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2011年6月

2011年6月 7日 (火)

スイス本メモ5

 いよいよスイス出発がせまってきて、本のメモを詳しく書いている暇がない。ともかく読んだ本、眺めた本のカバーだけでもあげておく。

 福原直樹『黒いスイス』(新潮新書、2004)

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  黒いスイスとは、ロマ(ジプシー)排斥。過去のナチスとの関係。核計画。「相互監視」社会。外国人排斥。マネーロンダリング。

10 森田安一『物語スイスの歴史』(中公新書、2000)

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 ヨーロッパの歴史は複雑でむつかしい。スイスがフランス、ドイツ、オーストリア、イタリアという強国に挟まれて独立を保ってきたのには、傭兵が重要な産業であった歴史や、大国相手のさまざまな駆け引きや仲間同士の裏切り合いの歴史があった。

11 池田光雅『スイス・アルプス旅の宿』(晶文社、1993)

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 著者の個人的体験が中心。宿の客観的評価というより、思いいれが強い。日本人団体観光客を馬鹿にしたような書き方はどうかと思うが、それに共感を覚える「旅慣れた」人がこういう本を読むのか。雑然としてまとまりがない。

12 八木あき子『二十世紀の迷信 理想国家スイス』(新潮社、1980)

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 これは怖い本である。上記の『黒いスイス』『物語スイスの歴史』に書かれているようなスイスの問題点が、具体的な日常生活にどのようにあらわれるか。スイスに住んでみた著者がこうむった子供に対する学校での暴行事件などを中心に書かれている。
 言ってみればスイスの悪口本。これも一面の真実であろう。『アイガー・サンクション』に皮肉として書かれていた、金のからむ問題に対するスイス人のシビアさは本物らしい。
 事故にあったり、事故を起こしたりすると大変なことになると思わされる。旅行に行くのが躊躇されるくらい。留守家族には読ませられない。

13 土田陽介『スイス・ホテル案内』(リブロポート、1993)

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 これはパラパラ眺めただけ。写真がきれいで、よさげなホテルが紹介されている。残念ながら我々が泊まる予定のホテルは入っていない。もちろん泊まる予定が一番多いユースホステルのことなど書いてない。

14 『ヨーロッパ・カルチャーガイド スイス 小さな国のひそかな楽しみ』(トラベルジャーナル、1997)

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 これは最初からなんとなく感覚が違うという感じで、ほとんど見ていない。帰った後で見ると、おもしろいかもしれない。

15 『ワールドガイド スイス』(JTBパブリッシング、2006)

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 これは普通のガイドブック。

 さてここらで、ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」で景気をつけて、荷造りにとりかかるとするか。
http://www.youtube.com/watch?v=xoHECVnQC7A&feature=related

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びわはまだ

 6月4日(土)、5日(日)は毎年恒例のびわ狩りという予定で、友人たちが南無谷へ来てくれたのですが、今年のびわは、地域全体として例年より成熟が遅れており、露地びわはようやく出始めたばかり、本格的になるのは十日から二週間くらいかかりそうだとのこと。
 わが家のびわは豊作で、けっこうふくらんできているのですが、まだ固くて色づきも浅い。食べても甘くない、というわけで、せっかく来てもらったのに、びわ狩りはできませんでした。

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 男が四人来てくれたということで、今回はミズキ、イチョウの枝払い。それに枯れたケヤキ、大きくなりすぎたホオノキ、アスナロを切り倒すという作業を手伝ってもらいました。夫婦だけではちょっと手が出ない仕事なので大いに助かりました。ありがとう、びわは後で送るからね。(写真は切ったアスナロ)

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 前回、これはなんだろうと書いた植物(→野菜から果樹へ)は、「房州わんだあらんど」という地域のサイトで教えてもらって、「ニンニク」とわかりました。
 これが現況。ニンニクの花です。近所の畑にまとめて植えてあるところがありました。そこから種が飛んできたのでしょうか。

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 うちの奥さんが、ウドの土管栽培をやってみました。

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 これはさっそく酢味噌で食べました。

 桜が、例年になくたくさんの実をつけました。このサクランボならいくらでも鳥にやるのに。

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 うれしかったのは初めてキウイが実をつけたこと。

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 前からキウイが一本植えてあったのですが、雌雄そろわないと実がならないということで、何年か前に、友人がくれた、藤田雅矢『捨てるな、うまいタネ』(WAVE出版、2003)という本に従って、家で食べたキウイの種を育ててみました。いくつか発芽したうち、最終的に育ったのは一本だけでしたが、それでちょうど雌雄があったらしく、今年はじめて実をつけました。これがちゃんと食べられたら、来年は本格的に棚を作らねばなりません。
 こうなると食べた果物の種をなんでもまいてみたくなります。

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 左は桑の実。うちの奥さんがジャムを作ってみました。右はグミ。こちらはまだ早い。

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 シャクヤクはこれひとつだけ残っていました。あとは不在のあいだに咲いて散ってしまいました。留守が長いと花も果樹も盛りに間に合わないことがしばしばです。

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 びわはわが家のメインですから、盛りにあわせて再挑戦です。

 

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2011年6月 3日 (金)

スイス本メモ 4

 スイスの本というと、まず思い浮かぶのはこれ、「アルプスの少女ハイジ」。話の筋を紹介する必要はないだろう。

 『アルプスの少女』

Photo             (ポプラ社、1987)

 この絵本で読んだことにするのはちょっと気が引けるので、がんばって英訳本(原本はドイツ語)の『Heidi (Johanna Spyri / Puffin Classics) 』を読んでみた。楽しく読めた。

Heidi
 美しい自然、純真な子供、健康そして信仰、というわけで、読むと幸せになれる。左翼的風潮の強かったころには、社会的背景が欠けている云々の批判があったらしいが、この話に都会と農村の格差だの階級差だのを持ち出して何がおもしろいか。読んで幸せな雰囲気にひたれる本はそれだけで貴重である。

 このハイジの物語の舞台になっているのが、スイス東部のマイエンフェルト周辺。
 行って山や牧草地を見てみたいと思うと、こんな本も出ている。

8 新井満・新井紀子『ハイジ紀行』(講談社文庫、2007) 

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<カバー裏表紙>

さあ出かけよう! のんびりぜいたくな夫婦ふたり旅。ヒルツェルからチューリヒ、そしてマイエンフェルトへ。「アルプスの少女ハイジ」の故郷をたずね、作者シュピーリの生涯をたどる感動の夢紀行。後年、いのちの歌「千の風になって」を作ることになる作家夫妻の旅はここから。スイス旅行必携のガイド。

 「ハイジ」の資料としてもガイドブックとしても、それほど役に立つとは思えなかったが、このご夫婦が幸せであることだけはよくわかった。

 アニメの「アルプスの少女ハイジ」はこんな感じ。
http://www.youtube.com/watch?v=5hKi1VlE94A&feature=related

 わが家は男の子二人だったので、「ナントカ戦隊」みたいなのばっかりで、こういう世界の名作シリーズははほとんど見なかった。

 ついでに、スイスというと思い浮かぶ歌を、youtubeでさがしてみた。
 まずこれ、「おおブレネリ」。こんな映像つきがあった。
http://www.youtube.com/watch?v=LHrIlwIi7FU

 白黒の画像でスイス風に装った子供たち、そして背景は上高地。アニメの『アルプスの少女ハイジ』を制作するときには、スイスまで現地調査に行ったそうだが、この時代はまだ日本はそんなに豊かではなく海外ロケなど考えられなかった。わたしの小さい頃のスイスに対する日本人のイメージはこんなものだった。今見るとちょっと恥ずかしい気もするが、なつかしさを感じる映像だ。

 「ホルディリディア」
http://www.youtube.com/watch?v=iyFLiG3U0_E&feature=related

 歌っているのが天地総子とはなつかしい。

 あとはさらになつかしい灰田勝彦ウィリー沖山。これをスイスの歌といっていいかどうか問題はあるが。

灰田勝彦「アルプスの牧場」
http://www.youtube.com/watch?v=MVGwNPI9WrM&feature=related

ウィリー沖山「山の人気者」
http://www.youtube.com/watch?v=lt09kSqY0cI&feature=related

 ついでだから日本アルプスも入れておこう。

近江俊郎「山小屋の灯」
http://www.youtube.com/watch?v=jgJb6Yh6DqQ&feature=related

 それならこれも。

岡本敦郎「高原列車は行く」
http://www.youtube.com/watch?v=kYH0BjEevKw&feature=related

 懐メロ大会になってしまった。

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2011年6月 2日 (木)

吉村昭『三陸海岸大津波』

吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫、2004)

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<カバー裏表紙>

明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。この歴史から学ぶものは多い。

 吉村昭が、過去三度の三陸海岸の大津波の記録と体験者たちの証言を、二十年以上かけて集めてまとめたもの。
 津波がどんなに凄まじい力をもつものか、たんねんに少しずつ集められた記録と当事者たちの言葉に圧倒される。それも大仰な身振りや感傷を排して書かれていることで、より一層事実の重みを感じた。
 また、津波は繰り返し必ずやってくるものだということもあらためて知った。この本に出てくる地名のほとんどは、今回の震災の報道で聞いている。

 田老町の防潮堤について次のような記述がある。

 しかし、自然は、人間の想像をはるかに越えた姿をみせる。
 防潮堤を例にあげれば、田老町の壮大な防潮堤は、高さが海面より一〇・六五メートルある。が、明治二十九年、昭和八年の大津波は、一〇メートル以上の波高を記録した場所が多い。
 私は、田野畑村羅賀の高所に建つ中村丹蔵氏の家の庭先に立った折のことを忘れられない。海面は、はるか下方にあった。その家が明治二十九年の大津波の折に被害を受けたことを考えると、海水が五〇メートル近くも逼(は)いあがってきたことになる。
 そのような大津波が押し寄せれば、海水は高さ一〇メートルほどの防潮堤を越すことは間違いない。
 しかし、その場合でも、頑丈な防潮堤は津波の力を損耗させることはたしかだ。それだけでも、被害はかなり軽減されるにちがいない。(P176)

 防潮堤を築いた人々も「被害はかなり軽減されるにちがいない」と信じ、総力を挙げて建設されたものを、自然の力は今回大きく上まわってしまった。

 その田老町で昭和9年、尋常高等小学校6年で津波を体験し、その作文がこの本に収録され(P130)、さらに49歳のとき吉村昭から取材を受けている荒谷アイさんという方がいる(P134)。その荒谷さんが、昨日(5月31日)、読売オンラインの「高台移転に住民思い二分、岩手・宮古市田老地区」と題するニュースに写真と一緒に紹介されていて驚いた。89歳、今回の津波ではご無事だったようだ。 

 荒谷アイさん(89)は11歳の時、昭和大津波で家族7人全員を失った。遺体が並ぶ海岸で家族を捜し歩いた体験を「私は、ほんとに独りぼっちの児になったのです」とつづった作文はその後、吉村昭の著書「三陸海岸大津波」で紹介された。北海道根室市の叔父に引き取られたが、18歳で帰郷、地元男性と結婚し2男4女、孫5人に恵まれた。

 東日本大震災の津波は、デイサービスで外出していて難を逃れた。翌日、四女の栄子さん(58)から津波襲来を初めて知らされた。昭和大津波で受けた心の傷は今も残る。それでも、「みんなのお墓もある。また津波が来たら山さ逃げればいい」と住み慣れた土地にこだわる。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866918/news/20110531-OYT1T00109.htm

 ネットなどでさらに探してみたら、昨年(2010)の9月11日(土)の朝日新聞「昭和史再訪    8年(1933年)3月3日 昭和三陸津波」という記事にも「津波の大音響いまも耳に」と題する荒谷アイさんの津波時の証言がみつかった。

2           (朝日新聞縮刷版より)

 その最後の部分。

 夫も津波で両親と姉を失い「津波残り」同士の結婚でした。毎年3月2日の夜から一晩中、霊を慰めていました。子供が幼いころは、どんな天気でも子供を背負い、赤沼山に逃げました。最近は、地震速報を見てから逃げる人が多くて心配です。

 地震速報を見てからでは遅い。そして「津波残り」という言葉……。

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