33 中国の古いジョーク
今回も前回(32 論語で笑う)と同じ、駒田信二編訳『中国笑話集』(講談社文庫、1978)から、論語以外の本に関するジョークを拾いました。この本は、講談社文庫で絶版になった後、ちくま文庫に入っています。
中国の古典を知らないから読んでもピンとこないのは、現代の日本人としてはしょうがないことです。今、商売上の必要から中国語を話せる日本人はずいぶん増えていると思いますが、その人たちも『論語』や『大学』を勉強していることはないでしょう。 江戸時代の日本の知識人が、中国語が話せるわけではないのに、これらの笑話を「漢文」として日本語で読んで、ちゃんと笑っていたというのは、考えてみると不思議なことでもあり、すごいことでもあります。
この本は駒田信二の注釈がついているので、片頬くらいは笑えます。
できの悪い素読や私塾の先生たちがからかわれます。
赤壁の賦 笑林広記
ある先生、よく字を読みまちがえる。ある日の夕方、弟子に蘇東坡(そとうば)の「赤壁(せきへき)の賦(ふ)」(前後二篇から成る)の講義をしていて、大きな声で、
「この前の赤壁の賊(ぞく)は……」
といったところ、ちょうど窓の外から中をうかがっていた泥棒が、びっくりして、さてはさとられていたのか、それなら、裏へまわって壁を破って押し入ってやろうと思い、夜がふけるのを待って家の裏へ忍び込んだ。やがて先生は講義を終わって奥の部屋へはいり、寝ようとしたが、まだ論じ足りないのか、弟子に向って大声で、
「あの後(うしろ)の赤壁の賊は……」
といったので、外にいた泥棒、またもやおどろき、驚嘆していった。
「おれの前後の行動は、この家の先生にことごとく見破られてしまった。こんなえらい先生のいる家では、なるほど、犬を飼う必要はないわけだ」
(駒田信二編訳『中国笑話集』1978、講談社文庫、P229)
三国志の有名な「赤壁の戦い」の赤壁(レッド・クリフ)です。先月、テレビで映画「レッド・クリフ Part I、Part II」をやっていましたね。
蘇東坡の「赤壁の賦」を知らない先生がいるとも思えませんが、「賦」を「賊」に読み間違えたという、わかりやすい話でした。この後の話は注釈がないとちょっとわかりません。
月謝 笑海叢珠・笑府
ある人、子供のために素読(そどく)の先生を雇った。ところがその先生がよく字を読みまちがえるので、主人は、
「気をつけてください。これからは一字読みまちがえるごとに一月(ひとつき)ぶんの月謝を差し引きますから」
といいわたした
年末になって主人が先生の読みまちがえた回数をかぞえてみると、月謝は二カ月ぶん払えばよいことになった。そこで先生にそのことをいうと、先生は慨嘆して、
「これ何の言おこる、これ何の言おこる」
といった。
「それで残った二月(ふたつき)ぶんの月謝も消えてしまいましたな」
『孝経』に「これ何の言ぞや、これ何の言ぞや」(是何言與、是何言與)という句がある。先生はその「與」を「興」とまちがえて「おこる」と読んだのである。(駒田信二編訳『中国笑話集』1978、講談社文庫、P225)
「與」を「興」とまちがえてということですが、そりゃ間違えるよなあ、と先生に同情してしまいそうです。
先生 笑府
素読(そどく)の先生が二人、死んで閻魔大王の前に引き出された。一人はよく字を読みまちがえる先生であり、一人はよく句読(くとう)をまちがえる先生であった。
取調べが終ると、大王は罰として、字を読みまちがえる先生は狗(いぬ)に、句読をまちがえる先生は猪(ぶた)に生れかわらせる、と申し渡した。
すると、字を読みまちがえる先生が大王に請願した。
「狗に生れかわるのでしたら、どうか母狗(めすいぬ)にしてくださいませ」
「どうしてじゃ」
「『礼記(らいき)』に『財に臨んでは母狗これを得、難に臨んでは母狗これを免る』(臨財母狗得、臨難母狗免」とございますから」
──『礼記』には「財に臨んでは苟(いやし)くも得る毋(なか)れ、難に臨んでは苟くも免るる毋れ」(臨財毋苟得、臨難毋苟免)とあるのだが、この先生、閻魔庁に来てもなお「毋苟」(苟(いやし)くも毋(なか)れ)を「母狗(めすいぬ)」と読みまちがえているのである。
句読をまちがえる先生の方も、」大王に請願した。
「猪(ぶた)に生れかわるのでしたら、どうか南方に生れさせてくださいませ」
「どうしてじゃ」
「『中庸』に『南方の之(ぶた)は、北方の之よりも強(まさ)る』(南方之、強與北方之)とございますから」
──『中庸』には「南方の強か、北方の強か」(南方之強與、北方之強與)とあるのだが、この先生、「之(チー)と「猪(チュー)」が江南音では同音(ツー)になることから「之」を猪の意に解した上で、句読をまちがえ、「南方之」で切り「強與北方之」で切ったのである。
(駒田信二編訳『中国笑話集』1978、講談社文庫、P226)
難しいですね。字と音と両方通じていないとシャレがわかりません。「母」と「毋」がちがうというのも、そうなんですかと言うしかありません。
次はわかりやすいけれど、あまりおもしろくありません。
大学の道 笑府
『大学』の開巻第一句は、
「大学の道は、明徳を明らかにするに在り」(大学之道、在明明徳)
である。
さて、ある素読(そどく)の先生、弟子に、
「『大学の道』とはどういう意味ですか」「『大学の道』とはどういう意味ですか」
とたずねられ、急に酒に酔ったふりをして、
「おまえたちは意地がわるい。よりによって、わしが酔っているときに質問をする」
といって答えなかった。
家に帰ってから妻にそのことを話すと、妻は、
「『大学』というのは書物の名で、『之道』というのはその書物の中に書かれている道理ということですよ」
といった。先生は「なるほどそうか」と思い、よく覚えておいて、翌日、弟子たちに向っていった。
「おまえたちは意地がわるい。きのうわしが酔っていたときには質問をしたくせに、今日はいっこうに質問しないのは、どういうわけじゃ。きのう質問したのは何だったかな」
「『大学の道』ということでした」
「うん、そうだったな」
先生はそういって、妻に教えられたとおりに説明した。そこで弟子たちはまた、
「『明徳を明らかにするに在り』とはどういう意味ですか」
とたずねた。すると、先生はまた急に額をこすりはじめて、
「ちょっと待て。わしはまた酒に酔ったようじゃ」(駒田信二編訳『中国笑話集』1978、講談社文庫、P20)
葉隠れ 笑林
楚に貧乏な学者がいた。あるとき『淮南子(えなんじ)』を読んでいて、「蟷螂(かまきり)は蝉(せみ)をねらうとき、葉にかくれて身をかくすことができる」とあるのを見つけ、さっそく木の下へ行って葉を見上げると、はたして蟷螂が葉にかくれて蝉をねらっていた。そこでその葉を叩き落したが、もとから落ちていた葉の中へまぎれ込んでしまい、どれがその葉なのか見わけがつかない。そこで葉を全部集めて持ち帰り、一枚一枚手に取って体をさえぎり、妻に向って、
「おい、おれが見えるか」
ときいた。妻ははじめのうちは、
「見えます」
と答えていたが、そのうちにだんだんうるさくなってきたので、
「見えません」
と答えた。すると男は大よろこびをし、その葉を持って市場へ行き、人の目の前で人の物を取った。そこで役人に捕えられ、役所へ引っぱって行かれた。
県知事に訊問されて男が事の次第を白状すると、知事は大笑いをして無罪放免にした。
(駒田信二編訳『中国笑話集』1978、講談社文庫、P224)
古い笑話は、あまりひねったりしてなくて、ただ木から落っこちただの、えらい役人がおならをしただのくらいで終わっているものがあります。現在の感覚ではなかなか笑えませんが、昔はそれでおもしろかったのでしょう。
「葉隠れ」の話は、子供のころ読んだ時代劇マンガに、名人が刀を構えると刀の陰に全身が隠れて、相手に見えなくなってしまったというシーンがくあったのを思い出させます。あれはこのあたりが出所だったんでしょうか。
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