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2011年12月 2日 (金)

sp23 グリンデルワルトの町

(第7日続きの3) 11/06/14

グリンデルワルトの町

 グリンデルワルト Grindelwalt の町は、東西に延びるハウプト通り Hauptstrasse が中心である。

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 駅から東にずっと歩いて、町をはずれたあたりにドルフ教会 Dorf Kirch(ドルフ・キルヒェ) はあった。

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 教会の隣が郷土博物館 Heimat Museum

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 山岳関係の展示の中に、槇有恒(まき・ゆうこう、ありつね)に関するものがあった。右の真ん中の写真が槇である。

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 日本登山隊がヒマラヤのマナスルの初登頂に成功したのが1956(昭和31)年。その遠征隊の隊長が槇であった。小学三年生だったわたしは、ニュース映画などでその名を記憶した。
 日本山岳界の戦前からのリーダーの一人であり、1921(大正10年)には、アイガー東山稜の初登攀を成し遂げている。ここに展示されている手帳(下左)には、「千九百二十一年九月廿三日…槇有恒」の記載があるから、その当時のものであろう。
 下右は、1926(大正15)年に、槇などの案内でアルプスを訪れた秩父宮雍仁(やすひと)親王が記載したもの。

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 ウィキペディアの槇有恒の項には、こう書いてある

1926年(大正15年)、秩父宮雍仁親王の供奉で冬季スキーや、夏季マッターホルン、アルプスなどを登山する。槇をリーダーとするパーティーの一行は松方三郎、松本重治の上流階級の子弟からなる秩父宮サロンであり、山岳界の学閥系はこれを濫觴とする。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%87%E6%9C%89%E6%81%92

 sp13 『アルプス登攀記』にちょっと書いたが、昔、山登りはブルジョワのするものであって、日本ではこの槇有恒や松方三郎などがそれにあたる。なにしろ槇はアイガーに避難小屋を寄付しているくらいだ。
 今や日本で山へ登るのは、新田次郎の記念碑のところで会ったような中高年の団体が主流らしい。「日本百名山」と言って、いつのまにか山登りがスタンプラリーになってしまったりしている。
 われらがI長老も登山仲間がいて、クラインマッターホルンでは記念のお土産を買っていた。未だに登っているらしいが、そのグループでは長老が最年少だという。大丈夫だろうか。
 一方では山へ走って登る「トレイルランニング」というのもあって、先日テレビでモンブランでの大会が紹介されていた。わが家の近くの円海山は三浦半島縦断トレイルランニングコースに当たっているため、時々それらしい集団が近所を駆けていくのを見る。
 文人墨客の山、というのはもうはやらないようだ。

07dscf4887  博物館へ来るとき、ホテルベルヴューの前を通り過ぎてきた。槇有恒にもゆかりのホテルで、新田次郎も、『アルプスの谷、アルプスの村』の旅のとき泊まっている。
 おもしろいのは、この本の中で新田次郎は、ベルヴューは気に入ったらしいが、ツェルマットのホテル・モンテローザについて、むっつり屋の英国人が多く感じがよくなかった。食堂に出るのにきちんと服装を整えて行かねばならない窮屈な社交場だ。本物の登山家はここにはいない、と書いていることだ。
 これが犬養道子になると、スイスの山岳会伝統のホテルには、たとえ小さな家族的ホテルでも格を心得て、男ならネクタイ着用を忘れずに行くべきである(『私のスイス』p220あたり)、ということになる。
 犬養道子の案内でホテル・モンテローザに泊まった仏文学者の河盛好蔵は、「(山から帰った犬養は)夜になると、ちゃんとした正装をして食堂に現われ、食後はサロンで、滞在客の婦人たちと英、仏、独語を自由に操って見事な社交振りを示した」と書いている。(『お嬢さん放浪記』(犬養道子、中公文庫、1978)解説)
 前述の松方三郎は、犬養の母方の親類だそうだ。階級の違いを感じてしまう。われわれは無論ホテル・モンテローザには近寄らなかった。

 教会・博物館の裏の方にはこんな景色が見える。左奥の高い山は Ochs 3900m と標識に書いてあった。オックスというのか。

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 さてホテル・モンテローザには行かなかったが、ホテル・ベルヴューのレストランへは行くのである。トマトホンデューがおいしいという。

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 トマト味のチーズホンデューで、パンだけでなくジャガイモもついてきた。うまかった。

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07dscf4930 ハイジのお姉さんという感じのウェイトレスに写真をとってもらった。ワインの栓を抜く手つきがあざやかで素早い。いつもコルクをぼろぼろにしてしまうわたしは見とれてしまった。
 慣れているだけでなく、栓抜きにも秘密があるのではと、このお姉さんが使っていたような、コルクを二段式で引き上げる栓抜きを、後日パリで買って帰ったのであった。

 この後、前日列車の中で、ツール・ド・スイスがあると教えてくれた日本人観光客K氏と路上でばったり会った。ちょっとビールでもと近くにあったアボカド Avocado というバーへ入った。がさつな店構えで高級とは言い難い。
 メニューを、と言ったら、このお姉さんは、”I am the menu.”と答えた。メニューはないのである。K氏は京都の人で、一人で一か月のスイス旅行中とのことだった。

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 ユースへ帰るころには、だんだん山も暮れてきた。

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 グリンデルワルトの町の明かりはこんなものである。

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 ユースのベランダから見えた夜のアイガー。
 二つ、白い点のように見えるのは明かりである。左上は小屋、山の中腹はアイガーヴァント駅の展望窓と思われる。

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