« 東北12 仏ヶ浦・むつ湾フェリー | トップページ | 東北14 三内丸山遺跡1 »

2013年7月24日 (水)

東北13 斜陽館

斜陽館

 蟹田から金木町(かなぎまち、現在は合併で五所川原市)の太宰治記念館斜陽館」へ向かう。ここはI長老のご希望により行くことになったものである。

  わたしは、寺山修司と同じく、太宰治のよい読者でもないのであるが、今回来るにあたって、『津軽』(新潮文庫、2000、94刷)を読んでみた。そうしたらこれがすてきにおもしろい。ああ太宰はこんなに明るい作品も書けるんだったのか、と太宰に対する印象をあらためた。
 ついでに『津軽通信』(新潮文庫、19997、16刷)も読んだ。これは全20篇の短篇集で、そのうち5篇が「津軽通信」というシリーズである。全体に軽妙で、うまい。

Photo  Img

 『人間失格』を読んだのはまだ高校生だった頃、、「こんな甘ったれた奴は」と強烈に反発したのを覚えてる。そう言ったらまわりから「作品と作者をごっちゃにしている」と批判された。しかし私小説の伝統がまだ生きていた頃の作品であり、太宰自身、作品と作者をごっちゃにされることは承知で書いていたのではないか、と今でも思っている。
 だからその頃、『斜陽』だとか、文学全集の1冊に収録された分だけは読んだけれど、その後は、読まなくてもいい作家として分類していた。

 『津軽』は、昭和19年、津軽風土記の執筆を依頼された太宰が、三週間の間、自分の故郷・故地に、それまで行ったことのなかったところをあわせて津軽を旅してまわったときの旅行記のような小説である。
 江戸時代の『永慶軍記』という書物には、こう書かれているそうだ。

奥羽両州の人の心、愚にして、威強き者にも随ふ事を知らず、彼は先祖の敵なるぞ、是は賤しきものなるぞ、ただ時の武運つよくして、威勢にほこる事にこそあれ、とて、随わず(『津軽』P17)

 津軽人は馬鹿な意地をはって、強い者に上手に随うことができない。誇りだけ高くて、ついつい世の笑いものになってしまう。
 また蟹田のSさんのように、東京で有名な小説家になった太宰を一所懸命もてなそうとするあまり、過度な饗応を強いる結果になってしまう。感情が行動にあふれすぎ、後で恥ずかしくてたまらない。
 津軽の風土とあわせて、こういう津軽人の佶屈した感情が、友人知人たちの過度な行動としてあらわれてくる姿をユーモラスに描いている。そして愚かにも見えるその津軽人こそ太宰自身の姿だとも、言っている。
 非常に楽しく読め、また後味のいい作品だった。最後に幼年時代の乳母、小泊のタケと再開する場面では、ホロリとさせられた。この文庫の解説で亀井勝一郎は、全作品の中から一篇だけ選べと云われるなら、この作品を挙げるとまで書いている。

Dscf7963_2  さて斜陽館へ着いたときにはまだ雨が降っていたが、ここは建物の中を見るのだからかまわない。、
 朝早く出て、もう12:30くらいになっていたので、先に昼食をすませることにした。ガイドブックによれば、すぐ前の金木観光物産館に「太宰らうめん」というものがあるのだという。
 太宰が食べた、というわけではなく、太宰の好物だった根曲がり竹(姫竹)とワカメが入っているから、といういささか由来のあやしいものだが、ここまで来て、そういうものがあると聞いて、食べてみないわけにもいかない。

Dscf7961  Dscf7962  

 おつゆを飲むと、なんと『津軽』からとった文章があらわれた。「さらば旅人よ、命あらばまた他日。元気でいこう。絶望するな。では、失敬。」は、「さらば読者よ」がもとのかたちで、『津軽』の最後の文章である。
 これを太宰が見たら、津軽人としては、それこそSさんではないが、恥ずかしくて酒を飲まないではいられないところではないかと思うが、このラーメン、なかなかおいしかったので、とりあえずはよしとしておこう。

Photo_2  斜陽館は、太宰の生家、津島家の建物であって、戦前の大地主の家である。パンフレットには、「階下十一室二百七十八坪、二階八室百十六坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせて宅地約六百八十坪の豪邸である。」と書いてある。
 柱も梁も太く、階段は幅広く、立派な襖や床の間があり、戦前の大地主というのが、どれほどのものであったか、よくわかる。小説『津軽』のなかでも、近隣の町で「津島の修治です」と言えばそれでわかるみたいな場面があった。太宰はそういう環境で育ったのである。
 パンフレットの写しを載せておく。

Photo_4 

Dscf7966_2   パンフレットにある二重まわしというコートを、ご自由に着用ください、というコーナーがあった。これがどういう構造になっているのか、前から疑問に思っていたので着てみた。下はチョッキのようになっていて、その肩から背にマントが付いているのであった。厚いラシャのような生地であたたかそうだった。
 この写真を公開するのは、津軽人でなくても恥ずかしくて酒を飲まないではいられないところだが、まあ、どうせ今日も酒を飲むのである。

Dscf8004_4    帰りにもう一度物産館へ寄って、「斜陽羹」という羊羹を買った。「生れて墨ませんべい」というイカスミのせんべいもあったが、そこまでは手が出なかった。
 本当に太宰が見たら走って逃げ出すのでは、と思うが、地元ではあれもこれもみな太宰のおかげ、売れてめでたいめでたいということになっているのだろう。

 余計なことだが、最後にちょっとだけ書いておきたい。
 ここに取り上げた新潮文庫の『津軽』につけられた注釈がひどすぎると、わたしの好きな高島俊男が書いている。(『お言葉ですが…4 広辞苑の神話』、文春文庫、2003)

04
 その部分には「これは賤しきものなるぞ」という題がついているが、これは前述の軍記からとったものである。
 高島は、まず週刊文春連載のコラム「お言葉ですが…」で注釈を批判した。

<マント 袖の無い外套。>
<銭湯 湯銭(入浴料)を取って入浴させる浴場。>
など、こんなものに注釈がいるのかというものがやたら多い。30頁くらいもある。だいたいマントのわからないものに外套がわかるか。
 意味のとれない注釈もある。
<さるまた 男が用いる、腰やまたをおおう下着の短いももひき>
と書いてあるが、こんな日本語があるか。
 『津軽』という作品を本当に読んでいるのか。リンゴを間伐して馬鈴薯を植えるという部分の注釈は、
<間伐 森林が茂りすぎるのを防ぐため、間の木を切ってまばらにすること>
<馬鈴薯 じゃがいも>
とあるが、リンゴ畑は森林か。茂りすぎるのを防ぐためではなく、戦時中だから食糧不足対策に主食がわりのジャガイモをつくろうというのだ。作品に即するのではなく、辞書をまるうつしにしているだけだからこうなる。

 という具合に、まったく小気味よくやっつけた。
 そして高島俊男がさらに激怒したのは、コラムを単行本にしようとして、新潮文庫を再確認したら、最新版では、高島が指摘したところだけ、おざなりに訂正してあったことだった。

 さるまたは<男が用いる、腰やまたをおおう下着>になった。安直な修正で、腰ミノかなんかみたいだ。
 全体に劣悪だから例をあげたのだ。ことばの出てきた情況や文脈に即して、その事情や様相をしるすのが文学作品の注釈なのだと批判しているのに、言われたところだけ安直になおしてすましている。訂正するなら他にもおかしいところはないか、見なおしたらどうか。人に言われないと、おかしいところもわからないのか。

というわけである。
 実はわたしは高島俊男の方を先に読み、この馬鹿な注釈の実物を見てみようと、新潮文庫の『津軽』を買ったのだった。
 わたしが買ったのは94刷で、訂正後のものだが、たしかに必要のなさそうな、辞書を引き写ししただけのような注釈がやたら多い。447項目で全29頁に及ぶ。それなのにわたしが注釈を必要としたところには役にたたない注釈しかついていなかった。
 前述の蟹田のSさんの饗応について、太宰はこう書いた。

津軽人の愛情の表現は、少し水で薄めて服用しなければ、他国の人には無理なところがあるかも知れない。東京の人は、ただ妙にもったいぶって、チョッピリずつ料理をだすからなあ。ぶえんの平茸ではないけれど、わたしも木曽殿みたいに、この愛情の過度の露出ゆえに、どんなにいままで東京の高慢な風流人たちに蔑視せられてきた事か。「かい給え、かい給えや」とぞ責めたりける、である。(『津軽』P61)

 ここについている注が、こうである。
<ぶえんの平茸 「平家物語」巻八「猫間」の話にある(ぶえんは無塩)。>
<木曽殿 源義仲…木曾義仲とも言われ…云々の主な経歴の説明のみ>
<かい給え 猫間の中納言にごはんを、かきこみなさい、どんどん食べてくださいとすすめたこと。>
 これでマントやさるまたがわからないと想定されている読者に、なんのことかわかるだろうか。
 これは、木曾義仲は都に攻め上ったものの、信濃の田舎者で貴族のことばや作法などとんと知らなかった。塩気のない新鮮な魚介類を「無塩(ぶえん)」と言って珍重したから、なんでも新鮮なものを「ぶえん」というと思い込み、通り名を猫間の中納言という貴族が義仲を訪れたとき、「ぶえんの平茸をどうぞ」とやってしまった。そしてともかくたくさん食べろ食べろとごはんを山盛りにして、無理強いに饗応し、京では田舎者として馬鹿にされたという、平家物語にある話なのだった。
 グーグルの電子書籍の「津軽」には、「ぶえんの平茸」に「食物を無理矢理に饗応する無粋な田舎者のたとえ。平家物語「猫間」に拠る」と注が入れてあった。せめてこれくらいの注釈は必要なところであろう。

 『津軽』も『お言葉ですが…4 広辞苑の神話』もおもしろくて、ついつい余計な部分が長くなってしまった。高島俊男も『津軽』は太宰の作品の中では最もできがいいもののひとつだとしている。そしてこう書いている。

 太宰治は、「佶屈」ということばを「おろかな強情」の意にもちいている。すぐ先のところにも、「…あれが、津軽人の反骨となり、剛情となり、佶屈となり、そうして悲しい孤独の宿命を形成するという事になったのかもしれない」とあるではないか。
 これが『津軽』のテーマなのである。津軽人には、おろかしい強情我慢の性格がある。そのために他国の人たちに誤解され、損をしてきた。その悲しいさがは自分にも濃くかげを落としている。――『津軽』で太宰治は、そればかりを言っているではないか。(『お言葉ですが…4』P110)

|

« 東北12 仏ヶ浦・むつ湾フェリー | トップページ | 東北14 三内丸山遺跡1 »

窮居堂旅日記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 東北13 斜陽館:

« 東北12 仏ヶ浦・むつ湾フェリー | トップページ | 東北14 三内丸山遺跡1 »