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2012年7月18日 (水)

名古屋グルメツアー3

犬山城

 モーニングサービスの後は名古屋駅から名鉄電車犬山へ。
 子供会の遠足で行ったりした場所で、大人になってからも何度か行っているのだが、城の下に昔風の町の通りができているのは知らなかった。観光地としてがんばっているらしい。下右は、その通りにあった昔の商家。屋根が湾曲しているのがおもしろい。

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 来る前は天気が心配だったが、ちょうど梅雨の晴れ間にあたって、青空が広がり、少し暑くなってきたが、風があるのでさわやかだ。

 犬山城は国宝で、ついこないだまで旧城主の成瀬家の私有財産だったことでも有名だ(今は財団法人の所有になっている)。その成瀬家というのは、尾張藩の初代藩主徳川義直に、徳川家康から、藩主の補佐に加えて、幕府へ謀反など起こさぬよう藩主の目付の役割もする御附家老(おつけがろう)としてつけられたのだという。だから通常の家老より格式も高く、こんな立派な城も持っていたわけである。

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 以前このブログに、八代将軍を選ぶとき、尾張は紀州の吉宗に出し抜かれたという話を書いた。(→将軍吉宗と尾張宗春) 
 このとき尾張藩の対応は非常にまずかったというか、御三家筆頭なのだから当然こちらに来るはずだと考えて、将軍になるための運動や工作は何もしていなかった。対して紀州はこの日に備えて尾張、水戸の様子を探り、老中などへの根回しも着々とすすめていた、という話で、大石慎三郎の『徳川吉宗とその時代』(中公文庫、1989)によって書いたのだが、ここのところに成瀬家も出てくるので、引用しておこう。

 吉宗が将軍後見に決まった三十日の夜、尾州藩邸では藩主継友をかこんで、御付家老の成瀬隼人正以下の重臣たちが集まり、人払いをして何かひそひそと話していたが、しばらくたつと成瀬隼人正が大声で二言、三言いったと思うと、不機嫌きわまりない顔をして荒々しく出ていってしまったという。このとき尾州藩邸奥深くで何が話されていたのかわからないが、このころ江戸市中で、
「尾張衆はこしぬけじゃ、尾張大根もくさってはくらわれぬ。岐阜あゆのすしおしつけられて、へぼ犬山の城主(成瀬隼人正)も、ここでは声が出ぬ」
などといわれているところをみると、尾州家の御付家老の成瀬隼人正が、あらかじめ紀州側の工作にとりこめられていて、そのためにまんまと将軍職を吉宗に持っていかれたのだ、というようなことがその夜の席で話題になり、隼人正が声を荒らげて席をたったのかもしれない。とにかくこのときの尾州継友側の立ち遅れは、なんとしても不自然すぎ、紀州側に内通して工作するものがあったとしなければ説明が付けにくいのである。(前掲書p27)

 はたして成瀬家老はぼんくらだったのか、吉宗に内通していたのか。
  内通していたとすれば、それは御付家老として、幕府のためには尾張継友より紀州吉宗の方が有益だと判断したんだろうか…というのは妄想の世界の話で、尾張人としては、成瀬がもっとしっかりしていてくれたら、というのが正直な感想である。

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 子供の頃、わが家に古い短冊が飾ってあって、そこにこんな歌が書かれていたのを覚えている。「さやかにも」の「も」が「し」に見えた。

   犬山の城の白壁さやかにも映りて清し木曽川の水

 この歌は、四日市の興正寺の僧、天白光宣(読み方?てんぱく・こうせん?)の作という。
 雨が降ったばかりで、天守閣から見下ろす木曽川の水は水量豊かだが濁っていて、さやかに白壁が映っているふうでもなかった。しかしいい眺めである。

 城のすぐ近く、名鉄犬山ホテルの敷地内に有楽苑(うらくえん)という日本庭園があり、織田信長の実弟の織田有楽斎(うらくさい)茶室如庵(じょあん)がある。京都から移築したもので、これも国宝である。

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 名古屋グルメには入らないかもしれないが、この苑の一郭でお菓子と抹茶をいただいた。いつも騒々しいこのグループとしては珍しい静寂のひとときであった。(ということにしておこう)

 東京の有楽町の地名はこの織田有楽斎の江戸屋敷があったことからきている。東京も大阪ももともとは愛知県の植民地みたいなものだった、とひそかに愛知県人は思っているのだ。

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コメント

有楽町はともかくなぜ大阪もそうなんでしょうか?

坂東33か所はいくつまわられましたかね?
秩父も何か所かあるそうですよ。

投稿: JISEIZAI | 2012年7月19日 (木) 11時28分

 大阪の町は豊臣秀吉が、江戸の町は徳川家康がつくったというのは日本の常識だと思っておりましたが…

 板東三十三カ所巡礼はずっとさぼっております。少し態勢を立て直す必要がありそうです。

投稿: 窮居堂 | 2012年7月19日 (木) 17時59分

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