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2013年7月26日 (金)

東北15 三内丸山遺跡2

 いきなり大型掘立柱建物にこだわってしまったが、三内丸山遺跡は無論これだけのものではない。大型竪穴住居があり、掘立柱建物という高床式の建物があった。大型竪穴住居は集会所、共同作業所などに、高床式は倉庫などに使われたのではないかと言われている。
 大型竪穴住居とその内部。かなり広い。

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 高床式の建物。

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 Dscf7990そしてこれが小さめの竪穴住居で、550棟以上見つかったという。看板に一般竪穴住居と書いてある。それなら芸能人はどこに住んでいたんだ、というのは最近週刊誌などの「俳優のなんとかさんが一般人の女性と結婚」という報道に違和感を覚えているわたしのセリフである。昔は軍人と地方人、昨今では芸能人と一般人に区別されるらしい。
 悠久の縄文時代を想うべきところで、小さなことにこだわっているような気もするので話題を変えよう。

 ここはムラというより、都市といっていいくらいの大集落だったようだ。
 前述の梅棹忠夫はかねてから、都市の起源は神殿であった、という「都市『神殿』論」をとなえていた。神のいる神殿があって、神と交信する神官がいる。その神託を聞くためにまわりから人が集まり、情報の交換や物の交換が行われるようになる、というわけである。
 小山修三は、あの六本柱は、梅棹の「神殿説」をとるとうまく説明できると言っている。(『日本文明77の鍵』P38、梅棹忠夫編著、文春新書、2005)
 復元された六本柱の姿は、神殿には見えにくい。もっと違うかたちをしていたのだろうか。いっそ上の方を鳥居型にするというのはどうだろう。

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 わたしが中学・高校で習った日本史は、遅れた縄文文化は、大陸や南方から伝わった水田稲作を基礎にする弥生文化に淘汰された。大陸から進んだ文化をもった人びとが渡来して、北九州や畿内から日本は発展していった、というようなものであった。
 ところが最近の歴史学では、縄文文化がかなり豊かなものであったこと、そしてその中心は東北地方であったことなどが明らかになっているらしい。
 特に縄文土器の最古のものは、1万6千年前と測定され、現在のところ、世界で一番古いものだという。前述の『梅棹忠夫語る』では、世界の四大文明になぜ縄文を入れないのか、とまで言っている。世界の五大文明か、いいね!
 ただウィキペディアによれば、最近、中国で1万8千年前の土器が見つかったという報告があるようだ。年代の測定方法に疑義があるらしいが。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8
 こうなるとそのうち韓国から2万年前の土器が見つかるんじゃないか、と冗談で書いておくが、本当にそうなりそうでこわい。
 ともかく縄文土器は世界に誇っていいもののようである。

 T局長のよめる。

縄文の声聴く津軽は半夏生  俳爺

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Dscf7994Dscf7993_2 あとはミュージアムで、悠久の縄文時代の雰囲気にひたるために、貫頭衣を着てみたり、土偶の展示を眺めたりしておしまい。
 とうとうこれで旅行も終わりである。新青森駅でレンタカーを返し、予定どおり17:12の東北新幹線に弁当と酒とともに乗り込み、めでたしめでたし、というわけであった。

 わたしとI長老は、さっそく飲み始めた。左がわたし、右が長老の弁当である。長老は焼酎の水割りのロング缶を二本買ってきた。わたしは控えめにビールのロング缶一本とレギュラー缶一本である。
 T局長がそんなに飲むのかと驚いていた。なに局長だって、出発の日、新幹線の中で朝食のパンと一緒にワインのミニボトルを飲み始めたので、こちらが驚いたくらいである。酒が好きなわたしや長老だって、めったに朝から飲んだりはしない。

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 わたしの弁当は、カニ入り卵焼きの下にいろいろ海鮮が詰まっているというすぐれもの。ついつい車内販売でビールを追加してしまった。
 右はI長老が、わが家へのお土産としてくださったもの。あわび・いくら・めかぶの醤油漬け。長老ありがとうございました。おいしくいただきました。気をつかっていただいてすみません。

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 帰る途中だんだん雨があがっていって、新幹線の窓の外に大きな虹が見えた。
 俳人のよめる。

梅雨明けの空に届けと巨大虹  俳爺

 雨のせいで、岩手山も岩木山も姿を見ることができなかったのは残念だったが、その他の見たかったものは全部見ることができた。今回もいい旅だった。

 

 青森での話が長くなってしまいましたが、今回の旅行の目的は、東日本大震災の被災地の現状をこの目で見て、わずかなりとも現地にお金を落としてくることでした。もともとのお金が少ないので、何をしてきたとも言えませんが、復興がなかなか進んでいない姿を見て、今後とも、できることがあれば、という思いを新たにしました。
 

大津波は季節も恋も押し流しただ人の世の夢のかけらに  俳爺

 

 

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