのでしょうか。ツアーの間中、気さくにいろいろ案内や説明をしてくれていました。0さんありがとうございました。

 北京五輪を開催するにあたって、大規模な建築工事とともに、街角の屋台が取り払われたり、こういうエチケット・マナー向上運動が行われたりして、北京の街はずいぶん変わったといいます。そういえば東京五輪や大阪万博のときにも同じような話があったことを思い出します。東京五輪が1964(昭和39)年、大阪万博が1970(昭和45)年だから、もう40年も前のことになります。

 トイレの話が長くなりました。窓から見えるのはのろし台でしょうか。長城はどこも「塼(せん)」というレンガで造られています。
 ゴビ砂漠はこの左手ずっとずっと奥の方、見えるわけもありませんが、あいかわらずの塵天がやっぱり残念です。

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 この先、また見に来る機会があるかどうかと考えると名残惜しくなりますが、そろそろ集合時間です。戻らなくてはなりません。子供の頃からの念願はひとつ果たしました。とりあえず「再見」と言っておきましょう。

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2010年9月22日 (水)

北京塵天3 明の十三陵

第二日の二

明の十三陵

 頤和園の次は「明の十三陵」のうち「定陵(ていりょう)」という十四代皇帝神宗万暦帝(しんそうばんれきてい)=姓・諱は朱翊鈞(しゅよくきん)の陵墓を見ます。
 そもそも世界遺産としては「明・清王朝の皇帝墓群」として登録されており、そのうち北京市(といっても中心部から40㎞から離れている)にあるのが「明の十三陵」で、その名のとおり十三人の皇帝の陵墓がありますが、有名な「定陵」の地下宮殿だけを見て、またすぐ次へという忙しいツアーです。

 定陵の入口です。

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 左は最初に発掘したけれど何もなかったという穴。盗掘よけの偽の入口ではないかということです。
 入口から階段をどんどん 降りて行くと、地下27メートルにある玄室=玄宮に着きます。壁は大理石でできていて玉座や豪華な副葬品もあったことから地下宮殿と呼ばれています。

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 左の写真の棺床というのは棺桶の置き場なのでしょうが、なぜかお賽銭のように、お金がたくさん投げられています。ガイドのUさんの説明では、お賽銭というより、奧の石(右の写真)に書いてある「金井」という文字から、金の井戸にお供えすればお金が湧いてくるということで投げられているけれど、実はこの金の井戸は、あの世とこの世の通路なのだそうです。ここは墓場なので、さすがの中国人も気味悪がって、賽銭泥棒はいないとのことです。

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 左の写真が棺。これがなぜ棺床にないのかというと、入れようと思ったら大きすぎて通路を通らなかったというのですが、本当だとしたらちょっとマヌケな話です。右は「万暦帝宝座」。地下宮殿での玉座です。皇后の宝座もありました。

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 万暦帝というのは、ガイドのUさんによればナマケモノの皇帝で、ろくに仕事をしなかったそうです。当時は、豊臣秀吉の朝鮮出兵など「万暦の三征」と呼ばれる辺境での乱、朝廷内での東林党・非東林党の「党争」、満洲では女直のヌルハチが強大になるなど多難のときだったのに、治世後半の25年は後宮にこもって朝政の場に姿をあらわさず、寵姫やその子供を偏愛し、贅沢をし、莫大な金をかけてこの墓をつくったといいます。
 北京観光局の公式サイトには「朱翊鈞は、明代における在位期間が最長の皇帝である。48年の長きに及んだが、贅を尽くし財をむさぼった、歴史上に名を残す暗愚の君主であった。」と書いてあります。http://beijing.japanese.china.org.cn/2008-11/22/content_16808836_2.htm

 下は、出口とその上にある建物の中の碑。文化大革命のとき、紅衛兵がこれを倒そうとしたが、頑丈すぎて倒れなかったそうです。「神宗顕皇帝之碑」(三文字目?)のように読めます。

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 ここから万里の長城へ向かう途中で昼食をとりました。一階は土産物雑貨店、二階が食堂。田舎料理ということでしたが、ごくありきたりの中華料理で、味はともかく量はしっかりありました。ここで飲んだ燕京ビールの「純生」がスッキリしていてうまかった。

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2010年9月20日 (月)

北京塵天2 頤和園

二日目

 朝、ホテルの部屋の窓を開けてみると、こんな景色で、一瞬雨かと思いました。昨夜ガイドさんが天気予報は晴れと言っていたのに。部屋は二十階です。

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 少しガスっているだけで、そのうち晴れるだろうと思っていると、そうではありませんでした。いつまでたっても、どこへ行ってもこんな空でした。
 「北京秋天」という言葉があります。中国語の「秋天」は空のことではなく季節の「秋」という意味だそうですが、北京の街の上に青く澄み渡った空が広がっている風景を連想します。梅原龍三郎の「北京秋天」という有名な絵でも、天安門の上に青い空が広がっています。そんな北京の街をみられることを楽しみにやってきました。

Photo梅原龍三郎「北京秋天」(『新潮日本美術文庫40 梅原龍三郎』1998より)

  ところが空はこんな状態で、街路樹や草の葉には白い埃がつもっている。行き交う自動車もうっすらと白い埃をかぶっているのが多い。タクシーまでちっとも掃除していなくて、なんだかわびしい感じがするのに驚きました。
 ガイドさんに聞いてみると、排気ガスと砂のせいだというのです。「黄砂?」と聞くと、黄砂の時はこんなものじゃない、空が暗くなると言います。今年はまだ夏のスモッグが去らず、秋天にはいたっていないらしい。この後、秋が深まると澄んだ青い空の日もやってくるらしいのですが、今回はだめでした。この紀行の題名を「北京塵天」とした次第です、本当は「北京秋天」としたかったのに。

頤和園(いわえん)

 一日目のホテル出発は8:00と早い。バスは先に他のホテルをまわって来るので、これでも同乗客の中では遅い方ということになるが。しかしバスが来たのは8:15。朝から渋滞とのこと。
 北京市内は渋滞がひどい。道路は広く何車線もあるが、車がひしめきあい、競り合いながら走っている。観光中ずっとそうでした。

 最初に訪れたのは、清の宮廷庭園、頤和園です。荒廃していたのを再建するにあたって、西太后が海軍(=北洋艦隊)予算を流用したので、清は日清戦争に負けたのだという話があります。そのくらい金をかけたということで、とにかく広い。そして人が多い。

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 中に昆明湖という人造湖があります。総面積は220ヘクタール(2,200,000㎡)、平均水深は1.5m、最深部で3m。掘りはじめたのは元代ということですから、当然、手で掘ったわけです。

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   昆明湖に沿って全長728メートルという長廊があります。

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 長廊の柱の梁の上に飾られている絵は、14,000枚を超えるそうで、花鳥画や神話・物語などの絵があります。長廊の途中には四季をあらわす四つの東屋があって、下の写真左は春の「留佳亭」。右はその中の絵のひとつ、三国志でしょうか。

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 このほかにも仏香閣とか、蘇州の街並を再現して宮廷人が買い物ごっこを楽しんだという蘇州街とか、見所はたくさんあるようなのですが、なにしろ二日間で世界遺産五つをまわろうという強行ツアーです。勘所だけさっと見たらすぐ次へ向かいます。

 

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北京塵天

 9月14日(火)から17日(金)まで、北京へ行ってきました。「5つの世界遺産をめぐる!北京4日間」という格安ツアーです。三泊四日といっても、行きは成田夕方発、帰りは北京早朝発なので実質二日間です。急遽行くことに決めたので他にほとんど選択肢はありませんでした。

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 17:20成田発の全日空。途中、富士山が見えました。「頭を雲の上に出し…」です。

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 北京着は現地時間20:10。北京空港は新しくてきれいです。ガラスを多用した透明な壁と縦横斜めの鉄の骨組みが、オリンピック施設「鳥の巣」を連想させます。そのうえ広い。イミグレーションを抜けたあと、さらに、日本でいう新交通システムのような2両編成のモノレールに乗って出口へと向かいます。
 現地添乗員の出迎えを受けてバスでホテルへ。われわれのホテルは北京マリオットシティウォール(北京万豪酒店)。シティウォールというのは下の写真の左側、昔の北京の城壁が隣に残っているのでした。2008年の北京五輪にあわせてつくられたホテルなので、きれいで、部屋も広かった。

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 もう夜も遅いので遠くへは行けません。歩いて五分くらいのところに北京站(駅)があるので、とりあえずそこまで行ってみました。
 日本の駅前に比べると照明が暗い。敷石が敷き詰められた広場は大勢の人でごったがえしています。中にはシートを敷いてトランプをやっている人たちや寝ている人たちもいます。
 とにかく人が多いのと広場が汚いのに驚きました。歩くと敷石がべたべたするような感じがするし、いろんなゴミがあちこちに落ちている。バスの中でガイドさんが「北京站は地方から来る人が利用する。もうすぐ中秋の名月と国慶節の連休なのでさらににぎやかになってきている」と言っていました。途中の歩道には蓬髪上半身裸のホームレスではないかと思われる老人の姿もありました。北京空港の利用者とは階層がちがうようです。
 駅の中へ入ってみたいが様子がよくわからない。入口、出口が峻別されていて、日本のように自由に出たり入ったりしている気配がない。言葉ができないから変なところへ入り込んだら困るし、もう遅い。帰ることにして、駅の脇のスーパーのような売店で、ビールとコーラを買いました。「燕京啤酒」に「可口可楽」、どちらも4元(約56円)と安い。
 あとは寝るだけです。

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2010年9月14日 (火)

朝日さわやか寄席

 9月10日は横須賀まで落語を見に行ってきました。朝日新聞の主催で、桂文珍に立川志らく、柳家家緑という面白そうな取り合わせなので申し込みました。
 横須賀市文化会館というのはわが家からはちょっと不便なところなので、車で行ったら途中渋滞にぶつかってしまい、ついたときにはもう前座の落語がはじまってしまっていました。

01

<演目>

三遊亭楽大  転失気(てんしき)
柳家花緑   長短
(中入り)
立川志らく  長命
桂文珍       あこがれの養老院

02 

 花緑は、いつまでもおじいちゃん、おじいちゃん、永谷園だと言っていてはいけないのではないか。「長短」は、いまいちでした。
 志らくは、最近人気があるので一度見たかった。今回は古典の「長命」でしたが、声もいいし、しっかり聞かせました。「吉原の休日」だとか、有名な映画を江戸時代の話に置き換えた「シネマ落語」というのをやっているそうです。今度はシネマ落語をぜひ聞きたいものです。
 文珍は、ひきこもり老人が実はずっと前に死んでいたという時事ネタから入って、「あこがれの養老院」という創作落語でした。とにかくおもしろくて、十分笑いましたが、せっかくの機会なので、文珍の古典を聞きたかったなという気もしました。

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2010年9月12日 (日)

朴の実

 5月に、朴の花が咲いたことを書きました(ホオノキ、ミズキ)。その朴の花が実になりました。

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  赤くなってきているのもあります。

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 やがてこれがはじけて、さらに中から赤い粒々の実が出てくるのだそうです。

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 高いところに花がつくので、下から見上げても葉に隠れて気づかないこともあります。今年はこのあとも注意して観察することにします。 

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2010年9月11日 (土)

ムカデに刺される

 ともかく畑も庭も草刈りだとやっていた三日目(9月7日)でした。朝のうち家の中の掃除をして、午前11時すぎに、また草刈り作業にとりかかるかと、縁側に放り出してあった軍手に手を突っ込むと、痛い!
 左手の小指の先に小刀でも刺されたような痛みが走りました。あわてて脱ぐと爪の右下から血が出ていてズキズキ痛む。水で洗っているうちにも見る見る腫れていきます。
 ハチかそれともムカデか、なんだかわかりません。投げだした軍手を裏返して確認するにはそれなりの支度をしないとちょっと恐い。痛みがけっこう強いのに驚きます。ズキズキ痛むうえに指先が腫れあがってじーんと痺れている。ハチにしろムカデにしろ、死んでしまうようなことはないだろうけれど、ともかく南房総市役所近くの診療所に行って、みてもらいました。
 ハチかムカデかわからないけれど、ともかく解毒のための注射をうってもらい、飲み薬、塗り薬をもらって帰りました。痛みと腫れはなかなかおさまりません。

 帰ってからおそるおそる軍手を調べて見ても、もう虫の姿はありません。ハチがわざわざ軍手にもぐりこむものかどうか、傷口を見ると小さな点が二つあるし、どうもムカデに刺されたようです。正しくは噛まれたというわけですが、やられたときには、刺されたという感じがしました。
 七転八倒ということはありませんが、けっこう強い痛みで、午後は戦意喪失。何をする気にもならず、寝っころがって本を読んではうとうとしているうち、午後4時頃にようやく痛みがおさまってきました。5時間くらいけっこう痛かったわけです。
 以前、うちの奥さんもムカデに刺されたことがあって、ずいぶん痛がっていたのですが、そのとき「ムカデで死ぬことはないよ」と冷たくしたことを反省しました。

 ムカデといえば俵藤太ですが、先日DVDで見た黒澤明の映画『蜘蛛巣城』で、三船敏郎演じる武将が、ムカデの絵の旗印を背負っていたのを思い出しました。
 手元にある本をあたってみたら、こんな写真が見つかりました。(文藝春秋編『異説・黒澤明』文春文庫、1994)Photo_2

 インターネットで調べてみると、ムカデの旗指物は武田信玄が使ったものだそうで、こんな説明がありました。

 武田氏では、これらの旗の他に使番衆が用いた「百足の旗指物」も有名だ。百足の素早い動きとその猛々しさを表現した、信玄好みのものであった。かれらは「むかで衆」とよばれ、武田武士のなかでも豪の者だけが選ばれた、名誉の旗指物でもあった。
http://www2.harimaya.com/takeda/html/tk_hata.html

 ムカデは昔から強いものとして恐れられていたということでしょうか。わたしも今後もっと注意することにしましょう。

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2010年9月 9日 (木)

枯れた畑

 いろいろあって8月はとうとう南無谷へ行かずじまいでした。その結果、9月5日(日)、久しぶりに来てみると、今年の暑さに加えて雨も降らず、おまけにほったらかしで草だらけ、畑はほとんど壊滅状態でした。最近訪れる間隔があきすぎています。

 キュウリもトマトもとっくに終わって立ち枯れている隣で、ナスはなんとか実を付けていてました。えらい!

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 トウモロコシの皮をめくってみると、こんな状態。

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 スイカの空中栽培も、ぶらさがったまま枯れていました。これではなんともなりません。

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 ゴーヤはこんな色に。緑色で食べられそうなものも一部ありましたが。

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 ともかく草を刈って、枯れたキュウリやトマトも倒して、畑を作り直すしかありませんが、とにかく暑い。ほんとうに今年の暑さにはまいりました。

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2010年9月 3日 (金)

第八番 星谷寺

 8月29日(日)、第八番札所、妙法山星谷寺(みょうほうざんしょうこくじ)、星の谷観音(ほしのやかんのん)へ行ってきました。神奈川県座間市にあります。ちょうどその日は小田急線の伊勢原へ行く用があったので、座間駅で途中下車して拝んできました。

 座間駅から歩いて五分。この日も暑い日でした。

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 ここには山門がなく、仁王様が野天に立っていました。

Photo

 正面が本堂です。

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 本堂へ入ったところ。

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 この右手に、こんなものがあります。「根下り紅葉」といって、これに触れると乳の出が良くなるという星谷寺の七不思議の一つだそうです。

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 これが七不思議です。

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 撞座一つの梵鐘。撞座(つきざ)というのは、撞木を当てるところで、ふつうは鐘の両側にあるものだそうです。

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 これが星の井戸。

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 約束の時間がせまってきたうえに暑かったので、他の七不思議はゆっくり確認できませんでした。せわしない参詣になってしまいました。

 ご詠歌は、

 さはりなす まよひの雲を ふりはらい 月もろともに おがむ星谷

08

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