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2011年10月29日 (土)

sp09 ツェルマットの町

(第3日続き)

ツェルマットの町

 駅前から電気自動車のタクシーで、ツェルマット・ユースホステル Jugendherberge Zermatt へ行く。ツェルマットは環境対策のため、市内へのガソリン車乗り入れを制限していて、主に電気自動車が使われている。馬車もいたが、実用より観光用のように見えた。
 右の写真がユース。

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 ユースは町から川を越えてちょっと登ったところにあり、谷の向こうにはこんな景色が開けている。

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 正面はマッターホルンである。しかし、雲で頂上が見えない。くやしいが見えない。

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 荷物をユースに置いて街に出る。前に「憧れのツェルマット」と書いた。それは若い頃に読んだ山岳紀行の類の、山間の鄙びた登山者の宿の村というイメージが基本になっている。しかし現実のツェルマットは近代的な観光都市であった。
 中心に、そんなに大きくはないが、いかにも観光地らしい、けっこうにぎやかな街がある。見た目は違うが、軽井沢や鎌倉の小町通りに似通った雰囲気を感じる。

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 1982(昭和57)年にすでに犬養道子はこう書いた。

 草も木も、ツェルマットヘツェルマットへとなびき、世界じゅうから、山をこれっぽっちも愛さぬ人々までが、スイスの土地を踏んだからには一目見て帰らなくちゃと、登って降りるだけの二十四時間を工面して、おめあてマッターホルンを眺めに来るようになってからは、土台、特急も停まらぬシエレや、停まるにはせよ、アローラだブランシュだチナールだなど「話の夕ネにもあまりならぬ」山や谷の入口シオン、シエレは消されてしまった。
 反比例してツェルマットは、私がはじめて訪れた一九七三年(そのときにも、村の俗化に一驚したものだが)このかた、九年間に少くも三十軒の新しい観光宿と大都会の人間向きのぜいたく店二十軒を建てたのである。もはや村などと言われた沙汰ではない。その上にカネの力は山を荒らした。ヴアレイ開発団とやらが乗りこんで株を持ち、マッターホルンの東のクライネ・マッターホルンまで、空中ケーブルを通したのが一九七九年。「四時間も立ちん棒をして列に立って待って」、人は都の服装のまま、三千六百メートルを吊り上げてくれるそれに乗る。パチパチと写真をとって吊り降ろしてもらう……
犬養道子『私のスイス』中公文庫、1987、P52、単行本が1982) 

 これから30年、町はさらに変わっている。
 われわれは、学生時代に一緒に山登りもした仲間で、山についてはそれなりの気持ちを持っているつもりだ。しかしわれわれも老人旅行会となり、都の服装のまま、クライン・マッターホルンまで吊り上げてもらった。
 時の流れというものはある。流れに取り残されるもの、変わっていかざるを得ないものがある。町も変わるし、われわれも老人となったのである。

 そして老人のわたしは、この町がたいへん気に入った。     

 まず街角のパン屋で昼食。

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03dscf4353 このパン屋は、スープを頼むとパンがついてきて、パンのおかわりもできるのであった。これは安い。
 写真を見ると、このときはビールもワインも出ていない。覚えていないが、さすがにスリ事件の後で自重したようである。
 店の名前が、”Biuer”と書いてあるようだが読めない。ウェイトレスに聞いてみたら「ブゥゥゥ」とかなんとか言うが、まったく聞き取れず、真似しての発音もできなかった。
 手元のドイツ語の辞書にもフランス語の辞書にもこの単語は見当たらない。固有名詞だろうか。

 この後は、スネガ展望台までマッターホルンを見に行ったのであるが、戻ってから後及び翌日の分も含めて、町の写真を見ておこう。

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04dscf4466_2  町の中を流れるマッター・フィスパ川 Mattervispa は白く濁っている。氷河の溶けた水が流れ込むから白いのだというが、やはり石灰質がたくさん含まれているのだろう。この川は、あのフィスパで、ローヌ川に合流する。

04dscf4480_2  川の右側に見える建物はほとんどがホテルや民宿、貸別荘のようだった。
 日本なら赤青のネオンサインが輝く温泉町になるところ。香港だったら川の上にも看板が突き出るところだろう。

 

 これは 04dscf4467_2sp02 What is this? 2 で紹介した犬の糞袋。町全体が清潔であった。

    

     

        

 川沿いに墓地のある公園があった。
 公園の中にはツェルマットと妙高高原との友好都市記念碑とツェルマット&京都ツェルマット会という碑があり、その上には横断幕が張られ、こう書かれていた。

日本は今、これまでにない壊滅的な被害に襲われています。
今回被災され苦しんでおられる方々、そして当村の姉妹都市である妙高市の友人たちに対して心からお見舞い申し上げます。希望を失わずに、勇気をもってこの恐ろしい大惨事から復興なさいますようにお祈りいたします。

  ありがとうございます。

  3月11日の大震災直後は、この旅行も中止しようかと思っていた。

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 下左は花屋。右の建物のベランダにも花。

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 左はウルリッヒ・インダービネン Ulrich Inderbinen という伝説の山岳ガイドの碑。マッターホルンに370回登り、96歳まで現役のガイドをしていて104歳で亡くなったという。
 右は昔、納屋や穀物倉庫として使われていた高床式の建物。ガイドブックには「ネズミ返しの小屋」と書かれている。

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  モダンな建物もある。クレディ・スイス銀行マッターホルン博物館

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  街の大きさも手ごろで、きれいで清潔、川があり山があり、これでマッターホルンさえちゃんと見られれば、というところであった。

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