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2011年11月

2011年11月30日 (水)

sp22 ツヴァイリュッチネン

(第7日続きの2 11/06/14)

ツヴァイリュッチネン

 さてグリンデルワルトへ戻るのに、ヴェンゲン Wengen へ出て、谷間の鉄道で帰ることになった。

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 「スイスの車窓から」である。

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 T局長I長老が背中を向け合っているのは喧嘩をしたわけではない。それぞれ景色に見入っているのだ。

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 左はヴェンゲンの駅。右の山に見える模様は牛の柵だと思う。

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 このヴェンゲンの手前で乗り合わせた家具職人だという男性、機長と話し込んで気が合ったのか、商売道具の折り尺(おりじゃく)をくれると言い出した。日曜大工をやっているからと結局わたしがいただいた。木製の2m指し、プロが使っているだけあって造りがしっかりしている。いいものをありがとう。

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 それほど大きくないが滝も見えた。

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 そしてツヴァイリュッチネン Zweilütschinen 駅で、グリンデルワルト行きの列車に乗り替えたのだが、このときわたしは、やむにやまれぬ欲求からトイレへ駆け込んだところ、乗り替えに間に合わず、次の列車まで一時間、みんなをここで待たせることになってしまった。

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 駅の近くには喫茶店もコンビニもないので、ひたすら待っているしかなかった。まことに申しわけない次第であった。ごめんなさい。

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 写真に見られるように、線路はここで分かれて、左はグリンデルバルト方面、右はラウターブルンネン方面へ行く。分岐点なのである。

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 ツヴァイリュッチネンの「ツヴァイ」は、「アイン、ツヴァイ、ドゥライ」、ドイツ語の1、2、3のツヴァイ=2だろうから、これは「二股」駅みたいな意味ではないかと思っていた。
 調べてみると、ここは二つの川、シュヴァルツェ・リュッチネ(黒リュッチネ川) Schwarze Lütschine とヴァイセ・リュッチネ(白リュッチネ川) Weisse Lütschine の合流地点だということだから、「二リュッチネ川」ということか。
 だからどうなんだ、人を待たせていい理由にはならんと言われそうだが、I長老K機長の家は二俣川に近いことだし、なにとぞこれでご勘弁を。

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2011年11月28日 (月)

sp21 クライネシャイデック

(第7日続き)

クライネシャイデック

07dscf4840 クライネシャイデック Kleine Sheidegg ではまず新田次郎の記念碑を探した。駅の手前の小高い丘にあるとのことだったが、なかなか見つからない。丘をあちこちまわって、ようやく見つけた。
 地面から垂直に立ち上がっている碑を想像して探していたが、そうではなく通路の脇の土手にそっと埋められていた。

07dscf4836 「アルプスを愛した日本の作家 新田次郎 ここに眠る」とある。愛用の万年筆や眼鏡が埋められているそうだが、「ここに眠る」だから分骨もされているのだろうか。
 新田次郎は昔愛読したし、日本では有名な作家だが、スイス、ヨーロッパで特に何をしたというわけではない。この碑についてスイスの人はどう思っているのか、ちょっと気になった。

07dscf4837   同じころ日本人の一行がやって来て、やはり新田次郎の碑を探していた。われわれより少し若そうで、おばさんが多い。ここにありますよと教えてあげたら、ありがとうも言わずに、どっとみんなでやってきて、まわりを占拠されてしまった。しょうがないからわれわれはその一行が去るのを待ってから写真をとった。
 K機長が指さしているのが碑で、アイガー北壁が正面に見える位置にある。

 碑のある丘から見下ろすと、右手にクライネシャイデック駅、真ん中にホテル、奥にはアイガー北壁がそびえているが雲がかかっていた。手前に見える三角のテントは、いったい何だったか、もう忘れてしまった。
 前に見た雑誌(→sp15 ユングフラウ鉄道 )には1904年の絵が載っている。百年前とたたずまいがほとんど変わらない。

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 クライネシャイデックは、一昨日ユングフラウ鉄道に乗るため来ている。あのときはあわただしく乗り換えたので、まわりを見るゆとりがなかった。
 トレヴェニアン『アイガー・サンクション』で書いていた、北壁登攀を見物するために「アイガーバード」が集まってくるホテルはこれだろう。(→スイス本メモ 3 )北壁が目の前だ。

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 ユングフラウ鉄道に乗るための交通の要地である。

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 駅前のスタンドで昼食をとった。

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2011年11月25日 (金)

sp20 メンリッヒェン

第7日 11/06/14

メンリッヒェン

 朝見てもアイガーの頂上には雲がかかっている。今日は山を歩く予定だが、天候はどうなるだろうか。
なんだか、すっかりユースの食事になじんでしまったような気がする。

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 朝食後、ロープウェイでメンリッヒェン Männlichen 2239mへ行く。山のパノラマが見られる、いくつもある展望台のひとつである。ハイキングコースもいろいろある。

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 グリンデルワルトのあたりは絵にかいたようなスイスの風景だ。

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 上がって、メンリッヒェンに着いたが、今日も雲がある。

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 少し霧も出てきた。

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 ここも広く開けた、いいところなので、残念だ。下の方に見えるのは牛囲いの柵である。

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 切れ目から少しは山が見えるけれど…

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  まあしょうがないからコーヒーブレイク。I長老が行動記録をつけている。背景の山がなんだったのか、もうよくわからない。

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 休憩後、途中晴れてくれればと願いつつ、クライネシャイデックまでハイキングに出かけた。しかしときどき雨が降ってくるくらいで、雲ははれない。左がアイガーで右がメンヒのようだ。
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 メンリッヒェンでもらったワッペンでは、こんな感じに見えるはずなのだが。07

 前に見えるチュッゲン Tschuggen 2520m という山をまわりこんで行く。上のワッペンにある手前の黒い山である。

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 雨は降ったりやんだり、たいしたことはない。スイスへ着いた日からそうだが、細かい軽い雨で、新田次郎が「乾いた雨」と書いていた(→スイス本メモ 2)のはこれのことかと思う。雨粒が細かくてしかも大気中の濃度が薄いように感じられる雨だった。少々のことでは芯まで濡れるにはいたらない。日本の雨はこうはいかない。

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 道はあまり登り降りのない楽な道が続く。
 途中で会った白人の男が、わたしの着ているパーカーを見て、「ノースフェイスじゃないか、あれだよ、知ってるか」とアイガー北壁を指した。知っている。そのつもりで持ってきたのだ。しかしその肝心の「ノース・フェイス=北壁」はこんな状態だった。
 ちなみに機長がスリにとられた財布もノースフェイスのブランドだったそうだ。

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 日本人の団体にも会った。歳は同じくらいか少し上か、男女混合の老人旅行会である。

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 とにかく広々とした山道で気持ちがいい。空間が広く、谷が大きい。道も広い。晴れていればもっと気持ちがよかったろう。
 こんなところもあったので、わたしもケルンを積んできた。

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 そして花々。(クリックで拡大)

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 1時間ちょっとでクライネシャイデックが見えてきた。

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2011年11月23日 (水)

sp19 ツール・ド・スイス

(第6日続きの2)

ツール・ド・スイス

06tdsdscf4652  ベルンから戻る列車がグリンデルワルトに近づくにつれて、線路沿いの道路を、派手に飾った車が次から次へ何台も走って行くのが見える。
 あれはなんだ。ひょっとすると朝聞いた「ツール・ド・スイス」の一行ではないか。自転車は見えないが、支援車とか宣伝車らしい。
 夕方5時と聞いたが、ちょうどその前にグリンデルワルトに着きそうだ。

 駅に着くと、駅前広場はこの状態。お祭り騒ぎで超満員。そしてレースの競技者たちがやって来るまでの間、いろんなスポンサーの宣伝カーが入れ替わりやってきて、販促用の品物、ノベルティグッズというやつを配っていくのだった。

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 みんな争って手を出して、いろんな物をもらっている。われわれも着いた時間がちょうどよかったので最前列で参戦した。カット絆をもらって喜ぶK機長である。

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 中にはこんなのもあった。電動ドリルとネジ。Würth (ウルトまたはヴュルト)は、ドイツの工具メーカーらしい。残念ながらここのノベルティはもらっていない。日曜大工愛好家としては何があったのか気になるところだ。

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 そして、宣伝活動が落ち着いてしばらくしてから、ツール・ド・スイス Tour de Suisse がやって来た。

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 最初なんだかよくわからないうちに、二人の選手があっという間に通り過ぎ、その後、続々と選手たちがやって来た。大きな街頭テレビで放送も行われており、スロヴァキアの選手が優勝したらしかった。帰って調べてみると、やはりペーター・サガンというスロヴァキアの選手が優勝で、イタリアの選手が3時間09分47秒の同タイムで二着になっていた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B92011

S_2  ヨーロッパでは自転車競技が人気がある、ツール・ド・フランスの熱狂はすごいと聞いていたが、なるほどこういうものなのか。ツール・ド・スイスもすごかった。

 タブロイド判のフリーペーパー”Blick”は全頁ツール・ド・スイス特集だった。

06tds3 今日、3日目のコースを見ると、
 ブリーク──グリムゼル峠──グロッセ・シャイデック──グリンデルワルト 107.6km
 という昇り降りのきつい山道コースになっている。
 これを三時間ちょっとで走るのだから、たいしたものだ。下りはこがなくてもいいかもしれないが、山道だから危険がいっぱいだろう。長いトンネルもあるようだ。

 恥ずかしながら本日の戦利品──帽子、ナップザック、カット絆、キーホルダー、ストラップつきカウベル、自転車に巻く蛍光バンド、ティッシュ。他に応援用の小旗ももらった。隣にいたおじさんは、戦果の上がらないわたしをあわれんで、ティッシュやキーホルダーをくれたのだった。まあどれもみんなガラクタと言ってよろしい。
 右の絵葉書をもらって、そのおじさんに見せたら「カンチェラーラ!」とうれしそうに言う。ファビアン・カンチェラーラというスイスが誇るスター選手らしい。
 帰ってから調べると、個人のタイムトライアル競技では「異次元」と言われる脚力で、世界選手権二連覇、北京五輪優勝という凄い実績があり、ツール・ド・フランスでも活躍している。今回のツール・ド・スイスでも、第一日と第九日の個人タイムトライアルではちゃんと優勝していた。

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 ということでガラクタのおまけをいっぱいもらった老人旅行会は、意気揚々と宿のユースホステルへと帰ったのであった。
 帰る途中の風景。

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 夕食は外でとる予定だったが、あの混雑ぶりでは夜もお祭り騒ぎで、レストランはみな満員だろう、ユースでとろうということになった。わたしはお祭り騒ぎの町へ出ることにこそ意義があるとも思ったが、まあ今日も一日歩いたから、疲れていると言えば疲れているので、それもいいかとそのままユースで夕食になった。相変わらずアイガーの頂上は見えない。

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2011年11月21日 (月)

sp18 ベルン観光

(第6日の続き)

ベルン観光

07dscf4723  朝、バスでグリンデルワルト駅まで行くと、なぜか駅よりちょっと離れたところにバス停が移動していたので、予定の列車に乗るのに急がなければならなかった。駅前で何かイベントの準備をしているようだった。
 後で、同じ車両に乗り合わせた日本人観光客から、グリンデルワルトが、自転車競技のツール・ド・スイスの今日のゴールになっていると聞いた。

 列車のテーブルはこんなふうに拡げることができた。わたしは鉄ちゃんではないが、一等車に乗ることはほとんどないから、ささいなことでも感心してしまうのである。

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 このスイス旅行は恒例の新年会の席で、I長老がスイスへ行ってみたいと言い出し、T局長がそれじゃ行きましょうかと受け、K機長もそれじゃあと乗って、三人で話がまとまったもので、わたしは最初は来る気がなかった。三人とも金がないわけではないからいいだろうけれど、わたしはそんなに金があるわけではない。同じ金をつかうなら、ギリシアとかローマあたりへ行きたいと思っていた。
 結局、三人で行くより四人の方がホテルの部屋をとるのにも都合がいいからお前も来いよ、という誘いに乗って、後から参加することにした。経験のある友人二人が一緒に行ってくれるというのはいい機会であることはたしかだし、ギリシアへ行きたいといってもすぐ計画があるわけではない。「金があるわけではない」が、三人が「金がないわけではない」のなら、「わけではない」ところは同じだから、まあいいか、ということにした。

 だから計画はほとんどまかせっ放しだったうえ、ベルン Bern は行けたら行くくらいの話だったから、スイスの首都であることくらいしか知らなかった。ガイドブックによればアーレ川 Aare に囲まれた旧市街にいろいろ観光名所があるらしい。

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 駅のすぐ近くにあったのが聖霊教会

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 バーゼルと同じような、昔からの街並みが続くが、ここは両側がアーケードになっているのが大きな特徴。ラウベン Lauben と言うそうだ。トラムも走っている。

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 そして噴水があちこちにある。左は「バグパイプ吹きの噴水」、右は「ツェーリンゲンの噴水」で、熊が甲冑を着ている。ツェーリンゲン家のベルヒトルト五世という町の創始者が、狩猟の最初の獲物だった熊 Bär (ベーア)にちなんでベルン Bern と名付けたという伝説があって、今も熊がベルンのシンボルになっている。
 噴水は16世紀に造られ、公共の水場として使われていたという。

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 アーケードにはときどきこんなふうに斜めに扉がついているところがある。開いているところを見ると、階段があって地階へ通じている。古くからの貯蔵庫や地下道もあるそうだ。

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 若き日のアインシュタインが暮していたアインシュタイン・ハウス Einstein Haus 。下左の奥の階段を上がったところ。

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 左は駅などに置いてあった無料の雑誌だが、これを見てわたしはアインシュタインかと思ってしまった。これは実はハーダー・ポスチェッテ Harder Potschete というインターラーケンのお祭りにつかわれる仮面で、山の精のような男だそうだ。ハウスにあった彫像と比べても似ているような気がするがどうだろう。

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 この時計塔が有名らしい。前に見えるのは射撃手の噴水。時計塔をくぐって振り返ったのが真ん中の写真で、毎正時に鐘が鳴って、からくりが動くというので、次の正時の1時になるのをしばらく待っていた。そうしたら、当然だけれど、鐘は一つしか鳴らないし、からくりも動いたかどうかわからないうちに終わってしまって、ちょっとがっかりした。だいたいどこを見たらいいのか、よくわからなかったのだが、右に拡大した部分の人形が動くのだった。
 これも16世紀に造られたものだそうだから、日本のショッピングモールなどにあるからくり時計のような派手な動きを期待する方が間違っているのだ。

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06  最近読んだ『暗号名スイス・アカウント』(P・アードマン、新潮文庫、1993)というスパイ・スリラーでは、第二次大戦中、アメリカの情報活動指揮官アレン・ダレス(後のCIA長官)が、この時計塔の下で、ヒトラー暗殺を計画するドイツ人と会うことになっていた。スイスを勢力下に置こうとするドイツとそれに協力するスイス人に対抗して、連合国の側に加担しようとするスイス人とアメリカが協力してたたかうという話で、バーゼルが主な舞台となっている。
 これは単なる小説だけれど、今回少し本を読んでみたところ、スイスの中立と平和の歴史は、なまやさしいものではなかったらしい。
 昔は傭兵が一つの産業であったから、フランスとドイツが戦争すれば、その双方へ傭兵として雇われて、戦場ではスイス人同士が戦うこともあった。常に強国の谷間にあって、あちらへついたり、こちらへついたり、あちらともこちらとも共謀したり裏切ったりと権謀術数をこらし、血も流しながらなんとか独立を保ち、また一方では中立の立場を生かしてそれなりの経済的利益を得たりと、したたかに独立を守ってきたもののようだ。

 また、スイスのからくり時計と言えばまず鳩時計を連想するが、これは映画『第三の男』のあの有名なせりふのせいだろう。第二次大戦直後、連合国占領下のウィーンで、まがいもののペニシリンを売る闇商売の責任を問われたオーソン・ウェルズが言う。(字幕はもっとずっと簡単だが、ちゃんと訳すとこうなるようだ。)

 「だれかがこんなこと言ってたぜ。イタリアではボルジア家30年間の圧政下は戦火・恐怖・殺人・流血の時代だったが、ミケランジェロやダ・ヴィンチの偉大なルネサンスを誕生させた。
 片やスイスはどうだ? 麗しい友愛精神の下、500年にわたる民主主義と平和が産み出したものは何だと思う? 鳩時計だ!」http://boxheadroom.com/2009/04/15/the_third_man

 ピンボケの平和より、生気溢れる混沌を、という、いかにも戦後の混乱期らしいセリフである。しかしスイスの歴史は、鳩時計のような牧歌的なものではなかったのだ。
 それに鳩時計の本場は、実はスイスではなく、ドイツのシュヴァルツヴァルト(黒い森)なのだそうだ。映画公開後、スイスからオーソン・ウェルズに、 そう指摘する手紙が届いたという。

 これはベルンの大聖堂。この塔も工事中のようだった。

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 U字型に蛇行するアーレ川 Aare に囲まれた部分が旧市街で、この赤茶色の瓦屋根が特徴だ。アーレ川はライン川の支流で、ポストバスで行こうとしたグリムゼル峠の西にあるアーレ氷河が水源だそうだ。

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 ニーデック橋を渡ったところに、熊公園とバラ公園がある。熊公園の食堂で遅い 昼食にした。大きな食堂で、かなり混んでいた。

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 右はピザではなく、土台はジャガイモである。

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2011年11月18日 (金)

sp17 山のユースホステル

第6日 11/06/13

 すっかりおなじみになったスイスのユースの朝食である。

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06dscf4605  昨日タクシーで着いて受付をしたときに、ちょっと恥ずかしいことがあった。「シニアの料金」があると聞いて、われわれ四人は押しも押されもせぬ高齢者(シニア)であるから、そのシニア割引を適用しろ、とがんばったのである。たしかバーゼルのユースでは六十歳以上だからシニア割引をすると言ってくれた。
 受付のおばさんは困ったような顔をして、割引にはならないといろいろ説明してくれるが、話がよくわからない。やり取りの中で、結局「エイティ」以上だと言っているようだから、さすがにわれわれも八十歳には間があるので、それならしょうがないかと引き下がった。
08dscf4998  しかし後でこの看板に気が付いた。
  22フラン Junior 18歳未満=子供
  33フラン Senior 18歳以上=大人
  44フラン Famille =家族
      ……
 つまりこの場合の「シニア」は「高齢者」ではなく、「ジュニア」に対する「大人」ということなのであった。それを「われわれは六十ン歳のれっきとした大人なんだから大人割引をしろ」とやってしまったわけだ。しかも「十八歳以上」の「エイティーン」を「エイティ」と聞き間違えて勝手に納得している。あのおばさんはどう思っただろうか。ちょっとというか、かなり恥ずかしいできごとであった。

 このグリンデルワルト・ユースホステル Jugendherberge Grindelwaldは、山をちょっと登ったところにあって、駅から歩いて登るとけっこうたいへんだ。この日は朝から天気が良くないので、山へ行ってもダメだろうと、急遽ベルンへ観光に出かけることにした。ベルンの話はこの後でするが、帰って夕方、駅から歩いて行くとこんな感じの道だった。
 T局長はかなりへばっている。

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 登ってきた谷の向こうには、アイガー Eiger が良く見える。樹に隠れているあたりが北壁だが、この日、頂上は雲で見えなかった。右がユース。登ってきた山道はこの建物の裏側にあたる。

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 ユースの庭には、sp02 What is this? 2で紹介した風呂があった。「風呂よ、あれがアイガー北壁だ!」とI長老が指し示している。

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 これはsp02 What is this? 2に書いたように、冬のスキーシーズン用で、今はやってなくて、金は払うからと頼んでもだめだった。右はユースのホームページにあった写真で、枝には雪が積もっている。

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 アイガーの見える風呂だから、これに入れれば、エビアンの水よりももっと自慢できたのにということもあるけれど、出国以来ずっとシャワーだけで、風呂に入っていない。ちゃんと湯船につかりたかったのだ。

 このユースも質実・清潔、二段ベッドの寝心地を除けば、なかなかいいところだった。ホームページには、冬場、暖炉をたいている写真もあった。

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 わたしはここでも早起きをして、階下の居間へ行って本を読んだりしていた。暗い階段や居間に入っていくと、センサーが働いて自動的に明かりがつく。ツェルマットでもそうだった。最初はすばらしいと感心したが、ツェルマットもここも、居間で座ってじっと本を読んでいると、三、四分でパッと明かりが消えてしまう。センサーに反応するものがないと一定時間で消えるのである。だから本を読みながらときどき手を挙げてゆらゆらさせてみたりしたけれど、集中してくるとそんなことは忘れてしまう。佳境に入ると必ず明かりが消えるという、ちょっと悲しい読書環境であった。

 それはともかく、ベランダからもアイガーが目の前に見え、緑に囲まれた環境のいいところであった。もっともグリンデルワルトの町中が同じような環境のようであるが。

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 ユースのまわりはこんな感じ。ここは製材所のようだ。

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 ちょっと歩けばバス停があって、ゴミ出し用のコンテナが置いてあったりする。このバス停の背後の山は牛が放牧されているらしく、いつもカウベルの音が大きく響いていた。姿の見えないところでこの音では、近くにいる牛同士はお互いにかなりうるさいのでないかと心配になるくらいだった。動物愛護には動物同士の騒音問題というのはないのか。

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 木の名前はよくわからない。真ん中はモミの木らしいが、実がいっぱいついていた。これは「マツかさ」ではなくて、「モミかさ」か。

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 花の名前もわからないが、とにかくユースのまわりで見た花である。

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2011年11月15日 (火)

sp16 ユングフラウヨッホ

(第5日続きの2)

ユングフラウヨッホ

 さてユングフラウヨッホ駅に降りると、そこはなんと都会の雑踏、横浜の地下街のようなところだった。人がおおぜい忙しそうに行きかっている。来る前に、歴史や文化の本は少し読んだが、ガイドブックをほとんど見ていなかったので、こんなにぎやかなところだとは知らなかった。登山鉄道の終点だから山頂の鄙びた駅ではないのか。
 K機長T局長は前にも来たことがあるので「スフィンクスへ行くんだろ」とさっさと進み出す。スフィンクス?それはなんだ、とわたしはあわててついて行く。だからこのあたりの写真はまるで撮っていない。おのぼりさんは気押されて、地下街の写真なんか撮れないものである。

 スフィンクス Sphinx 3571m というのは、駅の近くの稜線に突き出た岩山のてっぺんに建てられた展望台であった。駅や展望台は、こんな構造になっている。

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 これもすごい建造物で、どうすごいかというと、こんなにすごい。左の写真の岩山のてっぺんにのっているのがスフィンクスである。後ろの山はユングフラウ。てっぺんを拡大したのが右。

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 この展望台に昇って見ると、すぐ近くに大きくメンヒ Mönch 4099m 。

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 その反対側にはユングフラウ Jungfrau 4158m。

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 幸い晴れで、記念写真のみんなの顔もほころんでいる。左はユングフラウ方面が背景、右の大きな山はメンヒ。オーバーラント三山の残る一つアイガーはメンヒの陰になって、ここからは見えない。

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 ユングフラウの左手(南方向)にはこんなパノラマが広がっていた。(クリックすると山の名前がわかる)

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 これがアレッチ氷河。アルプス最大・最長で約23kmあるそうだ。この正面のあたりがコンコルディアプラッツ Konkordiaplatz で、メンヒ、ユングフラウ、アレッチホルンからの三つの氷河が合流して、グロッサー・アレッチグレッチャー Grosser Aletschgletscher となっているという。

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 驚いたのはこの展望台にカラスがいたこと。何羽も見た。日本のカラスより二回りくらい小さく、くちばしが黄色い。くちばしが黄色いくせに、こんなところで生きているとはたくましい。三千五百メートルである。展望台のレストランの残飯とか食べているのだろうか。キバシガラス(黄嘴烏)というらしい。

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 下まで降りてレストランへ。どこも混んでいて、やはり高い。
 レストランの窓には大きなツララ。

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 アレッチ氷河のずっと奥の山も見える。

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    涼無限ユングフラウの大氷河  俳爺

 上の句は、届いたばかりのT局長の旅行吟のひとつ。「俳爺」という号は、お孫さんの誕生とスイス旅行にちなんで「はいじい」であろう。

 ロシア料理の店にしたのは、値段で折り合ったからだったろうか。ボルシチである。酸欠と壮大な景色を見た興奮で頭がボーっとしていたので、よく覚えていない。

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 食事の後は、プラトー・テラスというちょっとした広場兼展望台へ。ここも雪の山の中である。ガイドブックによればここが分水嶺で、アレッチ氷河側の雪は溶けて地中海へ、クライネシャイデック側は北海へそそぐのだという。
 しつこいけれど、おのぼりさんなので同じような写真をいっぱい撮った。まずユングフラウ。こっちの雪は地中海へ。
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 そしてメンヒ。こっち側の雪は溶けて北海へそそぐわけである。

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 ここからスフィンクスを見ると、こうなっている。やっぱりすごい。こんなところへよく造ったよなとつくづく思ってしまう。茶色い三角の見えるのがユングフラウヨッホ駅である。

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 アイスパレスという、氷河をくりぬいたトンネルがあって、氷の彫刻などもある。

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 メンヒに近い方には広い遊び場があって、犬橇やらなにやら、いろんな雪遊びができるようになっている。わたしとI長老は、遊び場のずっと先まで雪原を歩いた。K機長T局長は、初めてではないから余裕をかまして休憩しているが、おのぼりさん二人は多少疲れてもできるだけ広く見ておかないといけないのである。ひょっとして、アイガーの見えるところまでメンヒを回り込めないかと思ったが、短時間では無理だった。

 アレッチ氷河が見える。

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 来た道を振り返ると、スフィンクスにユングフラウ。
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 ここは山登りの山というより、クライン・マッターホルンと同じような壮大な観光地であり、遊園地だった。列車で簡単に来られ、快適な設備が整っていて、手軽に壮大な雪と氷と岩のパノラマが見られる。

 犬養道子『私のスイス』にはこんな一文がある。

 氷は食えねえ、雪は食えねえ、岩はパンを産してはくれぬ……そう言う州の切羽つまった「生きる道」が、(氷や雪や絶壁がアルピニズムと観光客によって逆手に取られた現代まで)傭兵の「血を売る道」であったのである!(P237) 

 氷と雪と岩ばかりで売るもののなかったスイスは、傭兵として若者を諸外国に売った。それが十九世紀の終わりから、それを見るためだけにおおぜいの人がやって来るようになった。氷と雪と岩をもとでにした産業がおこった。山にトンネルを掘って鉄道を敷き、ケーブルカーを走らせ、ロープウェイを吊り下げた。ホテルを建てた。貸別荘を作った。
 「氷と雪と岩」を手軽に見にやってきた観光客としては、それはきわめてうまくいっているように感じられた。観光施設の数の多さには驚いたが、日本の観光地を見慣れた目には、鉄道も宿泊施設もけばけばしさがなく、環境との調和に十分配慮して造られているように見え、そのうえ日本に劣らず効率的に運営されているようだった。たかだか何泊かしたくらいでえらそうなことは言えないけれど、少なくとも「見るためだけに」やって来るくらいの価値がある「氷と雪と岩」がどーんと存在してることはたしかである。

 帰りの列車は、行きよりさらに混んでいた。中国人や韓国人の団体が多いのには最近慣れているが、インド人あるいはインド系と見られる団体も多いのに驚いた。やはり中国の次はインドなのであろうか。

05dscf4601_3  戻ったグリンデルワルト駅にはタクシーがいない。駅前のタクシー専用電話で呼んだら”Twenty minuts”と言う。他のタクシーはなさそうで、言葉どおり待たされてから、今日の宿のグリンデルワルト・ユースホステル Jugendherberge Grindelwald へ行く。
 上で頑張って疲れたのか、それとも充電池が切れたのだったか、記憶がさだかではないが、この後の写真を撮っていない。毎回かかさず撮っていた食事の写真がない。
 今回の夕食は、待っている間に駅の近くのスーパーで買ったワインとパンに、みんなが日本から持って来た非常食を持ち寄っての半自炊であった。味噌汁、お粥、わたしはとっておきのチキンラーメン二袋を供出した。とても人に自慢できる食事ではなかったから、ここは写真がなくてよかったことにしよう。

 半自炊になったのは、タクシーが不便であること、疲れたことに加えて、ロープウェイや登山列車の料金がけっこう高かったことや、昼食時のワインやビール代がそれなりにかかっていることで、ちょっと節約しようということになったものである。それに非常食を食べてしまえば荷物を減らすこともできる。
 前に、ツェルマットのユースで二度夕食をとっているのは、疲れたからだったかとわたしは書いたが(sp13 『アルプス登攀記』)、T局長の指摘によれば、これは疲労や節約ではなく、もともと二食付の予約になっていたからだそうである。そうだったのか。局長ありがとう。

 体が疲れてきているのはたしかで、わたしも動いている間はそうでもないが、止まって座ろうとすると、腰が固まっていて、そうっと曲げなければならない。深く曲げると、ちょっと痛いけれど気持ちがいい。そしてどっこいしょと立ち上がる。やっぱり老人である。

 youtube に、わたしがここまで書いたことと同じような内容の「ユングフラウヨッホ 「ヨーロッパの頂上」に登って」という動画があった。私が知らなかったことや書けなかったことも含めてわかりやすく見られる。また、わたしが嘘を書いているわけではないという例証としても、ご一見をどうぞ。→http://www.youtube.com/watch?v=dX0luNR056w

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2011年11月13日 (日)

sp15 ユングフラウ鉄道

(第5日の続き)

ユングフラウ鉄道

 グリンデルワルト Grindekwalt に着き、荷物を駅に預けて、まずクライネシャイデック Kleine Scheidegg へ向かう。
 下はグリンデルワルト駅とチケット。往復125CHFだから12,500円くらい。登山鉄道はスイスパスも使えなくて、高いのである。

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 今日も雲がある。

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05_2  クライネシャイデックで、ユングフラウ鉄道 Jungfraubahn に乗り換えてユングフラウヨッホ Jungfraujoch へ。ヨッホ joch というのは山の稜線のくびれたところ、鞍部である。ユングフラウ Jungfrau 4158mとメンヒ Mönch 4099m を結ぶ稜線にある。列車は、アイガー Eiger 3970m をくりぬいたトンネルを登って行く。
 ユングフラウヨッホ駅は標高3,454m。ヨーロッパで一番高いところにある鉄道の駅として”Top of Europe"の文字があちこちで見られる。

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 この列車はけっこう混んでいた。忘れていたが、今日は日曜日なのであった。
 アイガーヴァント Eigerwand 2,865m とアイスメーア Eismeer 3,160m の駅には展望台があって、アイガーに開けられた窓から外を見ることができる。

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 アイガーヴァントは「アイガーの壁」という意味。ここがあのアイガー北壁である。わたしはそっと壁に触ってきた。下にグリンデルワルトの町が見えるらしいが、今日は雲で見えない。

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 アイスメーアの窓からはシュレックホルン Schreckhorn 4,078m が見えた。アイスメーアは「氷の海」という意味である。

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 これがシュレックホルン。右は、駅などに置いてある「ユングフラウ・マガツィーン Jungfrau Magazin  2011/12」というフリーペーパーに載っていた開業当時のアイスメーアの絵である。(P58) 山は変わらない。

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05dscf4535 この鉄道は、1896年に建設が開始され、ユングフラウヨッホ駅ができたのは1912年だという。トンネルが長いため蒸気機関車では無理だと、当初から電気機関車が使用された。百年前の話である。たいしたものだ。

 今でこそ展望台にはガラスの窓が入っているが、昔はこんな感じだったらしい(前掲書p58)。右も同じ雑誌の工事中の絵。(同頁)

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 スイスはどこに行っても登山鉄道やケーブルカー、ロープウェイ、スキーリフトがある。土木工事の技術力はたいしたものである。

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2011年11月11日 (金)

sp14 グリンデルワルトへ

第5日 11/06/12

グリンデルワルトへ

05dscf4489  朝、早めに出てツェルマット駅へ。今日はツェルマットを離れてグリンデルワルトまで行く。
 朝早いから、駅には人影も少ない。
 ホームの脇にはセントバーナード犬がつながれていた。驚くほど大きくはなかったから、これでまだ子犬なのだろうか。

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 列車の側面にはsp01 What is this? でも紹介したマッターホルンのマークがある。マッターホルンはこのあたりのシンボルになっていて、ツェルマットのロゴはこうである。

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05 最初の予定では、オーバーワルト Oberwaldまで行って、そこから鉄道ではなくポストバスグリムゼル峠 Grimsel pass を越えてマイリンゲン Meiringen へ出ようということになっていた。
 ポストバスというのは、もともと郵便馬車から始まったもので、電車が通っていない山岳地帯や谷あいの奥の小さな村でも、郵便を届けに走っている。だから列車とはまたちがう景観が見られる、すこぶる情緒のあるものだという。
 K機長からそう聞くと、わたしはまず、岡本敦郎の「あこがれの郵便場車」を連想してしまう。おお、それはいい、ポストバスで行こうではないか、と賛同した。
 ここで今回は岡本敦郎本人ではなく、フォレスタというコーラスグループのあこがれの郵便馬車をどうぞ→http://www.youtube.com/watch?v=zWxXcSInwOI&feature=related

 なんとなくスイスっぽい懐メロをスイス本メモ 4でいくつか紹介したが、この歌もその一つだ。戦後の一時期、日本は「東洋のスイス」になろうと言われていたので、これらの歌にもそういう気持ちが反映しているのかもしれない。みんなスイスのことはよく知らなかったのだけれど。

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 列車がフィスプに近づくにつれて、行く手の方角の山と山の奥に白銀に輝く山々が見えてきた。ひょっとするとあれはアイガーではないか、晴れて雲がないではないか、ということになり、急遽ポストバスを取りやめて、グリンデルワルトへこのまま直行し、すぐ上へ行こうということになった。リーダーのK機長の判断であり、マッターホルンの例から、とにかく晴れているうちに行きたいという、みんなの期待でもあった。(下の写真の奥に写っている山がどこなのかはよくわからない)

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 今回の旅行の計画はK機長T局長がほとんど立てた。二人とも複数回スイスに来ている。初めてのわたしは、どこでもいい、とにかく山が見られればと、おまかせの状態だった。I長老も初めてだったが、ブドウ畑とこことここへ行きたいといくつか注文を出していた。そもそもこの旅行は、長老がスイスへ行きたいと言い出したことから始まっているので、おおせに従いつつ、だいたい二人が決めた。
 その中でも、鉄ちゃんの機長は張り切ってスイスの時刻表を調べ、詳細な計画を立ててくれた。事前の打ち合わせ会での説明は、名所旧跡の話より、何時何分の何線の特急に乗り、どこで何分待って乗り換えてナントカに乗る。この列車がちょっといい。こっちへ回ると余計に時間がかかるのでそっちへ行って、それからどこどこへ行く、という列車の話が中心で、全7ページに及ぶ時刻表のコピーまで資料につけてくれた。これはやはりおまかせするしかない。機長どうもありがとう。
 わたしが作ったスイス旅行行程図(→sp03 スイス・パリ旅行日程)も、見せたらすぐ、ここは違う、 もう少し南側の湖水や山を通る特別な列車だったと、お叱りのメールが来た。よく覚えていないところは適当に線を引いておいたら、即ばれてしまったのだ。早速指摘のとおり訂正した。

 だからここでちょっと機長に敬意を表して、グリンデルワルトまでの列車の旅を紹介しておこう。
 下左はまたフィスプ駅。右は車窓から見たトゥーン湖 Thunersee

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 車室の右端に見えるのは、sp02 What is this? 2で紹介した、スキーを立てるための補助具である。

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 これも sp02 What is this? 2で紹介したが、窓際の小テーブル兼案内図と機長。

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 スイスにも踏切があった。あたりまえか。

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 そして、やがてグリンデルワルトの町へやってきた。

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2011年11月 9日 (水)

sp13 『アルプス登攀記』

 (第4日続きの2)

『アルプス登攀記』

 今回の旅行には、この本を持って来た。エドワード・ウィンパー『アルプス登攀記』(講談社学術文庫、1998)、山岳書の古典である。
 カバー裏表紙にはこうある。

魔物の棲む山と恐れられ、有史以来人間を拒み続けてきたアルプスの名峰マッターホルンは、1865年、ウィンパー隊によりついに征服された。初めての挑戦から足かけ5年、9度目のトライでつかんだ栄光であった。しかしそれもつかの間、登頂直後の下山中に思わぬ悲劇がメンバーを襲う……。精緻な木版画多数をちりばめ、アルプス登山史を彩る最大のドラマを克明に綴った山岳文学の記念碑的作品。

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 これは途中暇なときに読むためではなく、できればマッターホルンの見えるところで読むつもりだった。だからシュヴァルツゼーのホテル前でも、残念ながら山はよく見えなかったが、取り出して少し読んでみた。
 この本のさわりの、マッターホルン初登頂に成功した後、下山の途中で一行七人中四人が滑落死するという悲劇の箇所を読み、あとは挿絵をパラパラ見る。ウィンパーはもともとは挿絵画家なのである。下右の絵は、昔、少年雑誌でよく見た「ブロッケンの妖怪」の元絵であろう。「魔の山マッターホルン」という記事もあったと思う。
 わざわざその本の現場で読むというのは、ちょっとキザな格好つけに見えるので、大きな声では言えないが、なかなか気持ちがいいものである。外国でとなると、めったにできない貴重な機会である。

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 この本が面白いのは、山登りの苦労と景観の描写に加えて、テントや小道具を自分で工夫して作ったことや、氷河や地層の考察、植物・動物のこと、谷間の辺鄙な村のことなどが多彩に書かれていることにある。この頃山に登るのは、ガイドを連れた、いわゆるブルジョワであって、行動力も知識欲も教養も豊かだったのである。

 遭難の状況についても詳しく書かれている。これは、ウィンパーが、直接遭難に責任がないことの弁明のために書かれたものでもあるのだ。
 二番目に下山していたハドウが足を滑らして下にいた一番のガイドのクロをはねとばし、ロープで結ばれていた上の三番と四番が落ち、さらにその上にいたウィンパーたちはロープをぴんとはって確保しようとしたが、四番と五番の間で、ロープはぷつりと切れてしまった。ウィンパーが後で見ると、なぜかそれは体を結び合うロープではなく、いちばん弱い予備のロープだった。
 新田次郎スイス本メモ 2で紹介した『アルプスの谷 アルプスの村』で、「二番のハドーがへぼな登山家だったから事故が起きたということは疑う余地のない事実である。が、へぼと知ってザイルパーティーを組まざるを得なかったウィンパーの心境もまた複雑なものだったろう。」と書き、切れたザイルが細すぎた件については、登山の常識では考えられない、使ったガイドが初登攀の興奮でどうかしていたのだろう、と書いている。(P93)

 前日(6月10日)に訪れたマッターホルン博物館には、このウィンパーの初登頂時の資料がある。問題の切れたザイルも展示されていた。

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 博物館の売店には、きっとウィンパーの原著”Scrambles amongst the Alps”があるだろうから、記念に買おうと思っていた。しかし売店と言うほどのものもなく、本もなかった。後でツェルマットの本屋を探してもドイツ語訳しか見当たらず、結局買えなかった。英語なら読める・読むというわけでもないし、アマゾンで注文すればすぐ手に入るのだが、ツェルマットで買いたかったのである。

 この日はシュヴァルツゼーからツェルマットに戻ったあと、教会の脇の、マッターホルンの遭難者の墓地へ行った。初登頂のときのものもあった。右がガイドのクロの墓である。

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  また街を歩き、みやげ物屋も寄ったが、これはというものがない。ホテル・モンテローザはウィンパーが泊まった宿、壁にはウィンパーのレリーフがあった。

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 この『アルプス登攀記』の話を書き始めて、パラパラ本をめくっていたら、初登攀の章に、こんな箇所があるのを見つけた。

 第一日目はたいして高いところまで登るつもりはなかったので、のんびり歩いていった。八時二十分に、シュヴァルツ湖(ゼー)の礼拝堂に置いていた荷物を背負い、そこからヘルンリとマッターホルンを結んでいる山稜づたいに登っていった。(P468)

 シュヴァルツゼーの礼拝堂が出てきた!

 新田次郎『アルプスの谷 アルプスの村』にもあった。

 黒い湖という名のとおりの黒い湖があった。湖のほとりに、高山植物が咲き乱れていた。湖を見おろす台地にマリヤの堂がある。無人である。中に入ると椅子があり、奥にマリヤの像があった。十九歳の青年が山で死んだのを悲しんでその両親が建てたものである。壁に、絵が描いてあった。登山服を着て、肩にザイルの束をかけた青年がひざまずいて、天使から花束を受け取ろうとしている絵であった。(P113)

 犬養道子の『私のスイス』にはこんなことも書いてあった。

シュワルツゼエと呼ばれる、山の岩を映し水底の岩肌を映して名のごとくシュワルツ(黒い)な小さな池(ゼエ)と、池のはたの聖母に献じられた小聖堂とは、何と度々、スイス・アルプスの文学に登場したことか。どれほど多くの人々が、山々の嵐を避けてその聖堂に聖母の庇護を求めたことか。(P287)

 これは是非ともI長老に宝くじを当ててもらって、もう一度シュヴァルツゼーに行かなければならない。

 夕食はまたユースでとっている。どうして外へ行かなかったのか。このあたりの記憶がないのだが、けっこう坂を登ったところにあるので、老人旅行会、疲れたし、もう面倒だからここでいいや、ということになったのだろうか。

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2011年11月 7日 (月)

37 ロシアのジョーク

 前回、本とは関係のないロシアのジョーク(36 大統領の交代制)を紹介したので、今回はロシアの「本のジョーク」をどうぞ。
 まずジャンナ・ドルゴポーロワ『ロシアより笑いをこめて 世界のジョーク集4』(光文社文庫、1986)から。これもジョークのタイトルがなかったので、わたしが仮につけました。

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戦争と平和

「過去半世紀のあいだ、なぜ『戦争と平和』に匹敵する文学作品がひとつも現れなかったのだろう?」
「おおかたの作家は『戦争と平和』に匹敵する大作のひとつやふたつ書き上げるぐらいなんでもないと思っているけど、なにぶんにも、それを書く暇がないんだ」

(『ロシアより笑いをこめて 世界のジョーク集4』P148)

度数

 兵長が入隊したばかりの兵卒に一般常識を教えている。
 兵長は噛んで含めるように講義していた。
「つまり、こういうことだ。水は九十度で沸騰する」
 隊列の後ろのほうで、眼鏡をかけた兵卒が手をあげた。
 兵長が、目敏(めざと)くそれに気づいて、
「なんだ?」
 兵卒が起立した。
「逆らって申しわけありませんが、水が沸騰するのは百度であります」
 兵長は気分を害した。
 彼はぼやく。
「やれやれ、インテリどもがやたらに多くていかん。どいつもこいつも眼鏡なんかかけおって……」
 彼は教本を開くと、ぶつぶついいながら、ページを繰った。
「クソッ、青っちょろい尻っぺたをしくさって……、頭でっかちのインテリどもめ……」
 探す記載をやっと見つけると、にやっと、兵卒を見上げた。
「やりこめたつもりでいるんだろうが、え?たしかにおまえのいうとおりだ!沸騰するのは百度だ。そして九十度でもある。それが正しい角度だ、覚えておけ……」

(『ロシアより笑いをこめて 世界のジョーク集4』P155)

 次は、寺谷弘壬編『マンガとユーモアでみるソ連』(1990、太陽企画出版)から。
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党員と非党員のちがい

 先生が生徒に党教育をしている。
「イワン君、共産党員とは?」
「はい、先生。マルクス、レーニンの本を読む人です」
「では、非共産党員とは?」
「はい、先生。マルクス、レーニンの本をよく読んで、理解した人です」

(前掲書、P68)

飛ぶように売れた自伝

 ブレジネフ書記長が米ソ会談に出発する前、自分が帰国するまでに三つのことをやっておくよう秘書官に命じた。
 それは、商店の行列と、教会にあふれんばかりの人間と、本屋につみあげられた自伝をなんとかしろということだった。
 帰国してみると、店の前に行列がない、教会の前を通ると、人びとが教会の中に唾をはきながら遠ざかっていく。そして、本屋には彼の自伝がつみあげられていない。
「よくやった。ほうびをやるが、一体どうやったのかね」と秘書官にたずねた。秘書官は、こう言った。
「簡単なことです。まず店の行列がなくなったのは、店に品物をまったく置かないようにしたからです。教会に人が行かなくなったのは、あなたの画像を十字架にはり付けたからです。そして、自伝が飛ぶように売れたのは、これはアイデアです。トイレット・ペーパーに印刷するよう命じたからです」

(前掲書、P127)

 これだけはさみしいので、もうひとつ平井吉夫編『スターリン・ジョーク』(河出書房新社、1983)から長いのをひろっておきます。

不滅

カール・マルクスが、ある日モスクワのコミソテルン本部にやってきた。入口で赤軍兵士にとりおさえられる。
「通行証!同志」
「通行証?私はカール・マルクスだよ」
「それがどうした! たとえ、きみが同志ピアトニツキーだとしても、通行証を持ってなくちゃならんのだ」
「同志ピアトニツキーって、だれだ」とマルクスがいぶかしげにたずねる。
「同志ピアトニツキーは同志ピアトニツキーだ。ここでは一番の要人だ」
「その人に会いたい」とマルクス。
「では、あそこの窓口へ行って、通行証を申請しなさい」
 窓口でもすったもんだがあったが、やっと一枚の用紙をもらう。
「名前は? 一宇一字どうぞ。K、A、R……。生まれは? トリエル? 何区ですか? わかりせんな。トリエルってのは、どこにあるんです?」
「プロイセン王国」
「おかしな人だ。王様なんて、もういなくなったのを知らないの? で、所属政党は?」「私は第一インターナショナルの成員だ」
「ここでは第三インターナショナルしか認めてない。同志ピアトニツキーが、あんたに会うかどうか、わからんよ」
 やっとマルクスはピアトニツキーの部屋に適された。ピアトニツキーは疑わしそうに質問する。
「モスクワになんの用で? 同志マルクス。どうやって来ました? 国際連絡部からは、あなたの到着について、なにも報告がありませんよ。どうして国際連絡部に知らせないんです?あなた、旅券を持ってますか?」
 マルクスはポケットから旅券を出す。ピアトニツキーはうさんくさげに調べていたが、いきなり電話をつかんだ。
「ミロフ、急いで下りてこい! 面白い旅券があるんだ。いや、にせ物じゃない。本物だ!」
 ついで客に向きなおり、
「同志マルクス、モスクワでなにをなさりたいのですか?」
「私の理論がどうなったか見たいんだ」
「残念ですが、同志マルクス、それは私の管轄じゃないんです。宣伝扇動部のベラ・クンかマルクス・エンゲルス研究所の同志とお話し下さい」
 ピアトニツキーは電話をとり上げる。
「同志リャザノフ、いま、ここにお客さんがいるんだがね、カール・マルクスさんっていう。君のところへやっていいかい?」
 リャザノフはとび上がって喜んだ。
「大至急こっちへ! 緊急にマルクスが必要なんだ。原稿の読みにくいところを判読してもらわなくちゃならん」
 カール・マルクスはマルクス・エンゲルス研究所で、大いなる敬意をもって迎えられた。リャザノフは鋼鉄づくりの厳重な保管室を誇らかに見せる。そこにはマルクスの貴重な原稿が保管されている。リャザノフは丁重な身振りで、マルクスに入るよううながした。
 なんの気なしにマルクスが保管室に入ったとたん、リャザノフは欽の扉を閉めた。
「とうとう、あなたを手に入れた。いまや、あなたは永遠に不滅だ!」

(原注)ラデックもピアトニツキーもリャザノフもベラ・クンも、みんな大粛清によって消えた。(平井吉夫編『スターリン・ジョーク』P39)

 ソ連がマルクスを監禁してしまったというジョークはわかるけれど、この注釈は重い。

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2011年11月 5日 (土)

sp12 シュヴァルツゼー

 (第4日続き)

シュヴァルツゼー

 ロープウェイをシュヴァルツゼー Schwarzsee 2583mで降りた。ここから歩いてちょっと下へ降りると、その名のとおり、黒い(Schwarz)湖(See)があるのだけれど、われわれはそこまで行っていない。
 駅のすぐそばにあったホテル-レストラン・シュヴァルツゼーのまわりで、またずっと雲が切れてマッターホルンが姿をあらわすのを待っていた。 

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 ひょっとすると、リーダーのK機長が「ちょっと下の池まで行くか」ぐらい言ったのを、疲れもあったし、昨日のライ湖と同じようなものだろうと思って、もういいよと言ったのかもしれないが記憶にない。
 帰ってから調べると、池のほとりには白い小さな礼拝堂があって、十字架のキリスト像がたっているという、いかにもスイスらしい景色で、これはちょっと行っておくべきだったかもしれない。
http://www1.myswiss.jp/alps/09/zermatt/schwarzsee_peak.htm

 ここでもまわりは雲。下に見えるのはゴルナー氷河 Gornergletscher

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 晴れ間を見せてくれるのはこちら側だけ。氷河の上に見えるのはモンテローザ Monte Rosa 4.634m。

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 これがモンテローザ。モンブラン 4,810mに次ぐアルプス第2位の高峰で、スイスでは一番高い。

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 昨日のsp10 スネガ展望台 もそうだが、ここも谷あいが広くて深く、視界が大きい。天気が良ければさぞや絶景が見られただろうに、残念だ。

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 「帰ってから調べると」と何度も書いているが、帰ってからインターネットで調べると、ここやクライン・マッターホルン、スネガで撮った、360度の展望だとか朝日の当たるマッターホルンの写真とかがいっぱい出てきて、うらやましいかぎりだ。K機長が前に夫婦で来たときには、1週間ぐらいずっとマッターホルンが上から下まで見えたそうで、写真も見せてもらった。わたしは雲の写真ばかりである。

 それでもこの日、われわれは、この景観に素直に乾杯した。 I長老が宝くじを当てたらみんなをこのホテルへ招待してくれるそうだから、念のため、ここにホテルのURLをメモしておこう。http://www.zermatt.net/schwarzsee/

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 sp02 What is this? 2 のマーモットはここで見かけた。

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2011年11月 3日 (木)

sp11 マッターホルン

第4日 11/06/11

ユースの朝

 わたしはいつも早起きの生活をしているので、団体旅行のときは朝が困る。5時前からゴソゴソやりだしたら迷惑がられる。できるだけ早く起きないようにしているのだが、この日は5時半頃起きて、邪魔にならないように1階のロビーまで降りてみた。
 そうしたら驚いたことに先客がいて、わたしを見るとパッと奥の部屋へ逃げて行った。向こうの方がもっと驚いたらしい。黒いジャージの上下で、170センチくらいはあったが、まだ13,4歳かと見える少女。金髪碧眼のかわいい子だった。
 考えてみれば、まだ薄暗いとき、こんなところで、だしぬけに怪しげな東洋人の老人がぬっと現われればビックリするに決まっている。おまけにわたしはパジャマがわりの作務衣を着ていた。さらに怪しい。しかし作務衣は、誰もパジャマだと思わないから、そのまま廊下でも外でも歩けて便利なのである。
 とっさに悪かったなと思ったわたしは、そのまま外へ出た。下右の樹木の奥がマッターホルンの方角だが、残念ながら霧がかかっていて、何も見えなかった。

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 朝食にリンゴがあった。スイスのリンゴは小さい。スーパーでも日本のような大きなリンゴは見なかった。下の写真では大きさがわかりにくいが、日本の大きなミカンくらいである。
 味はそれほど甘くなく、パリッともしない。スイスの土地のせいなのか、あるいはひょっとするとこれは品種改良前の、リンゴの原型のようなものかもしれない。

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Photo  ウィリアム・テルが子供の頭に乗せたリンゴもこれくらいだったのか。なんとなく日本の標準的な大きさのリンゴを想像していたが、これくらいだとすると、テルの弓の腕前はさらに凄い、ということになる。
 左のDVDの絵を見ると、もう少し大きそうに見えるが、これはスイス製ではないから、参考にならない。MADE IN KOREA と書いてあるが、元絵はどこで描いたのか。

マッターホルン

 さて朝の天気はパッとしないが、雲の上のマッターホルン目指して、ロープウェイに乗る。行先はクライン・マッターホルン Klein Matterhornマッターホルン・グレッシャー・パラダイス Matterhorn glacier paradise )。クライン・マッターホルンという山にそういう名前の展望台があるということで、その展望台の高さが3,883m、ヨーロッパで一番高い展望台だという。
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 山は霧である。

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04dscf4404_3  途中2か所で乗り換える。
 ツェルマット Zermatt 1,631m
   (5分)
 フーリ Furi 1,861m
   (8分)
 トロッケナー・シュテック Trokener Steg 2,927m
    (8分)
  クライン・マッターホルン Klein Matterhorn 3,818m

 乗車時間だけだと21分で3,800mまで行ってしまう。とにかく富士山より高いところへいきなり上っては危ないと、二つ目の乗り換えのトロッケナー・シュテック 2,927m で、高度順化のため小休止。このあたりでもう、頭はぼーっとなってきた。しかし、食堂は開いていないし、外の視界は不良。売店の片隅の狭いところで30分ほど休憩していよいよ上へ。

 雲の上の晴れ間へ出てきた。

04dscf4405  そして、見えた。

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 マッターホルン Matterhorn 4,478m の頂上である。

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 ロープウェイ内は騒然。ちょうど乗っていた台湾のテレビクルーが大喜びで撮影。われらが長老も負けずにビデオで実況撮影を開始した。最近お孫さんが誕生、その孫撮影用に買ったビデオである。

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 雲の上には他の山も見えた。下左の左がヴァイスホルン Weisshorn 4505m、右がドム Dom 4,545m である(はず)。下右はドムのズームアップ。

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 さあいくぞと張り切ってロープウェイから降りたら、展望台のあたりだけ日が当たっているが、なんとまわりはまた雲雲雲。マッターホルンは隠れてしまった。
 しかしとにかく頂上は見た、と喜びの記念撮影。

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 すぐそこにブライトホルン Breithorn 4,164m が見えるが、この他は雲。

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 高度のせいで、少し頭が痛い、クラクラする、なんとなく気分が悪い。休憩して晴れるのを待とうと食堂へ。窓にはツララ。気になったのは「NO PICNIC」の看板。

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 これはなんだろう。今日は危険だからピクニック禁止、ということではなさそうだ。 英語で "It's no picnic."というのは「大変だ」とか「楽じゃない」という意味だそうだ。「遠足じゃないんだ!」か。しかしここでそう言われても困る。帰って辞書をひくと、ピクニックの食事のこともいうそうだから、これは「お弁当はありません」、あるいは「外で食事はできません」という意味であろうか。ああそうだ、ひょっとするとこれは「持ち込み禁止」ではないか。禁煙マークの上でもあり、それらしい。おわかりの方、ご教示ください。

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 ピクニックの心配をしているときではない。待っても雲は晴れず、とうとう老人旅行会は撤退を決め、下へ降りることにしたのであった。

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 来た道そのままではなく、トロッケナー・シュテックからシュヴァルツ湖の方へ降りる。

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 氷河が見える。

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