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2011年5月12日 (木)

小泉八雲「生神様」

 小泉八雲の「生神様」という作品を読みました。講談社学術文庫の『日本の心』(1990)に収められている短編です。

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 最初は日本の神社や神様がどんなものなのかが語られ、なにか偉大なことや立派なことをなしとげた人は死後神となるが、まれに生きているうちに神として祀られた人もいると述べて、その「生き神」になった濱口五兵衛の話に移ります。
 秋の夕べ、高台の自宅にいた村の長老の五兵衛は、小さな、しかしいつもとは違う、長いゆっくりした地震の後、見下ろす海にただならぬ気配を感じる。沖合へ水が引き始めている。これまでに見たことはなかったが、古い言い伝えからこれが何を意味するかはわかった。
 その意味を知らぬ海辺の村人たちをすぐ高台へ避難させるため、五兵衛は自分の畠につんであった、その年収穫した稲を積み上げた稲むらに火をつけた。ある限りの稲むらに。
 火事のときには何をおいても全員が駆けつけるのが当時の村の掟だったから、海辺の村人は立ち昇る火を見て、老いも若きも急いで高台へ駆けつけた。そして五兵衛の指さす海辺を振り返ると、

「津波だ!」
と人々は叫んだ。しかし人々の叫びも、音も、またその音を聴く力も、すべて百雷よりも重い、なんとも名状しがたい衝撃でもって打消された。盛りあがった巨大な波が、轟然たる力をふるって海岸にぶち当たったが、そんために岡という岡を震えが走ったように感ぜられた。そして稲妻が一瞬、雲全体を白く照らし出すように、白いしぶきが幕上に立ちのぼった。その次の一瞬は、斜面を雲が湧くように昇ってくる荒れ狂った水沫以外は何ものも見えなかった。(P228)

 1854(安政元)年の和歌山県を襲った津波にまつわる話です。
 1896年の「三陸大津波」のニュースと一緒に回顧的に言及された記事を読んで、小泉八雲が作品化したもので、濱口儀兵衛(梧陵)という人物がモデルになっています。
 この話を児童向けに書き改めた「稲むらの火」という話が、戦前から戦後すぐまでの国定国語教科書には掲載されていました。その教科書の教師用の虎の巻には

苟も文学作品である以上、事実と多少の相違があるのはやむを得ないことである。即ち、安政元年11月に廣村を襲った津波は、何回も襲来し、しかも4月以来しばしば強震があり、村人を驚かしていたのであって、八雲の文のように、微弱な地震の後、一気に襲来した激しい津波ではなかった。かつて濱口儀兵衛の処置なども、事実はもっとも複雑なものであったのである。 しかるに八雲の文章が、かくまでに、生き生きと津波の情景を描き得たのは、もちろんかれの豊かな想像力によることであろうが、或いは、具象化したものであるかもしれない。
http://www.inamuranohi.jp/inamura/kyoshiyo.html

との記述があり、津波の実際はこのとおりではなかったようですが、たしかによくできた作品になっています。

 虎の巻を引用した「稲むらの火」というHPには、八雲の”A Living God”の原文と「生ける神」と題した訳(講談社学術文庫とは訳者が違う)も載っています。
http://www.inamuranohi.jp/index.html

 モデルになった濱口儀兵衛(梧陵)は、今人気のテレビドラマ「JIN」で、主人公がペニシリンを作るのを協力したヤマサ醤油の当主でもありました。司馬遼太郎の『胡蝶の夢』にもちょっと出てきました。たいした人物だったようです。

 これはテレビドラマの原作、村上もとか『JIN -仁‐ 第1巻』(集英社、2001)

Jin01

 これが『JIN』の濱口儀兵衛(梧陵)(第4巻P14」)

Jin04p14

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