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2011年10月20日 (木)

中日連覇!

 10月18日対横浜戦で、中日ドラゴンズがセ・リーグ連覇を決めました。途中まで負けていてハラハライライラ、なんとか追いつき、あとは守り抜いて引き分けで優勝という、いかにも今年の中日らしいしめくくりでした。夏まではとても優勝できるとは思っていませんでした。落合監督よくやってくれました。

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 試合終了後の落合監督のインタビューがよかった。こんなときにも意気込んだり、格好をつけたりすることなく坦坦と答え、試合途中のブルペンとのやりとりについては「中での話なのでご勘弁ください(笑)」と情報管理の秘密主義に徹していました。こういうところでマスコミに受けようという意識が本当にないのですね。星野野村とは大違いです。

 落合監督がまだ巨人で現役だったときの『勝負の方程式』(1994、小学館)という本にはこう書いてあります。

 仮に、私が監督になったら、点をやらない野球を目指す。守りで攻撃するチームづくりに取り組むだろう。
 ひとりで一点取れるようなバッターとは、勝負はさせない。彼をフォアボールで歩かせて、次のバッターでダブルプレーを狙わせる教育を徹底させる。どこのチームにも、きちんと型にはまったバッターがいる。こうした打者は、このボールをほうると、ここに打ってくるというのが決まっている。型にはまったバッターさえ見抜ければ、アウトが確実にひとつ取れる。ダブルプレーを取ることもたやすくなるはずだ。守りで攻撃ができるのである。私が監督ならば、こんなチームをつくってみたい。(落合博満『勝負の方程式』小学館、1994、p153)

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 悪評の中、本当にこのとおりにチームをつくってきて、これだけの実績を残しました。日本シリーズでの完全試合目前の山井投手の交代など、とにかく意志の強い人だと感心します。

 ねじめ正一『落合博満 変人の研究』(新潮社、2008)というおもしろい本があります。この本を読むと落合が好きになります。

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 落合には甲子園や大学での華やかな球歴はありません。野球は好きで上手でしたが、野球部になじめませんでした。

 生来、封建的な体育会系の上下関係になじめず、秋田工業野球部時代は「八回入部八回退部」。とはいえ、一度も退部届は書いておらず、常に休部状態のまま、試合が近づくたびに呼び戻されたという。映画好きで、映画館で部員に発見されては部に復帰し、たった一週間の練習で四番を打ち、本塁打を量産した。
暴力が好きではない。(前掲書、P3)

 野球部セレクションに合格して入った東洋大学も三カ月で合宿所を飛び出して中退。故郷に帰ってボウリング場でバイトをし、プロボウラーを目指すも、交通違反の罰金のせいで受験料を失い、合格に至らず。最高アベレージ二八六。
 高校・大学においては、本格的な野球を経験していないに等しい。(同、P3)

 この後、社会人野球に拾われた落合は、ようやく野球に打ち込める環境を得て才能を開花させ、プロ入りして、ロッテで三冠王を三回獲得という大選手になります。
 その後の中日時代の落合について、ねじめ正一はこう書いています。

 私は、落合は中日時代の星野監督とは野球観が合わなかったのではないかと考えている。
 星野監督は選手時代、監督時代を通じて、自己演出に努力した人である。闘将、燃える男のイメージをつくり上げるためには選手に鉄拳をふるい、乱闘となれば世界の王選手へも殴りかかっていくのを厭わない。おのれのイメージを観衆にどう植え付けるかという計算では、星野仙一の右に出る人はいない。
 努力の甲斐あって、星野は若くして監督に就任し、監督の座布団に座りつづけた。名古屋の政財界にも可愛がられて、中日監督の座布団だけでなく、野球以外の名誉の座布団も笑点よろしく一枚また一枚と積み上げていった。
 暴力嫌いの落合は、おそらく星野監督のそういうところに反撥していたはずだ。星野監督が尻の下に敷いている野球以外の座布団がイヤでイヤでたまらなかったはずだ。積み上がった座布団から野球に無関係の座布団を全部取っ払わない限り、星野監督のコトパに耳を傾ける気は起きなかったはずだ。(前掲書、P21)

 中日の監督に就任した落合は暴力を禁止します。

     暴力禁止!

「コトバの人」である落合はまた、ニッポンの体育会系と相容れない。コワモテに見える落合が、非暴力主義者であることは、いくら強調しても足りないだろう。

 コーチから選手へはもちろん、選手から選手への暴力を一切禁止する。従えない者は即刻ユニフォームを脱いでもらう。

 これは中日の監督に就任した二〇〇三年十月十七日、全員ミーティングで発した言葉である。また、ユニフォームについても、星野監督の就任と同時にドジャース型に一新されていたのを、帽子のCDマークを復活させ、ビジターの胸のマークもCHUNICHIという伝統ある旧スタイルに戻した。落合監督が最初に行ったことは、星野色を一掃することだった。これは、オーナーからの要望だったようだ。
 ながく中日のシンボルだった星野仙一は、明治大学の島岡吉郎の薫陶を受けた、正しいニッポンの体育系男子である。人をそらさぬ笑顔と上下関係を弁えた礼儀正しさを身につけて、爽やかないい男であり、いつまで経っても田舎風の風采の上がらない落合とはだいぶちがう。
 でも、星野監督は、弁も立つが手や足も出す。鉄拳で発奮させるかわりに、引退後の就職まできちんとフォローするのが星野流であることは、球界ではよく知られている。五輪の「星野ジャパン」の選手たちも、監督室に呼ばれるのをとても怖がっていたという笑い話があるくらいだ。しかし、アメとムチで選手を動かす星野スタイルを、落合はどうしても好きになれなかったらしい。(前掲書、P131)

 落合は野球界の主流である体育会的人間関係を否定し、試合に関しても「オレ流」でチームを引っ張り、マスコミに嫌われながら、8年間立派な実績をあげてきました。
 しかし今年で最後ということになりました。
 この本の中で、ねじめ正一の対談相手の豊田泰光(野球評論家、元西鉄)が、落合の監督就任時について、こう語っています。

 落合に監督をやらせるとしたら中日しかなかったと思う。あの球団は、中日出身の選手が監督になるものだ、というふうに思い込んでいるところでしょう。たぶん、オーナーが飽き飽きしていたと思うんです。なんだよ、中日の選手上がりなんかたいした働きもしないし、ずっと仲よしグループのぬるま湯体質では仕方ない、と。そこで、外様とはいえ中日では突出して見えた落合にやらせたということ。オーナーが全面的に支援したら、何でもやれますよ。ほかはもういなくていい。オーナーにさえ好かれていればいいんです。マスコミも最初の頃はボロクソ言っていましたけれども、今はもう言っても落合に勝てないから、黙り出した。中日のOBも、何となく弱気になってきていてね(笑)。(前掲書、P89)

 中日OBが勢力を挽回してきたということでしょうか。
 まあいろんなことがあるのはある程度しょうがないけれど、中日ファンとしては、昨日流れたこのニュースには腹が立ちます。これは本当か。デイリースポーツオンライン(2011/10/19)からです。

 連覇の原動力となった事件がある。ナゴヤドームで行われた9月6日の巨人戦。3対5で敗れた試合後の関係者通路。坂井球団社長が、なんとガッツポーズを繰り出した。複数の球団関係者がその光景を目にし、すぐさまチーム内に広まった。

 「ウチがひとつにまとまったのは、あのガッツポーズからだよ」と落合監督。アンチ落合の急先鋒。敗北=落合の汚点。喜ぶ心情は理解できる。だが、球団社長という立場にあるまじき禁断のポーズは、フロント不信を招くと同時に、選手の反骨心を呼んだ。

 ある主力選手が言う。「あり得ないっす。監督のことを嫌いなのは構わない。人間ですから。ただ、試合をやってるのは、僕たち選手なんですよ。ガッツポーズなんて考えられない。選手をバカにしてるのと一緒ですよ」。荒ぶる心。ぶつける場所のない怒り。すべてを戦場でパワーに変えた。http://www.daily.co.jp/baseball/2011/10/19/0004558311.shtml

 来年以降が心配になってくる話ですが、ともかく長い間落合監督ありがとう。
 まだクライマックスシリーズ、日本シリーズとありますが、セ・リーグ連覇でもう腹一杯になったような気分です。

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