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2012年2月10日 (金)

sp44 コンコルド広場

(第14日続き 11/06/21)

コンコルド広場

 まずコンコルド広場 Place de la Concorde へ行った。コンコルドというと、あの超音速旅客機を連想し、コンドルにも語感が似ているので、怪しい鳥がたくさん集まっている広場を想像してしまうのはわたしだけであろうか。英語ではコンコード、物事の調和・和合を意味する言葉だから「協調広場・なかよし広場」ということなのだが。
 実際のコンコルド広場はにぎやかな交差点の中のちょっとした公園という感じであった。

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 オベリスク obelisk がある。これはナポレオンがエジプト遠征のときに持って帰ったものだと思っていたら、1830年頃にエジプトからフランスに贈呈されたものだという。

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 ナポレオンとは関係ないのか、ちょっと調べてみたら、エジプト学者の吉村作治がこんなことを書いていた。

1819年に当時エジプトを支配していたモハメド・アリという王様のところに、フランスのナポレオン3世がやってきたんです。エジプトのルクソールまで来たんですね。そして、王様に時計をさしあげたんです。その時計は今もモハメド・アリの作ったモスクのところに飾ってありますが、イスラムの風習では何かをもらったら何かをあげる。日本でもそうですけどね。

王様はナポレオン3世に、『欲しいものはありますか?気に入ったものがあったらさしあげますよ』。なんて言いました。すると、ナポレオン3世はなんと、ここにあったオベリスクが欲しいと言ったのです。
モハメド・アリとしては、まさか持ってきゃしないだろうからと、「どうぞ」と言ったんです。そしたらナポレオンは本気にして、軍艦を持ってきてもってっちゃった。そして、フランスのシャンゼリゼから下りてきた、ルーブルに行く途中のコンコルド広場に立てたんですけど、その物語が1冊の本になっているんです。大きな本にです。そのぐらい衝撃的な話だったんですね。http://www.yugakusha.net/study/yoshimura_egypt/200806/200806-2.html

 これが本当だとすれば、ナポレオン3世が無理やりもらってきたことが、1世が強奪してきたように伝わっているらしい。まあ力ずくでもってきたようだから同じようなものか。

 「協調広場」と名付けられる前は「革命広場」と呼ばれ、フランス革命中には、ルイ16世やマリー・アントワネットの斬首が行われた刑場だったという。そのせいではないだろうが、停めてあったトレーラーにキングコングの首があった。かなり大きい。どこかの遊園地でイベントでもあるのだろう。

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 セーヌ川を渡って、オルセー美術館 へ向かう。この橋にも錠がたくさんつけられている。

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オルセー美術館 Musée d'Orsay の前には人だかりができている。ここも行列かと思ったら、なんとストライキをやっていて中へ入れないのであった。右のサイは彫刻作品らしい。立て看らしいものも見当たらず、チラシ配りもやっていない。なんのためのストライキかわからなかった。

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 残念だがしょうがない。それではマルモッタン美術館へ行こう、ということになったとばかり思っていたら、この日の写真を見るとこの間になぜかリヨン駅 Gare de Lyon へ行っている。地図を見るとマルモッタンとは方角違いになる。何しに行ったのか覚えていない。
 K機長が、ここがガル・ド・リヨンだ、このレストランは映画にも出た有名なところだと言っていたのは記憶にある。左の写真の階段の上がそのレストラン「トラン・ブルー」で、映画『ニキータ』に登場するらしい。トラン・ブルー=青い列車=ブルー・トレインだから、ここは鉄道ファン的に重要なところだったのだろうか。

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