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2010年9月23日 (木)

北京塵天4 万里の長城

第二日の三

万里の長城

 万里の長城は小学生の頃からの憧れ、ピラミッドなどと並んで一度は見たかったもののひとつです。このツアーに決めたのも万里の長城へ行けるからでした。
 北京市内から約75キロと近く、観光地として最もポピュラーな八達嶺(はったつれい)というところへ行くのですが、その八達嶺高速道路が渋滞していてなかなか進みません。この道路は張家口まで続いていて、内蒙古方面への幹線道路であるらしく、ずっと混んでいます。途中北京市内へ向かう大型トラックの列が延々と続いているところがありました。渋滞緩和のため大型トラックの市内通行は夜間に制限されているため、時間待ちをしているのだということでしたが、その長いこと。北京の街が毎日大量の物資を必要としていることを実感しました。
 予定よりはだいぶ遅れながら、やがて長城の姿が見えてきました。けっこうけわしい岩肌の山の上です。居庸関(きょようかん)のあたり、日本で言えば箱根のような関所だったところです。こんな急な階段も見えます。

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 これが八達嶺の長城。空が青くないのが残念です。

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 八達嶺入口。簡体字で「八达岭长城售票処」とあるのが見えます。切符売り場です。

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 入って少し登ってから入口を見下ろしたところ。平日なのに大勢の観光客がいます。

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 目の前の頂上めざして登ります。この甬道(ようどう)という通路は、傾斜がきつかったり、階段がふぞろいだったり、歩きにくいところがままあります。

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 長城は、秦の始皇帝の時代あるいはその前から造られていて、それが今のような形になったのは明の時代だそうです。
 その大きさには圧倒されます。こんなものよく造ったよな、というのが正直な感想。遙か彼方の山の上まで延々のびています。なんと全長2,700㎞だそうです。その意志と、断固それを実行した権力の力に驚かざるをえません。しかし一方では、こんなものを作る必要があったのかという気がします。敵もわざわざ登ろうとは思わないような高い山の上にまで城壁を造る必要があったのか。力の誇示にはなっただろうけれど、壮大な無駄ではなかったのか。要所要所を固めておけば軍事上は十分ではなかったのか、と思わざるをえません。

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 陳舜臣の『中国歴史の旅 上』(徳間文庫、1986)には、こう書かれています。

 現在の八達嶺をみごとに飾った明も、李自成軍の進撃をこの長城でくいとめることはできませんでした。宣府(現在の張家口のあたり)から南下した李自成軍は、難なく長城を越えて、居庸関を制したのは前述したとおりです。
 かぞえきれないほど多くの墩台(とんだい)や、のろし台がありましたが、誰ひとりとしてのろしをあげようとする者さえいなかったのです。李自成軍が北京の城門に迫るまで、紫禁城にいた皇帝とその側近たちは、そのことを知りませんでした。彼らは人心を失って国をほろばしたのです。(P76、下線部は原文では傍点)

Photo

 ここが頂上。これが上記の墩台(とんだい)という兵士の詰所でしょう。Dscf3178_2

 このちょっと下に脇道があってこんな看板がありました。「衛生間」、トイレです。

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 これを見て、若い頃コンパのときなどに歌ったデカンショ節を思い出してしまいました。

 万里の長城で 立ちションすれば
 ゴビの砂漠に 虹がたつ
 ヨーイヨーイ デッカンショ

 立ちションするわけにはいかないから、万里の長城へ来た記念にゴビの砂漠を念じつつひとつしておこうかと矢印の方向へ行ったら、これが意外に遠くて、しかも売店の付属便所で有料でした。ここまで来たら引き下がれないと1元払って入ってみると、穴蔵のようなところで、臭い、汚い。男用の朝顔はなく、昔なつかしい共用の溝に流れがとどこおって、すごい臭いがしていました。もうする気もなくなったけれど、1元払った手前、無理矢理しぼりだしましたが、とてもゴビ砂漠に思いをいたす余裕はありませんでした。

 今回のツアーは、国を代表する観光地ばかりですから、ここを除いて、そんなに汚いトイレはありませんでした。
 ただ、ガイドさんも言っていたように、ドアの鍵がこわれていることが少なくないようで、わたしも、空いてると思ってドアを開けたら、しゃがみ込んでいる先客を目撃してしまったことがありました。
 下の写真は、昼食をとったレストランの男用便器の上に貼ってあった標語です。他のところでも同じ標語を見ました。

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 「向前一小歩 文明一大歩」
 ちゃんと一歩前に出て、汚すんじゃないよ、ということはわかりますが、「前に踏み出す小さな一歩が、文明の大きな一歩だ」と言われると、どうしても月着陸のアームストロング船長の「人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」という有名な言葉を思い出してしまいます。
 That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.
 これは、
 That's one small step for [a] man, one giant leap for civilization.
なのか。
  しかし、隣にいたツアー同行者のOさんが、この「文明」は日本語とは違う。無教養・粗野ではなく礼節を心得ている、というような意味だと教えてくれました。
 Oさんは中国人で、現在日本で働いていて、たまたま休みが取れたのでこのツアーに参加したと言ってました。もともと上海の人ですが、北京は初めてというわけではなく五回目だとのことなので、なぜ日本のツアーに参加して来たのか、いまいちわかりません。こういう格安ツアーで来るのが一番安く、全部おまかせで気楽だということなのでしょうか。ツアーの間中、気さくにいろいろ案内や説明をしてくれていました。0さんありがとうございました。

 北京五輪を開催するにあたって、大規模な建築工事とともに、街角の屋台が取り払われたり、こういうエチケット・マナー向上運動が行われたりして、北京の街はずいぶん変わったといいます。そういえば東京五輪や大阪万博のときにも同じような話があったことを思い出します。東京五輪が1964(昭和39)年、大阪万博が1970(昭和45)年だから、もう40年も前のことになります。

 トイレの話が長くなりました。窓から見えるのはのろし台でしょうか。長城はどこも「塼(せん)」というレンガで造られています。
 ゴビ砂漠はこの左手ずっとずっと奥の方、見えるわけもありませんが、あいかわらずの塵天がやっぱり残念です。

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 この先、また見に来る機会があるかどうかと考えると名残惜しくなりますが、そろそろ集合時間です。戻らなくてはなりません。子供の頃からの念願はひとつ果たしました。とりあえず「再見」と言っておきましょう。

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