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2010年9月22日 (水)

北京塵天3 明の十三陵

第二日の二

明の十三陵

 頤和園の次は「明の十三陵」のうち「定陵(ていりょう)」という十四代皇帝神宗万暦帝(しんそうばんれきてい)=姓・諱は朱翊鈞(しゅよくきん)の陵墓を見ます。
 そもそも世界遺産としては「明・清王朝の皇帝墓群」として登録されており、そのうち北京市(といっても中心部から40㎞から離れている)にあるのが「明の十三陵」で、その名のとおり十三人の皇帝の陵墓がありますが、有名な「定陵」の地下宮殿だけを見て、またすぐ次へという忙しいツアーです。

 定陵の入口です。

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 左は最初に発掘したけれど何もなかったという穴。盗掘よけの偽の入口ではないかということです。
 入口から階段をどんどん 降りて行くと、地下27メートルにある玄室=玄宮に着きます。壁は大理石でできていて玉座や豪華な副葬品もあったことから地下宮殿と呼ばれています。

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 左の写真の棺床というのは棺桶の置き場なのでしょうが、なぜかお賽銭のように、お金がたくさん投げられています。ガイドのUさんの説明では、お賽銭というより、奧の石(右の写真)に書いてある「金井」という文字から、金の井戸にお供えすればお金が湧いてくるということで投げられているけれど、実はこの金の井戸は、あの世とこの世の通路なのだそうです。ここは墓場なので、さすがの中国人も気味悪がって、賽銭泥棒はいないとのことです。

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 左の写真が棺。これがなぜ棺床にないのかというと、入れようと思ったら大きすぎて通路を通らなかったというのですが、本当だとしたらちょっとマヌケな話です。右は「万暦帝宝座」。地下宮殿での玉座です。皇后の宝座もありました。

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 万暦帝というのは、ガイドのUさんによればナマケモノの皇帝で、ろくに仕事をしなかったそうです。当時は、豊臣秀吉の朝鮮出兵など「万暦の三征」と呼ばれる辺境での乱、朝廷内での東林党・非東林党の「党争」、満洲では女直のヌルハチが強大になるなど多難のときだったのに、治世後半の25年は後宮にこもって朝政の場に姿をあらわさず、寵姫やその子供を偏愛し、贅沢をし、莫大な金をかけてこの墓をつくったといいます。
 北京観光局の公式サイトには「朱翊鈞は、明代における在位期間が最長の皇帝である。48年の長きに及んだが、贅を尽くし財をむさぼった、歴史上に名を残す暗愚の君主であった。」と書いてあります。http://beijing.japanese.china.org.cn/2008-11/22/content_16808836_2.htm

 下は、出口とその上にある建物の中の碑。文化大革命のとき、紅衛兵がこれを倒そうとしたが、頑丈すぎて倒れなかったそうです。「神宗顕皇帝之碑」(三文字目?)のように読めます。

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 ここから万里の長城へ向かう途中で昼食をとりました。一階は土産物雑貨店、二階が食堂。田舎料理ということでしたが、ごくありきたりの中華料理で、味はともかく量はしっかりありました。ここで飲んだ燕京ビールの「純生」がスッキリしていてうまかった。

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