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2011年1月

2011年1月29日 (土)

週刊F6セブンの創刊号

 さて今回の「雑誌の創刊号」は「週刊F6セブン」です。昭和40(1965)年11月6日号恒文社発行。わたしと同年輩くらいの人なら、そんな雑誌もあったな、くらいには覚えているのではないでしょうか。
 「平凡パンチ」が昭和39(1964)年5月11日(→平凡パンチの創刊号)、「週刊プレイボーイ」が昭和41(1966)年11月15日(→週刊プレイボーイの創刊号)ですから、ちょうどその間に創刊されています。

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 これが目次。特集記事は、
「キミの行動に 魅力をつくろう」
「現地潜行レポート アメリカのポピュラー音楽の内幕」
「爆撃 された北ベトナムのライ病院」

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 トップ記事の「キミの行動に 魅力をつくろう」には丸尾長顕とかドクトルチエコ、竹腰美代子といったなつかしい名前が並んでいますが。あまりおもしろくありません。

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 この創刊号には特に紹介したいような記事はありませんでした。
 しかしこの雑誌、「平凡パンチ」「週刊プレイボーイ」と競合する中で、マイナーながらけっこうがんばっていたような記憶があります。一時「がんばれ吉永小百合」とか「がんばれ佐藤栄作」という、がんばれシリーズがあって、最後には「がんばれ週刊プレイボーイ」とライバル誌まで取り上げていました。でも結局「平凡パンチ」や「プレイボーイ」には勝てなくて、いつのまにか消えてしまった週刊誌でした。

 記事より広告を見てみましょう。表紙、裏表紙の裏です。

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  時代が感じられます。下のルフトハンザは、「新装のビルに」とうたっていますが、五階建ての、今ならどこにでもありそうな建物です。場所は霞ヶ関ですが。

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  そしてこれが見開きのピンナップ。表紙をのぞけば唯一のカラーページです。通常のグラビア用紙で、印刷も精密とは言えませんが、当時はこれでよかったんですね。

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2011年1月24日 (月)

冬の庭

 1月21日(金)から23日(日)まで、南無谷へ行ってきました。
 梅がほころんでいました。 まだまだこれからです。

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 水仙も咲いていました。これもこのあと続々と咲きそうです。

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 わが家の水仙については前にも書きました。これからしばらくはいろんな水仙が咲いてくれます。(→水仙の季節水仙いろいろ

 今回の第一の目的は、枇杷に寒肥をやること。農協へ行って、専用肥料「枇作(びーさく)」を買い、木のまわりにまきました。(これも前に書きました。→ビワには枇作(ビーサク)
 
 昨年は南無谷へ行った回数が少なく、今とれる野菜も植えてありませんし、庭の手入れも行き届いていません。荒れた感じになりはじめたので、今年はこのあたりの木を少し切って、すっきりさせたいと考えています。

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 みかんが二十個以上なっていました。

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 裏から見ると、いくつか鳥にやられていました。それでも十数個は食べられるのが残りました。この垣根が、とまって食べるのにちょうどいい位置だったんでしょうか。今年は離してみよう。

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 買物ついでに富浦の道の駅、枇杷倶楽部へ寄ってみました。

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 ここの水仙はそろそろ終わりです。菜の花はまだちょっと早い。

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2011年1月18日 (火)

井上ひさし「化粧」

 1月16日(日)は、新宿東口の紀伊国屋ホールで、こまつ座井上ひさし追悼公演シリーズのひとつ「化粧」を見てきました。
 久しぶりの新宿で、紀伊国屋を通りすぎてしまったりしましたが、無事開演前に到着。抽選で当たった席は、前から二列目の真ん中あたりという極上席でした。

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 チラシの裏には、こう書かれています。

さびれた芝居小屋の淋しい楽屋。
その楽屋に遠くから客入れの演歌が流れ込んでくるやいなや、
大衆演劇女座長、五月洋子は、座員一同に檄を飛ばし始める。
開演前の化粧支度の最中も、口上や十八番の出し物、
母もの芝居「伊三郎別れ旅」の稽古に余念がない。
その慌ただしい楽屋に、洋子をたずねてくる人がいた。
それは彼女が泣く泣く昔捨てたはずの一人息子と名乗る人物であった。
息子との再会と「伊三郎別れ旅」の話が重なり合って・・・・・・。

 女座長が化粧をしながら来客や劇団員と会話をかわす中で、芝居の内容と座長の過去が交錯しつつ明らかになっていくという一人芝居です。
 一時間あまり、一人で出ずっぱり、しゃべりっぱなしで、観客を笑わせたり、ほろりとさせたり、あきさせずに話をつないでいきます。大変です。
 観客席側を鏡に見立ててありますから、一部手鏡を使ったところもありましたが、鏡を見ないで、化粧ができあがっていくところを見せなければなりませんし、着物を宙に飛ばして着てみせるという技もありました。
 左を見て訪問客としゃべり、右を見て劇団員としゃべって、違う話を交互に進行させながら、その二つの話がからんで、幼い頃捨てた子供と再開する話が展開していきます。井上ひさしの台本、うまいものです。
 わたしは見ていませんが、渡辺美佐子が当たり役として二十数年やっていた役で、今回は文学座の平淑恵です。大衆演劇の七五調のセリフがいまいちまわりがよくないのではと感じたところはありましたが、熱演でした。

 座長が昔を思い出して、赤ん坊の頃に歌ってきかせた子守歌を歌うシーンがありました。その歌は、

ねんねん猫のケツに
蟹をおしこんだ…

 「ねんねんころりよ」と同じような節です。大衆演劇ならここでほろりと泣かせるところ、逆に「猫のケツ」で笑わせるところが井上ひさしです。若い頃聞きかじったブレヒトの「異化効果」という言葉を久しぶりに思い出しました。違っているかもしれませんが、観客に感情同化させないで、客観的に見させるというようなことだったと理解しています。
 井上ひさしの「笑い」にはそういう効果があります。深刻な話題を「かわいそうだ」「大変だ」だけですまさずに、笑いを入れることで少し距離を置いて考えさせます。

むずかしいことをやさしく
やさしいことをふかく
ふかいことをゆかいに
ゆかいなことをまじめに

ということでしょうか。
 この劇も、つらい運命に泣かせるでもなく、わが子に会ってめでたしめでたしでもなく、意外な結末で終わりました。昔この戯曲を読んだことがあるので、あれ、こんな話だったっけとちょっと意外に思いましたが、二幕目はあとから書き足されたものだそうです。なるほど。

 この「猫のケツ」の子守歌、てっきり井上ひさしが作ったにちがいない、「ねんねんころり」と「山寺の和尚さん」をくっつけたなと思っていたら、ネットで調べてみると本当にこういう子守歌があるんですね。
→http://www.komoriuta.jp/ar/A06030701.html

 北関東のあたりに昔からあったようです。「蟹をおしこんだ」ではなくて「蟹がはいこんだ」のようです。これはわたしの聞き違いだったかもしれません。
 芝居ではこの歌を歌うと赤ん坊がよろこんだというのですが、北関東のあたりではそうだったのでしょうか。

 紀伊国屋ホール。若い頃、70年代に、ここで、当時評判になっていた、つかこうへいの「熱海殺人事件」を見ました。衝撃の芝居でした。それまで新劇というと左翼がかった重苦しい芝居しか知りませんでしたが、こんなのもありなんだ、これはすごい、と驚きました。あのとき誰が出ていたのか、みんな決してうまくはなかったけれど、舞台が熱気にあふれていました。
 これはわたしの懐古話ですが、なんとこんなチラシが置いてありました。2月4日からまたやるというのです。しかも長谷川京子が出て2,500円。これは、と思いましたがやっぱりもう売り切れでした。

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2011年1月15日 (土)

32 論語で笑う

 前に最近の中国のジョークを紹介しました(→29 中国のジョーク)。今回の「本のジョーク」は、中国の古いジョーク、というより笑話から、古典の中の古典『論語』に関するものを紹介します。駒田信二編訳『中国笑話集』(講談社文庫、1978)から拾いました。

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 『論語』に関するジョークを笑うには、やっぱり『論語』についてある程度の知識がないと、何がおかしいのかわかりません。
 とりあえず「吾十有五而志于学 われ十有五にして学に志し…」という有名なところから。(タイトルのあとに書いてあるのは、その笑話が収録されていた書物の名前です。)

三十而立(にしてたつ)  群居解頤・拊掌録

 魏博節度使(ぎはくせつどし)の韓簡(かんかん)は純真素朴な人であった。文人たちと会っても、そのいうことがよくわからないので、内心いつもそれを恥じていた。そこで、ある日思い立って、一人の秀才を招き、『論語』の為政(いせい)篇の講釈をきいた。
 その翌日、韓簡は側近の者にいった。
「わしはやっと、古の聖賢が極めて純朴だったということを知ったよ。なにしろ、三十にもなって、はじめて、立って歩くことができたというのだからな」
(P363)

 次の話に出てくる周公は、ご存じかと思いますが、孔子が理想とする聖人で、いつも夢に見ていた人です。

夢に周公を見る(一)        笑府

 『論語』に次のような一章がある。

 子曰く、甚しいかな、わが衰えたるや。久しいかな、われまた夢に周公を見ざるや。(述而篇)

 さて、子供に『論語』の素読を教える先生、急に眠くなって、つい、うとうとと眠ってしまった。そして、はっと気がつき、あわてて、
「わしは夢に周公を見ていた」
 といった。
 翌日、こんどは子供が居眠りをしだした。先生が笞(むち)で机をたたくと、子供は眼をさまして、
「わたしも、夢に周公を見ていたのです」
 といった。
「それではきくが、周公はおまえに何といわれた?」
「はい。きのう先生には会わなかったとおっしゃいました」
(P311)

夢に周公を見る(二)         笑府

 『論語』に次のような一章がある。

 宰予(さいよ)、昼寝(い)ぬ。子曰く、朽木(きゅうぼく)は雕(ほ)るべからず、糞土の牆(かき)は〓(ぬ)るべからず。予に於て何ぞ誅(せ)めん。(公冶長篇)

 宰予が昼寝をしたというので、孔子様は、
「そなたはまるで朽木か糞土のような奴じゃ」
 ときびしくお叱りになった。ところが宰予は負けてはおらず、
「わたしは夢に周公を見ようと思って眠ったのです。それなのに、なぜそのようにお叱りになるのですか」
「ふん、昼間が夢に周公を見る時か」
「そうです。周公は夜中においでになるような方ではありません」
(P312)

 「〓」は「朽」に似た字ですが、JISにないのでこれで失礼しました。
 もとの話は、朽木か糞土のような奴に何を言ってもしょうがない、という話ですが、この笑話では、宰予も負けずに反撃しています。聖人君子は夜出歩いたりしないから、昼寝もやむなし、というわけです。
 ウィキペディアによれば、孔子が夢で周公に会っていた故事から、広東語では「「周公を訪ねる」という意味の「揾周公 wan Jaugung」というフレーズが、「寝る」という意味で使われている」そうです。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E5%85%AC%E6%97%A6
 昼寝の宰予は、次の笑話にもでてきます。

昼寝            笑府

 昼寝の好きな先生に弟子がたずねた。
「『論語』の宰予昼寝という四字はどう解釈したらよろしいでしょうか」
「宰とは殺すという意味だ。予とは我ということだ。昼とは日中のことだ。寝とは眠ることだ」
「すると四字全体ではどういう意味になるのでしょうか」
「予(われ)を宰(ころ)すとも昼は寝(い)ぬ、ということだ」
(P313)

 殺されても昼寝をするぞ、とはよほど昼寝の好きな先生です。宰予が人名であることも知らず、一字ずつ解釈しているところがおかしいのですが、こういう半可通の儒者や私塾の教師は、役人や医者、僧侶、道士などと並んで笑話の対象にされています。

厩火事           笑府

『論語』に次のような一章がある。
「厩焚(や)けたり。子、朝(ちょう)より退きて曰く、人を傷つけたるやと。馬を問わず」(郷党篇)
 さて、ある道学先生が役人をしているとき、馬小屋が焼けた。童僕たちが総出で消しとめて大事に至らなかったが、あとでそのことを先生に知らせると、先生は、
「人を傷つけたるや」
ときいた。
「いいえ、怪我人は出ませんでしたが、馬の尻尾が少し焼けました」
 童僕がそういうと、先生はひどく怒って重罰を課した。
 ある人がそのわけをたずねると、先生はいった。
「孔子様が馬を問わなかったことは、誰でも知っているはず。わたしも馬を問わなかったのに、あの童僕はわたしの問いもしなかったことを答えたからです」
(P232)

 「朝(ちょう)より退きて」は「宮廷から帰ってきて」という意味です。孔子は貴重な財産であった馬よりも人間のことを心配した、という有名な話です。せっかく先生が孔子の真似をしたのに気づいてもらえませんでした。
 「唐土(もろこし)かい、麹町かい」という落語の「厩火事」もこの話がもとになっています。

孔子の教え       笑禅録

『論語』に孔子の飲食について記した一章があって、
「食(し)は精(しら)げたるを厭(いと)わず、膾(なます)は細きを厭わず」(飯は白米がよく、膾は細く切ったのがよい)
 とある。
 さて、ある道学先生が人々にいった。
「孔子の言葉を一、二句でも体得すれば、尽きざる利益を得るものである」
 すると一人の若者が進み出て、一礼していった。
「わたくしは孔子の言葉を二句、深く体得しております。そのため、心はゆたかになり、体もふとりました」
「その二句というのは?」
 と先生がたずねると、
「はい。食は精げたるを厭わず、膾は細きを厭わず、という二句でございます」
(P33)

 孔子の食べ物の好みだけ真似しても聖人君子にはなれません。キリストがワインを飲んでいたからと言って、ワインばかり飲んでいても救世主にはなれません。

なまり          拊掌録・雪濤諧史

 孔子の弟子の公冶長(こうやちょう)は鳥の言葉を解した。
 あるとき孔子が鳩の鳴き声をきいて、
「あれは何といっているのだ」
 とたずねると、公冶長は、
「觚不觚(クープークー)、觚(クー)……(觚(こ)や觚ならず、觚ならんや、觚ならんや──『論語』雍也篇)といっております」
 と答えた。またあるとき、孔子が燕の鳴き声をきいて、
「あれは何といっているのだ」
 とたずねると、公冶長は
「知之為知之(チーシーウェイチーシー)、不知為不知(プーチーウェイプーチ)、是知也(シーチーエー)(之を知るを之を知ると為(な)し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり──『論語』為政篇)といっているのです」
 と答えた。またあるとき、孔子が驢馬の鳴き声をきいて、
「あれは何といっているのだ」
 とたずねると、公冶長は
「はて、あれは解しかねます。どうやら田舎なまりのようでございます」
(P270)

 これは中国語の音を論語の文章にこじつけたおもしろさで、日本で「ホー法華経」とか、「仏法僧(ブッポウソー)」と鳴いている、と言うようなものでしょうか。

 ちょっと脇道にそれますが、「知之為知之、不知為不知、是知也」をこんなふうに読んでいるマンガがありました。

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 これは前にも紹介した、みなもと太郎風雲児たち 幕末篇』の第11巻(リイド社、2007)で、坂本龍馬が論語の勉強をしているところです。龍馬は漢籍を、塾で教えるような正式の読み方はうまくできなかったが、その大意はきちんと読みとっていたというエピソードのところです。この話は司馬遼太郎の『竜馬がゆく』にもあったと思います。
 笑話に出てくる素読の先生たちが、音に出して読むことはできても、その意味がよく分かっていないのとは対照的です。

 

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2011年1月12日 (水)

鶴岡八幡宮2011

 1月11日(火)、鎌倉鶴岡八幡宮へ初詣に行ってきました。毎年の恒例です。(→2009年「鎌倉へ初詣」、2010年「鶴岡八幡宮へ初詣」)

 松が明けてさらに成人の日の連休明けの平日、それも寒波がやってきて寒い朝9時頃だったせいでしょう、とても空いていて、いつも満員で入れない八幡宮の駐車場にはじめて車をとめることができました。
 駐車場は八幡宮本宮のすぐ裏手にあるので、こちらから入ると正面の階段を登らずにいきなり本宮の横に出られます。

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 上から見下ろすと大階段の脇に、倒れた大銀杏が復活しつつあるのが見えます。

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 これについては何度か書きました(→倒れた大銀杏大銀杏の新芽)。銀杏は本当に丈夫です。

 階段をのぼらずに本宮へ来ましたが、去年のお札や正月飾りなどの納めるところは下にあるので、階段を使わないですますわけにはいきません。おまいりの前に一度降りて、納めてきます。

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 銀杏は、冬なので葉がほとんどありませんが、輪切りにされた幹からも、残された根からも小さな枝がいっぱい出ているのが見えます。

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 また階段を登ってあらためて参詣をすませます。そして新年のお札をもらい、おみくじをひいてみました。 結果は「吉」で、称名寺と同様あまりパッとしません。今年はやはりぼちぼちでしょうか。
 大銀杏の小枝を入れたお守りというのもありましたが、さすがにこれは買いません。

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 駐車場へ戻る途中の境内に、こんなお稲荷さんがあったのでここへも寄ってみました。毎年八幡宮へは来ているけれど、こちら側へはほとんどまわらないので、はじめての参詣です。

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 ここのところお寺まいり、お宮まいりの話が続きました(→第十三番 浅草寺初詣 称名寺大山詣り2011)。日本の由緒正しい老人のあるべき姿に少しずつ近づいているようでもありますが、これで初詣は無事終わったので、また他の話もしたいと思います。

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2011年1月10日 (月)

大山詣り2011

 1月8日、毎年恒例の大山詣りに行ってきました。去年も書いたので(→大山詣り)、そうそう書くこともありませんが、去年とはちがう写真を中心にごらんください。

 伊勢原駅北口からバスで「大山ケーブル」まで行きますが、バスを降りてからケーブルカーの駅までは、この参道をずっと登っていかなければなりません。これがけっこうきつい。
 正月なので、みやげ物屋もけっこうにぎわっていました。

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 ケーブルカーを降りて、大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)の下社へ。いかにも山の中の神社です。上社までのぼらないのは去年と同じ。

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 去年は来たのが1月23日と遅かったためすでに撤去されていた茅の輪が、今年はちゃんとありました。

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 立て看板にはこう書いてありました。

新玉の年のはじめにくぐる輪は
千歳(ちとせ)の命のぶというなり

古来より茅の輪をくぐる事により罪けがれを祓い清浄な身心になると言はれております。(以下略)

ということで、上の写真に写っているのは、このときだけは清浄な身心の,、一緒に行った友人たちです。

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 この拝殿の下には洞窟があって、水が湧き出していて「大山名水」と呼ばれ、ここで飲めます。持ち帰りは有料です。洞窟の中には道祖神などもあります。

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 下社から藤沢・江ノ島方面を見下ろす風景は去年と変わりません。

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 山を下りて宴会場へ向かいます。不浄の世界が待ってます。

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2011年1月 8日 (土)

初詣 称名寺

 平成23年(2011)の初詣は、1月2日に横浜・金沢文庫の称名寺(しょうみょうじ)へ行って来ました。
 ここは鎌倉時代に、北条実時が創建したという由緒ある寺で、隣にある金沢文庫も実時がつくったものです。横浜で「金沢文庫」と言うときはほとんど地名・駅名として使われていますが、もともとは実時の文書の保管庫で、現在は県立の中世歴史博物館になっています。
 初詣でもっと混んでるかと思いましたが、昼頃だったせいもあるのか意外にすいていてゆっくり参詣できました。

 これが入口の赤門。

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 門を入った参道の両側には食堂やおみやげを売る店の他に、普通の民家も並んでいます。

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 仁王門です。

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 仁王門をくぐると池があって、太鼓橋をわたり、正面の金堂へ向かいます。

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 これが金堂。

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 池のまわりは浄土式庭園になっています。

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 おもしろかったのはこのダルマたち。「ダルマのおみくじ」(三百円)を売っていて、中のおみくじを取り出したあとのダルマをあちこちに置いていく風習があるようです。

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 木の切り株の上に乗っていたり、一列にずらりと並んでいたり、下のように枯れ枝にさしてあったり、にぎやかでした。(後ろにおみくじが縄にしばってあるのが見えます)

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 わたしのダルマおみくじは「小吉」で、「なにごとも慎重に」とか、あまりパッとしたことは書いてありませんでした。まあ今年もぼちぼちやることにしましょう。

(今回は携帯でとった写真のため、画像がよくありませんでした、失礼。)

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2011年1月 6日 (木)

第十三番 浅草寺

 板東三十三カ所巡礼にしばらく行っていなかったので、年内にもうひとつと、昨年の大晦日に第十三番札所金竜山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)浅草観音へ行きました。

 ここはあまりにも有名な寺なので、説明は他のホームページなどにまかせることにします。(浅草寺公式ホームページ→http://www.senso-ji.jp/index2.html

 雷門をくぐると

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 宝蔵門までずっと仲見世が続きます。にぎやかです。

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 これが宝蔵門です。

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 その奧が本堂。もう正月の支度ができていました。

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 参拝が終わったら、この影向堂(ようごうどう)で御朱印をいただきます。

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ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草に まいる身なれば

 昨年6月からはじめた板東三十三カ所巡礼ですが、これで八カ所まわりました。近くて便利なところはこれでだいたい片づいたので、今年からは遠いところを少しずつまわることになります。

 帰りに、うちの奥さんの大好物の舟和(ふなわ)の芋ようかんを買いました。これが仲見世にある店で、本店もこの近くにあります。

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 浅草の和菓子屋というと、最近はまっているマンガ、『あんどーなつ-江戸和菓子職人物語-』(原作:西ゆうじ、作画:テリー山本、小学館、ビッグコミックス)がすぐ思い浮かびます。

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 パティシエ(洋菓子職人)を目指していた女の子=安藤奈津(あんどう なつ)が、ふとしたことから浅草の老舗和菓子店「満月堂」のアルバイトになり、やがて和菓子の世界に魅せられ、一人前の和菓子職人を目指していくという職人根性物語に、和菓子の蘊蓄と下町人情話をからませたおもしろいマンガです。
 最近和菓子作りを趣味にしている姪が持っていました。読ませてもらったらおもしろかったので、わが家でも12巻まで揃えました。現在も『ビッグコミックオリジナル』に連載中です。貫地谷しほりの主演でテレビドラマになったそうですが、そちらは見ていません。
 こんなけなげな女の子が今どきいるわけがない、という気がしないでもありませんが、だからこそおもしろいのかもしれません。

 パラパラめくっていたら、芋ようかんの店も出ていました。

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            (『あんどーなつ 12』P17、小学館、2010)

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2011年1月 4日 (火)

仮名手本忠臣蔵

 昨年の12月25日(土)、国立劇場で「仮名手本忠臣蔵」を見てきました。

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(五幕)
 三段目  足利館松の間刃傷の場
 四段目  扇ヶ谷塩冶判官切腹の場
        同 表門城明渡しの場
 浄瑠璃  道行旅路の花聟-清元連中-
 七段目  祗園一力茶屋の場
 十一段目 高家表門討入の場
        同 奥庭泉水の場
        同 炭部屋本懐の場
        引揚げの場
(出演)
 松本 幸四郎 :高師直、大星由良之助
 中村 福 助 :顔世御前、お軽
 市川 染五郎 :塩冶判官、早野勘平、寺岡平右衛門
 市川 高麗蔵
 市川 門之助
 市川 男女蔵ほか

 忠臣蔵は子供の頃からマンガや東映の映画で親しんできました。暮れになるとオールスター映画と言って、市川右太衛門や片岡千恵蔵などが勢揃いでやっていました。
 しかし子供の頃わからなかったのが「お軽勘平」でした。わたしの見たマンガや映画にはお軽勘平なんて出てこなかったのに、大人の話やものの本によると、忠臣蔵の中には「お軽勘平」という話があって、猪と間違えて人を鉄砲で撃ってしまったりするらしい、どうなっているのかと不思議に思っていました。
 長ずるに及んで、歌舞伎の忠臣蔵にはフィクションとして「お軽勘平」の恋物語が付加されていることを知ってようやく納得しました。

 「道行旅路の花聟」で、その勘平をやっていたのが市川染五郎。これがよかった。花があって、ちょっとたよりなげで、なるほど歌舞伎の二枚目というのはこういうものであるのか、と感心しました。「七段目  祗園一力茶屋の場」では、同じ染五郎がお軽の兄の寺岡平右衛門という、ちょっとコミカルなところのある役をやっていましたが、こちらは勘平に比べるといまいちでした。

 十一時半の開演で、終わったのが十六時半、休憩をはさんで五時間という長時間で、腰が痛くなったけれど、まずは楽しく見ました。
 ドリフターズのパロディなどでしか見たことのなかった、高師直が塩冶判官を「鮒じゃ、鮒じゃ、鮒侍じゃ」といじめるところや、「未だ参上つかまりませぬ」の「遅かりし由良之助」の場面の本物を見られました。
 十一段目の討入から引揚の場は、派手な舞台に大勢の人間が入り乱れて迫力がありました。最後の引揚の場で浪士を数えてみたら三十二人で、四十七人には足りませんでしたが、狭い舞台ですからこれだけ揃うとやはり迫力があります。

 これでまだ「仮名手本忠臣蔵」全体の半分くらいしか見ていません。次は五段目の山崎街道の場を見てみたいものです。

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2011年1月 1日 (土)

謹賀新年2011

 あけましておめでとうございます。

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 昨年末、年賀状作成のため、横浜・石川町の「猫とうさぎのカフェ」に行ってみました。もともと猫と遊べるカフェで、うさぎ年にあわせてうさぎも置いたもののようです。

 カフェは座椅子でのんびりくつろげるようになっていて、その隣が猫と遊べる部屋になっています。

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 さらに別室にいろんな種類のうさぎがいました。その中から指名して、取り出してもらいます。

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ピーターラビットふうのを選んで、ハイ記念撮影

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というわけでした。

 今年もよろしくお願いします。

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