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2012年10月

2012年10月31日 (水)

J40 イギリス・ジョーク集

 『イギリス・ジョーク集』(船戸英夫訳編、実業之日本社、1974)から本に関するジョークをひろってみました。

J
白髪

 母親がまだ幼い弟に本を読んで聞かせていると、立ったまま聞いていた七歳になる兄が、突然叫んだ。
「お母さんの頭に白髪があるよ」
「じゃ、抜いてよ」
 兄は白髪を抜いて母親に手渡しながらいった。
「きっとおばあちゃんのだね」
(P103)

 ある淑女、窓辺で本を読んでいる紳士に近づいていった。
「私、あなた様のご本になりたいですわ」
 彼女は彼に惚れていたのだ。
「そうなっていただきたいですな」
と、彼は答えた。
「なれるとしたらどんなご本に?」
「そう、暦がいいですね、毎年新しいのと取り代えられますから」
(P139)

誕生祝い

 作家が書店で新刊小説のサイン会を開いていた。
「妻のためにサインを願います」と、彼の前に表紙をめくりながら本を差し出した男がいた。
「こんな誕生日の贈り物をもらえば、妻もびっくりしますよ」
「びっくりしますか?」と、いい気になった作家はニヤニヤした。「ところで、ほんとうはなにを欲しがっていたのです?」
「ミンクのコートですよ」
(P160)

 これではびっくりするくらいじゃすまないぞ、と想像させるところがこのジョークのおもしろさですが、その国の文化や歴史などを知らないとよくわからないジョークがままあります。

神のみぞ知る

 ロバート・ブラウニングのもっとも難解な詩は『ソーデロ』である。
 その一行はロンドンの詩人協会でも見当がつかなかった。そこでブラウニングにじかにたずねてみた。
 ブラウニングは二、三度読んでから、肩をすくめていった。
「これを書いたときは、神と私しか意味がわからなかったが、いまや神しかわからない」
(P81)

 このジョーク、わからないではないけれど笑い出すほどではありません。しかし『ソーデロ』がどれほど難解な詩なのかよく知っていれば、きっともっとおもしろいのでしょう。

パトロン

 スペンサーが有名な長詩『妖精の女王』を書いて、当時詩人のパトロンだったサウサンプトン伯のところへもって行った。
 伯爵は原稿を手にして、数ページ読むと、召使いを呼んで二〇ポンド渡すように命じた。
 さらに読み進んで、興奮のあまり叫んだ。
「あと二〇ポンドやれ」
 さらに読み進むと、また叫んだ。
「二〇ポンド追加だ」
 しかしついにたまらなくなっていった。
「あいつを戸外に抛りだせ。これ以上読んだら破産してしまう」
(P52)

 これもスペンサーがどういう人で『妖精の女王』がどれくらいすばらしい詩なのか知らないわたしには、ああそうなのか、というところです。
 当時の作家にはパトロンがついたようです。こんなのもありました。

心からの叫び

 文学者のパトロンとして知られたメルボーン卿は、包み隠しなく真実を吐露するので有名だが、これもその一つ。
「作家が死ぬことはよいことだ。そのときでもうそれ以上作品がふえることはないし、パトロンは彼と縁を切ることができるからだ」
(P37)

ノアの箱舟

 二人のスコットランド人の間で口論がはじまった。キャンベルとマクリーンが家系の古さについて天狗の鼻をきそったのだ。
 マクリーンは自分の一族は天地創造と共にはじまったのだから、キャンベル家の及ぶところではないと主張した。
 キャンベルは相手より少しばかり『聖書』の知識があったので、マクリーン家は洪水のまえからあったのかとたずねた。
「洪水だって! いつの洪水かい?」
「世界中の生き物を溺れさせ、ノアとその家族に家畜だけが生きながらえた洪水さ」
「馬鹿言うな! もちろん洪水以前からあったともさ」
「聖書にはノアの箱舟にマクリーンという名のものが乗りこんだとは書いてないな」
「ノアの箱舟だと!」と、マクリーンは軽蔑するように反ばくした。いったい自分の船ももたないようなマクリーンなど、聞いたことがないぞ」
(P62)

 スコットランド人といえばジョークでは「ケチ」が第一の特性ですが、これを読むと、家系自慢も得意のようです。

窃盗罪

 リチャード二世を廃し、ヘンリー四世を王位につけようとした意図で書かれた本が糾弾され、その著者と目されたヘイワードはロンドン塔に幽閉された。
 この本に腹を立てたエリザベス一世は、知的相談役のベーコンを呼び、その内容に反逆罪の要素はないか、とたずねた。
 ベーコンは、ヘイワードを安心させ、女王の立腹を冗談でまぎらわせようと考えて答えた。
「いいえ女王様、反逆罪については、そのような点があるとの意見は申しあげられません。しかし重罪を犯していることは間違いありません」
 女王はよろこんでこの意見をうけいれ、重ねてたずねた。
「どのようにして、またどの点で?」
 ベーコンは答えた。
「つまりコルネリウス・タキトゥスの文章および着想をたくさん盗んでおります」
(P32)

 これはむつかしい。イギリス人にとってリチャード二世、ヘンリー四世などの登場人物は、日本人にとっての豊臣秀吉、徳川家康みたいなもので、どういう関係にあるのかは自明のこととしてすんなり頭に入るのでしょうが、こちらにはそのあたりがさっぱりわからない。
 それでも話の筋はわかるが、最後のオチがやっぱりわからない。「タキトゥスの文章および着想」ってなんだ?

 タキトゥスは古代ローマの歴史家で、『ゲルマーニア』『年代記』などの著作がある。これくらいはおぼろげに思い出しても、内容は知らないから、それがどうしておもしろいのかわからない。
 そこでウィキペディアをみてみると、「著作はローマ帝国の衰亡を憂い、共和制時代の気風の回復を訴えるものが多い。」とある。気に入らない皇帝に対してはかなり辛辣なことを書いたらしい。つまり反逆罪にはあたらないと言いながら、やっぱり王様の批判は書かれているということのようだ。
 しかしそれでは、エリザベス一世は無教養だからわからなくてごまかされたということなのか。それともこれは上流階級の一般教養だから当然わかったけれど、タキトゥスの盗用ならしょうがないわね、と手を打ったということなのだろうか。
 どなたかおわかりでしたらご教示ください。

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2012年10月29日 (月)

日本維新の会のこれから

 週刊朝日と橋下市長に関わる話をもう一つ。
  内田樹(たつる)がブログ「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/)に書いた「日本維新の会のこれから」(2012年09月30日)という文章を紹介しておきたい。
 内田は、大阪市長選挙では平松前市長を応援した。反橋下の立場に立っている。その内田の、維新の会の今後についての予測がおもしろい。
 長文になるが、上記のブログから引用する。

とにかく、2012年段階で、私は次のような未来予測を立てた。
まず、維新の会内部で、地方議員と国会議員団の間で対立が起きる。
これはもうすでに起きている。
党規約の起案に3週間を要したのは「大阪維新の会」の幹部と新党に合流する国会議員団の間で激しい主導権争いがあったためである、とどの新聞も報じている。
今はまだ国会議員は7名だし、「軒を借りる」立場だから、党規約では大幅な譲歩をせざるを得なかった。だが、内心では「いつかみてろよ」と思っているはずである。
このあと国政選挙があり、議員数が増えた場合に、彼らが地方議員と同じ権限に甘んじ、地域政党の幹部に頥使されることを受け入れるということは考えにくい。
ご本人たちの決意がどうあれ、「世間の扱い」が違うからである。
国会議員の「先生」と地方議員の「先生」では待遇が違う、歳費が違う、権限が違う、席順が違う。
世間に出れば「上席」に置かれる人間が、党内では「同席」を求められる。
どちらが「非常識」であるのか、これに悩む人はいない。
「自分に対してより多くの敬意が示される世界が『あるべき世界』である」と考えるのは人性の自然である。
だから、当選してしばらくすると国会議員団の諸君は「大阪の党本部」と「国会議事堂」のどちらがより「あるべき世界」かと問われると、逡巡しつつも「国会」と答えるようになる。
これは不可避の自然過程である。
これを処罰によって規制することはできない(処罰されたら、彼らはたちまち離党して「新党結成」するか、どこかの党に泣きつくだろう)。
採りうるのは「国会議員団を、他の政党の場合と同じように、地方議員団より上位に置く」というソリューションだけである。
というわけでいきなり党規約改定ということになる。
でも、それでは地方議員団が収まらない。
ふざけるんじゃないよ。
東京一極集中を排し、大阪に政治のセンターを作り出すのが「大阪維新の会」の当初のプランである。
国会議員が地方議員や首長の上に来るなら、既成政党と同じじゃないか、と。
この混乱を収拾する「みんなが納得するロジック」は存在しない。
というわけで、選挙直後に党内に国会議員と地方議員・首長のグループ対立という危機が訪れる。
というのが予言その1。
政党である以上、衆議院での首班指名では「自党の党首」に投票しなければならない。
今、議員団の代表は松野頼久衆院議員であるから、論理的に言えば、次の衆院選のあと、彼が当選していれば、日本維新の会の国会議員たちは彼に投票することになる。
だが、それについて橋下代表は明言を避けている。
「いずれリーダーを示さなければならない」と語っているが、これは誰でもわかるように背理的な文章である。
リーダーを指名するのが機関ではなく個人であるなら、指名されるのは「リーダー」ではなく「子分」だからである。
似た組織に公明党がある。
公明党の党首は事実上創価学会会長の指名人事である。
それでうまく政党が回っているのだから、維新の会でもいけるのではないかとたぶん考えた人がいたのだろう。
だが、公明党は「宗教政党」である。地方議員も国会議員も信徒の中から選び出される。
「公明党の政策に共感したので、自民党を離党して公明党に合流する」というようなオプションは原理的にはありえない。
だから、維新の会が公明党に似たことをしようと望むなら、組織統合の軸を「政策」ではなく、「信仰」に置くほかない。
たぶん、何となくそのことは維新の会の幹部たちもわかっていると思う。
だから、議員たちに「橋下徹への個人的な帰依」をまず要求しているのである。
代表に拒否権を付与するというのは、代表が政策判断において「無謬である」ということを意味するわけではない。
だが、「他のすべての党員よりも政策判断において適切である蓋然性が高い」ということを認めている。
ここにいう「他のすべての党員」の中には、「まだ入党していないもの」も含まれている。
その知性や見識について「まだ知られていない人間」よりも代表を上位に置くルールはやはり「信仰」という他ないだろう。
果たして国会議員たちはこの「信仰」をどこまで維持できるか。
むずかしいだろうと思う。
他党の議員からすれば、「陣笠」議員といくら合議しても、対話しても、根回ししても、結局は代表の一存で党議が決するなら、相手にするだけ無駄だからである。
それゆえ、他党の議員たちから維新の会議員団は「見下される」ことになる。
個々の人物の器量や見識によってではなく、「自分たちは政策判断の適否において代表よりも誤る確率が高い」という誓言を代償にして議席を得たという事実によって。
その「見下し目線」に彼らはどこまで耐えられるか。
あまり長くは耐えられないだろうと思う。
というわけで、国会議員団と大阪市長が別立てである限り、この二重権力システムは遠からず軋みを上げることになる。
それを防ぐには橋下代表が国政に出馬して、国会議員団を「締める」しかない。
だから、私は維新の会の国会議員数が一定数(20人)を超えるような勢いであれば、代表は出馬せざるを得ないだろうと思う。
だが、当選議員数がそれ以下(10人そこそこ)なら、大阪からのリモートコントロールも可能である。
大阪市長を任期途中で辞職して国政に出る場合には、「大阪市政をどうするんだ」という市民からの反発が予想される。
その反発が日本維新の会への全国的な逆風につながる可能性がある。
それに、大阪市長選挙で反維新系の候補者が当選した場合には、これまでの職員条例とか教育条例など「維新シフト」はまるごと廃止される可能性がある。
それでは何のために府知事を辞めて大阪市長選に出たのか、わからない。
代表が国政に出ると維新の会の支持率に悪影響が出ると思えば、「出馬しないでほしい」という党内からの声が当然出てくるだろう。
とくに現職の国会議員たちは口々に「国政はわれわれに任せて、あなたは大阪市政に集中しなさい」と忠告するだろう。
だが、これは代表にとってかなり不愉快な発言である。
「おまえらに任せられるくらいなら、はじめから出馬なんて考えなくてよかったんだから・・・(ぶつぶつ)」
だから、まことに逆説的なことではあるが、橋下代表にとっていちばん「望ましい」展開は、支持率があまり伸びず、候補者の大半が落選し、15名程度を国会に送り出すにとどまる、というあたりである。
これなら、「第三極」として、そこそこの議会内勢力でありうるし、大阪市長も辞めずに済む。
そのあたりの「おとしどころ」をめざしてこれから候補者選定が始まると私は予測している。さて、私の予測は当たるか。刮目して待つべし。

 地方議員、国会議員先生たちの習性や行動からの予測である。かなり当たっていると思わざるをえない。『政治家の殺し方』に書いたように、地方議員には怪しげな先生たちがいる。国会にはそれに輪をかけた先生たちが棲息していると聞く。
 これをどのように統御しながら新しい政党をつくっていくのか。橋下市長の腕の見せ所だが、既成の先生たちの行状を思い浮かべると、相当難しそうである。
 内田は、せいぜいこんなものだろうという意味を含めて書いているが、国会議員15名程度の小規模地域政党で始めて、「大阪都」をきちんと形にしてみせてから全国展開するのが、将来的には一番いいのかもしれない。
 内田は以前、橋下知事はそのうちマスコミのバッシングでつぶされるだろうと予測していた(と思うが、記憶だけで、どこに書いていたかわからない。間違っていたらごめんなさい)。これまでのところ橋下は、度重なるバッシングには打たれ強く耐え抜いている。今回の予測は当たるだろうか。

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2012年10月27日 (土)

どうした佐野眞一

 週刊朝日の橋下大阪市長に対する悪意に満ちた記事を読んで、これを書いた佐野眞一を見直さざるをえなくなった。(→週刊朝日と橋下市長
 佐野眞一の良い読者ではないが、何冊か読んで、力のあるルポライターだと思っていた。なにしろ「ノンフィクション界の巨人」である。思い込みのはげしいところや、いかにもえらそうな書きぶりをするところはあったが、『だれが「本」を殺すのか』や『旅する巨人─宮本常一と渋沢敬三』など、おもしろく読んだ。最近のニュースから、そのうち『東電OL殺人事件』を読んでみなければと思っていたところだった。

 一番最近に読んだのは『津波と原発』(講談社、2011)。東日本大震災直後の6月に刊行された緊急取材ルポである。

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 第一部は3月18日から20日に南三陸町、大船渡、宮古などを訪れて、古い知り合いであるるとともに津波の被災者でもある、もとゴールデン街のオカマバーの経営者や「津波博士」として知られていた共産党元幹部などに会ったルポ。第二部は、4月の終わり頃に大熊町や双葉町などを訪れ、避難者や原発労働者に会ったルポに、福島原発の開発史を加えたたもの。
 ルポは当時の個別の状況を具体的に伝えているし、開発史は堤康次郎や正力松太郎など、知らなかったことがいろいろ出てきておもしろい。やっぱりそれなりに力のある作家だと思った。
 ちょっと気になったのは、オカマバーの経営者を見下すように、金にうるさくてためこんでいたとか書いてあること。リアリティを出すつもりか知らないが、旧知の被災者に対する礼儀だって必要だろうと思ってしまう。思い込みが激しく好き嫌いがはっきりしているのはともかく、えらそうなのはいけない。

 週刊朝日の件も、橋下市長が嫌いだからといって、悪意をむき出しにしてえらそうに怒鳴りつけては、逆に書いたものが信用できなくなる。権力者・社会的地位の高い人に汚い言葉を投げつけるだけで反体制になるというものではない。有名人の出自をたどるのが好きなようだが、政治家に対し政策の批判をしないで「出自が悪い」ばかり言っていてどうする。「おまえのかあちゃんはデベソだったことを暴露する」と書いて、いちばん喜ぶのは、佐野が嫌っているテレビではないか。おもしろいネタが出た、さっそくワイドショーに取り上げよう。
 橋下市長も乱暴な言葉をつかうが、「僕は相手の言葉づかい、僕に対する態度振る舞いに合わせるようにしています。」と言っている。逆襲の派手な言葉がマスコミに受けて、自分の主張を広めているところもあって、このあたりの呼吸がうまい。

 週刊朝日で連載中止になった記事を修正して、他の出版社から単行本で出すという話もあるらしい。しかし最近、佐野眞一の盗作問題が報じられている。
 ノンフィクション作家でもある東京都の猪瀬副知事が最初にツイッターで指摘した。佐野は雑誌『現代』の連載で溝口敦の著書から十数カ所も盗用して、『現代』はお詫び記事を出したことがあると。これをきっかけにインターネットには「佐野眞一氏のパクリ疑惑に迫る」という記事もあらわれた。
http://getnews.jp/archives/tag/%E4%BD%90%E9%87%8E%E7%9C%9E%E4%B8%80%E6%B0%8F%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%83%91%E3%82%AF%E3%83%AA%E7%96%91%E6%83%91%E3%80%8D%E3%81%AB%E8%BF%AB%E3%82%8B

 これを読む限り、ほとんど弁解の余地はない。厖大な資料を読み込んで、断片をつなぎ合わせ、ひとつの大きな話を作り上げていくのがノンフィクションだから、時には間違いもあるだろうが、こんなに何度もやっていたとなると、やはり問題だ。当分の間、大手出版社からは声がかからなくなるだろう。

 そういえば以前『旅する巨人─宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋、1996)を読んでおもしろかったので、宮本常一の本を何冊か読んでみた。そうしたら『旅する巨人』に書かれた話のほとんどは宮本自身がすでに書いていることに気がついた。宮本の本に出てこないのは、大阪に愛人がいたという話くらい。まあこれは本人は書かないだろう。(このあたり記憶だけで、検証していないので違っていたらごめんなさい。)
 話をつなぎあわせておもしろい本に仕立てるのは作者の力量だから、これもありかと、そのときは思った。ひょっとすると宮本の文章を黙ってそのままつなぎあわせた部分もあったのだろうか。大宅壮一ノンフィクション賞をもらった本だから、そんなことはないと思いたい。ともかく宮本常一の本はおもしろく、たいした人だったのはたしかだが、佐野眞一の作品は少し気をつけて読まなければならなくなった。

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2012年10月25日 (木)

『政治家の殺し方』

 橋下大阪市長週刊朝日とのやりとりを読む中で、中田宏前横浜市長週刊現代スキャンダルを思い出した。
 前市長自身の本『政治家の殺し方』(幻冬舎、2011)にはこう書かれている。

 私への疑惑を要約すると、合コンでのハレンチ行為、公金横領、海外視察のサボり、前市長への裏切り、不倫騒動、飲酒運転、税金ネコババと続く。よくもまあ、これだけインチキ記事をねつ造できたものである。どれも裏づけ取材のない、いい加減な内容だ。私の周辺から意図的に流された噂話を事実であるかのように書きつらねている。(P15)

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 このスキャンダルをめぐる裁判について、ウィキペディアは次のようにまとめている。

中田は市長在任中に週刊現代から多くのスキャンダル報道を掲載されたことから、2007年11月、特に悪質であるとする以下の3つの記事について名誉毀損で東京地検に告訴した。
 ・看護学生と称する女性への強制わいせつ疑惑
 ・横浜市の公金横領疑惑
 ・市長公務の放棄疑惑
2010年10月29日、東京地裁講談社側に550万円の支払いと謝罪広告掲載を命じる判決を下した。さらに、週刊現代の一覧の記事について「裏付け取材はほとんど行われておらず、ずさん」かつ「中田の政敵ともいえる相手の情報を鵜呑みにして記事にしたことが問題であった」と言及している[9]。続く2011年12月21日の控訴審判決でも東京高裁は一審・東京地裁判決を支持し中田が勝訴した[10]
また、2008年12月24日、中田と不倫関係があったと主張する元クラブ従業員の女性が結婚が実行されずに精神的、肉体的苦痛を受けたとして中田に3000万円の慰謝料支払いを求めて横浜地方裁判所に提訴した。これに対し、中田は「交際の事実はない」と主張、2010年11月12日、「原告の主張は、具体性に乏しいうえ、十分な客観的裏付けがない」として女性の請求を棄却する判決が下された[11]
これらの判決によって、中田へのスキャンダル報道のほとんどが十分な裏付けのないものであったことが認められたが、市長在任中はスキャンダル報道が市議会でも取り上げられ、そのような事態をテレビや新聞各紙が取り上げたため、市民の中田へのイメージは悪化していった。
中田はスキャンダルが報道された背景を自身の著作物において、「市長として実行した改革が、既得権益や利権を奪われた人々の恨みを買い、その報復としてバッシング記事が仕掛けられたということだ。私のイメージダウンを図り、政治生命を絶とうとした」「政治家を殺すのに刃物はいらない。スキャンダルをでっちあげればいいというやり方である」と述べている[12]。また、不倫関係があったと主張する女性からの提訴については、スラップ(恫喝訴訟)であると主張している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E7%94%B0%E5%AE%8F

 つまり報道には裏付けがなかったということで、これもひどい話である。

 中田前市長のケースがこのとおりだったということではないが、政治の世界ではこういうことがあるらしい。
 地方自治体にはよく「○○政治新報」みたいな名前のタブロイド判一枚くらいの政界新聞がある。議会関係者くらいしか読者はいない怪しげな新聞で、怪しげな人間がやっていることが多い。
 まずこの新聞に女性との噂とか汚職の噂とか、なんらかのスキャンダルが書かれる。するとそれを取り上げて「こういう噂があるが」と議会で質問する議員が出てくる。
 書かれる前、書かれた後、質問する前に、条件によっては取り消してもいいという話がもちかけられる。質問するときには、世のため噂の真偽を確かめるだけで、自分がそうだと言っているわけではないと言い逃れをしておく。
 事前の交渉を拒否し、議会ででっちあげだと答弁しても、あらぬ噂だけはまき散らされ、「火のないところに煙は立たぬ」とか言われて、どんどん評判は悪くなる。ごたごたしていると地元のまともなメディアから全国メディアにまで取り上げられ、悪評は全国に広がってしまう。こうなるともう手のつけようがない。
 メディアはそれが事実であろうとなかろうと、怪文書まがいの新聞にはこう書いてあるとか、議会でこういう質問されたと書いておけば内容に責任をとらなくてもいい。売れるとなれば、事実確認しないで伝聞をそのまま垂れ流す。
 噂の火元やメディアを訴えても、中田前市長のケースのように、裁判の結果が出るのは三、四年後で、マスコミの関心はほとんどなくなっていて、勝ったとしても大きく取り上げられることはない。結局書かれた方には大きなダメージが残る。

 中田前市長の場合、週刊現代は慰謝料を払って、紙面の片隅に小さなおわび文を載せたかもしれないが、スキャンダル記事を読んだ大半の読者はそんなことは知らない。550万円の慰謝料なんか、売れた分で十分以上に元をとっているだろう。
 
 中田氏は、任期満了前に辞任したため、このスキャンダルと開国博Y150(2009年)の赤字の責任追求から逃がれるために市政を投げ出したと非難されていた。スキャンダルについては非難される筋合いはなかったわけだ。

 今回の橋下大阪市長は、天下の朝日新聞相手にきちんとわびを入れさせた。たいしたものである。中田氏も、もっとがんばって戦うことはできなかったのか。
 『政治家の殺し方』には、スキャンダルを仕掛けられたのは、「市長として実行した改革が、既得権益や利権を奪われた人びとの恨みを買い、その報復としてバッシング記事が仕掛けられたということだ。私のイメージダウンを図り、政治生命を経とうとしたのだ。(P16)」。そしてその背後にはA議員がいた、と書いてある(P18~)。
 実名は書いてないが、市長を訴え出た女性の記者会見を取り仕切った人物だから、当時の報道を見れば実名はすぐわかる。匿名にしたのは人権尊重ということなのか、これ以上のトラブルは避けたのか。
 しかし改革を継続させ、利権を復活させないためにはA議員ときちんと戦うべきではなかったのか。任期途中で辞任してしまったことで、中田氏の横浜市政に対する影響力はなくなり、A議員は今も意気軒昂のようである。

 中田氏が当時言っていた辞任の理由は衆院選とのダブル選挙にすれば選挙費用が十億円くらい浮くから、ということだった。
 ウィキペディアにはこう書いてある。(上記URL)

2009年7月28日、2期目の任期途中で辞職を表明。辞職の理由について、第45回衆議院議員総選挙と同日に横浜市長選挙を行えば、選挙コストの削減に繋がることなどを挙げた[4]が、明確な説明や謝罪もなく、また中田が推進した開国博Y150が結果的に失敗に終わったり(中田は開国博失敗について自身の責任を明確にしていない)、多数のスキャンダルを報道される中であったため、「投げ出しだ」等の批判が相次いだ[5]

 しかし『政治家の殺し方』では、退陣を前にしてレームダック状態になることを避けることがひとつ、 もう一つは、衆院選とぶつけることでオール与党の相乗り市長候補が選ばれないようにするためだった。オール与党の相乗り市長になるとそれまで進めてきた行財政改革を元に戻されてしまうからだ、と書いている。
 ここはどうにも納得いかない。あのときのわたしの感想は「よっぽど仕事がいやになったんだろうな」というものだった。それに突然だったから、市民が事前に立候補者についてよく知ることができないうちに投票日になったという感じだった。
 一度ダブル選挙にしたところで、衆議院選挙は解散があるから流動的で、いつも市長選と一緒というわけにはいかない。開国博の責任問題はきちんとすべきだったし、次期市長に改革の継続を、というなら後継者をきちんと立てて戦うべきだった。議会に巣くう魑魅魍魎と最後まで戦うことがなにより大事だったのではないか。

 大阪市や大阪府の議会にもおそらくこの手の魑魅魍魎はいるはずである。これまでのスキャンダルは、横浜と同じように、そのあたりが仕掛けたものかもしれない。既得権益や利権を守るために橋下市長を支持している議員というのもいるのではないか。
 橋下市長による職員組合の魑魅魍魎退治はマスコミに華々しく取り上げられ、スキャンダル攻撃にはなんとか打ち勝ってきたようだが、実際の市政・府政の運営、議員たちとの対応はどうなっているのか。地元の人間でないとよくわからないところだけれど、下手すると足元をすくわれるのではないかと気になる。
 今回の週刊朝日の記事にしても、具体的な地名を書いてしまったというミスがなければ、「表現の自由」で逃げられて、えんえん悪意の連載が続いていたかもしれない。橋下市長を支持しているわけではないが、下品なスキャンダルで政治家を攻撃するのはもうたくさんだ。

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2012年10月23日 (火)

週刊朝日と橋下市長

  週刊朝日橋下徹大阪市長の父親や親族を題材に連載を開始した佐野眞一ハシシタ 奴の本性」(2012年10月26日号)について、橋下市長は、同和地区に関する不適切な記述があったことなどを理由に抗議し、親会社朝日新聞の取材を拒否していた。

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 読んでみると、橋下市長に対する悪意に満ちており、文章が汚く品がない。今は廃刊になった『噂の真相』を思い出した。週刊朝日は、橋下市長に相当な敵意をもって喧嘩を売っているとしか思えない。

 表紙には「救世主か衆愚の主か」と書いてあるが、救世主の要素を検討しようという様子はない。「日本維新の会」の旗揚げパーティの描写からはじまるが、「テキヤの口上だった」「田舎芝居じみた登場の仕方」と作者の印象ばかり。タレント弁護士時代に見かけたときは、恐ろしく暗い目をした男だった。この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない、とまで書くが、これも佐野がそう思ったというだけの話である。理由もなく橋下は悪いやつだと決めつけている。
 パーティの参加者への取材では九十歳になるという老人のわけのわからない言説だけを紹介して「いかにも橋下フリークにふさわしい贅六(ぜいろく)流のファシズムだと思った」と書いている。なんでこんな変わったじいさんが支持者の代表になるのか。そもそも贅六流のファシズムってなんだ?ファシズムには贅六流とか江戸っ子流があるのか。
 父親のことは、縁戚だという男がしゃべったことが書いてある。ヤクザだった。入れ墨をしていた。シャブやってる人間はすぐわかる。自殺する前には頭が半分狂っていた。しかしこの話の裏付けはない。指摘されれば、伝聞を書いただけで事実だとは書いてないと言うつもりか。

 なんのためにこんなことを書くのか。佐野は「初めに断っておけば、私はこの連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない」という。橋下には確固たる政治的信条なんかない、ひたすら世情に阿(おもね)ったテレビ視聴者相手のポピュリズムがあるだけだ。だから橋下徹という人間そのものを解明するのだという。

一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性である。
 そのためには、橋下徹の両親や、橋下家のルーツについて、できるだけ詳しく調べあげなければならない。
 オレの身元調査までするのか。橋下はそう言って、自分に刃向かう者と見るや生来の攻撃的な本性をむき出しにするかもしれない。そして、いつもの通りツイッターで口汚い言葉を連発しながら、聞き分けのない幼児のようにわめき散らすかもしれない。
 だが、平成の坂本龍馬を気取って“維新八策”なるマニュフェストを掲げ、この国の将来の舵取りをしようとする男に、それくらい調べられる覚悟がなければ、そもそも総理を目指そうとすること自体笑止千万である。
 それがイヤなら、とっとと元のタレント弁護士に戻ることである。

 しかし政治家を理解するために、その政策や手法、実績などを取り上げず、ひたすらルーツを探ると言って、オヤジはヤクザだった、いとこに殺人犯がいるという話を書き連ねてどうするのか。幼い頃両親が離婚して母子家庭で育ち、ろくに父親の記憶はないという橋下の性格や考え方を理解するのに、こんな話が本当に必要なのか。怪文書によるネガティブ・キャンペーンとどこが違うのか。
 週刊朝日の表紙には売り文句として「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」と書いてある。いつのまにかDNAの解析が進み、性格の悪さを遺伝させるDNAや政治家にしてはならないDNAが特定されたというのか。そういうハーバードの客員研究員の報告でもこの後に出てくるのだろうか。

 橋下市長が記者会見やツイッターで問題にしたのは次のようなことだった。。
・父親の出生地の実名をあげ、そこには被差別部落があると書いたこと。
・「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶりだす」、「血脈をたどる」、ルーツを探るということは、橋下の(下劣な)本性は(下劣な)血脈によるものだという、血脈主義・差別思想であること。
・父はヤクザで云々とか書いているが、怪しげな登場人物がそう言ったということを、裏付けもなしにそのまま垂れ流していて事実確認がされていないこと。

 これはそのとおりだと、わたしは思う
 さてこの後の展開がどうなるのか、興味津々でいたら、橋下市長から抗議されたら、週刊朝日はあっさり謝罪するとともに、二回目以降の連載中止を決めた。
 品のあるなしは別にして、この原稿が表現の自由のうちであるのかないのか、相手がどう反応するか、世間がどう感じるか、弁護士との相談とか、これだけの悪罵を投げつけるからにはいざというときの対応の検討を事前にしておくものだろう。こうなることを見通せなかったのか。
 週刊朝日は子会社で編集権は別だからと言っていた親会社の朝日新聞社も、広報部が「連載記事の同和地区などに関する不適切な記述で橋下徹・大阪市長をはじめ、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深刻に受け止めています。」とコメントを発表した。http://www.asahi.com/national/update/1019/TKY201210190469.html

 橋下市長の完勝である。

 今日、おわびの載った週刊朝日が発売になるらしい。前号はこの騒ぎで売り切れになった。今回の号もおわびで売れるんだろうか。だとするとのせられているような気もして買いにくい。

 先ほど本屋で立ち読みしてきた。
 「差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現があり、ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになりました。」ということで、「社として、今回の企画立案や記事作成の経緯などについて、徹底的に検証を進めます。」ということだった。まだ具体的な検証の中身はない。→http://publications.asahi.com/news/276.shtml

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2012年10月13日 (土)

あしたのジョーの町

 10月9日、長男の引っ越しの手伝いで南千住へ行った。

Dscf6934_3 これが長男がこれまで住んでいた賃貸マンション。
 入居したときは新築のきれいな部屋だった。7階だったので通路側からはスカイツリーができあがっていくのがよく見えた。
 岐阜から転勤するとき、現地確認のため東京まで往復するような暇はなく、不動産屋からのFAXと電話だけで決めた。勤務先の上野に近く、新築で間取りもそれなりのうえ、賃料が他と比べて安かったので、ここに決めたそうだ。

 ところが引っ越してみると、たしかに最寄り駅は南千住だが、一番近い交差点は「泪橋(なみだばし)」というのであった。この名前でわかる人にはわかるが、日雇労働者の町、いわゆる「山谷」の一角に位置しているのである。賃料が安いのにはちゃんとわけがあったのだ。長男は引っ越してからはじめて「山谷」という町のことを知ったらしい。
 

 われわれの若い頃は、高度成長を底辺で支える肉体労働者の町としてにぎわい、大阪の「釜ヶ崎」と並ぶ有名なドヤ街だった。革命の拠点にするんだと左翼過激派が入り込んでいたり、過剰な活気があふれていた町だった。(わたしは当時の山谷は知らないが、同じような環境の横浜の寿町には仕事の関係で出入りしていたことがある。)
 その後長期にわたる景気の後退もあって、今は労働者の町から高齢者の町になっていて、活気があるとは言いがたい。簡易宿泊所の中には、外国人バックパッカー相手のゲストハウスになっているところもあり、長男のところを訪れると、アジア系を含め外国人旅行者が歩いている姿をよく見かけた。
 長男が住んでいたようなマンションもいくつか建てられ、確実に町は変わりつつある。

Dscf6933ts_2Dscf6931_4 しかし、老人たちが昼間から車座になって酒を飲んでいる姿や道路脇で寝込んでいる姿もよく見た。
 泪橋の交差点には、こんな看板が立っている。「歩行者の寝込み 飛び出し横断に注意」
 看板にも驚くが、このすぐ近くで、実際に歩道から車道へ頭を突き出して寝ているじいさんを見かけたときにはもっと驚いた。病気で倒れているのかと思ったが、酔って寝ていただけだったようで、しばらくたったらいなくなっていた。

 泪橋と言えば、思い出すことがもうひとつある。「あしたのジョー」である。ちょうどわたしの学生時代、「少年マガジン」に連載されていて大人気となったマンガ。ある日山谷をモデルにしたドヤ街にあらわれた少年矢吹丈は、アル中の元ボクサー丹下段平に才能を見いだされ、プロボクサーの道を歩み始める…という話。

 ここにあった思川(おもいがわ)は、明治大正の頃に暗渠化され埋め立てられたそうで、上の写真のとおり泪橋は地名として残っているだけだが、マンガでは橋の下にボクシングジムを作っていた。そして「泪橋を逆にわたる」という名セリフがあった。

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こんどは/わしと/おまえとで/このなみだ橋を/逆に わたり/あしたの栄光を/めざして 第一歩を/ふみだしたいと/思う
高森朝雄、ちばてつや『あしたのジョー5』講談社コミックス P72)

 こうやって書き写してみると、いかにもくさいセリフである。しかしこの原作者高森朝雄(梶原一騎)の大時代がかった臆面のないセリフや状況設定と、ちばてつやのソフトな画と大胆な構成がうまくかみあって、それこそ異常なまでの人気をうんだ。わたしも力石徹との対決がどうなるか、少年マガジンの発売を待ちかねた一人であった。

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 上は、リングで力石徹を死なせてしまったジョーが、 過去を回想しながら苦しむ場面。場所は玉姫公園である。(高森朝雄、ちばてつや『完全復刻版 あしたのジョー9』講談社コミックス P40)

 この玉姫公園へ行ってみて驚いた。公園中にブルーシートで包んでひもで縛った大きな荷物が置かれていて、その数、百個以上はある。そして、中ほどの空いているところでは囲碁や将棋をやっているのを、それぞれ数人が取り巻いてにぎやかに見ている。みんな老人ばかりで、二、三十人はいた。現在、この公園はホームレスの野営地になっているらしい。昼間なので荷物を縛って出かけている人も大勢いたのだろう。
 一般的には公園に老人たちが集まって遊んでいるのはのどかな風景であるが、そのまわりがブルーシート荷物だらけというのはかなり異様であった。通り抜けてみたが、さすがに写真は撮れなかった。

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 町の中を何度か歩いてみたなかで、玉姫公園が一番異様な雰囲気だった。他は、昼間から酒を飲んでいる老人の姿をよく見るのを除けば、おおむねあまりにぎやかじゃない下町というところである。

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 こんな商店街もあった。
 いろは会商店街。「あしたのジョーのふるさと」で街おこし、とがんばっているようだが、日本全国の商店街同様、シャッターが目立つ。

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 なんだかアニメおたくの「聖地巡礼」みたいになったが、長男が引っ越して、もうこの町へ来ることもないだろうから、ちょっと書いてみた。

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