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2011年11月 9日 (水)

sp13 『アルプス登攀記』

 (第4日続きの2)

『アルプス登攀記』

 今回の旅行には、この本を持って来た。エドワード・ウィンパー『アルプス登攀記』(講談社学術文庫、1998)、山岳書の古典である。
 カバー裏表紙にはこうある。

魔物の棲む山と恐れられ、有史以来人間を拒み続けてきたアルプスの名峰マッターホルンは、1865年、ウィンパー隊によりついに征服された。初めての挑戦から足かけ5年、9度目のトライでつかんだ栄光であった。しかしそれもつかの間、登頂直後の下山中に思わぬ悲劇がメンバーを襲う……。精緻な木版画多数をちりばめ、アルプス登山史を彩る最大のドラマを克明に綴った山岳文学の記念碑的作品。

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 これは途中暇なときに読むためではなく、できればマッターホルンの見えるところで読むつもりだった。だからシュヴァルツゼーのホテル前でも、残念ながら山はよく見えなかったが、取り出して少し読んでみた。
 この本のさわりの、マッターホルン初登頂に成功した後、下山の途中で一行七人中四人が滑落死するという悲劇の箇所を読み、あとは挿絵をパラパラ見る。ウィンパーはもともとは挿絵画家なのである。下右の絵は、昔、少年雑誌でよく見た「ブロッケンの妖怪」の元絵であろう。「魔の山マッターホルン」という記事もあったと思う。
 わざわざその本の現場で読むというのは、ちょっとキザな格好つけに見えるので、大きな声では言えないが、なかなか気持ちがいいものである。外国でとなると、めったにできない貴重な機会である。

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 この本が面白いのは、山登りの苦労と景観の描写に加えて、テントや小道具を自分で工夫して作ったことや、氷河や地層の考察、植物・動物のこと、谷間の辺鄙な村のことなどが多彩に書かれていることにある。この頃山に登るのは、ガイドを連れた、いわゆるブルジョワであって、行動力も知識欲も教養も豊かだったのである。

 遭難の状況についても詳しく書かれている。これは、ウィンパーが、直接遭難に責任がないことの弁明のために書かれたものでもあるのだ。
 二番目に下山していたハドウが足を滑らして下にいた一番のガイドのクロをはねとばし、ロープで結ばれていた上の三番と四番が落ち、さらにその上にいたウィンパーたちはロープをぴんとはって確保しようとしたが、四番と五番の間で、ロープはぷつりと切れてしまった。ウィンパーが後で見ると、なぜかそれは体を結び合うロープではなく、いちばん弱い予備のロープだった。
 新田次郎スイス本メモ 2で紹介した『アルプスの谷 アルプスの村』で、「二番のハドーがへぼな登山家だったから事故が起きたということは疑う余地のない事実である。が、へぼと知ってザイルパーティーを組まざるを得なかったウィンパーの心境もまた複雑なものだったろう。」と書き、切れたザイルが細すぎた件については、登山の常識では考えられない、使ったガイドが初登攀の興奮でどうかしていたのだろう、と書いている。(P93)

 前日(6月10日)に訪れたマッターホルン博物館には、このウィンパーの初登頂時の資料がある。問題の切れたザイルも展示されていた。

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 博物館の売店には、きっとウィンパーの原著”Scrambles amongst the Alps”があるだろうから、記念に買おうと思っていた。しかし売店と言うほどのものもなく、本もなかった。後でツェルマットの本屋を探してもドイツ語訳しか見当たらず、結局買えなかった。英語なら読める・読むというわけでもないし、アマゾンで注文すればすぐ手に入るのだが、ツェルマットで買いたかったのである。

 この日はシュヴァルツゼーからツェルマットに戻ったあと、教会の脇の、マッターホルンの遭難者の墓地へ行った。初登頂のときのものもあった。右がガイドのクロの墓である。

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  また街を歩き、みやげ物屋も寄ったが、これはというものがない。ホテル・モンテローザはウィンパーが泊まった宿、壁にはウィンパーのレリーフがあった。

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 この『アルプス登攀記』の話を書き始めて、パラパラ本をめくっていたら、初登攀の章に、こんな箇所があるのを見つけた。

 第一日目はたいして高いところまで登るつもりはなかったので、のんびり歩いていった。八時二十分に、シュヴァルツ湖(ゼー)の礼拝堂に置いていた荷物を背負い、そこからヘルンリとマッターホルンを結んでいる山稜づたいに登っていった。(P468)

 シュヴァルツゼーの礼拝堂が出てきた!

 新田次郎『アルプスの谷 アルプスの村』にもあった。

 黒い湖という名のとおりの黒い湖があった。湖のほとりに、高山植物が咲き乱れていた。湖を見おろす台地にマリヤの堂がある。無人である。中に入ると椅子があり、奥にマリヤの像があった。十九歳の青年が山で死んだのを悲しんでその両親が建てたものである。壁に、絵が描いてあった。登山服を着て、肩にザイルの束をかけた青年がひざまずいて、天使から花束を受け取ろうとしている絵であった。(P113)

 犬養道子の『私のスイス』にはこんなことも書いてあった。

シュワルツゼエと呼ばれる、山の岩を映し水底の岩肌を映して名のごとくシュワルツ(黒い)な小さな池(ゼエ)と、池のはたの聖母に献じられた小聖堂とは、何と度々、スイス・アルプスの文学に登場したことか。どれほど多くの人々が、山々の嵐を避けてその聖堂に聖母の庇護を求めたことか。(P287)

 これは是非ともI長老に宝くじを当ててもらって、もう一度シュヴァルツゼーに行かなければならない。

 夕食はまたユースでとっている。どうして外へ行かなかったのか。このあたりの記憶がないのだが、けっこう坂を登ったところにあるので、老人旅行会、疲れたし、もう面倒だからここでいいや、ということになったのだろうか。

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