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2012年1月

2012年1月30日 (月)

sp41 街角散策

(第13日続き 11/06/20)

街角散策

 ルーヴルの後は、I長老フォション Fouchon で買いたい物があるというので、またバスに乗ってマドレーヌ広場方面へ行った。
 右の写真の背景はバス停の広告である。近年横浜のバス停にも同じようなものが見られるようになったが、これの真似だったのか。


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 オペラ座 L'Opera (ガルニエ宮 Palais Garnier )があった。なんだかよくわからないがオペラ・ラーメンというのもあった。

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 広告塔があちこちにある。右はマドレーヌ寺院 Église de la Madeleine

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 フォションでは残念ながら長老お目当てのものは買えなかったが、わたしは土産用にコーヒーとお菓子を買った。
  昼食をとったのもこのあたりだと思うが詳しくはわからない。セルフ・サービスの簡易食堂のようなところで、ちょっといまいちの味であった。

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 局長が放心したような顔をしている。後ろの鏡にそれを撮っているわたしが映っている。

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 この後、わたしと長老の、おのぼりさん二人はしばらく勝手にどこへでも行ってこいということになった。局長と機長にはずっと、何度か来たことのあるところばかり案内してもらっていた。いい加減疲れもするであろう。
 厚く感謝して、わたしと長老はしばしセーヌ河畔の散策に出かけた。「ひとりでできるもん」じゃなくて「ふたりでできるもん」である。

 左は最高裁判所。尖塔が見えるのはサント・シャペルという教会。帰ってから知ったが、この教会のステンドグラスはたいしたものらしい。知らないからそのまま通り過ぎてしまった。右はノートル・ダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Paris

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 混んでいたのでノートル・ダムも中は入らずじまい。そんなところばかりだが、まあ広く浅く、たくさんと思っていたのでしょうがない。

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 ノートル・ダムの近くに、日本の観光地にもよくあるような小さな土産物屋があった。そこで買ったのがこれ。修学旅行の小学生が買いそうな、合成樹脂製の安物の飾り皿である。うちの奥さんには馬鹿にされたが、わたしとしてはそれなりに気に入っている。

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 この散歩のとき見たのがsp02 What is this? 2で紹介した、カップルたちの錠のうち、いくらなんでもこれはやりすぎだろうという橋。美しくない。

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 左はシテ島の花・鳥市場。右はノートル・ダム。
 セーヌ川にはちゃんと散歩道がある。都会の中の川というのもなかなかいいものである。隅田川にも同じような道があったが、途中ブルーシートの家があったりした。やはりあれはないほうがいい。(→春のうららの

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13dscf5668 昨日は閉まっていた古本屋が、今日は開いているところもある。ちょっと見てみたが、フランス語の本ばかりで何があるやらよく見当がつかない。
「ふたりでできるもん」は、バス停を探してちょっと余計に歩いたくらいで大過なく終わった。局長、機長と待ち合わせた時間も迫っているので、戻ることにする。

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2012年1月27日 (金)

新春古書市

 いま三省堂古書館新春古書市が開かれています。
 なむや文庫も、1月19~31日の本店正面入口の会場へ、ワゴン一台だけ参加しています。

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Dscf6178_2  寒くて、雪が降ったり氷雨になったりと天候にめぐまれず、ちょっと出足が低調です。おまけに今回は出品のすぐ前まで、本棚の作成に追われていました。
 前回(→歳末古書市)ワゴンに乗せて使う組立式の本棚を作ったと書きましたが、同じような物を作ってほしいと頼まれて、今回用にワゴン4台分、8本も作っていたのです。自分の分の改良版も作ったので、合わせると5台分、10本です。
 見てくれはあまりよくないけれど、蝶ナットで簡単に組み立てられて、使わないときはバラしておけば場所をとらないところが評価されたようです。二本くらいだったらカートに乗せて電車で運ぶこともできます。

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 何とか期日に間に合うようにとせっせと作りました。だから今回売れ行きがいまいち伸びないのは、天候のせいと本棚作りが忙しかったせいだと、とりあえず自分に言いわけしているところです。本棚屋さんになろうというわけではないので、終わるまでにもう少し売れてくれるといいのですが。

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2012年1月25日 (水)

sp40 ルーヴル美術館

第13日 11/06/20

ルーヴル美術館

 出かける前にまずは朝食。I長老は今日もパンを食べるのに苦労している。長老、風邪をひいたのか、パリへ着いたころは声が出にくくなっていた。なんとか頑張っているが、万全の調子ではなさそうである。

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 朝早めに、バスに乗ってルーヴル美術館へ出かけた。バスにはずいぶんお世話になった。
 右はセーヌ川をはさんでルーヴルの向かいにあるフランス学士院 Institut de France 。アカデミー・フランセーズもこの一部であるらしい。

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 これがルーヴルである。

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 まず目を引くのは中庭のガラスのピラミッド。この下が総合案内所でチケット売り場になっている。小さいピラミッドもあるが、やっぱりまわりの建物にそぐわない。

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 ちょっと離れたところにカルーゼル凱旋門がある。右はルイ14世の像。

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 さていよいよ中へ入ると、ここも広い。どこへ行くか、何を見るか。

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 帰ってからK機長が貸してくれた、ルーヴル発行の『LOUVRE 主要作品』というガイドブックの序文にはこう書いてある。

ルーヴル美術館を見る方法はいくつもある。あまり時間のない人は、なんといっても「モナ・リザ」とか「ミロのヴィーナス」、「サモトラケのニケ」といった写真やコピーでよく知られている“スター”級の作品を見るべきだろう。これらのスター作品のなかにはミケランジエロの「奴隷」、ダヴイツドの「ナポレオンの戴冠式」、ドラクロワの「民衆を率いる自由の女神」、古代エジプトの作品「書記坐像」も入るかもしれない。これは逆に、ある時代、あるアーテイスト、ある技法を詳しく調べてみようとする人はゆっくり時間をかけて、何度もルーヴルに足を運ばなければいけない。

 そのとおり、おのぼりさんは”スター級”の作品を駆け足で見るのである。観光客も多くて混んでいるが、がんばって有名どころは押さえておかなければならない。
 まず「サモトラケのニケ

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 そして、「ミロのヴィーナス
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 となると次は当然「モナ・リザ」であるが、混んでいてこんな状態だった。

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 アメリカ人観光客が「モナ・リザ」を見て”It's too small!”と言ったというのは、芸術を解さず、大きいことはいいことだのアメリカ人をからかったジョークだが、この状態だとそう言いたくなるのも無理はない。

 ヴェルサイユでもそうだったが、足腰が痛くなるくらい見てまわっても見るべき美術品が多すぎてとても見きれない。写真も撮りきれないし、立派な画集もいっぱい出ているから素人の写真をあれこれ並べてもしょうがない。おもしろいなと思った絵を一点だけ載せておく。
 ジョルジュ・ド・ラ・トゥールGeorges de La Tour)の「ダイヤのエースを持ったいかさま師 Le Tricheur à l’as de carreau」。17世紀前半に活動したフランス古典主義の画家だそうだ。 13dscf5592_2

 このあと、みんなと別れて一人で東洋関係の展示を見に行ったら、工事中とかで見られず、エジプト関係の展示を見てきた。「書記坐像」は見逃してしまったようだ。

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 これはエジプトではないはずだが、どこのいったいなんだったのか、忘れてしまった。ネットで調べてもわからない。どなたかご存知の方、教えてください。

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 ほんの一部を見て回っただけだが十分疲れた。「ゆっくり時間をかけて、何度もルーヴルに足を運ばなければいけない。」ことだけはよくわかった。しかし、はたしていつまた来ることができるやら。

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2012年1月23日 (月)

sp39 カルチェ・ラタン

(第12日続きの3 11/06/19)

 カフェを出てから近辺を散歩したが、細かいことは覚えていない。
 カルチェ・ラタン Quartier Latin というのがどこからどこまでなのか、おのぼりさんにはよくわからない。ネットで調べても、みんな「セーヌ川左岸、5区と6区にまたがる区域」「ソルボンヌ大学」「ラテン語を話す(=教養のある)学生が集まる地区という意味」と同じことが書いてあるだけだ。
 中には英語で言うとLatin Quarter ラテン・クォーターだと書いてある。そうなると行ったことはないが、赤坂にあった力道山が刺された有名なナイトクラブを思い出して、そっちを検索してずっと読みふけったりして調べがはかどらない。
 結局、地図でここからここまでと示したようなものはなかった。東京で「山の手」とか「下町」と言っても、線引きした区画があるわけではないのと同じことなのだろう。サンジェルマン大通りやサン・ミッシェル大通りからパリ大学のあるあたり一帯を広くさすらしいから、カルチェ・ラタン界隈をを散歩したと言っておいて間違いではないようだ。

 右はダントン像である。

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 右はサン・ミッシェル広場のサン・ミッシェルの泉 Fontaine Saint-Michel

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 サン・ミッシェル橋からセーヌ川沿いに出ると、河岸の古本屋(ブキニストLes Bouquinistesの屋台が並んでいる。これもわたしがぜひ見たかったもののひとつだが、残念ながら時間が遅いのか曜日が悪いのか、みな閉まっている。

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 左の建物がなんだかよくわからぬ。パリ警視庁の裏側?右はノートル・ダム大聖堂が見える。

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 またサン・ミッシェルのあたりへ引き返して夕食をとった。交差点にこんな信号があった。逆立ちして渡れということではないだろうが、このままずっと使われているのだろうか。

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 このへんがカルチエ・ラタンらしい通りということになるのだろうか。神田にもこんな通りがあると言えばある。

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 パリへ来てからなぜか中華料理に韓国焼肉だったが、この日はついに洋食である。ムール貝を食べた。 

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 左の写真の後ろに小さく写っているウェイターは、学生アルバイトのようで、ポーランド人だった。「ポーランドを知っていますか」と言うので、T局長が「ショパンの国だろ」と答えると、ショパンを知ってるんだとうれしそうにしていた。わたしはポーランド人をからかった悪いジョークを思い出したが、さすがにそれは口に出せない。まあフランス語でも英語でもしゃべれないし。

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 これでようやく第12日目が終わった。旅行記の終りまでもう少し。

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2012年1月20日 (金)

sp38 サン・ジェルマン・デ・プレ

(第12日続きの2 11/06/19)

サン・ジェルマン・デ・プレ

 これがサン・ジェルマン・デ・プレ教会 Église Saint Germain des Prés である。わが家でサン・ジェルマンというと近所のパン屋のことであるが、あのパン屋の名前も元をたどれば、ここに眠るパリの司教だった聖ジェルマンに由来するのだろう。「プレ」は野原のことで、このあたり昔は郊外だったので「野原のサン・ジェルマン教会」と呼ばれたのだという。

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 今は「セーヌ川左岸を代表する商業地で、洗練されたショップが数多く立ち並んでいます。」と紹介されたりしている。ショップはいいから、ここへ来てみたかった。
 カフェ・ド・フロール Cafe de Floreレ・ドゥー・マゴ Les Deux Magots という二軒のカフェ。サルトルボーヴォワールたちが議論や歓談の場としていたという実存主義の聖地である。

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 わたしが実存主義という言葉を聞きかじったのは高校生のときだった。当時最先端の思想とされていて、生意気盛りのわれわれは、「実存が本質に先行するというのは」とか「参加=アンガジュマンが大事なんだ」とか、わかりもしないのに言い合ったりしていたのであった。大学生の頃にはサルトルの威光も次第に衰えてきて、構造主義というのが登場してきたので、あわててそちらをかじってみたりしたが、よくわからないのはやっぱり同じであった。
12dscf5511_2  また大学時代は「お茶の水をカルチェ・ラタンに」という時代でもあった。だからちょっとこの界隈を歩いてみたかったのだ。
 交差点にはこんな看板(下の小さい方)もあった。サルトル・ボーヴォワール広場 Place Sartre-Beauvoir 。広場というほど広くないが、ともかくここはこう名付けられているらしい。
 われわれは二つの実存主義カフェのうちカフェ・ド・フロールの方へ入って、実存と本質について深く思索をめぐらせながらワインを飲んだ。
 ちなみに最近わたしが日本で愛用しているカフェは「ドトール」というが、実存主義とは特に関係はない。

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 パリにはカフェがやたらあって、みんな街頭に張り出している。前述の玉村豊男によれば、17世紀以前には住宅事情が悪くて、家にいると子供の泣き声、女房どものグチに悩まされて男どもはゆっくりできないので、酒と簡単な食べ物を提供する小さなオンボロ店だった「キャバレー」に集まるようになり、文人・作家たちもキャバレーで仕事をするようになった。やがてコーヒーを飲ませる「カフェ」ができて、その役割がカフェに移行していった、ということだ。
  またフロール、ドゥー・マゴについて「これらの店の地下のトイレが実存主義哲学発祥の地である」と書いてある。(『パリ 旅の雑学ノート』P139)
 これはつまり、サルトルはトイレで「考える人」のポーズをとりながら、便秘だったので、実存しているモノが先行してくれなくてさんざん苦労したあげく、あの有名な「実存が本質に先行する」という原理に到達したという伝説のことである──というのは今わたしが思いついた嘘である。 

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2012年1月18日 (水)

sp37 ポルト・サン=マルタン座

(第12日続き 11/06/19)

ポルト・サン=マルタン座

 パリでは何かショーを見よう、というのはわたしの希望でもあった。そのあたりに詳しいのはT局長である。街角の売店で買った「パリ・スコープ」という「ぴあ」のような情報誌から局長が選んだのは、レピュブリック広場界隈のポルト・サン=マルタン座 Theatre de la Porte St-Martin でやっている"Le soir, des lions"夜、ライオンたち)というショーであった。
 右がポルト・サン=マルタン、サン=マルタン門で、これも凱旋門の一つである。

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 これがポルト・サン=マルタン座(サン・マルタン門劇場)である。入口に Le Songe d'une nuit d'été, W. Shakespeare (真夏の夜の夢、W.シェイクスピア)と掲げられているのは近日上演の宣伝であろうか。

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 これも帰ってから調べたのであるが、けっこう歴史のある劇場で、パリ・コミューンで焼失したとか、ロスタンの『シラノ・ド・ベルジュラック』の初演(1897年)がここだったとか、いろいろあるらしい。前述の『パリの王様たち』にも、アレクサンドル・デュマが修業時代にここへ芝居を見に来て、たまたま隣り合わせた小説家がその後デュマの栄光の道を開く重要な役割を果たしたと書いてある(P75)。
(ウィキペディア→http://fr.wikipedia.org/wiki/Th%C3%A9%C3%A2tre_de_la_Porte-Saint-Martin

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 ショーは人気があるらしく行列が出来ており、中へ入るときは、入口に待機していた案内嬢に先導されて座席まで行くのであった。この女性たち、いずれも「嬢」とはいいにくい年齢であったが、黒いスーツを着て堂々としている。次々に客を席に案内しては、走るように入口へ取って返し、また次の客を案内していく。
 そういえば以前読んだ本には劇場のチップのことが書いてあった。これはいりそうだ、いくら払えばいいのか、小銭はあったかと思っているうちに席に案内されたが、特にチップを請求する素振りがなかったので、そのまま着席した。
 前に座った長老に、チップは最近とらなくなったんだろうかと話しているうち、長老が「あ、チップをもらってる」と現場を見つけた。やっぱり払うものだったのだ。案内嬢たちが客を先導しては小走りに戻って、それこそ汗を流すくらい必死に次から次へと客を案内しているのはこのためだったのだ。
 知らない者の目から見たら不思議な光景で、席は指定席で決まっているし、明るい開演前なら特に案内は必要ないのである。それが客は皆、順番に案内嬢の先導を待って行列を作っている。勝手に自分で席を探して着席してしまう者はいない。案内がなければ、行列せずにもっと速く着席できるのに、誰も文句も言わないのである。
 これが文化・伝統というものであるのか。請求はなくてもさりげなく払うのが「通」というものなのか。案内嬢たちの生活と権利は守られなければならないのか。いったいいくらの収入になるのか、他に給料はもらっていないのか、いろいろ気になるところである
 地球の歩き方のHPには、劇場でのチップは0.5€(ユーロ)~1€と書いてある。http://www.arukikata.co.jp/country/europe/FR_general_2.htmlこの頃は1ユーロ110円くらいだったから50円~100円くらい。ここではもっと小さな金額しか払っていないように見えたが、確信は持てない。一人50円のチップとして、この劇場の収容人数は1800人だから総計90000円。これを十人の案内嬢で分けるとして一人9千円。せいぜい一時間くらいの労働だろうから、悪くない収入だが、われわれのように払わない客もいる。二階三階もあるからもっと案内嬢はいるかもしれない。不入りのときもある。よくわからない。
 われわれに請求しなかったのは、どんどん客をさばかなければならないときに、わけ知らずの外国人とやりあっている暇はないからだろう。それにわれわれの席は通路にしつらえられた補助席で、なんだここかと思う席でもあった。

 そこで以前読んだ本を引っ張り出してみた。玉村豊男『パリ 旅の雑学ノート』(新潮文庫、1983)である。この本は、カフェの床穴式トイレでは足元を濡らさないよう、あらかじめドアを開けておいて、レバーを引くと同時に外へ飛び出さなければいけないとか、些末だが生活には重要なことが細かく書いてある、おもしろい本であった。

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 これによれば、案内嬢はウーヴルーズouvreuseと言って、「開ける人」という意味である。17世紀の終わりから存在していて、劇場が暗くて水先案内人兼場内整理係が必要だった時代の名残りだろう。それが既得権となって、この職業がいまだに存在している。劇場からほとんど給料はもらっていない、彼女らの「権利」は相当な金額で売買されているともいう。(P32)

 ショーがはじまる前の舞台。(劇場内部の写真はI長老撮影)

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12  これはフランソワ・モレルFrançois Morel という俳優兼歌手の歌謡ショーであった。「パリ・スコープ」には「ミュージカル」と書かれていたそうだ。ミュージカルと聞くと、おおぜいの役者が派手に踊って歌って物語が展開していく舞台を想像してしまうが、そうではなく、主役のモレルの歌と二人の女性歌手、それに司会者との掛け合いで進行していく音楽ショーであった。
 フランス語がわからなくても、歌はそれなりに雰囲気がわかるし、司会者との掛け合いで観客がどっと笑っているのは、中身は珍紛漢でもなんとなく愉快で、十分に楽しむことができた。
 下記のページにこのショー"Le soir, des lions"の紹介がある。
http://2009-2010.theatredurondpoint.fr/saison/fiche_spectacle.cfm/75399-le-soir-des-lions.html

 この旅行記をここまで読んだ人には、是非ともこれを聞いていただきたい。Faut Pas Exagérer フォ・パ・エグザジェレというモレルの歌。→http://www.youtube.com/watch?v=pSx0Qb_Xk3o&feature=related
 フランス語に堪能なT局長のご指導をあおぎたいところだが、題は「大げさにしてはしてはいけない」という意味だろうから「騒ぐんじゃないよ」みたいな感じなんだろうか。
 ともかくこんな歌を聞いてきたのである。

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2012年1月13日 (金)

sp36 ヴェルサイユ宮殿

第12日 11/06/19

ヴェルサイユ宮殿

 この日もユースで朝食をとって、その後まずヴェルサイユ宮殿へ行ったのだがだが、前回書いたようにその間の写真がない。
Photo  着いてからずっとパリ・ヴィジット Paris Visite というフリーパスを使っていた。これで市内の地下鉄やバスが乗り放題になる。
 有効期間と有効ゾーンが何段階かある。チケットを見ると5日間有効でゾーン6まで使える一番高い切符のようだ。
 よくわからなくても来たバスに乗ってしまえばいい。間違ったら乗りなおせばいい、というのは便利だったが、これだと経路などはまったく学習しないことになる。ヴェルサイユへは地下鉄に乗って、どこかで郊外電車のようなものに乗り換えたと思うが、それがどこか、何線なのか、電車は機長まかせということもあって、何も覚えていない。そういえばパリ・ヴィジットの値段も覚えていない。12_3

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 美術館にはパリ・ミュージアム・パス Paris Museum Pass があって、これでたいてい のところは入れたが、これもいくらだったか記憶にない。これがあると入場券を買う行列に並ばずにすむから便利だという話だった。
 ヴェルサイユ宮殿  Château de Versailles もこれで入れたが、観光客の行列ができていて、ミュージアム・パスがあっても一時間くらい待たなければならなかった。
 宮殿の入口、ごらんのとおりキンキラの門である。 

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 中へ入ってもキンキラの連続である。右下はナポレオンの玉座。

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 広くて美術品の類をいちいち写真にとっていたらキリがない。これは何かと思ったら修復中の絵だった。貼ってあるのは剥離を防ぐための和紙ではないかと思う。

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 喫茶室で昼食をとった。

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 宮殿も広いが庭園もともかく広い。ウィキペディアで調べてみたらヴェルサイユ宮殿の面積は核心地域が1070ha、緩衝地域が9467haとあった。あの広い大阪城公園が106.7haだから核心地域だけで十倍ある。奥が運河で、そのまわりが森になっている。

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 右はヴェルサイユのバラである。

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 わたしと長老は運河のほとりまで行ったが、そこでこれ以上行くと戻るのが大変だからと引き返した。

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 途中で切符を買わなければならなかった。そのときはわからなかったが、これは噴水ショーをやっているための特別料金のようだ。これがその噴水ショー。音楽に合わせてなかなか面白い変化をするのであった。

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 一日かかっても見切れないところだが、おのぼりさんは忙しいから次へ行く。

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2012年1月11日 (水)

sp35 エッフェル塔界隈

(第11日続きの2 11/06/18)

エッフェル塔界隈

11dscf5303_2  シャンゼリゼから歩いてバカラ美術館 Galerie-musee Baccarat へ 。
 大通りを離れて、左の写真のような街の中の通りを歩く。どこをどう歩いているのかよくわからなかったが、スイスの都市とは桁違いに大きな都市であることはわかる。そして建物が固そうで、何か威圧的に感じられるのはおのぼりさんのせいもあるだろうが。
 バカラ美術館は、I長老が奥さんから、これこれこういう物がいくら以下だったら買ってくるように、という指示を受けていたために寄ったもの。

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 残念ながらご指定の物はここにはなく、他の店から取り寄せなければならないこと、ご指定の価格よりいくぶん高めであったことから、長老は買わなかった。奥さんのご指示に従わないといけないのはいずこも同じである。
 出るときに気がついたのだが、われわれが見てきたのは、バカラのショップであって、美術館はさらにその上の階にあったのである。見てくればよかったような、まあどうせ縁のないもののような気もするのであった。

Dscf5313  これはシャイヨー宮 Palais de Chaillot。いくつか博物館があるらしいが、通り過ぎただけ。

 さていよいよエッフェル塔 La Tour Eiffel である。
 わたしはパリへ来てからずっと、町のどこからもエッフェル塔が見えることに感心していた。324メートルだから東京タワーとほとんど変わらないのに、まわりを圧して威風堂々とそびえたっている。
 最近の東京ではときどきビルのすきまから見えても東京タワーだと気がつかないくらいである。都市計画によって、これほど街の景観は変わるものなのだ。

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  この日は土曜日で観光客がいっぱいいて上へ登るための行列をつくっていた。フランスの田舎からやって来たのではと思われるような親子連れが多かった。父親に手を引かれた男の子を見て、わたしは子供の頃名古屋のテレビ塔へ連れて行ってもらったことを思い出した。。11dscf5322
 われわれも上まで行きたかったけれど、おのぼりさんとしては短時間にできるだけ名所 の数をこなさなければならない。ここであまり時間をとられては、と上まで行くのは断念して、セーヌ川に係留してある船上レストランで暫時休憩をとってから、また次の名所へと足をのばしたのであった。

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 次はバルザックの家 Maison de Balzac へ向かったが、ちょっとわかりにくくて、こんな狭い路地へ入り込んだ。そうしたらこの右手の崖を登った上にバルザックの家はあった。

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 バルザックの小説は『ゴリオ爺さん』を読んだくらいだが、借金まみれの中で傑作を量産し続けたという生活の方には興味がある。
 鹿島茂の『パリの王様たち ユゴー・デュマ・バルザック 三大文豪大物くらべ』(1995、文藝春秋)は、この三人の文豪がそれぞれ「名声、金、女」についてどう考え、いかに破天荒な生活をおくっていたかを比較したおもしろい本である。

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 この本によれば、ユゴーは極端な吝嗇で、デュマは大浪費家で、バルザックは借金王であった。

 だが、バルザックという男はまことに端倪(たんげい)すべからざる性格の持主なので、一般人の常識は通用しない。というのも、自己の創造(というよりも生産)能力を確信した彼は、それが生み出すべき金額を頭の中ではじきだし、その分はあらかじめ使ってしまってもかまわないという驚くべき結論を導き出してしまったからである。(P168)

 だが、未来がバラ色に輝きだしたときこそ、バルザックのあらたな危機の始まりである。債鬼に追い回されていたときには部屋に閉じこもって傑作を書き上げるが、ひとたび余裕ができたり、収入の道が開けたりすると、とたんに、なにか楽をして金儲けをしたいという欲望がわいてくるという性格の持主だからである。(P187)

 だから印刷屋をやったり、新聞社を始めたり、銀山に手を出したりして、その都度借金の山をつくっては小説を量産した。
 このバルザックの家は、1840~1847年、借金取りから逃れるため家政婦の名を借りて住んでいた。この家政婦は兼愛人で、後に訴えられてもいるようだ。
 鹿島によれば、42年にはポーランドの裕福な貴族が死に、その未亡人と結婚できる可能性が生じると、バルザックはそちらに集中して執筆に身が入らなくなった。そして結婚に備えて新居を購入したり、骨董品を買いあさったり、株で大損したりして借金がまた増えたら、『従妹ベット』と『従兄ポンス』という晩年の最高傑作を書き上げたのだという。
 この後ウクライナへ行って未亡人と結婚したバルザックは、借金も増えないかわりに傑作も生まず、50年に息を引き取った。借金は夫人が清算したそうである。

11dscf5332_311  この家は傾斜地にあって、正式の出入り口のある上段は平屋に見えるが、下段から見ると二階家か三階家になっている。借金取りが来ると、バルザックがこの下段の路地へ逃げ出すようなこともあったらしい。
 右はバルザックの家のチケットの半券なので、結婚したハンスカ夫人かと思ったら、裏を見るとフランソワ・ジェラール作「ジュリエット・レカミエ」とある。「レカミエ夫人の肖像」という有名な絵らしい。同時代人であるが、バルザックと直接つながりはなかったようだ。なぜこれがチケットにのっているのか、よくわからぬ。

 おのぼりさんは忙しい。次のロダン美術館へ行くまでに見たもの。
 セーヌ川の橋につけられた錠(→sp02 What is this? 2に書いた)。アメリカのトーマス・ジェファーソンの像。サント・クロチルド聖堂 La Basilique Sainte-Clotilde et Sainte-Valère

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 そしてロダン美術館 Rodin Museum へ行ったのだが、帰国後写真を整理しているうちに、操作を誤って一部データを削除してしまった。だからこのロダン美術館の途中から明くる日の午前中まで、八十数枚の写真がなくなってしまった。残念である。

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 右はバルザック像。

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 わたしの場合、カメラがメモ代わりになっているので、この後の行動がよくわからなくなってしまった。
 ユースに帰って、夕食はレピュブリック広場の韓国焼肉屋へ行ったことくらいしか覚えていない。これがその店のカードの裏表。パリでなぜ韓国焼肉だったのかもよくわからない。

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 写真もないし、しょうがない。第11日はこのへんで終りにしておこう。

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2012年1月 9日 (月)

sp34 おおシャンゼリゼ

(第11日続き 11/06/18)

おおシャンゼリゼ

 初日はおのぼりさんの必見箇所めぐりである。次は凱旋門 Arc de Triomphe に登った。

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 観光客がおおぜいいて、順番にこんな階段をぐるぐる登るのであった。

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 上へ出ると、ここからもパリの町を一望できる。エッフェル塔は登らなくてもあちこちから見えるけれど。
 右の写真の奥に高層ビルの群れが見える。その真ん中に四角い門のような建物がある。日本では「新凱旋門」と呼ばれているが、グランダルシュGrande Arche)という超高層ビルだそうだ。
 高層ビルはこのあたりに集中させて旧市街には建てさせないのだろう。建物の高さがそろってどちらを向いても街並みがきれいに見える。

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 サクレ・クール寺院も見える。放射状に延びている通りのどれも同じようで、どれが何通りでどこへ行くのか、おのぼりさんにはよくわからないが、右の通りがシャンゼリゼ( L'Avenue des Champs-Élysées)であるのだけはわかった。にぎやかである。
 通りや町の位置を地図と照らし合わせてゆっくり見たいところだったが、ここで突然の雨にあった。夕立のような強い風を伴った雨で、早々に降りざるをえなかった。

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 降りてシャンゼリゼを散歩する頃には雨はあがってきたが、 カメラのレンズが濡れていた。右はフーケッツ Fouquet's という有名なカフェらしい。T局長がメニューを検討している。

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 結局入ったのは、このカフェ・ル・ドーヴィル Cafe le Deauville。また強い雨が降ってきて天井のガラスを叩く中、昼食をとった。

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 シャンゼリゼといえばやっぱり、もう四十年以上前になるが、まだわれわれが学生だった頃にはやったこの歌「オー・シャンゼリゼ」である。ダニエル・ビダルの日本語版でどうぞ。http://www.youtube.com/watch?v=Xm-d-A8oNHA&feature=related

 この章のタイトルに「おおシャンゼリゼ」と書いたけれど、ネットで検索したら「オー・シャンゼリゼ」が出てきた。なんとこの「オー」はもとのフランス語では、感嘆詞の Oh ではなく、場所や方向をあらわす à+定冠詞 les aux であって、「シャンゼリゼで」という意味だったのだ。「オ・シャンゼリゼ」と発音して「於シャンゼリゼ」とでも訳してくれればよかったのに。
  四十年知らなかった。もう遅い。これからもこの歌はやっぱり「おおシャンゼリゼ」だと聞くことになるだろう。

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2012年1月 6日 (金)

sp33 モンマルトルの丘

第11日 11/06/18

朝食

 パリのユースの朝食は、こんなものである。スイスのユースにはあったハム類がなく、ちょっとさみしい。スイスでもそうだったが、朝食のメニューはほとんど変わらないから、帰るまでずっとこれを食べることになる。
 I長老はフランスの固いパンに苦労している。入歯を持参してきているのに、嫌いだと言ってふだんは使わないのである。だからコーヒーに浸したり、指でパンの皮をつぶしたりしてから食べている。しかしこれでずっとみんなと同じ物を食べてきたのだからたいしたもの、いやたいした歯茎、最近の言い方では「歯茎力」である。

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 パリの地図に行ってきたところを落としてみると、有名なところばかりで、おのぼりさんの旅行であることがよくわかる。この旅行記も有名な観光名所の写真を並べるだけになりそうだが、しかたがない、ともかくやってみよう。

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モンマルトルの丘

 まず最初に行ったのはモンマルトル Montmartre の丘のサクレ・クール寺院 Basilique du Sacré-Coeur 。おのぼりさんは高い所へ行くのである。

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 観光客がいっぱいいる中で、K機長がばったり会社の後輩のパイロットに出会うという珍しい出来事もあったが、わたしがここで一番感動したのは、パリの町を見おろすこの景色。

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 パリの町はちょっと小高い丘から見晴らすことができるんだという事実に感心した。(モンマルトルの標高は130mぐらいで、パリで一番高い。)高層ビルはひとつの地区にまとめられているようで、ここからの景観の妨げにはなっていない。

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 最近、東京ではスカイツリーはともかく、東京タワーですらビルの陰に隠れて見えないのである。高層ビルの上まで行かないと遠くまで見晴らすことはできない。富士山の見えない富士見坂ばかりになっている。
 テレビドラマの「JIN-仁」にはいつも丘の上から江戸の町を見おろすシーンが出てきた。その丘の崖から神田川へ落ちる話があったから、あれは駿河台のあたりなのだろう。当時の江戸の町はちょっと高い所へ登ればすぐに一望できたはずだ。
 そんな昔までさかのぼらなくても、わたしが子供のころまでは、日本中どこでもちょっと小高い丘に登れば町全体を見晴らすことができたと思う。それが今やちょっとした都市には無原則に高層ビルがはびこって、景観を損なうことおびただしい。景観だけでなく何事も、ちょっと高い所から全体を見渡してみることが重要ではないかと、ついつい感心なことを考えてしまった。

 さてサクレ・クール寺院のすぐ隣がテルトル広場 Place du Tertre という、売れない画家たちが観光客の似顔絵を描いているので有名な場所。
 わたしもこの際だからと、日本語で声をかけてきた、やさしそうな、この女性の画家に描いてもらった。
 じっと動かないで座っているのはけっこうつらいものだ。「ジュスィファティゲ Je suis fatigué.」とつぶやいてみたら、「ツカレタ?」と日本語で返って来た。わたしのフランス語がちゃんと通じたのである。

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 これがその似顔絵。

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 いつもどおりぼかしを入れてみたが、これにぼかしを入れるのは著作権侵害になるんだろうか。ぼかしなしも載せておこう。

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 似ている似ていないの前に、なんだかずいぶん若くて、自分とは思えない。

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2012年1月 4日 (水)

初詣・円海山護念寺

Photo_2  今年は兄の喪中ということで、初詣は地味に地元の円海山護念寺へ行きました(1月1日)。
 住所は横浜市磯子区峰町ですが、地図のとおり、横浜とは思えない山の中にあります。円海山の標高は153.3m。山は鎌倉へ続いており、前に書いた瀬上の池もこの近くにあります。(→瀬上池晩秋

 ここは「峯の灸」と言って、江戸時代からお灸の施療で有名なところです。
 入口の説明には「第五世萬随和尚(嘉永6年(1853)寂、住職在任45年)が夢想に拝授した灸を施してより、円海山護念寺の名が広まり」とあり、看板には「威徳明王夢想の名灸」と書いてあります。

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 寺へ近づくと、あたりは竹林で、青々としています。
 本堂へ行く途中にお灸の施術所があります。さすがに正月は休みのようでした。

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 これが本堂。ほとんど参拝客はありません。

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 本堂の右手奥に鐘楼があり、大晦日には鐘つきが行われます。焚火のあとが残っていました。
 本堂の左隣には「円海山メモリアル」という霊園の法要ホールと管理事務所が建っています。本堂への参拝客はほとんどないけれど、自動車が何台も奥のほうへ通り抜けていきます。

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 奥の霊園へも行ってみました。何人か正月の墓参の客がいました。アンテナが建っているのが円海山。

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 街を見晴らすことができ、ランドマーク方面も見えます。

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 そろそろ自分たちのお墓のことも心配しなければと思ってしまった元日でした。一休宗純の歌にあります。

 門松は 冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし 

 また今回はじめて、この「峯の灸」が「強情灸(ごうじょうきゅう)」という落語に出てくることを知りました。
 「峯の灸」へ行って他の人よりずっと熱い灸を我慢してすえてきた、という自慢話を聞いた江戸っ子が、そんな米粒くらいの灸で自慢するんじゃねえ、俺なんか、と自分の腕に山のようにもぐさを積み上げて火をつけ……という話です。
 ニコニコ動画で古今亭志ん生の「強情灸」が聞けますが、これは会員登録が必要です。→http://www.nicovideo.jp/watch/sm10637683
 「落語の舞台を歩く」というHPに、「強情灸」の解説と護念寺への行き方の説明があったので、それも紹介しておきます。
 http://ginjo.fc2web.com/157goujoukyu/goujoukyu.htm

 「落語の舞台を歩く」を書いた人は、わざわざ自分でお灸をすえてみたようですが、お灸というのは実際どんなものなのでしょう。誰かやってみる人はいませんか。看板に「威徳明王夢想の名灸」とあったから、きっと峯で200回以上お灸をすえると「名灸会」に入れます。

 正月なのでおまけに、恐れ入谷の鬼子母神(きしもじん)の写真も載せておきます。初詣の前日、12月31日に南千住へ行ったついでに寄りました。

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